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最終章 天暗の仔

第二回 復讐するは――(前編)

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 日本海。それは、鈍色の海だった。
 白波が立ち、かなり時化ている。当然、漁師の姿も無い。
 雄勝藩領、由利郡ゆりぐん西目海岸にしめかいがん。誰もいない浜に、平山雷蔵は佇立していた。
 秋が終わろうとしている。その兆しは、空と海の色、そして冬の匂いを含んだ風で何となく判った。
 かつては出羽と呼ばれ、北部八郡を以て設立された霜奥国しもおくのくにの冬は過酷だと言われている。長く、そして重いのだそうだ。
 雷蔵が追っ手を避けながら、羽合掃部と雄勝に辿り着いたのは、冬も終わりつつある頃だったので、本当の冬をまだ知らない。

(もうすぐ、命日か……)

 秋の終わりと共に、父の顔を思い出した。
 その死を知ったのは、雄勝に入ってからだった。それを報せてくれたのは、藩主の小野寺忠通で、最初は嘘だと思った。
 栄生帯刀と共に、城に討ち入ったそうだ。しかも、城内に火薬を仕掛けて爆破し、また仲間を城内に忍ばせ、方々で騒ぎを起こさせたという。
 明らかな叛乱であり、利重には断固として従わないという、命を賭した意思表示だった。
 雷蔵は、父を侮蔑していた。利重に何も言えぬ傀儡だと。あまつさえ、その命令で帯刀をも斬るのだと。それがどういう理由か、帯刀と共に利重を襲った。
 もし自分が夜須にいれば、父と共に叛乱に加担したであろう。父はそうさせない為にも、羽合救出の命を授けて、自分を夜須から出したのか。その全てを知った雷蔵は、一人で泣いた。
 父を失い、故郷を失った自分に残されたのは、平山家嫡流に受け継がれる銘刀・扶桑正宗、それを最大限に活かす事が出来る念真流の技、そして利重への憎悪だけだった。
 それ以来、憂悶とした日々を過ごしている。復讐は果たす。何としても、利重の首を獲ると決めていた。しかし、忠通にきつく止められているのだ。今は待てと。
 雄勝藩と忠通には、多大な恩義がある。今こうして暮らしていけるのも、丁重に保護されているからだ。故に、忠通の言に背けるはずがない。

「許したらどうか」
「忘れて生き直せ」

 と、いう者もいる。羽合すら、全てを忘れて雄勝に骨を埋めろと勧める。

(何を笑止な……)

 許すなど、どうして出来ようか。この身は、もはや一族の無念を晴らす為だけにある。それを呪いだと言われようが構わない。むしろ、それすら残された形見ではないか。心など、とうに死んでいる。

(まぁいい)

 と、雷蔵は懐から、人相書きを取り出した。
 今回の獲物は、梅五郎という渡世人だった。
 人呼んで、〔牛頭ごずの梅五〕。歳は、四十前。鼻の右横に疣がある、四角い顔をした男だ。
 梅五郎は名うての喧嘩ゴロ屋だそうで、草鞋を脱いだ先々で多くの人を殺め、雄勝藩でも追っていた捕吏三名を斬り殺している。元は関八州を渡り歩いていたそうだが、何を思ったのか霜奥へ流れた。
 今日、この男を殺す。奉行所から五両の賞金が出るそうなのだが、銭などはどうでもいい。こうして悪人を狩る事は、小野寺家と雄勝藩への恩返しなのだ。
 人相書きを仕舞うと、雷蔵は来た道を引き返した。
 浜辺の入口には鳥居があり、その陰で中年の男が、雷蔵を待っていた。

「お待ちしておりました」

 そう言って伏せた顔を上げると、不敵な眼光を備えた、翳りを見せる顔がそこにあった。
 顔面には、無数の刃傷。欠けた左耳。そして、剃った坊主頭。多少肥えた恰幅の良さから、押し出しのよさが伺える。

「海がお好きなので?」
「日本海を見るのは初めてなのです」
「左様で」
「あなたが駒造殿ですね?」

 雷蔵が訊くと、駒造が笑みを浮かべた。

「ええ。私がここらを仕切っております〔富嶽ふがくの駒造〕というもんです、平山様」

 いやらしい笑みと、笑っていない瞳。そして、この口調。相手を威圧し、慄かせる事を熟知している。紛れもなく、ヤクザだ。

「呼び出して申し訳ない」
「いえいえ。お話は伺っております。梅五郎をおりになりたいそうですね」

 雷蔵は頷いた。
 富嶽一家が梅五郎を追い込んでいるという情報を得た雷蔵は、始末する役目を譲ってくれるように打診していたのだ。

「ですが、こちらにも体面というものがございましてね。梅五郎は私共がらなければ、世間様に顔向けが出来ないのですよ」
「それは判ります」

 十日前まで、梅五郎は富嶽一家に草鞋を脱いでいた。それが他愛もない喧嘩が原因で行商を惨殺し、屋敷から姿を消した。それで、激怒したのは親分の駒造である。日陰者が地場の侠客として生きていけるのは、堅気衆の情けがあるからと思っている駒造にとって、梅五郎の凶行は看過出来ないものらしい。

「ですが、私が殺そうが駒造殿が殺そうが、世間にとっては変わりはしません。変わると思うのは、ヤクザの自己満足というものです」
「……」
「そして居場所を知っているならば、すぐに始末をすればいい。そうしないのは、始末出来ない理由があるからでしょう?」
「どんな青二才が来るかと思いましたが、馬鹿ではないようですな」
「そして、そこに私の申し出を受けた理由もある」
「流石ですね。ええ、その通りです」

 駒造が言うには、梅五郎は元武士で〔やっとう〕の使い手だそうだ。近くの無住寺に追い込んだのはいいが、なまじ仕掛けても死人が出るだけ有様で、これまでに四人が斬られているのだという。

「やはり」
「梅五郎の剣の冴えは鬼のようでしてね。お恥ずかしい話ですが、子分共は腰を抜かしている次第です。腰抜けでも私共は、侠を掲げておる身。お役人の世話にもなれません。そうした時に、平山様が参られたのですよ」
「渡りに船という事ですね。私が死んだ所で、富嶽一家の名に傷は付かない」

 すると駒造は声を挙げて笑った。
 駒造の要求は、梅五郎の所へ案内する代わりに、手柄を譲って欲しいという事だった。五両の賞金もいらないそうで、要は侠客としての筋を通したいという事らしい。
 こちらの条件は、既に伝えている。ただ梅五郎と手合わせしたい。それだけだと。勿論、雄勝への恩返しもあるが、そこまでは語らなかった。心の内まで伝える必要は無い。それに喧嘩ゴロ屋をしている梅五郎の腕には、純粋に興味がある。どんな手を使ってくるのか、愉しみでさえあった。

「ところで、腕には自信あるんですよね?」
「当然です」

 駒造と、目が合った。雷蔵は視線を逸らす事なく睨み返すと、駒造が鼻を鳴らした。

「では、交渉は成立という事で」

◆◇◆◇◆◇◆◇

 それから駒造の案内で、梅五郎が潜む寺へ向かった。
 十五名ほどの若衆が、朽ちた山門の前でたむろしている。竹槍や長脇差ながドスを手にした喧嘩支度だが、中から伝わる殺気に呑まれている様子だ。

「親分」

 二人の姿を認めた子分衆が、立ち上がり二人を迎えた。
 駒造が簡単に雷蔵を紹介した。既に名と腕前は伝えていたらしく。思ったように反発もなかった。ここ最近、立て続けに賞金首を狩っている。その評判が広まっているのだろう。

「梅五郎は?」
「へい。まだ本堂にいて、微動だにしておりやせん」
「おい、お前達。これから俺は、この平山様と二人で中に入る。絶対に手出しすんじゃねぇぞ」

 駒造がそう言うと、景気のいい声が返って来た。どうやら返事だけは一丁前のようだ。
 雷蔵は駒造と共に山門を潜り、本堂の前に立った。
 梅五郎が、胡坐になって待ち構えていた。大刀を抱え、鋭い眼光でこちらを睨んでいる。

「おう、これは富嶽の親分さんじゃありませんか。子の命惜しさに助っ人かい?」
「うるせえや、牛頭の梅五。何とでも言え」
「草鞋を脱いだ俺を殺そうとするなんざ、渡世の義理ってもんは無いのかねぇ。霜州そうしゅうで売り出し中の富嶽親分とあろう者が」

 梅五郎は、無精髭を蓄えた顎を撫でながら言った。

「梅五。そりゃ、全うな侠を貫いている奴の台詞だぜ」

 梅五郎は肩を竦めると、雷蔵に視線を移した。

「で、その助っ人と言うのが、そこの若造かい」

 雷蔵は返事もせず、ただ梅五郎を見据えた。その表情には、狂気の色が見て取れた。おおよそ、血の病なのだろう。頭に血が上れば自分を止められない、そうした病がこの世にはある。

「ふふ。俺も甘く見られたものだぜ」

 梅五郎が立ち上がった。人相書きに比べ痩せているが、恐ろしいほどの殺気を漂わせている。紛れなく、人斬りだ。

「巡りが悪いな。その程度で十分という事ですよ」
「ほう、言うね」
「私は強いですから」

 そう言うと、雷蔵は腰の大小を抜いて駒造に渡した。流石の駒造も突然の事に困惑している。

「若造。そりゃ、どういう事かい?」
「本当に頭の巡りが悪い人だな。あなた程度、無腰で十分という事ですよ」

 その一言に、梅五郎の何かが弾けたのが判った。

「容赦しねぇ」

 梅五郎が本堂を降り、近付いてくる。まだ抜く気配は無い。居合。おそらく、それで間違いない。

(ならば)

 雷蔵は、猛然と駆け出した。

「なっ」

 虚を突かれた梅五郎が、慌てて刀に手を伸ばす。
 流石に、切り返しははやい。が、そう思った時には、雷蔵は掌底でかすみを打っていた。
 梅五郎の目がぐるりと回り、膝から崩れ落ちる。すると、全身から汗がどっと吹き出した。

「すげぇ。死んでやがる」

 駒造が梅五郎に駆け寄り、声を挙げた。
 やわらで人を殺せるか。それを試してみたかったのだが、どうやら危ない賭けだったらしい。打った右手は掌底の形のままで、それを左手を使って何とか戻した。

「流石でございます。おみそれしました」

 雷蔵は、渡した大小を受け取って腰に戻した。

「さぁ子分の前で、止めを刺してください。それで駒造殿の手柄になる」

 駒造は頷くと、長脇差を抜いて馬乗りになった。

「では、私はこれで」

 雷蔵は、踵を返した。歓喜の声を挙げて駆け寄る子分衆を無視し、寺を後にした。
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