上 下
101 / 145
第五章 寂滅の秋(とき)

第十四回 月見草(後編)

しおりを挟む
 囲まれた。
 建花寺村への帰り道だ。
 既に村は見えている。辺りは薄暗闇に包まれ、逢魔が刻を迎えていた。
 緩い傾斜の農道。闇から現れた五人が、清記達を囲んだ。
 気配を感じなかった。闇に紛れているとはいえ、今までなら接近する氣には気付けたはずだ。
 高度な訓練を課された集団。そう思う前に、まず自分の衰えに考えが行ってしまうのは、その事について気にしているからだろう。
 清記は、三郎助を一瞥した。
 表情は固い。三郎助の腕前は、サッパリだ。腹も座った方ではない。まず、この忠臣を守る。それが第一だと決めた。

「何者かね」

 そっと、清記は口を開いた。
 返事はない。五人は、武士。しかも、折り目正しい着物を着ている所を見ると、主持ちだ。

「返事も無しか。失礼な奴だ」

 刺客。そう思い扶桑正宗に意識を移すと、五人は懐から短筒を取り出し、その銃口を清記に向けた。
 三郎助が、思わず声を挙げる。

「もう手段を選ばぬという事か」

 短筒は、回転式の西洋短筒。俵山が使っていたものと同じである。

(さて、どうしたものか)

 切り結ぶ。その選択をした所で、こちらも無傷では済まない。簡単に想定しただけでも二人始末する間に、右肩と腰に銃弾を受けてしまう。それに、三郎助が巻き添えになるのも必至だ。

「止めよ」

 声がした。背後。この男の接近にも、清記は気付けなかった。
 若い男だった。長身で、抜け目がなさそうな、細い目をしている。歳は三十になるかどうか。

「話をする前に」

 男が、三郎助に顔を向けた。

「まずは、佐々木三郎助殿には、お引き取り願いましょう」

 三郎助の名を知っている。この事に三郎助は目を丸くした。この者達は、相当に調べ込んで襲撃している。

「殿。私は退きませんぞ」
「お前に何が出来る」

 清記は三郎助を見ずに言った。

「むしろ、足手まといだ。これから立ち合うとして、私はお前を守りながら戦わねばならん。これは相手を利するだけ」
「しかし」
「心配無用。この件は誰にも漏らすなよ」
「……。そうですね。殿がそう申すのなら、仕方ありませんな」

 と、三郎助はいとも容易くその場を離れた。この聞き分けの良さに、若い男も苦笑した。

「平山殿は、家人に恵まれておりませんな」

 清記は、その言葉を敢えて無視をした。三郎助は、不忠でそうしたわけではない。清記の事を考えてそうしたのだ。自分の巻き添えで、こうした襲撃に遭うのも一度や二度ではない。

「貴殿は?」
「お初にお目にかかります。私は、片倉藤四郎。伊達蝦夷守様の側用人を務めております」
「ほう。堂島丑之助を唆した、あの」
「左様。夜須を目前にして襲われ、痛い目に遭いましたが」

 黒河藩である事には驚かなかった。ただ、現れたのが、側用人という高官である事に、清記はしたたかな驚きを覚えた。

「私の名乗りは必要無いようだな」

 藤四郎が頷く。

「では、片倉殿の要件を伺おう」
「我が主に会って頂きとうございます」
「伊達公が、私に?」
「如何にも。蝦夷守様は今、夜須に逗留しております。この機会に、是非貴殿に会いたいと」

 伊達継村が、夜須に来ているという話は聞いていた。表向きは幼馴染とも呼べる利景の墓前に手を合わせる為だという。代香ではなく本人が、それも〔あの〕黒河藩の殿様が来るという前代未聞の一大事に、流石の執政府も動揺したようだ。だが最後は、添田の一存で決めたという。
 相賀は拒否を進言し、羽合は謀殺を進言した。その他にも色々と意見は出て喧々諤々の議論を重ねたが、

「亡き殿ならば、喜んで受けたであろうよ」

 という、添田の一言で全ては決まったらしい。

「そう警戒されずとも」
「黒河の貴殿がそれを言うか」

 藤四郎が苦笑した。どうやら、清記の剣氣を察せるほどの腕はありそうだ。

「あなたを殺すつもりなら、この様な話もせずに、撃ち殺しております」
「だが、私は何度も、伊達公が放った刺客に狙われた」
「確かに」
「伊達公にとって、私は憎い敵でしょう。目の前で嬲り殺しにする可能性もある」
「平山殿。我が主は、そこまで性根は腐っておりませぬ」
「どうかな」
「私の一命を賭してもよろしゅうございます」
「さて、そのような代物を賭されても」
「残念でございます」

 藤四郎が片手を挙げた。五人が一斉に短筒を構える。この距離では、助かりようもない。

「蝦夷守様には、礼節を以て丁重にお迎えするように言い付けられたのですが、こうなれば致し方ありません」
「無粋だな」
「誤解されないでください。これは、私の趣味ではないのです」
「私が拒むからか」

 藤四郎が笑う。だが、その目には何の感情も見て取れない。

「駕籠を用意させておりますので」

 藤四郎が目で合図すると、五人の武士がすっと道を開けた。

◆◇◆◇◆◇◆◇

 駕籠に揺られたのは、半刻程度だった。
 連れて来られたのは、天台宗の寺院だった。地名は判らないが、内住郡ではない。
 山門の手前で降りた。藤四郎が駕籠の傍で待っていた。あの五人の武士は消えている。

「この寺は、夜須藩がご用意されたものです。当藩と〔繋がり〕があるわけではないので、お疑いなされぬよう」

 藤四郎の見透かしたような発言を、清記は敢えて無視し歩みを進めた。
 伊達蝦夷守継村は、本堂で待っていた。この寺の本尊であろう仏に手を合わせている。

「殿。平山殿をお連れいたしました」

 継村が振り向く。歳は利景の二歳上。若いが覇気のある顔立ちだった。

「よう来たな、平山」

 清記は平伏し、名乗りを上げた。

「会いたかったぞ」
「私なぞに」
「憎き敵だ。いつも、お前に俺の野望は挫かれてきた。俺はその都度、怒り狂ったさ。『また、平山にしてやられたか』とな」
「私は、自らの職責を全うしたまでにございます」
「深江でもか」
「お役目でしたので」
「だろうな。まさか、深江に夜須が干渉するとは思わなかった。報告を受けた時は驚いたぞ」
「深江を勤王に染め上げられると。夜須の背後が脅かされます。これも、当藩の生存を賭したもの。ならば、内政干渉も厭いませぬ」

 継村が一笑した。

「で、お前は見事に成功した。それどころか、深江を味方にまでしてしまった。お陰で、深江に派遣した志士は誰一人として戻らなんだ」

 山背久蔵の顔が浮かんだ。成智院玄昌を粛清した後、黒河の志士を探し出して処断したのだろう。あの男なら、嬉々として徹底的にするはずだ。

「私を呼ばれたのは、恨み節を聞かせる為でございましょうか?」
「ふふ。それもある。だが、顔を見たいという気持ちもあった」
「名誉な事。と、受け取ればよろしいのでしょうか」

 継村が、口許を緩めて頷く。

「利景とは、幼馴染よ。江戸でよう遊んだものだ。利景には煙たがられたが」
「では何故、その幼馴染を困らせるような真似を?」
「幼馴染故によ。お前は刺客をしながらも、立派に代官を勤めているらしいな。その事について、努力していないとは言わないが、言わば利景と同じ出来る者の仲間だ。だが、そうではない者にとって、お前達のような存在は厭味でしかない」
「……」
「向日葵と月見草。利景と並ばされ、そう言われた事がある。江戸におわす徳河の将軍様にな。それ以来、俺は月。利景の引き立て役だ」
「それ故に、今まで」
「俺とて大望はある。が、俺を支える根本は、それよ。利景に勝ちたい、その一心。お前には判るまいがな」

 結局は人の情。その事が、清記に判らないでもなかった。だが、人の上に立とうとするならば、そうしたものを敢えて捨てる覚悟も必要ではないのか。特に遺恨を持つ相手に勝ちたいという、自己中心的な私情であるならば。
 これが〔北の蕩児〕とも〔独眼竜の再来〕とも呼ばれる、伊達蝦夷守継村なのか。敢えてそうしているにしても、何とも小さい。

(子供なのかもしれぬ)

 利景への劣等感が、大人になる事を妨げているのか。だとすると、この男の稚気に振り回された者達が哀れでならない。

「だが、安心しろ。もう夜須には手を出さぬ。利景亡き夜須など張り合いがないわ」
「左様でございますか」
「それに、夜須はこれより火事場を迎える事になろう。そこに手を出すのは、流石の俺も胸が痛む」
「伊達様。それは如何なる事でございましょうか?」
「ふふ。犬山兵部が、京都からの帰りに江戸に立ち寄り、徳河将軍に拝謁したそうだ。利景の倅に未だ内定が貰えぬという状況でだ」
「それは」
「しかも、禁裏の貴人を連れてだ。どのような話をしているのだろうかのう」

 大名が家督相続を正式に許されるのは、服喪を終えた後だ。しかし、その前に老中より内定の達しがあるというのが、慣例だった。
 が、常寿丸にはそれが今の所は無い。その事で、江戸家老が右往左往していると、添田の口から聞いた。

「それ以上の事は俺も知らん。しかし、兵部とか言う男は、問答無用で早く斬ってしまう事だな」
「ご助言痛み入りまする」
「なぁに、親友への香典代わりよ」

◆◇◆◇◆◇◆◇

 本堂を出ると、藤四郎が控えていた。

「本日は、ご足労をお掛けいたしました」
「大変だな、おぬしは」
「仕え甲斐がある主人でございます」
「趣味が分かれる所だ。私は御免被りたいが」

 山門に向かって歩いた。流石、執政府が用意した寺院だ。改めて見ると、本堂や伽藍は立派であり、境内もそれなりに広い。

「平山殿」

 山門を出た所で、藤四郎が名を呼んで歩みを止めた。

「殿がこれを」

 袱紗の包。受け取ると、かなりの重量がある。中を改めなくても、これが銭だとすぐに判った。

「これを何故私に」
「大井寺右衛門と俵山弥兵衛の永代供養の費用だそうで」

 清記は、二人の遺骸を建花寺村の共同墓地に埋葬していた。これは何も二人だけではない。自分が打ち倒した者は、出来るだけそうしている。剣客でも刺客でもだ。

「特に、大井寺殿は殿の師でございました」

 清記は頷き、袱紗を懐にしまった。

(やはり、そうであったか)

 清記の脳裏には、大井寺の崇高な剣が蘇っていた。
しおりを挟む

処理中です...