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第五章 寂滅の秋(とき)

第七回 深江藩(前編)

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 深江藩一万三千石の城下は、小さな町だった。
 谷合たにあいに沿って東西に長く発展し、ちょうどその中心に深江藩の藩庁たる陣屋が置かれている。
 元々は背後に聳える二丈岳に山城があったが、深江藩主となった松永氏が統治に向かないとして破却し、城下町の中心となる場所に陣屋を設けたという。
 清記は、塗笠に着流しという出で立ちで、深江の城下を練り歩いていた。まずは、土地勘を養う。地理を頭に叩き込む。それが藩外で動く際の、清記の流儀である。
 尾行けられている。それは、旅籠を出てからだ。二名。追跡者の挙動を察するに、玄人とは言い難い。

(素人め……)

 追跡者は、おそらく深江藩士だろう。横目で確かめたが、追う姿がどうもぎこちない。上役に命じられ、無理に駆り出されたと言った所か。
 清記は、そうした尾行にも構わず、黙々と歩みを進めた。不快だが、嫌ならすぐにでも撒ける。
 深江城下に入って二日目。まだ、何ら行動は起こしていない。夜須を発つ前に急がねばならないと相賀に言われたが、清記にはそのつもりは無かった。慣れぬ土地なのだ。何事も、注意深く動かねばならない。夜須とは、全てに於いて勝手が違うし、焦りは無意味な死を招く事もある。
 まず、陣屋の周りをひと回りした。
 藩主の松永久臣は在国しているはずだが、どうも警備の数は少ない。ふらふらと歩む清記に目をやる者もいなかった。
 それから、上級藩士が住まう武家地に足を向けた。松永外記の屋敷も、そこにある。清記は高い土塀に沿ってゆっくりと歩いた。
 屋敷の中は伺えないが、その敷地の広さは中々である。相賀によれば、外記は深江藩の筆頭家老。また一門衆の中でも、筆頭格にあるという。夜須藩で言えば、帯刀が首席家老を兼ねているという感じだろう。

(気が抜けているな)

 外記邸を後にして、清記は思った。
 或いは、落ち着いた城下と言うべきか。武家地から町人地へと流れたが、喧騒というものは殆ど無い。人口そのものが少ないのも原因だった。深江にいると、夜須が大きな城下町だと思えてくるから不思議だった。
 地味なのだ。何か、養分を全て夜須に吸われたような印象がある。
 深江藩は、かの松永久秀の裔が築いた国。さぞかし凝った城下町ものなのだろうと人は言うらしいが、然程のものもないと見た者は落胆する事で有名だった。
 しかし、それは仕方のない事なのだ。初代藩主は、久秀の孫にあたる松永貞徳まつなが ていとく。この男は、朝廷より〔花咲翁はなさかのおきな〕の称号を贈られた、俳人なのである。それが何故か神君に見込まれ、大名にまでなった。幾ら権謀術数をほしいままにした久秀の裔と言えども、俳人に過ぎなかった男に望むのは酷な話だと、清記は思っている。

(あの頃と、変わらぬな……)

 と、清記はふと思った。

 清記にとって、これが三度目の深江藩になる。昨年も宇美津への道程で通ったが、城下には寄らなかった。
 九年前、上役を斬殺し脱藩した男を追って、深江城下に入った。
 その時の藩主は、先代の松永久綱まつなが ひさつねだった頃だ。二十日滞在し、居場所を突き止め斬った。下手人は若い藩士。妹を手籠めにした遺恨故の凶行だった。同情の余地は十二分にあるが、相手が犬山家に連なる大組格の上士、そして下手人は無足組格の下士なのが災いした。
 今の藩庁ならば、手籠めにした時点で手を打ったであろう。しかし、当時は犬山梅岳の影響力が強く、どうする事も出来なかった。
 思えば、お役目は正義と思える事ばかりではなかった。奸臣の手先になった過去に対し、忸怩じくじたる思いはある。全ては御家の為、平山家の為だと、誤魔化してきた。それが、利景が藩主になり、梅岳を追放し全権を握ると全てが変わった。公平な判断からの、お役目を与えてくれるようになったのだ。人斬りの哀しみや政事の厳しさもあるが、少なくとも夜須藩士たる誇りを持つ事が出来た。
 このお役目もそうだ。幕政を滞らせるだけではなく、帝の宸襟を騒がせ、無用な兵乱を起こそうとする叛徒を討つ。これは立派な正義であり、誇りを持てる行為である。
 利景に対し崇拝にも似た忠誠を抱いている理由は、その為だった。利景は、御手先役が持つ暗い闇を照らしてくれた光りなのである。
 故に、その日を迎える事が怖い。死は誰にでも等しく、そして無情に訪れる。その事は自分の右手が一番知っている事だというのに。
 そうした感傷に浸りながら歩いていると、静か過ぎる城下に不審を覚えた。
 曲がりなりにも、深江藩は勤王党が結成されたのだ。一時期の夜須藩のような、殺伐とした狂熱は全く感じない。
 およそ一年前。盆地特有の暑さに喘ぐ夜須に、天誅の季節が訪れていた。
 町奉行の与力。典医に抜擢された蘭方医。そして、勤王党より脱盟した志士など七名、が勤王党の手によって斬られた。清記は利景に勤王党の壊滅を厳命され、その総仕上げが昨年末の宇美津行きであった。

(あの時は、殺気が肌を刺したものだが)

 この緩慢さに違和感を覚える。
 色街も覗いてみた。城下の端、山裾に沿って幾つかの遊郭が軒を連ねている。こうした場所には志士と称する叛徒が入り浸るものだ。日が暮れれば、また違う顔を見せるのかもしれないが、今はまだ灯が消えたように静かだった。

◆◇◆◇◆◇◆◇

 夕暮れ前に、旅籠に戻った。

「あら、浪人さん。お戻りですか?」

 仲居の大年増が、清記を迎えた。この旅籠では、浪人・飯田孫衛門いいだ まごえもんという事にしている。前払いでかなりの銭を渡しているので、仲居達の愛想は良い。清記も、その一言に笑顔で応えた。
 部屋に入る手前で、微妙な気配を察した。中に誰かがいる。浮かんでいた笑顔が、瞬時にして真顔に戻った。
 清記は、扶桑正宗の重みを意識した。ここは、他国。何が起こるか判らない。それは、平山姓を名乗る者が、過去に四名も藩外で客死している事が物語っている。
 障子を開けると、小男が部屋の中央で平伏していた。こちらの気配を察していたのか、待っていたという雰囲気がある。

「どなたかな?」

 清記が訊くと、男は伏せていた顔を上げた。

(奇怪なつらだ)

 それが、清記の第一印象だった。
 鼻頭は上を向き、二本の大きな前歯が目立つ、まるで鼠のような顔だ。行商人の格好をしているが、おそらく変装であろう。

「へ。あっしは、貞助さだすけというもんでございやす。失礼ながら、平山の旦那でござんすね?」

 清記は頷いたが、見た事の無い顔だった。年の頃も判らない。若いように見えるが、三十は越えているとも感じられる。

「そうだが、私はおぬしを知らぬ」

 すると、貞助という小男は舌を出し、愛嬌のある笑みを見せた。

「おっと、こいつは失礼を。あっしは目尾組から遣わされたもんで」
「廉平の代わりか?」
「まぁ、そのようなもんでさ」

 廉平は、皆藤に斬られた怪我の療養の為に、今回は伴わなかった。代わりを寄越すと相賀が言っていたが、それがこの鼠顔の小男なのだろう。

「見ない顔だ。お前のような顔なら一度見れば忘れはせんというのに」

 清記は、貞助の目の前に座った。いざとなれば、抜き打ちを浴びせられる位置である。

「そりゃ旦那が廉平さんとしか組まぬからでございますよ。それにあっしは、首席家老様専属の密偵を務めておりやすし」
「ほう、お前が添田様の。しかし、御家老の密偵が此処まで出張っていいのか?」
「あっしもそう思いましたがねぇ。ですが、そいつは心配無用ノ介。生憎、目尾組の多くは御別家と共に京都に随行しなきゃいけねぇようになりやして。人手不足だろうと、添田様が送り出してくれたんでさ」
「口では何とでも言えるが、まぁ、一応信じておこう」

 そうは言っても、心から信じるつもりは無かった。この一件には、黒河藩が絡んでいる。黒脛巾組を使ってどのような謀略を仕組んでいるか、知れたものではない。

「だが、忍び込むのは感心せんな」
「旦那。そりゃ、ご無体というもんでさ。あっしは忍び働きが商売でございやすよ」
「腕を見せたいなら、結果で示して欲しいものだな」

 そう言うと、貞助は歯を剥き出して嗤った。

「それなら、自信がございやす。廉平さんにゃ劣りませんぜ」
「期待しておこう」
「で、どうしやすか?」
「室谷慶堂という男を見てみたい。顔も知らぬからな。出来れば会ってみたいが」
「ほほう。斬りゃいいって話ではないんですねぇ」

 清記は鼻を鳴らすと、貞助が肩を竦めた。

「その辺りは、あっしが何とかしやしょう」
「その前に、松永外記に会うか」
「わかりやした。翌日お迎えに上がります」

 そう言い残し、貞助は清記の部屋から出て行った。
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