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転章(一) 相賀舎人は揺るがない!!
第四回 刺客の男
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翌日、御手先役が舎人の屋敷に訪ねてきた。
手には、自分で釣ったという鮎を抱えている。それを出迎えた世与に渡し、丁寧に挨拶を交わした。
平山清記。
この背が高く陽に焼けた中年男に初めて会ったのは、町奉行に補任された時だった。
怖いぐらいに寡黙。それが清記に対する第一印象で、今もそれは変わらない。礼儀正しく、無駄口も叩かない。武士らしい品格を有し、内住郡を見事に治める統治者としても評価が高い。それでいて、剣禅合一した誇り高い剣客であり、命じられるがまま人を葬る、無慈悲な人斬りでもあるから、何とも理解しがたい不気味さがある。
「お前様。平山様が来られたのです」
玄関先に出て来た舎人を見て、世与が言った。
清記は、世与の事をよく知っている。何でも義父・権藤謹一郎とは将棋仲間だそうで、乳飲み子の頃から見ていたという。世与も清記の事は覚えていて、どうにも嬉しそうだ。
「これは相賀様。お久しゅうございます」
舎人の姿を認め、清記は軽く頭を下げた。
「相変わらず、ご多忙の様子で」
「なんの、平山殿。あなたこそ、代官をしながらも別のお役目を為している。そのあなたに言われると皮肉に聞こえてしまいます」
「それは申し訳ない。しかし、そこまで多忙ではないのですよ。内住代官所には優秀な者を配属していただいているので、私はその決済だけをすればいいというものです」
御手先役を歴任する平山家にとって、内住郡代官という肩書は真なるお役目を隠す為の表向きに過ぎない。故に御手先役が密命に集中できるよう、藩庁から優秀な文官を派遣し、郡政を執っているのだ。
だがそれは先代・悌蔵までの話で、清記が家督を継ぐと、代官としてのお役目にも精励するようになった。そして現在、御手先役として奔走しながらも、内住郡内二十五ヶ村二千五百余石の支配を見事に行っている。
「ささ、中へ」
舎人は世与に命じて、離れの一室に案内させた。
「お役目については、既にご存知で?」
二人になると、舎人が口を開いた。
「ええ。先程登城し、お殿様から拝命いたしました」
「それは話が早い。今日はもう少し詰めてお話をしようと思い、お呼びしたのです」
「それも窺いました。詳しくは相賀様と話せと」
舎人は頷くと、今回のお役目について、その起こりから説明した。
舘林の脱藩。その処置を榊と朝賀に命じるも、榊が武富によって討たれ、これも脱藩。目尾組による必死の探索で、今朝早くに舘林が高師藩に潜伏している事が報告されたが、武富の姿は未だ確認されていない。
「まずは高師藩へ行けばよろしいのですな?」
「現状では。何かあれば、目尾組の者が知らせてくる手筈になっています」
「それは心強い。御手先役は刺客であって、人探しは本分ではないのです」
「問題は、舘林と武富を斬った後でして」
「宇美津ですな」
「いかにも。これが難しいのだと思う」
江戸の軍学者・橘民部による叛乱計画を受け、宇美津がどうも騒然としているという。それを鎮める事も、お役目の一つだった。
「あの地には、色々と過去を持つ者が多い」
「ほう」
「清水徳河家騒動の残党が数名」
「……」
ちょうど、十年前。時の帝が、清水徳河家当主・徳河重好に家督を継がせよという綸旨を発し、幕府が真っ二つに割れた。その政争で夜須藩は宗家派に与したが、一部藩士は清水派に転じ血みどろの争いを演じた過去がある。破れた清水派の生き残りや忘れ形見が、宇美津奉行所に出仕しているのだ。
(何も言わぬな)
それどころか、顔色一つ変わらない。涼しい顔で、お梅が出した茶を啜っている。
中老になって知った事だが、清記はこの騒動で藩内の清水派を幾人も斬っている。大物で言うと、江戸家老だった江上弥刑部と、その片腕だった滝沢作衛門。清記はこの二人を斬り、そして藩はこの暗殺を痴情の縺れによる同士討ちとして処理をした。
清記は、騒動の当事者である。当時二十二歳の青侍で、騒動を傍観するだけだった舎人にとって清記が何というか楽しみであった。
(これが、御手先役というものか)
終わった事は忘れる。それが、平山家の血の習性なのかもしれない。
「宇美津では、羽合殿のお指図を受ければよいのですね?」
「ええ。当地の事情は執政府でも全て把握しているわけではありませんので」
「わかりました。羽合殿とは旧知の仲でありますし、やり易い。全力を尽くしましょう」
「それは結構」
羽合はこれでまた功績を立てるだろう。そうすると、次は夜須に戻され町奉行にでもなるかもしれない。一方で自分は勤王派対策で、一つドジを踏んだ。これを見事に解決し、かつ地蔵台の開墾に成功しなければ、いよいよ首筋が寒くなる。故に、まずはこの事件を収めなければ、話にならない。その為に、目の前の暗殺者に一つ確認しなければならない事があった。
「平山殿に、確認したい事があります」
「ほう、何でしょう?」
「下手人、いや叛徒とも呼んでいい、舘林と武富。両者と平山殿は友人だとか」
二人と清記との関係は、記録にも残された確かなものだった。慶弔事にも、必ず顔を出す。特に武富は、清記の屋敷に泊まり込む事もあり、彼らが勤王運動に身を投じても、そうした関係は変わらなかった
「左様にございます。武富とは親友と申してもよい仲。舘林とは学友でした」
清記は、さも平然と答えた。そこには、寸分の後ろめたさも感じさせない。
「なるほど。私がこのお役目を御手先役に命じるようにお殿様に進言したのですが、それは酷な事だったかと思います」
「何を申されるか。これもお役目。致し方ありません」
「そう言っていただくと、幾分心が楽になります。ですが、失礼ながら懸念もあります」
「……」
「平山殿が、両名を見逃すかもしれぬと。いや、平山殿に限って、そのような事は無いと思いますが、これも藩政を預かる中老として、考えぬわけにはいかないので」
「いえ、そう考えるのは当然でしょうな」
疑われてもなお、清記に乱れは見せなかった。この人間離れした落ち着き。それも、清記を不気味に感じさせる一つの要因だ。
「では、懸念は無用という事でよろしいですか?」
「如何にも。彼らとの交誼は私事。そして、御手先役としてのお役目は、それを越えた所にあります。無論、私とて人間。未熟な身としては、思う所が全く無いとは言えませんが、心配は無用に願いたい」
「それは心強い。この舎人、平山殿の大船に乗ったつもりで吉報をお待ちしております」
「ええ。師走に入る前には戻れるかと」
舎人は頷いた。
兎も角、この男に賭けている。清記の失敗は、自分の滅びと直結しているのだ。
それから細々とした打ち合わせをした。清記は文官としても優秀だからか、こちらの意図を全て語らなくても理解してくれる。他の者ではそうはいかず、執政会議の場でも噛み砕いて話す事を強いられる事もある。
清記からの要求は、一つだけだった。嫡男の小弥太を随行させる事。それは次期御手先役としての当然の教育であり、舎人に反対する理由は無かった。
それから道中の事情、特に宝如寺の賊に関する事は一応に伝えた。清記は頷いただけで、関心はなさそうである。
(この男の心底は読めぬ……)
だが、それでいい。もし清記が宝如寺の賊を討伐する事にでもなれば、羽合は策を盗まれたと思うからだ。
だから舎人は、
「この際、賊徒など相手にする必要なありません。まずは、お役目第一」
と、念を押した。
その夜は、無理を言って夕餉を共にした。膳には、清記が持参した鮎は塩焼きにされている。
焼いたのは、世与だとお梅が言った。清記もそれを聞き、この男にしては最大限に表情を緩ませて箸を進めている。
「お酒をお持ちしたのでございます」
世与が、お盆に銚子を乗せて持ってきた。だが、その視線は周りを見る余裕もなく、ただ銚子を倒さぬよう、ただ一点に注がれている。
(これでは、足を引っ掛けて転ぶぞ)
そう思いながらも、懸命な世与を眺めながら舎人は盃を傾けた。この愛いさが、どうしても堪らないのだ。
(今夜は久し振りに抱くか)
凄腕の刺客に任せた安堵感と微かな酔いの中で、舎人は世与の裸体を頭に思い浮かべた。
手には、自分で釣ったという鮎を抱えている。それを出迎えた世与に渡し、丁寧に挨拶を交わした。
平山清記。
この背が高く陽に焼けた中年男に初めて会ったのは、町奉行に補任された時だった。
怖いぐらいに寡黙。それが清記に対する第一印象で、今もそれは変わらない。礼儀正しく、無駄口も叩かない。武士らしい品格を有し、内住郡を見事に治める統治者としても評価が高い。それでいて、剣禅合一した誇り高い剣客であり、命じられるがまま人を葬る、無慈悲な人斬りでもあるから、何とも理解しがたい不気味さがある。
「お前様。平山様が来られたのです」
玄関先に出て来た舎人を見て、世与が言った。
清記は、世与の事をよく知っている。何でも義父・権藤謹一郎とは将棋仲間だそうで、乳飲み子の頃から見ていたという。世与も清記の事は覚えていて、どうにも嬉しそうだ。
「これは相賀様。お久しゅうございます」
舎人の姿を認め、清記は軽く頭を下げた。
「相変わらず、ご多忙の様子で」
「なんの、平山殿。あなたこそ、代官をしながらも別のお役目を為している。そのあなたに言われると皮肉に聞こえてしまいます」
「それは申し訳ない。しかし、そこまで多忙ではないのですよ。内住代官所には優秀な者を配属していただいているので、私はその決済だけをすればいいというものです」
御手先役を歴任する平山家にとって、内住郡代官という肩書は真なるお役目を隠す為の表向きに過ぎない。故に御手先役が密命に集中できるよう、藩庁から優秀な文官を派遣し、郡政を執っているのだ。
だがそれは先代・悌蔵までの話で、清記が家督を継ぐと、代官としてのお役目にも精励するようになった。そして現在、御手先役として奔走しながらも、内住郡内二十五ヶ村二千五百余石の支配を見事に行っている。
「ささ、中へ」
舎人は世与に命じて、離れの一室に案内させた。
「お役目については、既にご存知で?」
二人になると、舎人が口を開いた。
「ええ。先程登城し、お殿様から拝命いたしました」
「それは話が早い。今日はもう少し詰めてお話をしようと思い、お呼びしたのです」
「それも窺いました。詳しくは相賀様と話せと」
舎人は頷くと、今回のお役目について、その起こりから説明した。
舘林の脱藩。その処置を榊と朝賀に命じるも、榊が武富によって討たれ、これも脱藩。目尾組による必死の探索で、今朝早くに舘林が高師藩に潜伏している事が報告されたが、武富の姿は未だ確認されていない。
「まずは高師藩へ行けばよろしいのですな?」
「現状では。何かあれば、目尾組の者が知らせてくる手筈になっています」
「それは心強い。御手先役は刺客であって、人探しは本分ではないのです」
「問題は、舘林と武富を斬った後でして」
「宇美津ですな」
「いかにも。これが難しいのだと思う」
江戸の軍学者・橘民部による叛乱計画を受け、宇美津がどうも騒然としているという。それを鎮める事も、お役目の一つだった。
「あの地には、色々と過去を持つ者が多い」
「ほう」
「清水徳河家騒動の残党が数名」
「……」
ちょうど、十年前。時の帝が、清水徳河家当主・徳河重好に家督を継がせよという綸旨を発し、幕府が真っ二つに割れた。その政争で夜須藩は宗家派に与したが、一部藩士は清水派に転じ血みどろの争いを演じた過去がある。破れた清水派の生き残りや忘れ形見が、宇美津奉行所に出仕しているのだ。
(何も言わぬな)
それどころか、顔色一つ変わらない。涼しい顔で、お梅が出した茶を啜っている。
中老になって知った事だが、清記はこの騒動で藩内の清水派を幾人も斬っている。大物で言うと、江戸家老だった江上弥刑部と、その片腕だった滝沢作衛門。清記はこの二人を斬り、そして藩はこの暗殺を痴情の縺れによる同士討ちとして処理をした。
清記は、騒動の当事者である。当時二十二歳の青侍で、騒動を傍観するだけだった舎人にとって清記が何というか楽しみであった。
(これが、御手先役というものか)
終わった事は忘れる。それが、平山家の血の習性なのかもしれない。
「宇美津では、羽合殿のお指図を受ければよいのですね?」
「ええ。当地の事情は執政府でも全て把握しているわけではありませんので」
「わかりました。羽合殿とは旧知の仲でありますし、やり易い。全力を尽くしましょう」
「それは結構」
羽合はこれでまた功績を立てるだろう。そうすると、次は夜須に戻され町奉行にでもなるかもしれない。一方で自分は勤王派対策で、一つドジを踏んだ。これを見事に解決し、かつ地蔵台の開墾に成功しなければ、いよいよ首筋が寒くなる。故に、まずはこの事件を収めなければ、話にならない。その為に、目の前の暗殺者に一つ確認しなければならない事があった。
「平山殿に、確認したい事があります」
「ほう、何でしょう?」
「下手人、いや叛徒とも呼んでいい、舘林と武富。両者と平山殿は友人だとか」
二人と清記との関係は、記録にも残された確かなものだった。慶弔事にも、必ず顔を出す。特に武富は、清記の屋敷に泊まり込む事もあり、彼らが勤王運動に身を投じても、そうした関係は変わらなかった
「左様にございます。武富とは親友と申してもよい仲。舘林とは学友でした」
清記は、さも平然と答えた。そこには、寸分の後ろめたさも感じさせない。
「なるほど。私がこのお役目を御手先役に命じるようにお殿様に進言したのですが、それは酷な事だったかと思います」
「何を申されるか。これもお役目。致し方ありません」
「そう言っていただくと、幾分心が楽になります。ですが、失礼ながら懸念もあります」
「……」
「平山殿が、両名を見逃すかもしれぬと。いや、平山殿に限って、そのような事は無いと思いますが、これも藩政を預かる中老として、考えぬわけにはいかないので」
「いえ、そう考えるのは当然でしょうな」
疑われてもなお、清記に乱れは見せなかった。この人間離れした落ち着き。それも、清記を不気味に感じさせる一つの要因だ。
「では、懸念は無用という事でよろしいですか?」
「如何にも。彼らとの交誼は私事。そして、御手先役としてのお役目は、それを越えた所にあります。無論、私とて人間。未熟な身としては、思う所が全く無いとは言えませんが、心配は無用に願いたい」
「それは心強い。この舎人、平山殿の大船に乗ったつもりで吉報をお待ちしております」
「ええ。師走に入る前には戻れるかと」
舎人は頷いた。
兎も角、この男に賭けている。清記の失敗は、自分の滅びと直結しているのだ。
それから細々とした打ち合わせをした。清記は文官としても優秀だからか、こちらの意図を全て語らなくても理解してくれる。他の者ではそうはいかず、執政会議の場でも噛み砕いて話す事を強いられる事もある。
清記からの要求は、一つだけだった。嫡男の小弥太を随行させる事。それは次期御手先役としての当然の教育であり、舎人に反対する理由は無かった。
それから道中の事情、特に宝如寺の賊に関する事は一応に伝えた。清記は頷いただけで、関心はなさそうである。
(この男の心底は読めぬ……)
だが、それでいい。もし清記が宝如寺の賊を討伐する事にでもなれば、羽合は策を盗まれたと思うからだ。
だから舎人は、
「この際、賊徒など相手にする必要なありません。まずは、お役目第一」
と、念を押した。
その夜は、無理を言って夕餉を共にした。膳には、清記が持参した鮎は塩焼きにされている。
焼いたのは、世与だとお梅が言った。清記もそれを聞き、この男にしては最大限に表情を緩ませて箸を進めている。
「お酒をお持ちしたのでございます」
世与が、お盆に銚子を乗せて持ってきた。だが、その視線は周りを見る余裕もなく、ただ銚子を倒さぬよう、ただ一点に注がれている。
(これでは、足を引っ掛けて転ぶぞ)
そう思いながらも、懸命な世与を眺めながら舎人は盃を傾けた。この愛いさが、どうしても堪らないのだ。
(今夜は久し振りに抱くか)
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