1 / 9
第一回 五文のお役目
しおりを挟む
「ご苦労様でございます」
手代風の男が、取って付けたような労いの言葉と共に、差し出していた五文を徴収箱に投げ入れた。
銭が重なる音。それを確認した臼浦覚平は、男の言葉には何も応えずに、ただ目を伏せただけだった。
九州豊前、霜野藩。城下と農村部を分かつように流れる鶴川の袂に設けられた、小さな番小屋である。
鶴川には岩国の錦帯橋を真似た大きな橋が架かっていて、この橋を渡る際には五文の通行税を支払わなければならない。その徴収の任に当たっているのが御橋番役であり、覚平に与えられた役目だった。
覚平が番小屋の軒下に置かれた長椅子に腰掛けてから、ざっと二刻は経っている。その間昼餉の為に一度だけ席を離れただけで、それ以外では腰を上げる事なく、橋を渡る者が投げ入れる五文の行方を目で追っていた。
通行人の中には、
「地蔵尊に賽銭をあげているようだ」
などと嘯く者もいるが、覚平も全くその通りだと思っている。
自分は、路傍の地蔵。そうでも思わないと、御橋番役という退屈な役目などやってはいけない。
雲一つない秋晴れの午後。夏に戻ったと思わせるような陽気で、川の方から流れてきた赤蜻蛉も、気持ち良さそうに飛んでいる。
(いかんな……)
思わず大きな欠伸が口から漏れ出そうになり、覚平は慌てて噛み殺した。
昼餉の満腹感も相成ってか、ついつい眠気を誘われる。うたた寝しようと誰も咎めはしないのだが、それは自らの矜持が許さなかった。
路傍の地蔵であっても、領民にとっては厳格な徴税官であらねばならない。いくらお役目が退屈であっても、手を抜きたくはない。抜けば人として終わってしまうと、覚平は思っている。
「よいお天気ですな」
そう声を掛けたのは、鶴川橋をよく通る行商人だった。背負っている行商箪笥には、「よろず商い」と記された白地の幟が括り付けられている。歳は四十ぐらいだろうか。自分よりはやや上に見えた。
(この男か……)
三日に一度は通る、鶴川橋の常連と呼んでもいい男である。だが、名前は知らないし、世間話をされるのも初めてだった。
「この陽気なんで、出発を遅らせましたよ。行商のくせに暑気に当たっては笑われますからな」
行商は城下で商品を仕入れ、何日も村々を巡っては売っているのだ。そんな事をこの行商を含めた客同士の会話から、小耳に挟んだ事がある。
「まぁ、急いだところで大して売れはしませんし、うちの嬶も私の帰りを待ってはおりませんしねぇ。って、お役人様には関わりのないお話でございますな」
行商は自嘲し、懐から五文を差し出した。確かに、一文銭が五枚。覚平は頷いた。
「しかし、こんな陽気だと眠くなりましょう?」
「いや、左様な事はござらん」
覚平は淡々とした口調で答えると、行商は白けた様子で、
「そうでございますか。それは結構な事で」
と、徴収箱に五文を投げ入れ、足早に去っていった。
(さては、また気分を害してしまったか)
覚平は、人付き合いが得意ではない。口下手であるし、たまに口を開けば相手を不快にさせる事を言ってしまうようなのだ。亡き父からは常々、
「お前は、感情の機微というものを読めぬ。そんな事では出世はせぬぞ」
などと、言われたものだ。
口下手な自分を、忌々しく思った時も確かにあった。だが、今ではこのままでもいいと考えている。というのも、これまで散々変わろうとしてきて、失敗続きだったからだ。この性分は変われないのだと思い定めると、案外と気持ちが楽になった。
(どうせ私は、人というものがわからぬ)
勿論、だからと言って割り切れはしないのだが、努力が空回りして嘲笑されるよりはましだった。
「はい、お代ですよ」
また銭が差し出され、覚平は軽く目を伏せた。今度は駕籠で、人数分の他に三文が加えられている。駕籠は三文、牛馬は六文と決まっている。
(こんなものをして、御家の懐は潤うのだろうか……)
と、疑問に思ってはいるが、そうせざるを得ない状況も十分理解していた。
長年に渡る財政難に喘ぐ霜野藩が、交通と物流の要である鶴川橋に通行税を設けて、七年になる。その額は、一人五文。産婆と飛脚、お役目や参勤など政事に関わる事であれば、この五文が免除される事になっている。
民衆の間ですこぶる評判が悪いこの税を導入したのは、先の執政で現在は蟄居中の嶺長内である。鐚銭でも欲しい台所事情は長内が失脚しても変わらず、長内を追い落して政権を握った許斐左馬頭が執政府を率いるようになっても、この橋の通行税を廃止しなかった。
通行人の中には、
「こんなもの、いつ無くなるんですかねぇ」
と、訊く者もいたが、そんな事など無足組二十五石の覚平に知る由もない。ただ、暫くは続くだろうとは読んでいる。宝暦年間に起きた飢饉の傷痕が癒えぬままに天明の飢饉を迎えてしまった霜野藩の財政は、それほど窮地にあるのだ。
(すると、隠居まで橋守りか)
覚平が御橋番役に就いて、五年が経とうとしている。その間、覚平はずっと鶴川橋を眺め続けていた。
鶴川橋は、四代藩主の宗像氏治が建設したものだ。それまでの橋は洪水の度に流出していたが、氏治の友人で岩国領主でもある吉川広紀の協力で、洪水に強い構造の橋を建設した経緯がある。岩国の錦帯橋に似たのも、洪水に強い構造故だと言われている。
覚平は、視線を鶴川橋の方へ向けた。
河川内に三つの橋脚を有し、拱門状になった鶴川橋の姿は、雄大で四季折々美しい姿を見せる。勿論、五十五間の川幅を持つ、水量豊かな鶴川の流れも美しい。
しかし五年も眺めていると、流石に感動も薄らぐどころか、時には陰鬱なものに見えてしまう。
(異常は無さそうだ)
覚平は、再び徴収箱に視線を戻した。
覚平の役目は、徴税の他にも色々とある。まず鶴川橋を渡らず、筏や小舟、或いは泳いで川を越えようとする不届き者がいないか監視する事。橋自体に異常がないか確認する事。そして、鶴川橋周辺の治安維持である。
しかし覚平には三人の手下がいて、彼らが交代で監視しているし、橋を渡らなかったら打ち首という厳しい法がある以上、五文を惜しんで命を賭そうなどという者はいない。事実、覚平が御橋番役となり鶴川橋を騒がせたのは、肩が触れたの何だのと言う破落戸の喧嘩と、巾着切りの掏摸騒ぎぐらいだ。あとは土左衛門が河川敷に流れ着く事もあるが、それは定町廻り同心の仕事であり、報告だけをしていればいい。
閑職だった。忠勤の限りを尽くしても、御橋番役に出世の芽は無い。町奉行所の同輩からもそう言われた。別に出世したいとも思わないが、全く出来ないとわかってしまうと、覚平の気持ちを塞がせ、優美な鶴川橋を陰鬱な存在に変えてしまった。
確かに、御橋番役は居心地がいい。危険は少ないし、不寝番も無い。そして、無駄な人付き合いもなければ、上役に阿諛追従をする必要もないのだ。通行料だけを徴収していれば、それだけで役目を全うする事が出来る。
しかし、何かが足りない。何かが、確実に物足りないのだ。このままでいいのか? とは思うが、かつての日々を思い返せば、このままでいいかとも思ってしまう。
〔むっつり覚平〕
覚平が書院番に籍を置いていた時、余りの口下手さから上役や同僚にそう呼ばれては嘲られていた過去があった。煩わしく屈辱だった日々に比べれば、閑職であっても、今の方がいい。
ただ、煩わしさと引き換えに、禄も減った。そして、腹も減るようにもなった。何せ御橋番役への組替えは、禄を半分に削られるという制裁もあったのだ。
(こればっかりは、自分が悪いのだから仕方がない)
久し振りに、あの日の情景が目に浮かぶ。それは詳細に思い出せば出すほど動悸すら伴うものだったが、昔日の記憶は聞き覚えのある声に遮られた。
「伊平か」
覚平に名を呼ばれて頷いた男は、さる大店の番頭だった。歳は三十路の半ばほどで、覚平より少し上ぐらいだ。
「いつもご苦労様です」
そう言って、竹皮の包みを覚平に差し出した。
「これは」
「石田屋で購った草餅でございます。他の皆様と是非」
石田屋は城下ではそこそこ名の知れた餅屋で、伊平の店からほど近い。安いが旨いと評判だった。
「かたじけない。皆も喜ぶ」
「まぁ、そんな固い挨拶はよろしいですよ」
覚平は頷き、伊平を見送った。
五年、ずっと座っていると、口下手な覚平にも顔馴染みが増えるものである。
伊平が去ると、笹に包まれた草餅に手を伸ばした。三つ。覚平は軽く溜息を漏らすと、番所に向かって一声挙げた。
のっそりと現れたのは、抱非人の市太だった。若干二十歳ではなるが、三人いる抱非人のまとめ役として、よく働いてくれる若い男だった。
「ほれ、石田屋の饅頭だ。三人で食べるといい」
と、覚平は笹の葉に包まれた草餅を、市太に手渡した。
「臼浦様、いいんですかい?」
「構わん。ちょうど三つだ、三人で食べてしまえよ」
暫くして、交代の足軽が現れた。気が付けば、陽が山の端に至ろうとしている。夜間は橋を閉鎖するのだが、緊急時の場合は通行を許すので、誰もいないというわけにはいかないのだ。
「では、儂はこれで」
覚平はそそくさと引き継ぎを済ませると、番所を後にした。
手代風の男が、取って付けたような労いの言葉と共に、差し出していた五文を徴収箱に投げ入れた。
銭が重なる音。それを確認した臼浦覚平は、男の言葉には何も応えずに、ただ目を伏せただけだった。
九州豊前、霜野藩。城下と農村部を分かつように流れる鶴川の袂に設けられた、小さな番小屋である。
鶴川には岩国の錦帯橋を真似た大きな橋が架かっていて、この橋を渡る際には五文の通行税を支払わなければならない。その徴収の任に当たっているのが御橋番役であり、覚平に与えられた役目だった。
覚平が番小屋の軒下に置かれた長椅子に腰掛けてから、ざっと二刻は経っている。その間昼餉の為に一度だけ席を離れただけで、それ以外では腰を上げる事なく、橋を渡る者が投げ入れる五文の行方を目で追っていた。
通行人の中には、
「地蔵尊に賽銭をあげているようだ」
などと嘯く者もいるが、覚平も全くその通りだと思っている。
自分は、路傍の地蔵。そうでも思わないと、御橋番役という退屈な役目などやってはいけない。
雲一つない秋晴れの午後。夏に戻ったと思わせるような陽気で、川の方から流れてきた赤蜻蛉も、気持ち良さそうに飛んでいる。
(いかんな……)
思わず大きな欠伸が口から漏れ出そうになり、覚平は慌てて噛み殺した。
昼餉の満腹感も相成ってか、ついつい眠気を誘われる。うたた寝しようと誰も咎めはしないのだが、それは自らの矜持が許さなかった。
路傍の地蔵であっても、領民にとっては厳格な徴税官であらねばならない。いくらお役目が退屈であっても、手を抜きたくはない。抜けば人として終わってしまうと、覚平は思っている。
「よいお天気ですな」
そう声を掛けたのは、鶴川橋をよく通る行商人だった。背負っている行商箪笥には、「よろず商い」と記された白地の幟が括り付けられている。歳は四十ぐらいだろうか。自分よりはやや上に見えた。
(この男か……)
三日に一度は通る、鶴川橋の常連と呼んでもいい男である。だが、名前は知らないし、世間話をされるのも初めてだった。
「この陽気なんで、出発を遅らせましたよ。行商のくせに暑気に当たっては笑われますからな」
行商は城下で商品を仕入れ、何日も村々を巡っては売っているのだ。そんな事をこの行商を含めた客同士の会話から、小耳に挟んだ事がある。
「まぁ、急いだところで大して売れはしませんし、うちの嬶も私の帰りを待ってはおりませんしねぇ。って、お役人様には関わりのないお話でございますな」
行商は自嘲し、懐から五文を差し出した。確かに、一文銭が五枚。覚平は頷いた。
「しかし、こんな陽気だと眠くなりましょう?」
「いや、左様な事はござらん」
覚平は淡々とした口調で答えると、行商は白けた様子で、
「そうでございますか。それは結構な事で」
と、徴収箱に五文を投げ入れ、足早に去っていった。
(さては、また気分を害してしまったか)
覚平は、人付き合いが得意ではない。口下手であるし、たまに口を開けば相手を不快にさせる事を言ってしまうようなのだ。亡き父からは常々、
「お前は、感情の機微というものを読めぬ。そんな事では出世はせぬぞ」
などと、言われたものだ。
口下手な自分を、忌々しく思った時も確かにあった。だが、今ではこのままでもいいと考えている。というのも、これまで散々変わろうとしてきて、失敗続きだったからだ。この性分は変われないのだと思い定めると、案外と気持ちが楽になった。
(どうせ私は、人というものがわからぬ)
勿論、だからと言って割り切れはしないのだが、努力が空回りして嘲笑されるよりはましだった。
「はい、お代ですよ」
また銭が差し出され、覚平は軽く目を伏せた。今度は駕籠で、人数分の他に三文が加えられている。駕籠は三文、牛馬は六文と決まっている。
(こんなものをして、御家の懐は潤うのだろうか……)
と、疑問に思ってはいるが、そうせざるを得ない状況も十分理解していた。
長年に渡る財政難に喘ぐ霜野藩が、交通と物流の要である鶴川橋に通行税を設けて、七年になる。その額は、一人五文。産婆と飛脚、お役目や参勤など政事に関わる事であれば、この五文が免除される事になっている。
民衆の間ですこぶる評判が悪いこの税を導入したのは、先の執政で現在は蟄居中の嶺長内である。鐚銭でも欲しい台所事情は長内が失脚しても変わらず、長内を追い落して政権を握った許斐左馬頭が執政府を率いるようになっても、この橋の通行税を廃止しなかった。
通行人の中には、
「こんなもの、いつ無くなるんですかねぇ」
と、訊く者もいたが、そんな事など無足組二十五石の覚平に知る由もない。ただ、暫くは続くだろうとは読んでいる。宝暦年間に起きた飢饉の傷痕が癒えぬままに天明の飢饉を迎えてしまった霜野藩の財政は、それほど窮地にあるのだ。
(すると、隠居まで橋守りか)
覚平が御橋番役に就いて、五年が経とうとしている。その間、覚平はずっと鶴川橋を眺め続けていた。
鶴川橋は、四代藩主の宗像氏治が建設したものだ。それまでの橋は洪水の度に流出していたが、氏治の友人で岩国領主でもある吉川広紀の協力で、洪水に強い構造の橋を建設した経緯がある。岩国の錦帯橋に似たのも、洪水に強い構造故だと言われている。
覚平は、視線を鶴川橋の方へ向けた。
河川内に三つの橋脚を有し、拱門状になった鶴川橋の姿は、雄大で四季折々美しい姿を見せる。勿論、五十五間の川幅を持つ、水量豊かな鶴川の流れも美しい。
しかし五年も眺めていると、流石に感動も薄らぐどころか、時には陰鬱なものに見えてしまう。
(異常は無さそうだ)
覚平は、再び徴収箱に視線を戻した。
覚平の役目は、徴税の他にも色々とある。まず鶴川橋を渡らず、筏や小舟、或いは泳いで川を越えようとする不届き者がいないか監視する事。橋自体に異常がないか確認する事。そして、鶴川橋周辺の治安維持である。
しかし覚平には三人の手下がいて、彼らが交代で監視しているし、橋を渡らなかったら打ち首という厳しい法がある以上、五文を惜しんで命を賭そうなどという者はいない。事実、覚平が御橋番役となり鶴川橋を騒がせたのは、肩が触れたの何だのと言う破落戸の喧嘩と、巾着切りの掏摸騒ぎぐらいだ。あとは土左衛門が河川敷に流れ着く事もあるが、それは定町廻り同心の仕事であり、報告だけをしていればいい。
閑職だった。忠勤の限りを尽くしても、御橋番役に出世の芽は無い。町奉行所の同輩からもそう言われた。別に出世したいとも思わないが、全く出来ないとわかってしまうと、覚平の気持ちを塞がせ、優美な鶴川橋を陰鬱な存在に変えてしまった。
確かに、御橋番役は居心地がいい。危険は少ないし、不寝番も無い。そして、無駄な人付き合いもなければ、上役に阿諛追従をする必要もないのだ。通行料だけを徴収していれば、それだけで役目を全うする事が出来る。
しかし、何かが足りない。何かが、確実に物足りないのだ。このままでいいのか? とは思うが、かつての日々を思い返せば、このままでいいかとも思ってしまう。
〔むっつり覚平〕
覚平が書院番に籍を置いていた時、余りの口下手さから上役や同僚にそう呼ばれては嘲られていた過去があった。煩わしく屈辱だった日々に比べれば、閑職であっても、今の方がいい。
ただ、煩わしさと引き換えに、禄も減った。そして、腹も減るようにもなった。何せ御橋番役への組替えは、禄を半分に削られるという制裁もあったのだ。
(こればっかりは、自分が悪いのだから仕方がない)
久し振りに、あの日の情景が目に浮かぶ。それは詳細に思い出せば出すほど動悸すら伴うものだったが、昔日の記憶は聞き覚えのある声に遮られた。
「伊平か」
覚平に名を呼ばれて頷いた男は、さる大店の番頭だった。歳は三十路の半ばほどで、覚平より少し上ぐらいだ。
「いつもご苦労様です」
そう言って、竹皮の包みを覚平に差し出した。
「これは」
「石田屋で購った草餅でございます。他の皆様と是非」
石田屋は城下ではそこそこ名の知れた餅屋で、伊平の店からほど近い。安いが旨いと評判だった。
「かたじけない。皆も喜ぶ」
「まぁ、そんな固い挨拶はよろしいですよ」
覚平は頷き、伊平を見送った。
五年、ずっと座っていると、口下手な覚平にも顔馴染みが増えるものである。
伊平が去ると、笹に包まれた草餅に手を伸ばした。三つ。覚平は軽く溜息を漏らすと、番所に向かって一声挙げた。
のっそりと現れたのは、抱非人の市太だった。若干二十歳ではなるが、三人いる抱非人のまとめ役として、よく働いてくれる若い男だった。
「ほれ、石田屋の饅頭だ。三人で食べるといい」
と、覚平は笹の葉に包まれた草餅を、市太に手渡した。
「臼浦様、いいんですかい?」
「構わん。ちょうど三つだ、三人で食べてしまえよ」
暫くして、交代の足軽が現れた。気が付けば、陽が山の端に至ろうとしている。夜間は橋を閉鎖するのだが、緊急時の場合は通行を許すので、誰もいないというわけにはいかないのだ。
「では、儂はこれで」
覚平はそそくさと引き継ぎを済ませると、番所を後にした。
0
お気に入りに追加
9
あなたにおすすめの小説
異・雨月
筑前助広
歴史・時代
幕末。泰平の世を築いた江戸幕府の屋台骨が揺らぎだした頃、怡土藩中老の三男として生まれた谷原睦之介は、誰にも言えぬ恋に身を焦がしながら鬱屈した日々を過ごしていた。未来のない恋。先の見えた将来。何も変わらず、このまま世の中は当たり前のように続くと思っていたのだが――。
<本作は、小説家になろう・カクヨムに連載したものを、加筆修正し掲載しています>
※この物語はフィクションです。実在の人物・団体・地名とは一切関係ありません。
※この物語は、「巷説江戸演義」と題した筑前筑後オリジナル作品企画の作品群です。舞台は江戸時代ですが、オリジナル解釈の江戸時代ですので、史実とは違う部分も多数ございますので、どうぞご注意ください。また、作中には実際の地名が登場しますが、実在のものとは違いますので、併せてご注意ください。
焔の牡丹
水城真以
歴史・時代
「思い出乞ひわずらい」の続きです。先にそちらをお読みになってから閲覧よろしくお願いします。
織田信長の嫡男として、正室・帰蝶の養子となっている奇妙丸。ある日、かねてより伏せていた実母・吉乃が病により世を去ったとの報せが届く。当然嫡男として実母の喪主を務められると思っていた奇妙丸だったが、信長から「喪主は弟の茶筅丸に任せる」との決定を告げられ……。
【完結】女神は推考する
仲 奈華 (nakanaka)
歴史・時代
父や夫、兄弟を相次いで失った太后は途方にくれた。
直系の男子が相次いて死亡し、残っているのは幼い皇子か血筋が遠いものしかいない。
強欲な叔父から持ち掛けられたのは、女である私が即位するというものだった。
まだ幼い息子を想い決心する。子孫の為、夫の為、家の為私の役目を果たさなければならない。
今までは子供を産む事が役割だった。だけど、これからは亡き夫に変わり、残された私が守る必要がある。
これは、大王となる私の守る為の物語。
額田部姫(ヌカタベヒメ)
主人公。母が蘇我一族。皇女。
穴穂部皇子(アナホベノミコ)
主人公の従弟。
他田皇子(オサダノオオジ)
皇太子。主人公より16歳年上。後の大王。
広姫(ヒロヒメ)
他田皇子の正妻。他田皇子との間に3人の子供がいる。
彦人皇子(ヒコヒトノミコ)
他田大王と広姫の嫡子。
大兄皇子(オオエノミコ)
主人公の同母兄。
厩戸皇子(ウマヤドノミコ)
大兄皇子の嫡子。主人公の甥。
※飛鳥時代、推古天皇が主人公の小説です。
※歴史的に年齢が分かっていない人物については、推定年齢を記載しています。※異母兄弟についての明記をさけ、母方の親類表記にしています。
※名前については、できるだけ本名を記載するようにしています。(馴染みが無い呼び方かもしれません。)
※史実や事実と異なる表現があります。
※主人公が大王になった後の話を、第2部として追加する可能性があります。その時は完結→連載へ設定変更いたします。
悲恋脱却ストーリー 源義高の恋路
和紗かをる
歴史・時代
時は平安時代末期。父木曽義仲の命にて鎌倉に下った清水冠者義高十一歳は、そこで運命の人に出会う。その人は齢六歳の幼女であり、鎌倉殿と呼ばれ始めた源頼朝の長女、大姫だった。義高は人質と言う立場でありながらこの大姫を愛し、大姫もまた義高を愛する。幼いながらも睦まじく暮らしていた二人だったが、都で父木曽義仲が敗死、息子である義高も命を狙われてしまう。大姫とその母である北条政子の協力の元鎌倉を脱出する義高。史実ではここで追手に討ち取られる義高であったが・・・。義高と大姫が源平争乱時代に何をもたらすのか?歴史改変戦記です
シンセン
春羅
歴史・時代
新選組随一の剣の遣い手・沖田総司は、池田屋事変で命を落とす。
戦力と士気の低下を畏れた新選組副長・土方歳三は、沖田に生き写しの討幕派志士・葦原柳を身代わりに仕立て上げ、ニセモノの人生を歩ませる。
しかし周囲に溶け込み、ほぼ完璧に沖田を演じる葦原の言動に違和感がある。
まるで、沖田総司が憑いているかのように振る舞うときがあるのだ。次第にその頻度は増し、時間も長くなっていく。
「このカラダ……もらってもいいですか……?」
葦原として生きるか、沖田に飲み込まれるか。
いつだって、命の保証などない時代と場所で、大小二本携えて生きてきたのだ。
武士とはなにか。
生きる道と死に方を、自らの意志で決める者である。
「……約束が、違うじゃないですか」
新選組史を基にしたオリジナル小説です。 諸説ある幕末史の中の、定番過ぎて最近の小説ではあまり書かれていない説や、信憑性がない説や、あまり知られていない説を盛り込むことをモットーに書いております。
南町奉行所お耳役貞永正太郎の捕物帳
勇内一人
歴史・時代
第9回歴史・時代小説大賞奨励賞受賞作品に2024年6月1日より新章「材木商桧木屋お七の訴え」を追加しています(続きではなく途中からなので、わかりづらいかもしれません)
南町奉行所吟味方与力の貞永平一郎の一人息子、正太郎はお多福風邪にかかり両耳の聴覚を失ってしまう。父の跡目を継げない彼は吟味方書物役見習いとして南町奉行所に勤めている。ある時から聞こえない正太郎の耳が死者の声を拾うようになる。それは犯人や証言に不服がある場合、殺された本人が異議を唱える声だった。声を頼りに事件を再捜査すると、思わぬ真実が発覚していく。やがて、平一郎が喧嘩の巻き添えで殺され、正太郎の耳に亡き父の声が届く。
表紙はパブリックドメインQ 著作権フリー絵画:小原古邨 「月と蝙蝠」を使用しております。
2024年10月17日〜エブリスタにも公開を始めました。
【完結】月よりきれい
悠井すみれ
歴史・時代
職人の若者・清吾は、吉原に売られた幼馴染を探している。登楼もせずに見世の内情を探ったことで袋叩きにあった彼は、美貌に加えて慈悲深いと評判の花魁・唐織に助けられる。
清吾の事情を聞いた唐織は、彼女の情人の振りをして吉原に入り込めば良い、と提案する。客の嫉妬を煽って通わせるため、形ばかりの恋人を置くのは唐織にとっても好都合なのだという。
純心な清吾にとっては、唐織の計算高さは遠い世界のもの──その、はずだった。
嘘を重ねる花魁と、幼馴染を探す一途な若者の交流と愛憎。愛よりも真実よりも美しいものとは。
第9回歴史・時代小説大賞参加作品です。楽しんでいただけましたら投票お願いいたします。
表紙画像はぱくたそ(www.pakutaso.com)より。かんたん表紙メーカー(https://sscard.monokakitools.net/covermaker.html)で作成しました。
狂乱の桜(表紙イラスト・挿絵あり)
東郷しのぶ
歴史・時代
戦国の世。十六歳の少女、万は築山御前の侍女となる。
御前は、三河の太守である徳川家康の正妻。万は、気高い貴婦人の御前を一心に慕うようになるのだが……?
※表紙イラスト・挿絵7枚を、ますこ様より頂きました! ありがとうございます!(各ページに掲載しています)
他サイトにも投稿中。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる