裏廻二ノ組~六本松始末~

筑前助広

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本編

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 妙に心地よい夜であった。
 秋も深まろうというのに、肌を舐める夜気に寒さは感じず、むしろ夏の宵を思わせるほどのものすらあった。
 漆黒の忍び装束に身を包んだ大神丹弥おおがみ たんやは、鬱蒼とした雑木林の中で息を潜め、さほど大きくもない伽藍を眺めていた。
 筑前、福岡城の南。六本松ろっぽんまつと呼ばれる、寂れた場所である。
 城下からほど近いというのに、人家もまばらで山襞やまひだから伸びるようにして手つかずの荒れ野が広がっている。
 かの儒学者・貝原益軒かいばら えきけんは、この六本松について「毎夜のように鬼火おにびが現れ、人が近づくと飛び去る。昔から頻繁に出ていたので、福岡の者は見慣れていて怪しいとも思わない」と〔筑前国続風土記ちくぜんこくぞくふどき〕に書き残している。
 確かに薄気味悪い場所ではあるが、そんな鬼火は今のところお目にかかれていない。

(さてと……)

 刻限はどれほどになるだろうか。夜の五つはゆうに過ぎている。闇の濃さでは九つにはなるまいとは思うが、肌感覚というものを丹弥は信じてはいない。

(まぁ、もう少しの辛抱だ)

 そうすれば、こんな陰気な場所はおろか、筑前という西国の果てからおさらばが出来る。今夜がお役目の総仕上げなのだ。
 丹弥は、裏廻うらまわりと呼ばれる公儀の隠密だった。その中でも、二ノ組という自分を含めて十名からなる小集団を率いる、小頭こがしらの任に就いている。
 今回の相手は、抜け荷の一党。玄界灘で、しん阿蘭陀オランダの密商と取引する者たちだ。どうせ博多の奸商だろうとは思っていたが、探索を進めてみるともっと大掛かりなものだと判明した。
 玄界灘での取り引きには、商人だけではなく、地場のやくざや豪農、近隣の諸藩、そして福岡城の役人までも関わっていているのだ。
 その役人も木っ端役人ではない。奉行、もしくは城代とも絡んでいるかもしれないというところまでわかっていた。
 福岡は黒田家二代藩主・黒田忠之くろだ ただゆきの代にお家騒動によって改易されてから約百五十年間、公儀直轄の天領となっている。その統治は福岡城代を中心に、福岡奉行・博多奉行が担っているが、西国の果てで目が届かないのをいい事に、今や福岡城は不正と腐敗の温床、汚職の伏魔殿と化していた。
 その具現化したものが、目の前の寺院で密談を重ねている、抜け荷の一党だ。様々な身分の者たちが手を組み、外国と密かに交易をしている。それは公儀としても、到底黙認出来るものではなかった。
 だが、欲望によって連帯された抜け荷一党、特に福岡城の守りは固い。生半可な証拠では黒幕を裁くどころか、調べの場まで引っ張り出す事が出来ない。
 密談の現場を押さえ、捕縛する。そして一党の証言があれば、福岡城の中枢に手を入れる事が出来るはず。
 あと少しだ。最後まで慎重さを忘れるなと自分に言い聞かせるが、ここが無理のしどころではないか? とも思う。
 幸い六本松は、悪党との修羅場としてはうってつけの場所である。寺院の周囲には人家らしきものは無く、邪魔が入る可能性は少ない。これならば、大いに暴れる事が出来るはずだ。
 一年、この抜け荷だけを追っていた。思った以上に、順調に進んだと言っていい。手下の犠牲も出ておらず、刀を抜き合うような現場も踏んではいない。
 つまり、二ノ組の存在を知られていないのだ。それに対し、こちらは一党に組する幹部の顔や身分を全て突き止めている。諸々の証拠は揃い、後は身柄ガラを押さえるだけなのだ。怖いくらいに順調である。それだけに、警戒は怠らなかった。
 そもそも今回のお役目は、前任の三ノ組から引き継いだものだった。三ノ組が数年前から筑前に潜伏し、この件を追っていた。しかし、ある日を境にして組の者全員が消息を絶ってしまったのである。
 恐らく、皆殺しの憂き目に遭ったのだろう。屍は見つかってはいないが、こうした隠密のお役目ではよくある事だ。闇に生き、闇の中で死んでいく。それが隠密の宿命である。
 故に、気を抜いてはいけない。どうしてもお役目の終わりを感じてはしまうが、最後の最後まで、何があるかわからない。相手は、筑前を拠点に大規模な抜け荷の道を築いた悪党どもなのだ。使い手も多く揃えているはずである。

(その辺は、抜かりはないがな)

 二ノ組は、裏廻の中でも屈指の戦闘集団だ。隠密という役目柄、闇に潜む忍びのわざを重視されるが、二ノ組は戦う術も大いに鍛え上げていた。
 丹弥自身も、剣と苦無には些かの自負がある。大神家に伝わる天霧流あまぎりりゅうを、幼少の頃から叩き込まれたのだ。剣術も苦無術も、免許を得たぐらいの腕はある。

「小頭」

 耳元で、囁くような声がした。
 声色でわかる。自分の片腕と恃んでいる、川東三郎次かわとう さぶろうじである。
 三郎次は、丹弥の二つ下の二十五。同年代という事もあって、二ノ組を陰日向になって助けてくれている。

「もうすぐ、最後の一人が来ます」
「確認は取れているか?」
「ええ。名簿にある男です」
「最後の一人だな?」
「間違いなく」

 ならば、これで幹部が全員揃った事になる。本当は、抜け荷の現場を押さえたかった。しかし、それは無理な話だった。彼らは玄界灘の離島で取引をする為、船を出さなければならず、その用意をする段階で勘付かれてしまうからだ。一党の力は、福博の深いところにまで及んでいる。

「来ました」

 と、三郎次の声のすぐ後に、提灯の光が見えた。護衛は三名。その光は寺院へと入っていく。
 丹弥は心気を整え、深く深呼吸をした。
 上手く事が運べば、今夜で筑前でのお役目が終わる。そうすれば、生まれたばかりの子が待つ、江戸に帰る事が出来る。
 妻のなぜりに知らされたのだ。腹に嬰児ややこがいると。あの時から数えると、もう産まれている頃合いだろう。
 息子なのか娘なのか、それすらわからない。お役目の最中に、文を送る事も受け取る事も当然出来ないからだ。ただ、どちらにせよ自分の子である事には変わりはない。
 我が子の為だ。いや、我が子だけでない。この国で暮らす民百姓の為に、一人でも多く悪党をひっ捕らえる。それが正義であり、丹弥が隠密として生きていける理由だった。
 丹弥は、静かに片手を挙げた。三郎次の他、八名の手下の気配を背中に感じた。
 全員、十代後半から二十代半ばと若い。最年長が、二十七の自分なのである。他の組に比べて、経験の浅さは否めない。若さ故に不安が無いわけではないが、それ以上の勢いがあるとは感じている。
 二十歳で小頭に抜擢されて七年。手塩にかけて育て上げた、大切な手下たちだ。兄弟とも呼んでいい。そんな者たちを、無駄死にはさせたくない。だからこそ、この手を振り下ろす際は、強烈な緊張が伴う。
 丹弥は、ゆっくりと手を振り下ろした。
 背中で感じていた気配が、一斉に動き出す。丹弥もほぼ同時に、雑木林から飛び出した。
 荒れ野を駆ける。密談の場となる寺院までは一息である。ここまでこれば、後は捕物だけだ。歯向かうようであれば、容赦はしない。
 伽藍が次第に大きくなる。もう少しだと思った刹那、闇を劈くような呼び笛が鳴った。
 そして、ぽつぽつと夜の黒に現出する灯り。これが噂の六本松の鬼火か? とも思ったが、その正体が松明であり完全に囲まれている事を、すぐに悟った。

「何」

 思わず足を止める。異変を悟った手下たちも、一斉に丹弥の傍に駆け寄ってきた。
 罠だ。完全に、嵌められた。こちらが来襲する事を、奴らは知っていたのだ。
 わらわらと、人の陰翳が浮かび上がる。そして煌めく、刃の白。既に抜いているようだ。
 逃げるか? 応戦するか? いや、迷う事もない。こちらの動きを、見抜かれているとなれば、取るべき道は一つ。

「退却だ」

 丹弥は三郎次を一瞥しようとした瞬間、その眼前に斬光が伸びてきた。慌てて、身をのけぞらせる。三郎次が、抜き打ちを放ったのだ。

「三郎次、どうして」
「悪かったな、小頭。しかし、敢えて言う事もないだろう。あんたの考えている通りさ」

 三郎次が、頭巾を脱ぎ捨てる。それが合図のように、待ち構えていた敵が一斉に斬り掛かってきた。

「逃げろ」

 丹弥は叫び、背負った刀を抜き払った。
 三郎次がなおも斬りかかる。それを受け止め、腹に蹴り入れた。三郎次が笑って後退する。

「へへ。じゃぁな」

 三郎次が踵を返し、駆け出す。

「待て」

 丹弥は懐の苦無を構えようとしたが、その射線上に浪人が割り込んできた。

「糞」

 浪人の斬撃を、丹弥は跳び退いて躱す。距離を取ろうとするが、すぐに新手が挑みかかってきた。
 敵は浪人どもが大半だ。三郎次を追おうとしたが、目の前を遮られる。追跡は無理だろう。ならば、今は逃げるしかない。
 丹弥は、向かってくる斬撃を払いながら、何とか突破口を開こうと駆けまわった。しかし、完全に包囲された上に、寺院からは加勢が向かっているのが見えた。
 裏切られたのだ。片腕と信頼していた男に。それを見抜けなかった、自分の敗北だった。
 向かってくる斬撃を潜り抜け、がら空きの胴を薙いだ。振り向き、こちらに向かってくる浪人を一人、苦無で撃ち倒した。
 しかし、敵が多い。槍を持っている者もいる。手下が斬り斃されるのが見えた。最も若い十七歳。忍術は得意だが、剣が組の中では今一つだった。
 今度は女が槍で突き倒された。親友の妹。その親友は一ノ組にいて、お役目の中で死んでいる。
 ひとり、またひとりと死んでいく。なのに敵の数は鯨波のように押し寄せる。
 丹弥は左右に刀と苦無を持って、駆け回った。跳躍し、虚空で苦無を放つ。着地と同時転がって、膝に苦無を叩き込む。或いは刀で薙ぎ払う。幾つかの傷も受けている。肩と背中。深さはわからない。ただ熱い。

「逃げろ、逃げるんだ」

 叫んだ。しかし、誰も逃げようとしない。いや、向かってくる敵に対処するだけで、逃げる隙が無いのだ。

「小頭、先に」

 そんな声が聞こえた。腹を槍で刺された手下だった。腸が漏れているが、それでも必死に応戦していた。

「俺は駄目ですから」

 そう言ったのは長い付き合いの手下で、左手の指が欠けている。

「小頭を逃がすぞ」

 手下の一人が叫び、生き残っている三名が集結した。そして、頷き合うと一斉に最も包囲が薄い箇所に突っ込んだ。

「今です」

 そう言われたような気がした。このまま、手下を見殺しにして逃げるのか? おめおめと。俺に負け犬になれと。
 しかし、これが最初で最後の機会かもしれない。手下たちが命を賭して作った、生き残る為の道。

「すまん」

 丹弥は駆け、浪人の身体を踏み台にして包囲の輪を跳び越えた。目の前には暗闇。何も無い。必死で駆ける。闘争の気配は遠くなっていく。
 このまま、どこまで逃げるべきか。裏切り者を出し、それが原因で手下を全員失った。素直に「失敗しました」と、江戸になど帰れるはずはない。

「よう」

 福岡の城下も近くなった辺りで、行く手を遮られた。六名。全員が黒装束だった。

「久し振りだなぁ、大神丹弥」

 名を呼ばれ、思わず足を止める。しかし口調とは裏腹に、醸し出す雰囲気には殺気しかなった。

「お前は、まさか」
「ああ、そうだ。滝十兵衛たき じゅうべえだよ」

 三ノ組の小頭だった男だ。その男がどうしてここにいるか? 答えは明確だった。三ノ組が消えたのは、されたからではない。三ノ組全員が、抜け荷一党に寝返ったからだ。

「俺は、お前がずっと気に入らなかったんだ。頭領の孫だからって、いい気になってよ。ああ、お前の腕は舐めてはいねぇよ。ただ、嫌いなだけでね」
「やっかみか?」
「恵まれている者には、売られて隠密になった奴の気持ちはわからんよ。特にお旗本でもあるお前にはね」

 生まれには色々とある。確かに恵まれた生まれだ。しかし幸せだとは感じなかったし、あまり気持ちのいい思い出でもなかった。

「まぁ、いいや。お前はもう死ぬ」

 六名が一斉に刀を抜いた。丹弥は嘆息し、刀を低く構えた。懐には苦無は二本。まぁ、なんとかなる。
 手下たちに生かされた命。もう自分のものではない。やる事は一つなのだ。こんなところで死ねるはずはない。

<おわり>


◇◆あとがき◆◇
これは第11回日本歴史時代作家協会賞文庫書き下ろし新人賞の授賞式記念に書いた短編です。
この続きを書くのか、それが形になるのか、皆様の応援次第ってことで。
どうぞよろしくお願いいたします。
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