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中先代の乱
第十章 鎌倉の虜囚 2.
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2.
京からも度々、文が届いた。
師直からは、尊氏や朝廷の出来事が定期的に届き、正季からも一通、西の叛乱や、都の様子を知らせて来ていた。
両者に共通していたのは、『護良親王が荒れている』という件だった。
配下は以前にも増して、乱暴狼藉を繰り返し、親王が帝から叱責を受ける事態になっていた。
『このままだと、征夷大将軍の地位を剥奪されるのではないか?』
という噂が、まことしやかに囁かれていると、どちらの文も結んでいた。
護良親王が征夷大将軍を降ろされれば、その地位は空く。
(そこへ兄上が入る、などということはあるのだろうか?)
廉子の白い相貌が、ちらりと直義の脳裏を過ぎった。
胸に巣食っていた嫌な予感が、再び広がり始めたが、結局は尊氏に任せるしかない問題だった。
最初の頃の、師直からの文には、千寿王の身柄についての問い合わせもあった。
鎌倉に戻った当初は、直義も己と引き換えにして、千寿王を京に送る予定だった。
だが、久しぶりに顔を合わせた千寿王の口から、たどたどしい口調で
「叔父上、なにゆえ父上は、せいいたいしょうぐんにならないのですか?」
と聞かれ、考えが変わった。京には、
『雪の中を送るにしのびない。春になったら送る』
としたためて、直義はなるべく、一日に一度は千寿王と話すようにした。
そうやって、登子が掛けた、呪いのようなものを少しずつ解いていった。
――北条が滅びたのは自業自得で、足利が天下を取るためではない。
詭弁は百も承知だが、噛み砕き何度も言い続けたかいがあってか、千寿王はむやみに『せいいたいしょうぐん』とは言わなくなった。
それでもこんな状態で、『征夷大将軍』の去就が噂になっているという京に、行かせて良いものかと直義は悩んだ。
(だが常に臨戦態勢の、今の鎌倉に置くよりはましか)
結局、京の尊氏の元にいたほうが、心身ともによいと判断し、直義は千寿王を送り出すことにした。
用意をしておくようにと、千寿王にも言い渡したが、いつも「はい」と素直に返す子供は、黙ったままだった。
直義がもう一度、同じ言葉を繰り返そうとした時に、ようやく千寿王が口を開いた。
「叔父上、千寿はめいわくをかけておりますか?」
意外な問い掛けだったが、直義は真面目に否定した。
「そんなことはない。お前が鎌倉にいてくれたおかげで、兄上も俺も助かった。足利の跡取りとして、存分にお前は働いた。京に行って父上母上の元で疲れを癒すと良い」
直義に褒められたのが分かったのだろう。千寿王は嬉しそうに笑みを浮かべたが、すぐに表情が曇った。
「叔父上、千寿は……鎌倉にのこってはいけませぬか?」
直義は思わず眉を顰めた。
「何故だ? 父上母上に、会いたくはないのか?」
「父上母上には、お会いしとうございますが……」
口に出しにくい事柄なのか、千寿王の言葉は途切れ途切れになった。
「千寿が鎌倉をはなれると……、よくないことがおこると……」
直義は驚き、反射的に口を開いた。
「誰がそんな事を?!」
千寿はびくっと震えた。あわてて直義は宥めるように付け加えた。
「お前に怒っているわけではないぞ、千寿」
怯えるように己を見上げる甥に、直義はなるべく柔らかく言い聞かせる。
「お前には、母と一緒に京へ呼べず辛い思いをさせた。だがもう俺がいるし、お前が鎌倉を出るのによくないことなど何もないぞ」
直義の言葉を聞いてはいるようだったが、千寿王は中々口を開かなかった。
辛抱強く直義は待った。
今日まで話してきて、千寿王が利発で素直な子供なのは分かっていた。
何か理由があるはずだった。
「……てんぐが」
消え入りそうな声だったが、その言葉は、直義の耳にはっきりと届いた。
またか!――という思いと、夢窓の警告をすっかり忘れていた自分の頭に、冷水を掛けられた気分だった。
「母上と、はちまんさまをもうでた帰り、夜のようにくらくなって、わたしはひとりになって……みなのはなしていたてんぐと、同じすがたのモノノケがあらわれて……ほ、北条の血をひいた千寿がいるから、鎌倉にいるみなはだいじょうぶだからって……いなくなると、みなが……みなが……こ、ころされた、北条のかたがたにふくしゅうされると」
話を聞くにつれ、直義の内心の憤りはどんどん大きくなった。
(幼子に、むごい真似をしてくれる……)
怒りを噛み殺し、直義は千寿王の両肩を包み込むように、両手を乗せた。
千寿王の身体は、小刻みに震えていた。
「千寿、天狗なんてものはいない。お前が会ったのは、お面を付けた『ただびと』だ」
「……いない?」
つぶやく千寿王に直義はゆっくりと頷いた。
「お面を取れば、あれらはただの人だ」
子供をからこうて遊んでいるだけだ――、と直義は千寿王に笑いかけた。
「だから天狗に何を言われても、気にすることはない」
「あれはうそなのですか?」
縋りつくようにして問う千寿王に、直義はきっぱりと言い放った。
「作り話だ」
千寿王の震えは、徐々に治まっていった。
(天狗といい、登子といい、幼い子供に重い言葉を背負わせるものだ)
直義は苦く述懐する。
(幸いというべきか、千寿王の精神は柔軟だ)
すぐには、直義の言葉を信じきれない様子だったが、納得するのも時間の問題だろうと思われた。
だが、夏前には尊氏の元へ送れるかと考えた直義の予定は、また先送りになる。
急激に、京の町の治安が悪化していた。
京からも度々、文が届いた。
師直からは、尊氏や朝廷の出来事が定期的に届き、正季からも一通、西の叛乱や、都の様子を知らせて来ていた。
両者に共通していたのは、『護良親王が荒れている』という件だった。
配下は以前にも増して、乱暴狼藉を繰り返し、親王が帝から叱責を受ける事態になっていた。
『このままだと、征夷大将軍の地位を剥奪されるのではないか?』
という噂が、まことしやかに囁かれていると、どちらの文も結んでいた。
護良親王が征夷大将軍を降ろされれば、その地位は空く。
(そこへ兄上が入る、などということはあるのだろうか?)
廉子の白い相貌が、ちらりと直義の脳裏を過ぎった。
胸に巣食っていた嫌な予感が、再び広がり始めたが、結局は尊氏に任せるしかない問題だった。
最初の頃の、師直からの文には、千寿王の身柄についての問い合わせもあった。
鎌倉に戻った当初は、直義も己と引き換えにして、千寿王を京に送る予定だった。
だが、久しぶりに顔を合わせた千寿王の口から、たどたどしい口調で
「叔父上、なにゆえ父上は、せいいたいしょうぐんにならないのですか?」
と聞かれ、考えが変わった。京には、
『雪の中を送るにしのびない。春になったら送る』
としたためて、直義はなるべく、一日に一度は千寿王と話すようにした。
そうやって、登子が掛けた、呪いのようなものを少しずつ解いていった。
――北条が滅びたのは自業自得で、足利が天下を取るためではない。
詭弁は百も承知だが、噛み砕き何度も言い続けたかいがあってか、千寿王はむやみに『せいいたいしょうぐん』とは言わなくなった。
それでもこんな状態で、『征夷大将軍』の去就が噂になっているという京に、行かせて良いものかと直義は悩んだ。
(だが常に臨戦態勢の、今の鎌倉に置くよりはましか)
結局、京の尊氏の元にいたほうが、心身ともによいと判断し、直義は千寿王を送り出すことにした。
用意をしておくようにと、千寿王にも言い渡したが、いつも「はい」と素直に返す子供は、黙ったままだった。
直義がもう一度、同じ言葉を繰り返そうとした時に、ようやく千寿王が口を開いた。
「叔父上、千寿はめいわくをかけておりますか?」
意外な問い掛けだったが、直義は真面目に否定した。
「そんなことはない。お前が鎌倉にいてくれたおかげで、兄上も俺も助かった。足利の跡取りとして、存分にお前は働いた。京に行って父上母上の元で疲れを癒すと良い」
直義に褒められたのが分かったのだろう。千寿王は嬉しそうに笑みを浮かべたが、すぐに表情が曇った。
「叔父上、千寿は……鎌倉にのこってはいけませぬか?」
直義は思わず眉を顰めた。
「何故だ? 父上母上に、会いたくはないのか?」
「父上母上には、お会いしとうございますが……」
口に出しにくい事柄なのか、千寿王の言葉は途切れ途切れになった。
「千寿が鎌倉をはなれると……、よくないことがおこると……」
直義は驚き、反射的に口を開いた。
「誰がそんな事を?!」
千寿はびくっと震えた。あわてて直義は宥めるように付け加えた。
「お前に怒っているわけではないぞ、千寿」
怯えるように己を見上げる甥に、直義はなるべく柔らかく言い聞かせる。
「お前には、母と一緒に京へ呼べず辛い思いをさせた。だがもう俺がいるし、お前が鎌倉を出るのによくないことなど何もないぞ」
直義の言葉を聞いてはいるようだったが、千寿王は中々口を開かなかった。
辛抱強く直義は待った。
今日まで話してきて、千寿王が利発で素直な子供なのは分かっていた。
何か理由があるはずだった。
「……てんぐが」
消え入りそうな声だったが、その言葉は、直義の耳にはっきりと届いた。
またか!――という思いと、夢窓の警告をすっかり忘れていた自分の頭に、冷水を掛けられた気分だった。
「母上と、はちまんさまをもうでた帰り、夜のようにくらくなって、わたしはひとりになって……みなのはなしていたてんぐと、同じすがたのモノノケがあらわれて……ほ、北条の血をひいた千寿がいるから、鎌倉にいるみなはだいじょうぶだからって……いなくなると、みなが……みなが……こ、ころされた、北条のかたがたにふくしゅうされると」
話を聞くにつれ、直義の内心の憤りはどんどん大きくなった。
(幼子に、むごい真似をしてくれる……)
怒りを噛み殺し、直義は千寿王の両肩を包み込むように、両手を乗せた。
千寿王の身体は、小刻みに震えていた。
「千寿、天狗なんてものはいない。お前が会ったのは、お面を付けた『ただびと』だ」
「……いない?」
つぶやく千寿王に直義はゆっくりと頷いた。
「お面を取れば、あれらはただの人だ」
子供をからこうて遊んでいるだけだ――、と直義は千寿王に笑いかけた。
「だから天狗に何を言われても、気にすることはない」
「あれはうそなのですか?」
縋りつくようにして問う千寿王に、直義はきっぱりと言い放った。
「作り話だ」
千寿王の震えは、徐々に治まっていった。
(天狗といい、登子といい、幼い子供に重い言葉を背負わせるものだ)
直義は苦く述懐する。
(幸いというべきか、千寿王の精神は柔軟だ)
すぐには、直義の言葉を信じきれない様子だったが、納得するのも時間の問題だろうと思われた。
だが、夏前には尊氏の元へ送れるかと考えた直義の予定は、また先送りになる。
急激に、京の町の治安が悪化していた。
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