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干支ピリカ

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新政建武

第九章 親征と帰還と 3.

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3.

 顕家が、陸奥国多賀城に入り、ひと月が過ぎた。
 奥州の叛乱は治まる気配をみせなかったが、この頃になってようやく、直義の鎌倉行きも許可が下りた。

 ――あくまで、尊氏は京にいて、帝を守ること。

 帝の名代たる皇子を連れて行くこと、などの条件が出されたが、それらは初めから予想済みだった。

 出立の準備で慌しい六波羅に、またふらりと正季が現れた。
 館内はせわしないので、直義は庭へ正季を通した。
 庭と言うより、普段は弓の練習や、組み手などにも使われる開けた場所には、今は誰もいなかった。

「お師匠からの伝言だ。『鎌倉には、まだまだ魑魅魍魎が跋扈ばっこしている。行かれる際にはお気をつけ下さい』、とのことだ」

 鹿爪しかめっつらしい顔をして告げる正季に、直義は苦笑を返す。

「正直、聞いてもあまり嬉しくない状況だが、警告は有難く受け取るよ」
「あちらは、かなり荒れているようだな」
「新田の義助からも、天狗が幅を利かせていると聞いた。用心するさ。俺にとって、化け物の巣ならば、京も鎌倉もそう変わらん」
「そうだったな」

 正季は目を細めて、柔らかく笑った。

「俺も兄者に付いて、ちょこちょこ湧いて来る西の叛乱を、潰しに行くつもりだ」

 どこかに引っかかりを感じた直義が、正季に尋ねる。

「俺が言うのもおかしいが、護良親王はどこへも行かないのか?」
「仮にも『征夷』大将軍なんだ。行くというなら奥州に行かせるのが筋だろうな」

 夷とは京から見た、『東夷とうい』のことで、関東以北の蛮族を指している。
 関東の武士を蔑ろにする際も、この『東夷あずまえびす』という言葉はよく使われていた。

「だが、北へ行ったのは顕家殿だ。ならばこの先も、帝から討伐の命が下ることはないんじゃないか」

 皮肉交じりの正季の言葉に、直義も納得する。

「……もう、比叡山へ帰られればいいのにな」

 直義がため息と共に吐き捨てると、正季もしみじみと直義を眺めて告げた。

「おかしな話だが、足利殿が京にいる限り戻らないだろう」

 尊氏を京に留めているのは帝である。

「本当におかしな話だ。帝が兄上を京に繋ぎ止め、兄上が親王を京に繋ぎ止め、帝は親王を山に戻したい……」

 互いが互いを理解も、信用もしていない光景だった。

(国の頂点がこの有様では、改革が上手くいかずとも当然に思えるな)

 正季は諦めたように天を仰いだ。

「俺の兄者は、あんたよりももっと、親王は山に帰ったほうが良いと思っている。そろそろ、帝が奥方に押し切られそうだからな」
「奥方って、廉子殿か?」

 目を瞬いた直義に、正季は頷いた。

「あぁ。帝はあのべっぴんさんに甘いからな。帝にしてみても、自分の意見を聞かないでかい息子より、目の前の寵妃が産んだかわいい子供を、次の帝にしたいのは自然な欲求だろうしな」
「勝手な話だが、理屈は分かる」
「だろ?」

 もっとも、そんな理由で次代の帝が決まるかと思うと、直義もげんなりとする。

「だが、それじゃあ、今までの則村殿や、顕家殿への処置も……」
「最後に承認したのは帝だが、あの御方はそんな煩雑な手回しは思いつかんだろう」

『戦え』とか『敬え』とか、殆ど命令するだけだからな、と正季は淡々と述べた。

「直接親王に手を出さず、力を削いでいくという遣り口からみても、廉子殿が絡んでいるのは間違いないだろう」

 直義は、廉子の花も手折れないような、たおやかな姿を思い出す。
 意外だという思いが顔に出たのか、正季が揶揄する様に尋ねた。

「廉子殿まで、考えが及ばなかったか? 足利殿は、何度か誘いを受けていたはずだぞ」

 直義の思考が止まった。

「頑なに拒んでおられたようで、兄者は感心していた。足利殿が廉子殿と組んだら、今の京で出来ぬ事などないだろうからな」

 断ったと聞いて、思わずほっとしたが、直義の胸に、どこか言い知れぬ不安が残った。

(大丈夫だ。兄上には廉子殿と組んでまで、欲しいものはないはずだ)

 少なくとも今は……。
 不安を完璧に拭うのは難しかった。

「これから京を出る身に、余計な事を言ったか?」

 黙ったままの直義に、幾分気遣うような正季の声が届いた。
 直義は首を振る。

「いや、廉子殿が絡んでいるのを、知っておいて良かった。師直に釘を刺しておける」
「あぁ、あの執事殿なら大丈夫だろう。大分、公家の女について学んでいるようだからな」

 噂になっているのだろう。にやりと正季の口の端が引き上がった。
 ふうっと直義は息を吐いた。

「本人に言わせると、情報を集めるためだそうだ」

 適任だな、と正季が楽しげに笑う。
 その顔を見ながら、直義は

(この男と顔を合わせるのも、これが最後かもしれぬな)

 と思った。
 だが、正季はそんな思いを見透かしたように、

「またな」

 と笑った顔のまま、軽く言い残して立ち去った。
 確かにまた、どこからかひょっこりと、鎌倉に現われそうな男だった。

 先のことは分からない――この時は、前向きな意味で思った直義だった。

 だが、明日には鎌倉に立とうという日。
 兄弟二人だけで設けた送別の席で、予想だにしなかった言葉が、尊氏の口から語られた。

「登子に、何故、征夷大将軍にならぬのかと問われた」

 直義は驚き、手にあった盃をゆっくりと膳に戻した。



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