34 / 49
新政建武
第八章 褒賞の波紋 2.
しおりを挟む
2.
あまり気に病むなと諭し、直義は義助を見送った。
入れ違いに、師直が六条から戻って来た。
義助の話をし、鎌倉へ行く用意だけはしておいてくれと、直義は告げた。
「鎌倉からの文で、新田殿とぶつかったとは聞いておりましたが、また面妖な話ですなあ」
師直も、困惑したように顔をしかめた。
「兄上が鎌倉へ行けぬようなら、俺が行く。千寿と義姉上はこちらへ送ろう」
「私も、鎌倉へ戻りたいものです」
しおらしく胸に手を当てる師直を、直義は冷ややかな面持ちで眺める。
「お前は、京を離れ難いと思っていたがな。最近は、堂上家の姫にまで手を出していると聞くぞ」
「これは、これは! お耳汚しでございました!」
師直は、おどけて額を叩いた。
「あれは情報を集める為でございますよ。師直は常に使命を忘れておりません!」
「そうかそうか。とにかく、お前は兄上を支えていてくれ」
はいはい、とおどける声を背中に聞き、直義も鎌倉行きの算段を始めた。
後日、新田の一行が到着するのを待っていたかのように、主だった公家や武士に、此度の戦に対する恩賞が発表された。
楠木正成が河内・和泉の国司となったのを始め、千種忠顕が丹波の国司になり、高氏も武蔵の国司に任命された。
新田氏も、義貞が播磨の国司で従四位、義助が駿河の国司で正五位下となり、取りあえず直義はこれで約定が果たされてほっとした。
高氏は従三位に叙され、公卿の仲間に入り、直義は官位が変わらず、新たに左馬頭の職が与えられた。
また、高氏の『高』の字が、北条高時が由来では不吉だという観点から、帝の諱の「尊治」から、『尊』の字が送られた。
御所から戻った尊氏は、帝御自らの蹟による『尊氏』と記された紙を、恭しく皆の前に広げた。
「おめでとうございます!」
家臣は口々に祝辞を述べ、師直は「祝いの席じゃ! 殿が公卿に上られた」と叫んだ。
皆が宴の用意に去った後、苦笑を浮かべる兄と、その前に置かれた『尊氏』の文字を直義は見比べて言ってみた。
「兄上は、公卿に上られたことより、帝に御名をもらったのが嬉しいのでございましょう?」
尊氏は微かに頷き、照れくさそうに笑った。
「師直には言うなよ」
明らかに鎌倉にいた頃より、この京にいる今が、尊氏は幸せそうだった。
勿論、『北条』の有無が大きいし、帝の親政は不安定で、京もこの先どうなるか分からない。
だが、あえて、苦々しい思い出の多い鎌倉に帰りましょうとは、直義には言い辛かった。
「新田殿は、京に滞在されるようですね」
「うむ。官位も授かり、護良親王のお声懸かりで、お役目もいただけるようだ」
尊氏はさらっと言ったが、護良親王は分かりやすく、足利の上に新田を置き争乱の種とした。
実際、今度の恩賞には、尊氏を初め、足利一門に対する政府の人事は一切なかった。
官位と、帝の『名』でごまかされたと感じている者も多いだろう。
(まあ、この位なら想定内だ)
「兄上、新田殿が京に残られるならば、私が鎌倉に戻ろうと思うのですが、如何でしょう?」
尊氏は驚きを露わにして、直義を見た。
「鎌倉は関東の要です。北条の残党も窺っているでしょう。放ってはおけません」
宥めるように付け加えると、漸う言葉が浸透したらしく
「そうか、そうだな」
と、尊氏は頷いた。そして気を取り直して口を開いた。
「帝の許可を得ないで、兵は動かせぬ。もう少し待て」
はい、と直義は頭を下げた。
許可が下りるまでに、時間がかかるのは分かっていた。
直義が顔を上げると、尊氏のじっとこちらを見つめている視線と会った。
「京の治安といい、私の補佐といい、お前がいなくなるのは痛いな」
「京の町も、落ち着いてきています。残った者で、なんとかなるでしょう。あるいは、新田殿がその任に着くかもしれません」
尊氏は、心持ち顔をしかめた。
護良親王の嫌がらせを、ようやく実感できたのかもしれない。
「兄上の補佐は、元々師直の役目ですよ」
直義は、安心させるように笑った。
「それに、自分が行けば義姉上と千寿もこちらへ送れます。足利の名代として、充分にやっていただきました。労うてあげて下さいませ」
鎌倉に参じた武士達は、皆『軍忠状』、『着到状』の証判を大将に求める。
働いたという証明で、後に報酬を請求する際必要となる。
鎌倉を落とした時には、まだ無冠だった義貞よりも、幼少だが既に従五位をもっていた足利高氏の嫡男、千寿王に証明を求めた者も多かったと聞く。
(義貞も去り、鎌倉にある足利の陣中はさぞや忙しいことだろう)
尊氏は、どこか遠くを見るような目をしたが、すぐに口元を綻ばせた。
「お前に言われるまでもないわ」
直義がほっと胸を撫で下ろした時、廊下が騒がしくなってきた。
「用意にしては騒がしすぎるな……?」
「見て参ります」
直義は立ち上がったが、どたばたと言う足音がどんどん近づいていた。
待つほどもなく、一目で激昂しているのが分かる赤松則村と、則村に縋りつく様にして押し留めている師直が入ってきた。
「足利殿! 聞いてくれ。何故ワシだけが……何故、佐用ノ庄だけなのじゃ!」
「申し訳ありません、殿。今取り次ぐと言ったのですが……」
「構わん師直。則村殿、お話を伺います。まずは、落ち着かれませ」
重なり合うように入ってきた二人に動ぜず、尊氏は則村に席を勧める。
直義も何かあった時のために、尊氏の近くに座り直した。
あまり気に病むなと諭し、直義は義助を見送った。
入れ違いに、師直が六条から戻って来た。
義助の話をし、鎌倉へ行く用意だけはしておいてくれと、直義は告げた。
「鎌倉からの文で、新田殿とぶつかったとは聞いておりましたが、また面妖な話ですなあ」
師直も、困惑したように顔をしかめた。
「兄上が鎌倉へ行けぬようなら、俺が行く。千寿と義姉上はこちらへ送ろう」
「私も、鎌倉へ戻りたいものです」
しおらしく胸に手を当てる師直を、直義は冷ややかな面持ちで眺める。
「お前は、京を離れ難いと思っていたがな。最近は、堂上家の姫にまで手を出していると聞くぞ」
「これは、これは! お耳汚しでございました!」
師直は、おどけて額を叩いた。
「あれは情報を集める為でございますよ。師直は常に使命を忘れておりません!」
「そうかそうか。とにかく、お前は兄上を支えていてくれ」
はいはい、とおどける声を背中に聞き、直義も鎌倉行きの算段を始めた。
後日、新田の一行が到着するのを待っていたかのように、主だった公家や武士に、此度の戦に対する恩賞が発表された。
楠木正成が河内・和泉の国司となったのを始め、千種忠顕が丹波の国司になり、高氏も武蔵の国司に任命された。
新田氏も、義貞が播磨の国司で従四位、義助が駿河の国司で正五位下となり、取りあえず直義はこれで約定が果たされてほっとした。
高氏は従三位に叙され、公卿の仲間に入り、直義は官位が変わらず、新たに左馬頭の職が与えられた。
また、高氏の『高』の字が、北条高時が由来では不吉だという観点から、帝の諱の「尊治」から、『尊』の字が送られた。
御所から戻った尊氏は、帝御自らの蹟による『尊氏』と記された紙を、恭しく皆の前に広げた。
「おめでとうございます!」
家臣は口々に祝辞を述べ、師直は「祝いの席じゃ! 殿が公卿に上られた」と叫んだ。
皆が宴の用意に去った後、苦笑を浮かべる兄と、その前に置かれた『尊氏』の文字を直義は見比べて言ってみた。
「兄上は、公卿に上られたことより、帝に御名をもらったのが嬉しいのでございましょう?」
尊氏は微かに頷き、照れくさそうに笑った。
「師直には言うなよ」
明らかに鎌倉にいた頃より、この京にいる今が、尊氏は幸せそうだった。
勿論、『北条』の有無が大きいし、帝の親政は不安定で、京もこの先どうなるか分からない。
だが、あえて、苦々しい思い出の多い鎌倉に帰りましょうとは、直義には言い辛かった。
「新田殿は、京に滞在されるようですね」
「うむ。官位も授かり、護良親王のお声懸かりで、お役目もいただけるようだ」
尊氏はさらっと言ったが、護良親王は分かりやすく、足利の上に新田を置き争乱の種とした。
実際、今度の恩賞には、尊氏を初め、足利一門に対する政府の人事は一切なかった。
官位と、帝の『名』でごまかされたと感じている者も多いだろう。
(まあ、この位なら想定内だ)
「兄上、新田殿が京に残られるならば、私が鎌倉に戻ろうと思うのですが、如何でしょう?」
尊氏は驚きを露わにして、直義を見た。
「鎌倉は関東の要です。北条の残党も窺っているでしょう。放ってはおけません」
宥めるように付け加えると、漸う言葉が浸透したらしく
「そうか、そうだな」
と、尊氏は頷いた。そして気を取り直して口を開いた。
「帝の許可を得ないで、兵は動かせぬ。もう少し待て」
はい、と直義は頭を下げた。
許可が下りるまでに、時間がかかるのは分かっていた。
直義が顔を上げると、尊氏のじっとこちらを見つめている視線と会った。
「京の治安といい、私の補佐といい、お前がいなくなるのは痛いな」
「京の町も、落ち着いてきています。残った者で、なんとかなるでしょう。あるいは、新田殿がその任に着くかもしれません」
尊氏は、心持ち顔をしかめた。
護良親王の嫌がらせを、ようやく実感できたのかもしれない。
「兄上の補佐は、元々師直の役目ですよ」
直義は、安心させるように笑った。
「それに、自分が行けば義姉上と千寿もこちらへ送れます。足利の名代として、充分にやっていただきました。労うてあげて下さいませ」
鎌倉に参じた武士達は、皆『軍忠状』、『着到状』の証判を大将に求める。
働いたという証明で、後に報酬を請求する際必要となる。
鎌倉を落とした時には、まだ無冠だった義貞よりも、幼少だが既に従五位をもっていた足利高氏の嫡男、千寿王に証明を求めた者も多かったと聞く。
(義貞も去り、鎌倉にある足利の陣中はさぞや忙しいことだろう)
尊氏は、どこか遠くを見るような目をしたが、すぐに口元を綻ばせた。
「お前に言われるまでもないわ」
直義がほっと胸を撫で下ろした時、廊下が騒がしくなってきた。
「用意にしては騒がしすぎるな……?」
「見て参ります」
直義は立ち上がったが、どたばたと言う足音がどんどん近づいていた。
待つほどもなく、一目で激昂しているのが分かる赤松則村と、則村に縋りつく様にして押し留めている師直が入ってきた。
「足利殿! 聞いてくれ。何故ワシだけが……何故、佐用ノ庄だけなのじゃ!」
「申し訳ありません、殿。今取り次ぐと言ったのですが……」
「構わん師直。則村殿、お話を伺います。まずは、落ち着かれませ」
重なり合うように入ってきた二人に動ぜず、尊氏は則村に席を勧める。
直義も何かあった時のために、尊氏の近くに座り直した。
0
お気に入りに追加
4
あなたにおすすめの小説

【架空戦記】蒲生の忠
糸冬
歴史・時代
天正十年六月二日、本能寺にて織田信長、死す――。
明智光秀は、腹心の明智秀満の進言を受けて決起当初の腹案を変更し、ごく少勢による奇襲により信長の命を狙う策を敢行する。
その結果、本能寺の信長、そして妙覚寺の織田信忠は、抵抗の暇もなく首級を挙げられる。
両名の首級を四条河原にさらした光秀は、織田政権の崩壊を満天下に明らかとし、畿内にて急速に地歩を固めていく。
一方、近江国日野の所領にいた蒲生賦秀(のちの氏郷)は、信長の悲報を知るや、亡き信長の家族を伊勢国松ヶ島城の織田信雄の元に送り届けるべく安土城に迎えに走る。
だが、瀬田の唐橋を無傷で確保した明智秀満の軍勢が安土城に急速に迫ったため、女子供を連れての逃避行は不可能となる。
かくなる上は、戦うより他に道はなし。
信長の遺した安土城を舞台に、若き闘将・蒲生賦秀の活躍が始まる。
日日晴朗 ―異性装娘お助け日記―
優木悠
歴史・時代
―男装の助け人、江戸を駈ける!―
栗栖小源太が女であることを隠し、兄の消息を追って江戸に出てきたのは慶安二年の暮れのこと。
それから三カ月、助っ人稼業で糊口をしのぎながら兄をさがす小源太であったが、やがて由井正雪一党の陰謀に巻き込まれてゆく。
月の後半のみ、毎日10時頃更新しています。

本能のままに
揚羽
歴史・時代
1582年本能寺にて織田信長は明智光秀の謀反により亡くなる…はずだった
もし信長が生きていたらどうなっていたのだろうか…というifストーリーです!もしよかったら見ていってください!
※更新は不定期になると思います。
出雲屋の客
笹目いく子
歴史・時代
短篇です。江戸堀留町の口入屋『出雲屋』は、乳母奉公と養子縁組ばかりを扱う風変わりな口入屋だった。子を失い、横暴な夫に命じられるまま乳母奉公の口を求めて店を訪れた佐和は、女店主の染から呉服商泉屋を紹介される。
店主の市衛門は妻を失い、乳飲み子の香奈を抱えて途方に暮れていた。泉屋で奉公をはじめた佐和は、市衛門を密かに慕うようになっていたが、粗暴な夫の太介は香奈の拐かしを企んでいた。
夫と離縁し、行き場をなくした佐和を、染は出雲屋に雇う。養子縁組の仕事を手伝いながら、佐和は自分の生きる道を少しずつ見つけて行くのだった。
梅すだれ
木花薫
歴史・時代
江戸時代の女の子、お千代の一生の物語。恋に仕事に頑張るお千代は悲しいことも多いけど充実した女の人生を生き抜きます。が、現在お千代の物語から逸れて、九州の隠れキリシタンの話になっています。島原の乱の前後、農民たちがどのように生きていたのか、仏教やキリスト教の世界観も組み込んで書いています。
登場人物の繋がりで主人公がバトンタッチして物語が次々と移っていきます隠れキリシタンの次は戦国時代の姉妹のストーリーとなっていきます。
時代背景は戦国時代から江戸時代初期の歴史とリンクさせてあります。長編時代小説。長々と続きます。
【アラウコの叫び 】第3巻/16世紀の南米史
ヘロヘロデス
歴史・時代
【毎週月曜07:20投稿】
3巻からは戦争編になります。
戦物語に関心のある方は、ここから読み始めるのも良いかもしれません。
※1、2巻は序章的な物語、伝承、風土や生活等事を扱っています。
1500年以降から300年に渡り繰り広げられた「アラウコ戦争」を題材にした物語です。
マプチェ族とスペイン勢力との激突だけでなく、
スペイン勢力内部での覇権争い、
そしてインカ帝国と複雑に様々な勢力が絡み合っていきます。
※ 現地の友人からの情報や様々な文献を元に史実に基づいて描かれている部分もあれば、
フィクションも混在しています。
動画制作などを視野に入れてる為、脚本として使いやすい様に、基本は会話形式で書いています。
HPでは人物紹介や年表等、最新話を先行公開しています。
youtubeチャンネル名:heroher agency
insta:herohero agency
ロクスタ〜ネロの愛した毒使い〜
称好軒梅庵
歴史・時代
ローマ帝国初期の時代。
毒に魅入られたガリア人の少女ロクスタは、時の皇后アグリッピーナに見出され、その息子ネロと出会う。
暴君と呼ばれた皇帝ネロと、稀代の暗殺者である毒使いロクスタの奇妙な関係を描く歴史小説。

マルチバース豊臣家の人々
かまぼこのもと
歴史・時代
1600年9月
後に天下人となる予定だった徳川家康は焦っていた。
ーーこんなはずちゃうやろ?
それもそのはず、ある人物が生きていたことで時代は大きく変わるのであった。
果たして、この世界でも家康の天下となるのか!?
そして、豊臣家は生き残ることができるのか!?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる