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干支ピリカ

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新政建武

第六章 将軍親王 3.

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3.

 曖昧な思いが顔に出たのか、正季は表情を引き締め、直義に忠告するように口を開いた。

「自覚がなさそうだから言っておくが、足利は今、台風の目になっている」

 直義は目を瞬くと、反射的に否定していた。

「六波羅を潰したのだから、武士の間で騒がれるのは仕方ないが、裏を返せばそれだけだろう?」

 正季は眉を寄せ、困惑したように直義に問い返した。

「いったいどうしたんだ? 切れ者と評判の足利のご舎弟殿が。北条打倒という念願が叶って呆けているのか? 『それだけ』の訳がどこにある?」

 正季はきつい口調で言い放った後、戸惑うように付け加えた。

「……いや、『それだけ』にしても、問題が山積みのはずだぞ」

 正季の剣幕を意外に思いながらも、直義は正直に応える。

「それは否定せん。京では訴状関係だけで手いっぱいだし、鎌倉からも混乱を収めてくれと矢の催促だ」
「そうだ、皆あんた方を、北条の次の、武家の長だと思っている。幕府を、北条を倒したのだから当然だ」
「だが、幕府を倒したのは、俺達の力だけじゃない。帝やそれこそお前達の力があればこそだ」

 正季が、不味まずいものを食べたような、何とも言えない顔になった。
 眉を寄せ、口元に手を当て何かを考えているようだったが、少しして、声をひそめて直義に尋ねた。

「非礼を承知で訊くが……もしや足利殿は、あんたの兄上は武家の棟梁、征夷大将軍になりたくないのか?」

 己の立場からすれば、とっくの昔に考えておかねばおかしいことだったかもしれない。
 だが『征夷大将軍』という言葉に、この時直義は動揺した。

「なりたくない訳ではない……と思う」

 歯切れが悪くなるのは仕方ない。
 全ては北条を倒した後、生き残った後のことだと、直義は高氏と、あえてその先の話を避けていた。
 師直や一族の者は逆に、北条を倒せば、高氏が征夷大将軍に付くのが当然だと思っているので、こちらからも改めて話は出なかった。
 正季がふうっと息を吐く音が、部屋に流れた。

「本当に、打倒北条だけで此処まで来たんだな、あんた方は」

 欲得がなかったわけじゃない。
 だが何よりも、足利の家にかかった呪いを解く為だった――

 ……等と言っても、他人に分かってもらうのは難しい話だろうと、直義は口をつぐんだ。
 黙ったままの直義の前で、何事かを考えていた様子の正季は、意を決したように口を開いた。

「直義殿。今から俺がする話は、今のあんたは関係ないと思うかもしれない。だが聞いて欲しい」

 真剣な眼差しを向けられ、直義は躊躇なく頷いた。

「護良親王は知っているな?」
「無論だ。後醍醐帝の御子で、天台宗の座主だろう。此度の戦では、僧兵を率いて奮戦されたと聞いている」
「その護良親王が、征夷大将軍の地位を望んでいる」

 直義は初め、正季が何を言っているのかまるで理解できなかった。

「待て。親王は座主、つまり出家されているのではなかったのか?」
「とっくに還俗されている」
「だが、皇族であるには変わりなかろう? そりゃ、北条は皇子様方を『征夷大将軍』として幕府に迎えたが、あくまでもお飾りとしてだぞ」

 頼朝公の血統が絶えても、北条一族は誰も、征夷大将軍の地位には着けなかった。

(幾ら実権を握っていても、もともと北条家の家格は低い)

 将軍の地位を望めば、同格、あるいは上位の家系である他家が黙っているはずはなかった。
 欲と妥協の結果、北条は京から、幼少の皇子を形だけの将軍として鎌倉に迎え、己を主張できる年齢になると京に帰す、という歪んだ慣習を繰り返していた。

「親王は、もう傀儡かいらいとして我慢できる歳ではなかろうし、本気で征夷大将軍になりたいということか? 親王が武家の棟梁になるのはおかしく……いや、もともと征夷大将軍は宮中の役職か。おかしくないのか……?」

 混乱している直義に、正季はあっさりと「おかしいよ」と応えた。

「大昔の制度はよく知らないが、今じゃ誰が聞いてもおかしい話だよ。武士になりたがる親王様なんて、俺も聞いたためしがない」

 まあ、悪党を味方に引き入れて、戦を起こす帝の例もないがな、と正季はおどけて付け加えた。

「護良親王は戦が終って、後醍醐帝が京に入ってきても、信貴山に留まったままだった。訝しく思った帝が、使者を送って上洛を促したんだが、その使者に親王は、己を『征夷大将軍に任じて欲しい』と言ったらしい」
「……分からんな。親王は、幕府を開きたいのか?」

 征夷大将軍の特権は、帝に代わって政務を行える場、幕府が開けることにある。
 幕府は戦があれば武士を召集して戦い、平時は諸国の管理を行う。
 北条が栄えたのを見れば、旨みがあるのも確かだが、終いには権威が衰退し、結局自滅した。

此度こたびの、北条の末路を考えれば分かると思うが、容易たやすい役目ではないぞ?」

 困惑したようにつぶやいた直義に、正季は頷いた。

「そうだろうな。何より宮様に武士の扱いなんて分かる訳がないし、もともと武士嫌いで有名な方で、分かろうとする気もないらしい」

 なんだそれは、と直義は眉間にしわを寄せた。
 正季は考えても無駄だという風に、胸の前で手を振った。

「だったら何が目的かと言えば、あんたの兄上、高氏殿を『征夷大将軍』に着かせたくないのが本音らしい」

 直義は、頭の奥の記憶を探った。

「俺には覚えがないが、足利が親王様に何かしたか?」

 正季が口元を、皮肉げに歪ませた。

「これからするらしいぞ。何でも、足利はこれから第二の北条になって、後醍醐帝をないがしろにするらしい」

 直義は笑うことも怒ることも出来ない、微妙な感情をもてあました。

「随分、期待されたもんだな……」

 うんざりとつぶやいた直義は、ふと気づいて外に向けて声を上げた。

「誰かいるか?」

 すぐに廊下の端から、師直の姿がひょいっと現れた。

「何か御用ですか?」
「酒の支度を頼む」
「はいはい~」

 謡うように返して立ち去る師直を、正季は面白そうに見ていた。

「以前も見張っていたな。面白い男だ」
「気づいていたか。面白いのは否定しないが、今日は兄にも客が来ているから、あっちこっちふらふらしているだけだぞ」

 ふらふらか……正季はその言葉が気に入ったように、つぶやいて笑った。

「高氏殿のお客は赤松殿だろう? おそらく、赤松殿も今の話を高氏殿にしている頃だと思うぞ」
「知らぬは当人ばかりなり、か」

 そこへ、下働きの女がさかなの膳を持ってきて二人の前に並べた。女が去るのと入れ違いに、酒器を持った師直がやってきた。
 まじめくさった表情で、二人の盃に酒を注ぐ師直に、直義は何気なさを装い聞いてみた。

「師直、お前知っているか? 信貴山の宮様が、足利は第二の北条だと触れ回っているそうだぞ」

 師直はぎょろりとした目の上の太い眉を寄せ、大仰に首をぶんぶん前へ振った。

「まったく失礼な話です! こっちは艱難辛苦の末、帝の敵である北条を滅ぼしてやったというのに、礼を言うどころか讒言ざんげんを触れ回るなど!」
所詮しょせん、やんごとなき御方だ。我らの思いなど分からんのだろう。お前も、適当に聞き流しておけよ」

 しらじらしく直義が諭すと、師直は不服そうに

「いくら温和な私でも、主が侮辱されて黙っているのは、面目に関わりますよ!」

 とぶつぶつつぶやきながら部屋を後にした。

「誰が温和か」

 師直の姿が見えなくなってから、直義がぼぞっと返す。
 正季は先刻から、小刻みに震えながら笑いを抑えていた。

「楽しい家令で結構だなあ、直義殿」
「あんな男でも情報はそれなりに早い。だが『征夷大将軍』の話は、まだ聞き及んでないようだな」

 欠片でも知っていたら、あの程度では済むまいと直義はつぶやく。
 正季は盃の中の酒をじっと見つめた。

「それはそうだろう。真偽を確かめるために、今、兄者が信貴山に行っている段階だ」
「正成殿が……?」

 直義が驚くと、

「護良親王は顔見知りでな」

 と正季が返した。口元には苦い笑みがあった。

「一緒に戦ったこともある。悪い方ではないのだが、気性も思い込みも激しい。そこを兄者が心配していた」

 直義は空になった盃を卓に置いた。

「礼を言うぞ。兄上も、帝の前でいきなり皇子に非難されては、困惑するだろう」
「勝手だが、あまり大事にしないでくれれば有難い」

 頭を下げての訴えに、直義は当たり前だというように頷いた。

「分かっている。俺も兄上も、しばらく争い事はごめんだ」

 相手をおもんばかったのもあるが、直義の本心でもあった。
 常の戦場と違って、それまで肩を並べていた『味方』を斬った感触は、未だ直義の中で生々しかった。
 後醍醐帝の側近達にも、『裏切り者』『寝返りは武士の恥』と、足利を蔑む視線があるのも知っている。
 皆、仕方のないことだと理屈では分かっていても、『何が悪い?』と開き直るには、まだ時間が足りていなかった。
 正季は黙って、直義の盃に酒を注いだ。

「覚悟はしていたさ。後悔もしていない」

 直義の言葉は唐突だったが、聞き返したりはせず、正季は「俺もだよ」と返した。

「戦は不本意だったが、新しい世を見たい気持ちは俺達にもあった」

 正季がぐいっと酒を飲み干した。
 直義は正季の盃に酒を注ぎ返して、その目を覗き込んで告げた。

「壊したものを作り直す。そのために足利は、京にいると思ってくれていい」
「承知した」

 正季は、見開いた目を細めて、頭を下げるように頷いた。







―――――――――――――――



 師直は、書いててとても楽しいです。
 直義や正季は素性以外オリジナルっぽくなってますが、師直の性格は自分なりに史実と照らし合わせてます。
 彼は『太平記』の(下手すると歴史の)トリックスターでもあります。



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