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幕府滅亡
第五章 紅蓮の途 1.
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1.
元弘三年四月。
足利の軍勢が鎌倉を出立した頃、後醍醐帝は伯耆の豪族、名和長年に守られて船上山に立て篭もっていた。
足利軍は、京に入る前にまず領地である三河の矢作宿に入り、各地から集ってきた一族と合流した。
足利の分家は今川、吉良、細川、斯波など十九。
およそ三千の兵がここで加わる予定だった。
「丹波、美作なのどの兵は、およそ二千五百でしょうか。西で合流することになります」
先に三河に入り、用意を整えていた上杉憲房が高氏に報告する。
「伯父上、お役目ご苦労様です」
憲房は高氏・直義の母、清子の兄である。
兄弟には幼い時から大事な相談役で、倒幕の志も既に伝えてあった。
「高氏殿が連れていらした兵と合わせ、総勢五千。これに……お手前共が、どなたを相手に合戦するかを知れば、各地の源氏が馳せ参じましょう」
高氏は黙って頷いた。
憲房は高氏の背後にいた直義へ、『決意は変わっておらぬな?』と念を押すような視線を向けた。
直義も黙って頷いた。
憲房の案内で大広間に入ると、集まっていた分家の長達が一斉に、手を床に付け頭を下げた。
ここにいるのは身内だけである。
高氏は上座に着くなり
「今まで、皆には苦労をかけた」
と言い出した。
憲房がぎょっと顔を上げた。
「足利は、由緒正しい源氏の裔。鎌倉の幕府も、その始めは源氏の棟梁、頼朝公が開かれた……」
ここまで比較的穏やかな口調だったが、高氏は突然声を張り上げ、「……しかるに今は!」と叫び、後を続けた。
「北条という平氏の家来が差配をふるい、あまつさえその暴虐を、我々は今まで止められなんだ」
突然の話だが、ここにいる皆には、普段から思案していた屈託だったろう。
長達は一言も聞き漏らさないようにと、真剣な目で高氏を見据えている。
「だが今、北条によって虐げられた、後醍醐帝が隠岐を脱出され、船上山から、我ら足利に助けを求めておられる」
高氏は胸から、後醍醐帝の綸旨を取り出して、ばさっと皆の前に広げた。
「おぉ!」
各人の口から、どよめきの声がもれた。
「確かに、足利は幕府の御家人ぞ。だが、後醍醐帝は我らの旧主でもある。しかも理は帝側にある。これに応えずば武士として、皇家に連なる源氏の裔として、なんの価値があろうや!」
再びどよめきが満ち、口々に賛同の声や、幕府への怨嗟の声などが溢れ、座はどんどん熱くなっていく。
直義にしてみれば、後醍醐帝に『理』などないし、むしろ、帝位への執着から、秩序を破壊しようとした罪人とさえ思える。
だが、今の足利にとって、これほど都合のよい旗印はないのも承知だ。
「高氏殿、我も続きますぞ!」
「我も!」
「今こそ、北条の奴ばらを成敗してくれようぞ!」
興奮した分家の当主達は、この場ですぐに高氏に倒幕を誓うと、各地の源氏へ秘かに檄を飛ばした。
この後、高氏たちは京を目指す予定だったが、赤松則村が攝津で六波羅軍を破ったと言う知らせが入ってきた。
「勢いを駆って、そのまま京まで押し寄せるかもしれぬな」
ここは様子見と高氏が決め、そのまま三河に留まり七日……京へ入った赤松の軍勢が、六波羅軍に撃退されたという知らせが届いた。
「赤松軍はまず淀川の流通を止め、京への補給を絶ったと聞きましたぞ」
「しかも、後醍醐帝の側近である千種卿と組んで、京に攻め上ったというのになあ」
「腐っても、六波羅は強うございますな」
師直の感心した声に、直義も馬上で頷いた。
足利軍も京に向かい、進撃を始めていた。
「百年余り、京を守ってきたのだ。生半可な力では、太刀打ちできん」
聞いていたのかいないのか分からなかったが、前を行く高氏が言葉を返した。
少しして、前を向いたままの高氏の声がまた聞こえた。
「やはり我らの力なくば、北条を倒すのは難しいな」
(今更何を……)
独り言のようでもあり、後ろに聞かせるような声でもあった。
直義は高氏の意図は計りかねたが、師直はすぐに手をばちっと打った。
「当然ですな! いや、赤松なにがしや、千種卿などに先を越されず、良かったというものです」
今度は応えず、高氏はそのまま馬を歩かせた。
もしかしたら、兄上は六波羅軍と戦いたくはないのか……と、直義が思い至ったのは、その晩の野営地だった。
六波羅軍は、元というか、名目上は今も味方だ。
ほぼ、全ての将が知己と言ってもよい。
己の与り知らぬところで消えてしまえばよいと、半ば本気で考えていたのかもしれない。
思えば鎌倉攻めも、結局は新田に任せる仕儀となった。
直義は石を飲み込んだように、息がつかえた。
(自分は今まで、兄のために倒幕を目指してきたつもりだったが……それは本当に、兄の望むことだったのだろうか――?)
北条の崩壊に付き合い、最愛の女房子供を抱き、鎌倉で知己らと共に滅びたほうが、高氏にとって幸せだったのかもしれない。
だとすれば、己のしたことは――……そこまで考え、直義は頭を振った。
よしんば、本当に高氏が北条と戦いたくなかったとしても、己の代で足利の滅びを選べば、苦悩や嘆きは今以上だろう。
「……埒もない」
直義は遣る瀬無く、空を見上げる。
今頃、千早城の正季や、新田の義助はどうしているかと思った。
(最早これは、足利だけの戦ではない)
一時でも迷った自分を恥じながら、直義は目を固く閉じた。
―――――――――――――――――
※紅蓮の途…ぐれんのみち、です。
・『紅蓮』って割と、アニメやライトノベルに出てきそうですが、仏教用語なんですね。
・八寒地獄の七番目の地獄の名前…って聞いて、『鬼灯の冷徹』思い出しました(-_-;)
…血やら地獄やらを連想させるタイトルですが、まあ、そんな状況です。
元弘三年四月。
足利の軍勢が鎌倉を出立した頃、後醍醐帝は伯耆の豪族、名和長年に守られて船上山に立て篭もっていた。
足利軍は、京に入る前にまず領地である三河の矢作宿に入り、各地から集ってきた一族と合流した。
足利の分家は今川、吉良、細川、斯波など十九。
およそ三千の兵がここで加わる予定だった。
「丹波、美作なのどの兵は、およそ二千五百でしょうか。西で合流することになります」
先に三河に入り、用意を整えていた上杉憲房が高氏に報告する。
「伯父上、お役目ご苦労様です」
憲房は高氏・直義の母、清子の兄である。
兄弟には幼い時から大事な相談役で、倒幕の志も既に伝えてあった。
「高氏殿が連れていらした兵と合わせ、総勢五千。これに……お手前共が、どなたを相手に合戦するかを知れば、各地の源氏が馳せ参じましょう」
高氏は黙って頷いた。
憲房は高氏の背後にいた直義へ、『決意は変わっておらぬな?』と念を押すような視線を向けた。
直義も黙って頷いた。
憲房の案内で大広間に入ると、集まっていた分家の長達が一斉に、手を床に付け頭を下げた。
ここにいるのは身内だけである。
高氏は上座に着くなり
「今まで、皆には苦労をかけた」
と言い出した。
憲房がぎょっと顔を上げた。
「足利は、由緒正しい源氏の裔。鎌倉の幕府も、その始めは源氏の棟梁、頼朝公が開かれた……」
ここまで比較的穏やかな口調だったが、高氏は突然声を張り上げ、「……しかるに今は!」と叫び、後を続けた。
「北条という平氏の家来が差配をふるい、あまつさえその暴虐を、我々は今まで止められなんだ」
突然の話だが、ここにいる皆には、普段から思案していた屈託だったろう。
長達は一言も聞き漏らさないようにと、真剣な目で高氏を見据えている。
「だが今、北条によって虐げられた、後醍醐帝が隠岐を脱出され、船上山から、我ら足利に助けを求めておられる」
高氏は胸から、後醍醐帝の綸旨を取り出して、ばさっと皆の前に広げた。
「おぉ!」
各人の口から、どよめきの声がもれた。
「確かに、足利は幕府の御家人ぞ。だが、後醍醐帝は我らの旧主でもある。しかも理は帝側にある。これに応えずば武士として、皇家に連なる源氏の裔として、なんの価値があろうや!」
再びどよめきが満ち、口々に賛同の声や、幕府への怨嗟の声などが溢れ、座はどんどん熱くなっていく。
直義にしてみれば、後醍醐帝に『理』などないし、むしろ、帝位への執着から、秩序を破壊しようとした罪人とさえ思える。
だが、今の足利にとって、これほど都合のよい旗印はないのも承知だ。
「高氏殿、我も続きますぞ!」
「我も!」
「今こそ、北条の奴ばらを成敗してくれようぞ!」
興奮した分家の当主達は、この場ですぐに高氏に倒幕を誓うと、各地の源氏へ秘かに檄を飛ばした。
この後、高氏たちは京を目指す予定だったが、赤松則村が攝津で六波羅軍を破ったと言う知らせが入ってきた。
「勢いを駆って、そのまま京まで押し寄せるかもしれぬな」
ここは様子見と高氏が決め、そのまま三河に留まり七日……京へ入った赤松の軍勢が、六波羅軍に撃退されたという知らせが届いた。
「赤松軍はまず淀川の流通を止め、京への補給を絶ったと聞きましたぞ」
「しかも、後醍醐帝の側近である千種卿と組んで、京に攻め上ったというのになあ」
「腐っても、六波羅は強うございますな」
師直の感心した声に、直義も馬上で頷いた。
足利軍も京に向かい、進撃を始めていた。
「百年余り、京を守ってきたのだ。生半可な力では、太刀打ちできん」
聞いていたのかいないのか分からなかったが、前を行く高氏が言葉を返した。
少しして、前を向いたままの高氏の声がまた聞こえた。
「やはり我らの力なくば、北条を倒すのは難しいな」
(今更何を……)
独り言のようでもあり、後ろに聞かせるような声でもあった。
直義は高氏の意図は計りかねたが、師直はすぐに手をばちっと打った。
「当然ですな! いや、赤松なにがしや、千種卿などに先を越されず、良かったというものです」
今度は応えず、高氏はそのまま馬を歩かせた。
もしかしたら、兄上は六波羅軍と戦いたくはないのか……と、直義が思い至ったのは、その晩の野営地だった。
六波羅軍は、元というか、名目上は今も味方だ。
ほぼ、全ての将が知己と言ってもよい。
己の与り知らぬところで消えてしまえばよいと、半ば本気で考えていたのかもしれない。
思えば鎌倉攻めも、結局は新田に任せる仕儀となった。
直義は石を飲み込んだように、息がつかえた。
(自分は今まで、兄のために倒幕を目指してきたつもりだったが……それは本当に、兄の望むことだったのだろうか――?)
北条の崩壊に付き合い、最愛の女房子供を抱き、鎌倉で知己らと共に滅びたほうが、高氏にとって幸せだったのかもしれない。
だとすれば、己のしたことは――……そこまで考え、直義は頭を振った。
よしんば、本当に高氏が北条と戦いたくなかったとしても、己の代で足利の滅びを選べば、苦悩や嘆きは今以上だろう。
「……埒もない」
直義は遣る瀬無く、空を見上げる。
今頃、千早城の正季や、新田の義助はどうしているかと思った。
(最早これは、足利だけの戦ではない)
一時でも迷った自分を恥じながら、直義は目を固く閉じた。
―――――――――――――――――
※紅蓮の途…ぐれんのみち、です。
・『紅蓮』って割と、アニメやライトノベルに出てきそうですが、仏教用語なんですね。
・八寒地獄の七番目の地獄の名前…って聞いて、『鬼灯の冷徹』思い出しました(-_-;)
…血やら地獄やらを連想させるタイトルですが、まあ、そんな状況です。
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