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干支ピリカ

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幕府滅亡

第四章 決別の朝 4.

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4.

 登子と千寿王は、足利が出陣した後、密かに鎌倉から逃がす手はずになっている。
 既に師直の縁者を、下働きとして赤橋の屋敷に入れてあった。

「鎌倉から出した後、義姉上は足利所縁ゆかりの寺に預ける。だが、千寿はそのまま足利の手勢を五百ほど付けて、新田の軍勢に合流させる」
「待って下さいよ! 直義様」

 師直は慌てて口を挟んだ。

「千寿様はまだ三つですぞ。そのようなお方を戦場になぞ、前例がございません。しかも、勝つか負けるか分からない戦で……!」

 余裕のある戦場なら、物見遊山で大将の側に赤子も置けるが、今度の戦は文字通り伸るか反るかの総力戦になる。
 しかも新田勢には、どれだけ兵が集まるかも分からない。

「師直、此度の戦において、新田が負ける時は足利も滅びる時だ」

 足利が京を押さえることができても、鎌倉を北条が押さえたままなら、日和見の関東勢が雪崩れるように幕府に付き、遠からず北条は勢いを取り戻す。

(『幕府』という吸引力は、武家にとっては特別だ。朝廷だの、帝などとは比べ物にならない)

 できれば足利軍で鎌倉を落としたかったが、西にいる幕府の主力を叩くには足利の総力が必要だった。
 また、幕府の軍勢の殆どが西にあるという好機だからこそ、寡兵の新田にも勝機があった。
 直義は冷静に告げた。

「千寿も足利の嫡男。滅ぶ時は同じと、兄上も俺に一任された」
「し、しかし、そのような赤子も同然の者がいては、新田軍の邪魔になりは……」
「多少邪魔でも我慢してもらう。千寿がいれば、新田の軍を足利が保証していると同じだからな」

 あ……と、何かに思い当ったように、師直は開きかけた口を閉じた。
 直義はにやっと笑う。

「どれだけ幼くとも、千寿は足利の嫡男だ。これほど確かな旗印はあるまい」

 なるほどなるほど、と師直は何度も頷いた。

まことに足利が背後に控えていると分かれば、兵は五千でも一万でも集まりましょう。新田殿では、勝った場合の恩賞が出るかすら、怪しいものですからな」

 同じ八幡太郎義家の血筋ではあったが、新田は頼朝公の挙兵時に馳せ参じなかった故に、鎌倉幕府からは徹底的に冷遇された。
 領地も足利が本拠の足利荘はじめ、全国三十五箇所の所領を持つのに対して、新田は新田荘ただ一つのみ。
 官位も高氏が従五位上、直義でさえ従五位下を持っているのに、新田の頭領たる義貞は未だ無位無官だった。

(血筋だけで集まるほど兵は甘いものではない)

 戦うには理由も大義も必要だが、何よりも必要なのは明日への糧だった。
 特に関東の兵は、度重なる幕府の失策で困窮している。
 無位無官の貧乏領主がいかに大義名分を掲げようとも、兵は集まらないだろう。

「だからこそだ。新田一族もこの戦に賭けねば、この先はないのだと分かっていよう」

 万が一、新田が北条側に寝返っても、たかだか五百かそこらで、北条が有難がる訳はない。
 また足利が滅ぼされるのをただ傍観していたとしても、同じ源氏の新田が、今後も北条に信用される可能性は薄い。

「足利が挙兵すれば、新田が生き残る道は、共に北条を滅ぼすしかない」

 冷厳に直義は断じて、ふっと息を吐いた。
 幼い甥の身は案じられたが、足利の名を貸す対価として、新田に子守をしてもらうしかない。

「そこに我らも賭けよう」

 師直は黙って、直義の前に平伏した。


 出陣の朝、今か今かと待ち構える一族郎党の前に、戦装束の高氏が現れた。
 威風堂々としたその姿は、勇ましく猛々しい。
 軍神と呼ばれるにふさわしい、源氏の棟梁の姿そのものだった。
 前夜まで、己が罪を畏れ、仏に縋っていた迷いを、微塵も見せない高氏の変わり身の早さに、直義は感動すら覚えた。

(兄上の『弱さ』こそが、『強さ』をより強靭なものへと鍛えているのだろう)

 従者が、水の入った盃を高氏に差し出した。
 受け取り、中を一気に飲み干した高氏は、盃を勢いよく地面に叩きつけて割った。

「皆の者、出陣じゃ!」

 高氏の雄叫びに応じて、「おお!」と、庭と屋敷の外を埋め尽くした兵らの声が雷鳴のごとく広がった。

 館を出た後、軍勢は幕府の大門の前を通る。
 門の表には青白い顔をした高時以下、殆どの評定衆が見送りに出ていた。
 執権の守時の傍には、登子と千寿王も見えた。
 出陣する一同は馬から降り、珍しく酒の抜けた様子の高時から、激励の言葉を受けた。

「足利は我らの同胞はらからじゃ。勝ちて、早う鎌倉へ帰られよ」

 今の幕府を象徴するように、力の感じられない細くたどたどしい声だった。
 直義は何気なく高氏をのぞき見たが、兄の顔に目立つ変化はなかった。
 ただ所在無げに揺れる右手が、どこか刀を探しているようにも見えた。
 直義にも感傷はある。
 鎌倉は、これまでの己が人生の大半を過ごした地だった。

(幾度も旅立ち、戻ってきた。だが……)

 ……この次に此処へ戻る時が来るとして、この地はもう同じ形はしていないだろう。

 直義は、胸を突くような息苦しさを覚えた。
 思わず手を胸に当てようとして、ふと、千寿王が目に入った。
 頬を紅潮させ、一心に軍勢を見つめている目を見ていると、自責の念が止まった。

(千寿には何の罪もない。先祖の呪縛も、兄の屈託もない、次代の足利を渡さねばならん)

 不意に千寿王の目が直義と合った。
 戸惑い、縋りつくような目に、直義は表情を和らげ頷いた。
 途端に子供は嬉しそうに口を開け、手をばたばた動かした。
 隣にいた登子がその様子に気付き、千寿王をたしなめたが、直義に気付くと、優雅な仕草で頭を下げた。
 春の花のように微笑む義姉は、直義からすれば厄介な北条の姫だったが、今は身内の情が多少なりともあった。

(北条が足利に滅ぼされても、この義姉は兄上へ向け笑えるのだろうか?)

 既に敵となる気配が濃厚だった北条家の姫との縁談を、直義や師直は控えめに引き止め、当主であった父でさえ断っても良いと言った。
 だが、高氏はわざわざ修羅を選んだ。

(あの時と同じく、今も兄上の心境は推し量れぬものがある)

 その兄は、餞別を寄越した高時に謝辞をのべて、全軍に出立を告げた。
 沿道に出ると、物見高い者たちが、道の両脇で鈴生りになっていた。
 不意に直義は、群衆の中に、あの時の禅師が立っていることに気付いた。
 こちらへ手を合わせ、口元は何かをつぶやいている。
 隣にいる兄に

『あれが夢窓か?』

 と尋ねたかったが、高氏の目は何もかもを弾くように、真っ直ぐ前のみを見つめていた。





――――――――――――――



第四章終了です。

…千寿王はのちの足利義詮、高氏の後、二代目将軍になります。
…何で千寿王を新田に預けた(史実)かは、諸説ありますが大抵、新田の手柄を足利が横取りするためと取られてます。
…自分は、そんな不確かなもののために(かなり危ない橋だし)、幼い嫡男を最前線に送るかな~?と思ってこんな感じにしてみました。

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