婚約破棄寸前なので開き直ったら溺愛されました

迷井花

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23.月明りの婚約指輪①

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夕方になり、グレースとフェイトを乗せた馬車は、カサドラの中心街へと向かった。
 石造りの街並みは月明りに照らされ、夜遊びに出る紳士や淑女たちが賑わいを見せている。
 つられて心が躍るような活気がそこには溢れていた。
 
 けれど、目の前にいるフェイトは物思いにふけっている。
 婚約して以降、そんな姿ばかり見ている気がする。
 侯爵夫人になるべく振る舞いを少しずつ身につけている気がするのに、グレースにはまだ何かが足りないみたいだった。
 
 ◇
 
 オペラ座の桟敷席から斜めに見下ろすと、豪華な舞台装置や華やかなオーケストラまで余すところなく見えた。
 
 ざわめく場内をオーケストラの音色が物語の世界へと誘う。
 まるでその場に紛れ込んだかのような臨場感に、グレースは頬をうっすらと紅潮させた。
 
 話は、身分差のある男女が恋に落ち、最後には別れてしまうという悲恋の物語。
 美しくも哀しい旋律が心を揺さぶる。

 想い合っていたはずの二人は散々すれ違った末、最後は女が身を引く。
 男は迷いながらも追いかけなかった。
 
 立ち去る女の後ろ姿に自分を重ねてしまうような気がして、グレースは直視できなかった。
 
 フェイト様ならどうするかしら……。
 
 ちらりと彼の横顔を盗み見ると、深い青の瞳に照明の影を映し、舞台の中央で立ちすくむ俳優の姿をじっと見つめている。

 幕が下りた。

  
 一転、明るくなった場内にグレースの心はしばらく追いつけなかった。
 
 何度か瞬きを繰り返し、顔を整えるとフェイトに感想を伝える。
 
「とても感動しましたわ」
「そうみたいだな。鼻が赤くなっている」
 
 フェイトが伸ばしてきた手を身を捩って交わし、「ちょっとお化粧室へ」とグレースは慌ててその場を離れた。

 ――侯爵夫人はみだりに感情を見せないものです。

 これは家庭教師の言葉だったろうか、ドーラの言葉だったろうか。

 確かにすれ違った婦人たちに鼻の頭を赤くしている者など一人もいなかった。
 
 グレースは化粧室の鏡に映る紅潮した自分の顔をじっと見つめた。
 
 どうして心を揺り動かされたことを人に見せてはいけないの?
 どうして誰かの目を気にしなくてはいけないの?
 
 すっかり舞台の女優の演技に充てられてしまったらしい。
 次々と感傷的な疑問が浮かぶのをグレースは止められずにいた。
 今までは指標となっていた淑女の心得の数々が、まるで楔のように感じられる。

 けれどたった一人、フェイトが自分を認めてくれるのなら、完璧なレディになりたいとも強く願うのだった。


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