迷探偵湖南ちゃん

迷井花

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10.追い詰める女

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 翌、10時。
 
「ん?」
  
 勢いよく日理大の北棟に入りかけ、ふと足を止めた。
 何か違和感を覚えたのだが、結局その正体はつかめず、湖南は急ぎ足で3階の研究室へ向かった。
 
「結果が出た。このスペクトルを見てくれ」

 扉を開けるなり、PCの前に座っていた眞木が振り向きもせず湖南を呼ぶ。
 
「何かわかったんですねっ!?」
 
 きっと昨日分析器に仕掛けた花壇の土の分析結果が出たのだ。
 前のめりになって眞木の背後からモニターを覗き込んだはいいものの、ん?と湖南は動きを止めた。
 いくつものギザギザした山みたいな線グラフと謎の数字だけが並んでいて、ド素人の湖南は思いきり目が滑る。

 このグラフの一番高い山の部分を眞木の長い指が指しているが、そこに何が意味があるということだろうか。

「このピークは、この物質がグリホサートであることを示している」
「グリ……?」

 なじみのない単語は頭に入ってこない。
 きょとんとした顔の湖南と知ってて当たり前という顔の眞木は、しばし見つめあった。
 
 そんなことも知らないのか、と眞木の眉間に1本のシワが寄る。

「グリホサート。植物の生長を妨げる働きがあって強力な除草剤に使われる薬品だ」
「除草剤が花壇に……?」
「ああ、これが呪いの原因だ」
「でもそれが一太さんの何の関係が?」
 
 何がなんだかさっぱりだ。
 
 首を捻る湖南を置いて、眞木は殺害トリックの相関図を再びホワイトボードに描き始めた。

 花壇の一太の死体、その真上にそびえる旗ポール、データ改ざんを自白した遺書、一太と坂浦の論文、そして坂浦というキーパーソン、彼の完璧なアリバイ――。

 バラバラに描かれた点は、昨日眞木の推理によってそのほとんどが結ばれた。
 ただ坂浦を断罪するための決定的な証拠だけがない。

「その最後のピースがこのグリホサートなんだ」
 
 キュッキュッと音を立て、ホワイトボードにはあらたにグリホサートが加わり、花壇と結ばれる。
 
「でも一太さんの死因は落下死なのに、花壇にそんなものを撒く意味はないですよね?」
 
「意味を見出そうとするから見えなくなる。
 花壇の一部分にグリホサートがあった。その上に一太の遺体があった。
 ということは、一太にそれが付着していたと考えればいい。
 では一太には何が付着させたのか。
 それはもちろん、直前まで密着していたもの――つまり氷塊だ」
 
「そんなに都合よくグリホサートが混ざってるなんてことありますか」
「あるじゃないか。坂浦の研究に」

 湖南はその言葉に息を呑んだ。
 と同時に、坂浦の言葉を思い出した。

 ――いろいろなものと混ぜて氷がどのように溶けるかの研究してるんだよ。

「氷の融解実験、でしたっけ」
 
「そう。坂浦は研究にグリホサート水溶液で作った氷塊を用いてる。
 ならばその氷塊が凶器として使われ、そこから付着したと考えるのが自然だ」

 つまり、坂浦はグリホサート水溶液で作られた氷塊を一太に抱かせ、旗に包んでポールのてっぺんに持ち上げ、落下死させた。
 そして氷に含まれるグリホサートが花壇の花を枯らし、氷が溶ける時間の差は坂浦のアリバイを完璧にした――
 
 ホワイトボードの上にポツンと取り残されていた坂浦という点に線を伸ばすと、今度こそすべてがつながった。

「でもどうしてグリホサートなんでしょうか」
「目的はグリホサートではない。犯行時間をずらす為に氷塊のトリックを使いたかったんだ。
 僕ならまずグリホサート入りなんて使わないがな。
 計画を思いついた時点で成功することしか頭になかったんだろう。あの男の詰めの甘さがここにも出ている」
 
「じゃっ、じゃあ、さっそく警察に……うあぁっ!」

 一歩足を踏み出した湖南は「待て」とカバンを引っ張られ、おかしな態勢で体を捻った。捻った体制のまま、眞木をにらみつける。

「一体何なんですか」
「実はその花壇の土だが、今朝方撤去された」
「えっ……」

 絶句すると同時に、先ほど建物に入る時に覚えた違和感を思い出した。
 のだ。
 
「ということは、証拠の土は……?」
「今頃は園芸店の土と一緒になってるだろうな。微量でも検出はできるが、警察の捜査でもなければ調べることはまず不可能だ」
「だけど、今のままでは警察は動いてくれませんよね……」 

 湖南はへなへなとその場に崩れ落ちながら、窓の外を落ちていく一太と目を合わせた。
 そんな湖南の様子を、頬杖をついた眞木が興味深そうに眺めている。
 焦れたように湖南は眞木に詰め寄った。

「眞木先生はくやしくないんですか!? あともう少しで追い詰められそうだったのに。まんまと逃げられそうになってるんですよ!」

 拳を振って漫画のように地団太を踏む湖南に、「だからキミは浅いと言ってるんだ」眞木は呆れたようにいった。
 
「誰もあきらめたとは言ってない」
「でもどうすれば……」
「警察を動かすより手っ取り早い方法がある」

 眞木の氷のような声にハッとして湖南は動きを止めた。
 
 整った瞼がゆっくり持ち上がる。そこには珍しく感情的な眞木の瞳があった。
 
「本人に自白させよう」
 
 もしかすると、彼は湖南が思う以上に坂浦に怒りを抱いていたのかもしれない。
 
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