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2.眞木耀司という男
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彼はもう何も聞いてこない。
今こそ問うてくれたらいいのに。何を見たのかと。
そうしたらありのままをすべて伝える。それを、この人なら屁理屈を駆使して、幻だと一蹴してくれるかもしれない。
だが、湖南はその衝動を喉の奥にしまい込んだ。
「私……何も見てません」
5分前まではあわよくばスクープなどと考えていたが、今はその浅はかさを後悔している。幽霊を見るという経験がこんなに凄まじいものだとは思いも寄らなかった。
目の前にいる顔がいいだけの男は、相手の了承も得ず、こんなとんでもない薬を飲ませるような人間だ。
本当のことを伝えれば、実験と称してまた何をされるかわかったもんじゃない。
この人に騙されてはいけない。
「何も?」
「はい何も」
簡単に納得してもらえるとは思わず身構えたのに、彼は「そうか」とあっさり引き下がった。それどころか「無断で薬を飲ませた上に役に立てなくて申し訳なかった」と頭すら下げ、解毒剤まで出してきた。
あれ? 思ったよりまともな人だった?
「効果がなかったから解毒の必要はないが、念のため渡しておこう」
「もし幽霊が見えても、これを飲めば見えなくなるんでしょうか」
「そういうことだ。手荒なことをして悪かった。反省するよ。ああ、もし後で見えたとしても、僕に報告せずに解毒を飲んでくれて構わない」
「そうか、見えなかったか」と小さくつぶやいた声にはずいぶんと落胆の色を感じた。ため息と共に彼の肩が下がる。
あーもう。こうなってくると一気に良心の呵責に苛まれるもの。
「眞木先生、実は私っ」
言いかけたのと同時に、彼がぱっと顔を上げた。
「そうだ、情報を何も提供できなかったお詫びというわけではないが、幽霊の目撃談ならこの大学にもある。もう3か月も経つか、自殺をした研究員がいて」
自殺した研究員――。
どきりとした。
「優秀な研究員だったが、ある日突然屋上から身を投げた」
「げ、原因は」
「遺書らしきものはあったらしい。研究に悩んでデータ改ざんまでして、それを悔やんでの自殺だったか。深く悩まない性格に思えたが。まあ、ほとんどの人間はキミほど単純にはできていないからな」
「その方は男性ですか? がっしりした長身で黒髪の」
「そうだな。カーボン並に黒い髪というのが、彼の考えたキャッチコピーだ。体の大きさに見合わず繊細な実験が得意な男だった。取材の参考になるといいが」
「屋上に行ってみても?」
「構わないが、僕は高い場所は嫌いだ。勝手に行ってくれ」
さっきまでの殊勝さはどこにいったのか、彼はすっかり元の調子を取り戻している。
「幽霊が出る場所に一人で行けっていうんですか?」
食い下がると、ノックと共に新たに人が入ってきた。
「眞木先生この件なんですが、あっ――と取り込み中でしたか」
湖南の存在に気付いた彼と軽く会釈を交わす。
白衣を着ている彼も研究員なのだろうが、茶髪で日焼けした首元にゴールドのチェーンが光っていて、眞木やさっきの幽霊とはまた違うタイプだ。
「坂浦くんか、ちょうどよかった。彼女を屋上に案内してくれないか。一太の件で屋上を見たいそうだ」
途端に彼の表情が曇る。
「旗くんの件ですか」
「彼女は警察じゃない。百目鬼出版の編集者だ。取材をしたいらしい」
「取材ですか――」
「彼は坂浦くんだ。一太の第一発見者だからついでに色々と話を聞くといい」
「お忙しいところすみませんが、お願いします」
「あ、ああ。もちろん」
湖南は戸惑う坂浦に頭を下げた。ちらっと眞木の方を見ると、もう興味を失ったのか、再び湖南の方を見ることもなくデスクに戻っていった。
今こそ問うてくれたらいいのに。何を見たのかと。
そうしたらありのままをすべて伝える。それを、この人なら屁理屈を駆使して、幻だと一蹴してくれるかもしれない。
だが、湖南はその衝動を喉の奥にしまい込んだ。
「私……何も見てません」
5分前まではあわよくばスクープなどと考えていたが、今はその浅はかさを後悔している。幽霊を見るという経験がこんなに凄まじいものだとは思いも寄らなかった。
目の前にいる顔がいいだけの男は、相手の了承も得ず、こんなとんでもない薬を飲ませるような人間だ。
本当のことを伝えれば、実験と称してまた何をされるかわかったもんじゃない。
この人に騙されてはいけない。
「何も?」
「はい何も」
簡単に納得してもらえるとは思わず身構えたのに、彼は「そうか」とあっさり引き下がった。それどころか「無断で薬を飲ませた上に役に立てなくて申し訳なかった」と頭すら下げ、解毒剤まで出してきた。
あれ? 思ったよりまともな人だった?
「効果がなかったから解毒の必要はないが、念のため渡しておこう」
「もし幽霊が見えても、これを飲めば見えなくなるんでしょうか」
「そういうことだ。手荒なことをして悪かった。反省するよ。ああ、もし後で見えたとしても、僕に報告せずに解毒を飲んでくれて構わない」
「そうか、見えなかったか」と小さくつぶやいた声にはずいぶんと落胆の色を感じた。ため息と共に彼の肩が下がる。
あーもう。こうなってくると一気に良心の呵責に苛まれるもの。
「眞木先生、実は私っ」
言いかけたのと同時に、彼がぱっと顔を上げた。
「そうだ、情報を何も提供できなかったお詫びというわけではないが、幽霊の目撃談ならこの大学にもある。もう3か月も経つか、自殺をした研究員がいて」
自殺した研究員――。
どきりとした。
「優秀な研究員だったが、ある日突然屋上から身を投げた」
「げ、原因は」
「遺書らしきものはあったらしい。研究に悩んでデータ改ざんまでして、それを悔やんでの自殺だったか。深く悩まない性格に思えたが。まあ、ほとんどの人間はキミほど単純にはできていないからな」
「その方は男性ですか? がっしりした長身で黒髪の」
「そうだな。カーボン並に黒い髪というのが、彼の考えたキャッチコピーだ。体の大きさに見合わず繊細な実験が得意な男だった。取材の参考になるといいが」
「屋上に行ってみても?」
「構わないが、僕は高い場所は嫌いだ。勝手に行ってくれ」
さっきまでの殊勝さはどこにいったのか、彼はすっかり元の調子を取り戻している。
「幽霊が出る場所に一人で行けっていうんですか?」
食い下がると、ノックと共に新たに人が入ってきた。
「眞木先生この件なんですが、あっ――と取り込み中でしたか」
湖南の存在に気付いた彼と軽く会釈を交わす。
白衣を着ている彼も研究員なのだろうが、茶髪で日焼けした首元にゴールドのチェーンが光っていて、眞木やさっきの幽霊とはまた違うタイプだ。
「坂浦くんか、ちょうどよかった。彼女を屋上に案内してくれないか。一太の件で屋上を見たいそうだ」
途端に彼の表情が曇る。
「旗くんの件ですか」
「彼女は警察じゃない。百目鬼出版の編集者だ。取材をしたいらしい」
「取材ですか――」
「彼は坂浦くんだ。一太の第一発見者だからついでに色々と話を聞くといい」
「お忙しいところすみませんが、お願いします」
「あ、ああ。もちろん」
湖南は戸惑う坂浦に頭を下げた。ちらっと眞木の方を見ると、もう興味を失ったのか、再び湖南の方を見ることもなくデスクに戻っていった。
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