[R-18]あの部屋

まお

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82.別れ

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柏木は無事嘘の夏合宿から帰ってきて、その日のうちに合宿で1日かけてやるであろう量よりも1.5倍の勉強量をこなした。

仮に少しでも怪しまれれば、もう外泊などさせて貰えなくなる。休み明けの模試では何が何でも高得点をとる必要がある。

そして次は冬休みに拓人の元へ行く。そう決めてアリバイ工作も兼ねて必死に勉強をした。

拓人に会ってからずっと引っかかっていたのは、朔のことだった。

拓人は柏木が思っているよりも、朔へ強く思い入れを持っていることがわかり衝撃を感じたのと同時に憎しみがより一層強まった。柏木の中で全ての元凶が野坂朔であることは揺るがない事実となった。

どうにかして怪しまれることなく、自然に朔と接触出来ないか、柏木は考えた。ただ、朔と柏木は対極にあるような存在で接点がまるで見いだせなかった。

そして朔は無気力なように見えて誰にも心を開かなそうな雰囲気があり、隙をあまり感じなかった。ここで無理矢理接触すれば以降の行動が制限されてしまう。今は策を練って焦らずに待つ方が吉なのかもしれないと思い、柏木はまた地道に情報収集に徹することにした。

時間をかけてでもいい。まずは朔に接触すること、そして朔の精神を壊すことが柏木の目的になった。

精神を壊してしまえば、拓人が知っている朔の人間像と異なるものになる。

柏木にとっての今の拓人のように、求めていた人格と実物とが違えばショックは大きくなる。朔がどうなろうが柏木にとってはどうでもいいことで、その壊れた朔を拓人に突きつけて拓人の目を覚まさせたかった。柏木は復讐に向けて抜かりなく準備を続けていた。


そして冬休みまで残り数日となった時、依頼していた興信所から連絡が入る。また冬休みの1日を使い拓人の所に行く予定だった柏木は、一応拓人がまだあの場所にいるのか、引越しはしていないか等知っておきたかった。その連絡だと思い、その電話に出た。

しかし、その電話で伝えられたことを柏木はすぐに理解できなかった。


──対象者は亡くなっている


柏木は呆然と電話口の声を聞いていた。
亡くなっているって、死んだってこと?誰が?

指先が冷たくなり、立っている足から力が抜けそうになる。

話を詳しく聞けば、亡くなったのは2ヶ月ほど前、死因は事故死。電話口から聞かされる話の中で、その情報だけ覚えられた。

柏木は電話を切ってからどうすればいいか、何も頭の中に入ってこなかった。眠ることも出来なくて夜中ずっとスマホで検索をしていたが何も出てこない。やっぱり何かの間違いだと、思いたかった。


柏木は翌日制服を着て学校に向かうフリをして家を出て真っ先に拓人のいる町へ向かった。

乗り継ぎが上手くいかなければ5時間、6時間はかかってしまう。今日中に帰るためにも小さな時間のズレすら許されない。そもそも拓人がいればお願いして帰りは車で家の近くまで送って貰えれば問題は無い。

拓人が死んだなんて、柏木は自分の目で確かめない限り信じられなかった。生きていると信じていた。

以前は夏に訪れたが、もうすっかり寒くなり目に映る景色も茶色ばかりだった。乗り継ぎも上手くいき、2回目ということもありなんとか昼過ぎには拓人の住む町に到着した。

柏木はバス停から走って拓人の働く会社に向かった。気温は住んでる地域よりも寒く、頬に当たる風は冷たくて痛かったが、身体は興奮からか熱かった。物流倉庫に到着すると、外で作業をする人を見つけ声をかけた。


「あ、あの!美伯さんいますか?」

「…え……。君は?美伯さんの知り合い?」

20代前半と思われる拓人と同じくらいであろうその男性職員は、突然勢い良く話しかけてくる学生服を着た柏木に驚きと戸惑いを見せながら問いかけてくる。


「そうです。弟です。兄さんいますよね!?」

「弟さん…。美伯さん身寄りないって聞いてたんだけど…。……ちょっと待ってて」

そう言い男性職員はその場を離れ建物の中へ入っていった。柏木はその男性が拓人を連れて戻ってくる画を頭の中で再生させる。拓人はいると自分に言い聞かせる。

10分ほど待つと建物から出てきたのは先程の若い男性職員と、拓人ではない、年配のスーツの上に作業着を着た男性だった。


「申し訳ございません」

柏木の元に来たその年配の男性は、足元でそのまま土下座をした。


「え……。兄さん……は?」

そう問いかけても、足元の男性は肩を震わせるばかりで顔を上げない。柏木は横に立っていた若い男性職員の方に視線を向けると、俯き泣いている姿が目に入る。

その情景を目にしてしまえば、もう自分に言い聞かせる力も気力も無くなってしまった。
柏木は感情が抜け落ちたような気持ちでただその場に立ち竦んだままいた。

そこからは何か映画やドラマでも観ているような、そんな第三者のような気持ちで目の前の情報をただ黙々と脳が処理しているような気持ちだった。

年配の男性はこの倉庫の社長で、そのまま事務所に通され話を聞かされた。人が疎らな事務所、数名いた職員はみんな丁寧に柏木にお辞儀をした。その人々の顔全員が悲しみを表している。

事務所の社長室に通されソファに座って聞かされた話は、拓人の最期の話だった。

倉庫作業中の事故だったそうだ。拓人は同僚と一緒に荷物を仕分けしていたところ、荷物を運ぶフォークリフトの操作歴が浅い職員の操作により、そこから落ちてきた荷物の下敷きになった。

その時、同僚を庇うようにその荷物の下敷きになったらしい。それが先月の出来事だった。病院に運ばれて2時間後、拓人は帰らぬ人となった。そこから社長が葬儀を執り行い、会社は先週業務停止命令が明けたばかりだという。

柏木はどこか他人事のようにその話を黙って聞いた。社長は終始声を詰まらせ涙を拭いながら話を続けた。対応してくれる数名の社員達、泣きながら何度も柏木に頭を下げ葬儀まで行ってくれた社長、みんな悲しんでいるのは嫌という程伝わった。

綺麗ではない経歴で身寄りのない拓人を雇ってくれた会社。柏木はそんな人達の顔を見ながら、拓人が幸せだと言っていたのが虚勢では無いんだなと、なんとなく思えた。

そのまま社長に連れられて社長の家に行くことになった。乗せられた車の中でぼんやり外を眺めていた。

色々な情報を与えられても、どこかやっぱり上の空で実感が湧かなかった。現実を上手く受け入れられないという点でいえば、なんだか拓人の罪を暴こうと躍起になっていた時と似てるなと柏木は思い出していた。

家に着くと、まだ納骨されていない遺骨が収まる箱が仏壇の前に遺影と共に置かれていた。写真の中の拓人は、やはり見慣れた笑顔とは違う、少年っぽい笑顔で笑っていた。


「ちょうど四十九日が終わったばかりなので、このままここに置いておいていいのか迷っていました。良ければ…」

「連れて帰ります」

社長の男性が言い終わる前に柏木は答えた。
そのままその箱を受け取る。想像していたより随分と軽くて、拓人がこんなに軽くなってしまったんだと思うと、柏木はその箱を受け取ったその瞬間に初めて拓人の死を実感した。

拓人はもうここには、この世には居ないんだ。その現実がこの箱に収められている。

箱を腕の中に抱えると、思い出したかのように柏木の瞳から溢れる涙が堰を切って止まらなくなった。嗚咽が漏れ、視界があっという間に霞んでいく。そのまま柏木はただ声を殺しながら泣き続けた。こんなに泣いたのは後にも先にもこの日だけだった。

泣き疲れて、茫然としている柏木に社長は一言呟いた。


「良かった。こんなに泣いてくれる弟さんが美伯君にいて。君のご両親にも一応連絡はしてみたんです。でも、全く取り合ってくれなくて…。大事にしないでほしいと、お金だけ送金されていました」

それを聞いて、柏木は驚愕した。両親は知っていたんだ、拓人が死んだことを。それなのに動じるどころか知らないフリをして金で片付けようとした。
柏木は拓人が眠る箱を抱え行き場の無い憤りと無力感に苛まれた。


その遺骨と、拓人の遺品を社長から帰りに受け取った。拓人の家には殆ど物は無かったので残せるものは財布だけだったと、その財布を渡された。中には数枚の札と身分証類、そして1枚の写真が入っていた。

何の気なしにその写真を見ると、柏木がまだ2、3歳くらい、拓人が小学校高学年くらいの時に撮ったのであろう家族写真だった。みんな笑顔で幸せそうな家族写真。柏木の記憶では見たことの無い光景だった。

写真や思い出の品等はこの1枚しか無かったらしい。柏木はやるせなさにまた抑えきれない涙を一筋流した。


それらを持ち帰り19時頃、家に到着するが幸か不幸か両親は今日もいなかった。そのまま2階へ上がり向かったのは拓人の部屋だった。拓人の部屋の扉を開けると、いつの間にか後ろからついてきたらしいシロが勢いよく部屋の中へと侵入する。


「あ!こら、シロ……」

シロは骨組みだけになった拓人のベッドの上に座りニャーと鳴いて柏木の方をじっと見てくる。


「…そうだよね、シロも兄さんに会いたかったよな」

そう言い柏木は真っ暗な拓人の部屋の机の上にその箱を起き、椅子に座ってただそれを眺めていた。


「兄さんうちに帰ってくるのは1年振りだね。おかえり。全然帰って来ないから、もうもぬけの殻みたいな部屋になっちゃったんだからね」

拓人に話しかけてみる。
もちろん返答は無い。
シーンとする部屋の中、この沈黙がここにいるのは柏木とシロだけなんだと現実を突きつけてくるようだった。


「…こんな気持ちになったの初めてだよ。なんでいつも…俺ばっか……」

柏木は溢れだしそうな感情をぐっと飲み込んだ。


「みんな嫌いだ…。父さんも母さんも…兄さんだって…。あと……」

─野坂朔

行き場のない負の感情がもやもやと霧のように柏木を覆い尽くしていく。握りしめる拳に力が籠る。復讐のことが頭の中をすごい勢いで占めていく。

どう復讐しようか。ただ壊すだけじゃダメだ。だって拓人はもういないのだから。

柏木を支配する黒い霧、そこから沸いて出てきたようにいいアイディアが次々浮かんだ。


「俺兄さんに裏切られたし、いらない苦労や事実を知らされたり悲しみも沢山与えられたけど、兄さんのこと完全には嫌いになれなかった。ねえ、兄さん。俺いいこと思いついたよ」

柏木は嘘の笑顔を作って遺骨に向けた。


「兄さんもきっと喜んでくれると思うんだ」

柏木は興奮気味に話しかけ続ける。


「俺、野坂朔を殺そうと思う」


それは柏木が思い描いた最高の復讐のシナリオだった。


「兄さんが結局最後まで欲しかったのって、野坂朔なんでしょ?だからさ、野坂朔を俺が殺して兄さんの元に届けてあげるよ。そしたら流石にまた褒めてくれるかな」

柏木は心底楽しげにまるで本当に目の前に人がいるように話し続ける。その様子は傍から見れば異様だった。


「でも、タダで届けてあげるつもりはないよ。兄さんだって俺を裏切ったんだから。野坂朔は予定通りしっかり精神を壊してから殺すんだ。殺す前に死ぬほど犯してやって、身も心も壊していくの。俺、兄さんのせいで野坂朔に欲情するようになっちゃったみたい。だからちょうどいいよね。

そしてぐちゃぐちゃに壊した後に命を奪った野坂朔を兄さんの元に送ればさ、それは兄さんがアイシテた野坂朔じゃないよね。残念だったね、兄さん。ちなみに殺すのは、高校の最後くらいかな。野坂朔と同じ高校に通って仲良くなってジワジワと精神を壊して卒業前に殺すんだ。殺した後は死体が見つからないようにうちの庭にでも埋めておく。

そしてそのまま俺は医学部に進学するよ。兄さんが投げ出した道、俺はちゃんと全うしてみせる」


興奮は治まらず柏木は雄弁に話し続ける。

「成績トップで医学部卒業してさ、アイツらが望むように病院継いでやるんだ。そして病院を軌道に乗せてから言ってやるんだよ。私は人を殺しましたって。殺すまでの過程も動画に撮っておいて、庭に埋めておいた野坂朔の死体と一緒にみんなに大公開するの。

そしたらこんな殺人鬼が執刀する病院はひとたまりもないよね。メディアに勝手に潰される。あはは、アイツらの絶望が手に取るようにわかるよ」


柏木の心はもう復讐の一色に染まっていた。「復讐」というゴールが設けられたおかげでゴチャゴチャに絡まりあっていた感情の糸が綺麗に解けていくような爽快感を感じた。


「そうすれば、みんな不幸。みんな俺と同じだ。フェアだよね」

柏木はもう一度遺骨の入った箱に微笑んでから、その箱を右手に抱え、左腕にシロを抱き抱えて拓人の部屋を後にした。

この日から柏木は復讐という目的のために迷うことなく生きてきた。感情なんか必要無くなった。それで充分だった。




「…は?……嘘…だろ…?」

拓人の死を告げると、朔は目を丸くし、信じられないと驚いた表情のまま柏木を見返した。


「本当だ」

柏木は2年前のことを思い出しながら朔へ真実だと伝える。

柏木は、震えて青ざめていた朔がこれから少しでも苦しまないようにしたいという気持ちから、本当は言う気が無かった拓人の死のことを伝えることにした。

朔は未だに拓人に怯えている。記憶のことがあるから自分に言い聞かせるようにどこか無理をして会おうとしているように柏木には見えた。

柏木の中であんなに綿密に練り上げ遂行してきた朔を殺すという目的は、今霞んで見失う程になってしまっていた。殺すどころか、泣かせたくないし苦しんで欲しくもないと思ってしまっている。だから、朔のためにも真実を伝えた。

朔は柏木からの返答を聞いても表情を崩さなかった。見開く瞳には、ただただ驚愕の色を濃く滲ませ、時間が停止してしまったかのように暫くそのまま動かなかった。相当驚いているようだった。


「のさ…──」

柏木は呼びかけた瞬間、朔と同じように動きを止めた。身体が動かなくなった。


「う……そ……っ」

朔が一言声を漏らした。その声は弱々しく、大きく震えていた。柏木は視界に映る朔の様子を認識すると、驚愕と絶望に似た感情に支配される。


「ど…うしよ……う…っ…」

朔の身体が震え始める。
そしてシーツにボタボタと雫が落ちる。
柏木は動けない。


「思い出した…。…俺……。…拓…先生……、のこと………

朔はそう呟くと見開いた瞳からボロボロと大粒の涙を滴らせ、言葉を絞り出した。


──好き…だったんだ………──」


消え入りそうな震える声で呟く目の前の朔が、今まで見たことの無い絶望の色を滲ませたまま涙を次から次へと流し続ける様子を目にし、柏木は金縛りにあったように動けなくなった。



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