[R-18]あの部屋

まお

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47.階段

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階段をゆっくり足音を立てずに降りていくと、昨日は静まり返っていたリビングの方から人の気配を感じた。物音も聞こえてくる。朔はリビングの扉と並行に位置する階段の壁に沿うように階段の途中でしゃがみこみ、身体を丸め廊下から見えないように身を隠し耳を澄ませて様子を窺った。
微かに聞こえてくるのは人の声だった。


(家族が帰ってきたのか?)

中年の女性の声が時々聞こえてくる。
そして、それに応えるような話し声も。

玄関まで行くにしても、リビングの扉の前を通らなければいけないということもあり、朔はもう少し近づくために階段をさらに降りていく。リビングに近づくと、生活音はさらに鮮明に聞こえるようになったのと同時に鼻腔を擽る食卓にならんでいるであろう複数の料理の匂いも感じるようになった。

それを感じると人の気配や会話に意識を向ける余裕が無くなった。朔を襲うのは苦しい程の空腹感だった。
この家から逃げるという目的をかなぐり捨てて、このリビングの扉を開き食卓に並んでいる料理を貪りたい。そんな思いが頭の中を占めていく。空腹でこの場から動けなく蹲ったままの朔は、意識を空腹から会話や人の気配へ向けようと葛藤する。

隙を見てここから逃げ出す。そして家から飛び出しどこかでタクシーを拾えれば家へ帰れる。そうやって脱出のイメージを膨らませていると、グーっと静かな空間では無視できないくらいの音が朔の腹から鳴った。


(やばい…)

朔は自分でもその音に驚き、思わず緊張で身体が硬直する。
同じ廊下にいれば聞こえたかもしれないが、相手は室内にいるし、会話をしている。おそらく今の音は聞こえてはいない筈…と、焦る気持ちを落ち着かせる為に朔は自分に言い聞かせた。


「あら、どうしたのかしら」

そんな声がリビングの室内から聞こえてきた。柏木の声ではなかった。
朔は息を飲んでその話声に意識を向けた。


(今の…聞こえたかな…)

緊張で息が詰まるような思いだった。そうすると、ガチャリとリビングのドアが小さく開く音が聞こえた。朔は蹲ったまま、その音に反射的に身体が小さく跳ねた。そしてすぐに全身が恐怖で小さく震え始める。無意識にそこから柏木が現れて見つかり部屋へと連れ戻され犯される映像が頭の中に流れ始める。


(もう…やめてくれ……っ)

朔は顔を膝に埋めて逃げるように視界と思考を遮断した。
ただ、いくら待ってもそこから人が出てくる気配は無かった。朔は不思議に思いそっと膝の上に伏せていた顔を上げ、前方の様子を窺った。

そこに人の気配や姿はやはり無かった。朔の身体の緊張が解ける。ただ、目の前には誰も居なかったが、階段の1番の下の方から視線を感じ思わず朔は恐る恐るその感じる視線の方へと目線を向けた。
そこには白い小さな塊があった。
シロが階段の上の朔をじっと見つめていた。


(シロ…)

朔は肩の力が抜けてシロを黙って見返した。シロは蹲っていた人物が朔だとわかると、その階段を駆け上がってくる。
あっという間に朔の足元にたどり着くと撫でてもらうことを待っているかのように身体を丸め大人しく朔の横に座った。
朔はシロに促されるまま、シロの頭を撫でる。温かくふわふわの毛並みに触れると自然と緊張や負の感情が落ち着き心が洗われるような気持ちになった。

暫くそうやってシロを撫でていると、急にシロはぱっと起き上がり階段を降りていってしまった。朔は呆気に取られそのままシロを追いかけるように視線を階段の下に向けると、階段の下に人の足があるのを視界に捉えた。そのまま自然にその足元から視線を上に向けると、そこに立っていたのは柏木だった。

あまりにも突然で、全く気配もなく現れた柏木の姿に朔は一瞬状況が理解できなく固まってしまう。


「起きたんだ。体調は大丈夫そう?」

柏木はどこか他人行儀な、クラスメイトに見せるような優等生の仮面を付けた状態で朔の方へと近づいてくる。
朔が逃げたり声を荒らげる前に柏木は朔の元へとたどり着くと、そのまましゃがみこむ朔の口を塞いだ。


「─酷い目に遭いたくなけば騒ぐな」

柏木は腰を屈めてそう一言朔の耳元で声を潜め脅すように囁いた後、すぐに上体を戻した。
朔は柏木に急に近づかれ触れられたことで忘れていた恐怖が一気に襲ってくる。言われた通り黙るしか出来なかった。


「おはようございます。ご体調はいかがですか?」

その後ろから今度は先程柏木と会話していたであろう女性が声をかけてくる。50代くらいの落ち着いた優しそうな雰囲気の女性が心配そうに朔に声をかけてきた。
年齢的に柏木の母親には見えなかった。顔自体も柏木や拓人とあまり似ていないように見える。


「まだ体調悪そうだから、俺の部屋で休んでもらいます。間中さんお粥を作って頂けますか?あ、あとシロもゲージへ戻してください」

朔が何か反応する前に柏木がその間中と呼ばれていた女性に返答をする。話し方や対応を見ても親では無いことは明らかだった。


「かしこまりました。10分ほどでお部屋にお持ちしますね」

そう言うと女性は一礼し、シロを抱き抱えリビングへと戻って行った。ガチャっとドアが閉まる音が廊下に響く。

朔は絶望感で立ち上がる気力がわかなかった。もう少し早く階段を降り切れば、あの時空腹を感じなければ、柏木を振り払ってでも逃げ切る度胸があれば……そんな後悔が頭の中を巡っていた。
この後また酷く暴力的に抱かれるのだろうか…。もしまた無理矢理犯されても、もう抵抗なんてろくに出来ない。もしかしたら今日このまま殺されるのかもしれない。朔の頭の中は徐々にネガティブな思考に侵されて行き、気持ちが沈んでいく。

先程から痛いほどの柏木の視線を頭上から感じていたが、朔は柏木を見上げないように意識して俯いたままいた。


「立て。部屋に戻るぞ」

そう言われて無理矢理腕を取られその場に立たされた。
そのまま柏木に腕を引かれながら朔は階段を力なく登り元来た道を戻っていく。全てリセットされていく。階段の高くない段差すらつらかった。

抵抗する力も無く、逃げ切れなかった絶望に心が折れてしまい朔は大人しく柏木について行った。
柏木の部屋に戻るとベッドに導かれ朔は諦めに近い気持ちで促されるままベッドに腰をかけた。フローリングで犯されるよりはマシかと、ベッドに腰掛け虚ろな瞳で部屋の床に視線を向けていた。


「飯来るまで寝てろよ」

柏木がぶっきらぼうに朔に言い放つ。
朔は一瞬自分に向けられた言葉なのか分からなかったが、柏木がこちらに不機嫌そうな表情を向けているのを確認して自分に発された言葉だと理解する。


「……いい…」

違和感を感じ一瞬黙り込んでしまった朔は、慌てて動揺を悟られないように俯いて小さく首を横に振った。
柏木の口から出た朔を気遣うような言葉。

食事を用意して、そして寝て待つように言われた。意味が分からなかった。柏木が何故そんなことを言うのか朔には見当がつかなかった。もし言う通りにしてもそこからまた暴力を奮われ無理矢理犯されると思うと単純に恐怖もあって、反射的にその申し出を断った。

朔はベッドに腰掛けたまま俯いて手を組み柏木からの拷問の痕跡が無い自身の指先を見つめた。傷のないそこだけ見ていれば今までの惨事は嘘だったのではないかと現実逃避が出来た。ただ、視線は指先を見つめながらも、意識は同じ空間にいる柏木の気配を察知しようと忙しなく働いていた。朔が黙って俯いたままいても、柏木は特に言葉を発することも無くこちらに近づいてくる気配も無かった。

柏木のいつもと違う態度に朔は意識しないように気を逸らそうとするが、それにより返って余計に気になってしまった。
朔は思わず顔をあげ、ベッドから少し離れた机の椅子に腰掛ける柏木の方へと視線を向けた。
すると、椅子に座っていた柏木は、机ではなくて朔の方に身体を向けていて机に肘を付き朔を眺めていた。そんな柏木と朔はばっちり視線があってしまう。朔は予想していなかった視線のぶつかりに驚いて一瞬の間動けずにいたが、あまりの気まずさにまた慌てて俯いた。


(…あれ?なんだ…。さっきと同じ…違和感)

朔は視線を逸らした時にまた違和感を覚えた。その違和感の正体を考えていると柏木に声をかけられる。


「東海林には入院することになったって言ったけど、入院はせずに済んだって言えよ」

「は?」

いきなり柏木から告げられた内容に朔は驚いた表情で再び柏木に視線を向けた。


「お前の親には友達の家に泊まるって連絡送ってるから」

「…何…勝手に…」

柏木は、話が読めず困惑し動揺する朔を気にかけることなく淡々と話を続けた。その表情は朔と目が合った時から変わらず、少し不機嫌そうに眉を寄せた表情だった。


「月曜は約束通り学校に来ること。お前の昼休みの時間は俺が好きなように使わせてもらうから。約束破ったら制裁」

「……」

朔は一気に与えられる情報の数々を必死に頭の中で処理しようと試みる。


「あとは、とりあえず飯来たら話す。聞かれても嫌だろうし」

そう話を締めくくると柏木はまた黙り込んで朔を無言で眺める。朔がその視線に居心地の悪さを感じていると、程なくして柏木の部屋の扉をノックする音が響いた。


「颯希様、お待たせ致しました。お食事をお持ち致しました」

部屋の外から間中が柏木へと声をかける。
柏木は立ち上がり部屋のドアを開けた。


「急なお願いを聞いて頂いてありがとうございます。終わりましたら食器は僕が下へお持ちしますね」

柏木は間中からお盆ごと食事を受け取ると笑顔で彼女を見送り部屋の扉を閉めた。朔はベッドに座りながら対応する柏木の背中と少し見える横顔を見ていた。朔はその様子を見ながら、先程感じた違和感の正体を突き止めた。


(…あ、これか…)

柏木は何か怒らせたりしない限りはいつも感情の伴わない貼り付けたような笑顔で朔に接してきた。その笑顔は、形式的には笑顔であっても中身や意図するものは、見下し、支配し、縛り付けて破壊することを望む嗜虐性の現れのようなものだった。朔はその笑顔が怖くて息苦しくて嫌いだった。

ただ、先から柏木はその笑顔を朔に見せていなかった。ずっと不機嫌そうな表情を見せながら朔に接していた。

元々整った柏木の顔が不機嫌そうな表情を作ると、凄みが増して普通の人であればその表情の方が恐怖を抱くはずである。でも朔にとってはあの笑顔に比べたらその不機嫌そうな表情の方が随分人間らしい表情に見えて、居心地の悪さは変わらないが、笑顔よりはマシに思えた。


(やっぱり、柏木の様子おかしいよな…。何を企んでるんだ…)

様子が違う柏木の事が気になり同時に待ち構えている何か良からぬ事が起こる可能性に警戒心を募らせながらも、朔はお盆を持ち近づいてくる柏木をただぼんやり見上げていた。

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