[R-18]あの部屋

まお

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72.電話

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急に目の前に柏木の顔が近づき何も反応出来ないまま唇に熱が触れる。朔は突然のことに呆気に取られたが、すぐに条件反射のように全身が緊張で強ばった。

しかしそれと同時のタイミングで、柏木は朔の肩を掴み乱暴なくらいの強い力で身体を思い切り引き離した。
朔と距離をとった柏木はすぐに振り向き何も言わず玄関のドアを開けそのまま朔の家を後にした。ほんの数秒の出来事だった。

朔は呆然と柏木の出ていった玄関のドアを見つめた。今のは何だったのかと思考を働かせても納得できる結論が導き出せなかった。
キスだけされて他に何の危害も無かったことが余計朔を混乱させた。今日の柏木の様子が今までと違いすぎて、戸惑いと何かの前兆なのかと不安に思う気持ちとが交錯していた。


玄関で立ちつくしたままだった朔は、頭の中を一旦整理する為にもシャワーを浴びようと、風呂場に向かった。
風呂場へのそう遠くない廊下をゆっくり歩きながら朔はぼんやりと去り際の柏木の様子を思い浮かべていた。

キスの後すぐに柏木は出て行ったが、振り返るまでの一瞬だけ見えた柏木の表情が引っかかっていた。

あの時一瞬だけ見えた柏木の表情は、どこか苦しそうに見えた。
柏木が何を考えて、どんな人生を送ってきたのかはわからない。ただ、やはり柏木に対しての申し訳無さと、あの表情の原因が少なからず自分にある可能性を考えると、朔は忘れていたモヤモヤとした気持ちと罪悪感にまた支配される。早く過去のことを思い出して柏木に対してどのような気持ちで謝罪するべきなのかをハッキリさせたかった。その上で拓人の事も知りたい。

朔は躊躇う気持ちもあったが、もう一度明日柏木に拓人のことを聞いてみようと思った。柏木に拓人の話を切り出して今までろくな目に遭ってなっていないことも覚悟で、それでも聞こうと朔は決心した。学校で聞けばまだ人の目もあるし身の安全を確保できる。
そして明日学校から帰ったらもう一度母親にも過去の事を訊ねるつもりだった。

脱衣場に着き洗面台の鏡に映る自分の顔が視界に入ると、唇の横の傷は少し良くなったとはいえまだ痛々しく残ったままだった。朔はその傷にそっと指で触れた。その優しく触れた傷への接触と相まって、柏木にされた口付けのことを思い出した。

いつものそれとは全く別の物かのような、優しく触れるだけのキス。引き寄せられた時の強い力とは裏腹に、間違って触れてしまったのかと思うくらいの軽い接触だった。
優しくて柏木とは別の人間なのかと思う程だった。
冷静になると急に羞恥心が沸いてきて顔に熱が集まるのがわかる。朔は思考を掻き消すように慌てて頭を振って浴室への扉を開けた。



◇◇
柏木はどうやって自宅へ帰ってきたのか思い出せないまま、自室の机へ向かっていた。
今日も両親は居ない。それがもはや日常だった。何も感じない。むしろ居ない方が有難い。

家に着いてもう何時間経ったのか。勉強を続ける手と思考を止めるのが恐かった。ただ流石に何時間も同じ動作を続けていると物理的に疲れを感じ、柏木は持っていたペンを机の上に置いた。

手を止めた瞬間恐れていた通り、思考に出来た空白を、見計らったかのように侵食してくる朔のこと。そして自己嫌悪。
柏木は怒りを覚える気力すらなかった。椅子の背もたれに寄りかかり部屋の天井を仰ぎ見ながら深くため息を吐く。

あの時、身体が勝手に動いていた。今まで抑圧していた思考が暴れ出して抑制する間もなく行動を起こしていた。何であんなことをしたのかと後悔しても後の祭りだった。もしあの場で冷静になれたとしたら、自分自身の感情を抑え、目の前の朔に突然口付けなどせずにいれたのか、と自問自答をしてみても柏木の中で何故か答えは出なかった。

感情に左右されて行動も制御できない。なんであんな行動を起こしたのかも理解できない。こんなことは今までの人生で一度も無かった。

柏木は自分自身に絶望したと同時に恐怖を感じた。今まで心底軽蔑していた拓人の行動、その道に自らも進んでしまいそうな恐怖。拓人の辿った末路は、自らの愚かさで身から出た錆、自業自得だと思っていた。
しかし、もし拓人が自分と同じく感情の支配に苦しんで葛藤していたのだとしたら、その気持ちに少し共感でき、僅かな同情の気持ちも抱いた。

どちらにせよ今のまま朔と接するのは最善では無いことは理解できる。これ以上失態を犯さないために、拓人と同じ自滅の道を進まないために、柏木は朔と距離を取ることにした。作戦を一旦中断して、自分を律する。そして目的を再認識してから、最短で行動に移す。時間はまだある。

柏木は机の横に置いたままだったスマホを手にし操作すると、連絡先から拓人の番号を選択する。拓人にあの時どう思っていたのか直接聞きたかった。当時は理解できないことが今ならわかるのかも知れない。

柏木は久しぶりにその電話番号にダイヤルした。最後に電話をかけたのは、高校に入る前、進路を今の高校に決める時だった。指定された番号を認識しているスマホをそのまま静かに耳に当てる。
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