[R-18]あの部屋

まお

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71.制御

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朔は動くに動けないまま、柏木の様子を監視するように眺めていた。

柏木はおそらく何か調理をしていた。何で突然料理を始めたのかが理解出来なく、朔は疑問符を浮かべながらも突然豹変しかねない柏木に警戒を解かないまま、その様子を遠巻きに見続けた。
15分ほどすると部屋にいい匂いが漂ってきた。


「…お粥…?」

「雑炊」

「…雑炊…か…」

一言のみの会話はすぐに途切れる。
ただ、柏木と2人の時に何でもない普通のことを話すのに朔は違和感を感じ、その後に可笑しさが込み上げてくる。


「…ふ…」

朔は我慢出来ず思わず笑ってしまってから慌てて表情を強ばらせた。一瞬のことだから気づかれていないだろうと思いながらそっと柏木の顔を盗み見ると、思い切り目があってしまった。


「ぁ……」

朔は気まずさに言い訳も出来ず目を逸らそうとするが、そのまま柏木を凝視してしまった。
柏木が初めて見る驚いたような表情で朔のことを見返していたから。


「……」

柏木は手を完全に止めて何も言わず朔のことをじーっと見ていた。


「……その……なんでもないから……。気を散らすようなことして悪かった…」

無言で見られるのはただでさえ居心地が悪いのに、ましてや相手が柏木だと朔はさらに落ち着かなく、朔はとりあえず謝った。


「……。もう出来るから」

「……それ…って……、俺に…?」

「他に誰がいるんだよ」

「…あぁ…。でも……なんで……?」

柏木は朔を一瞬不機嫌そうに睨んでから、無言でまた視線を手元に戻し作業を続けた。
朔は出来かけの雑炊を眺めながら、空腹感とやはり拭えない不安とを感じながら黙ってその様子を見守った。

柏木はキッチンの近くで立ち尽くす朔を横目に、出来上がった雑炊を鍋ごとダイニングテーブルの上へと運んだ。


「見てた通り変なものは入れてない。食わないなら捨ててもいい」

朔に視線を合わせず柏木はそう言い捨ててキッチンから少し離れたリビングのソファに腰掛けた。

朔は暫く柏木の様子を警戒し眺めていたが、特に何か仕掛けてくる様子もなく、ダイニングテーブルの上に置かれた雑炊に食欲をそそられたこともあり、そのままイスに座りその雑炊を茶碗によそった。


「…いただきます…」

朔は柏木に視線を一瞬寄越したが、柏木は朔の方を見ることなくソファの上に座り本を読んでいた。
朔は口の横の傷を庇うように少なめにスプーンに掬った雑炊を口に運んだ。


「うま…」

思わず朔の口から小さな一言が漏れる。以前食べたお粥は繊細な味でどちらかというと店の味、という感じだったが、今回の柏木の作った雑炊は素朴で食べ慣れたような家の味という感じであった。卵やきのこ、野菜などの具材も豊富で栄養不足と疲労で倒れた朔の身体に染み渡っていくように感じた。

柏木はリビングのソファに座り本を手元に持ちながらも視線は本ではなく朔を捉えていた。黙々と食べ続ける朔だったが、やはり以前お粥を食べていた時のように少し緩み血色が良くなって上気する頬やその表情が新鮮で目が離せなかった。

あの時感じたようなざわつきと、同時に高揚感、そして締め付けられるような痛みを感じた。もっと見ていたいような、これ以上は危険だと自分を制御しようとする気持ちとで心の中が混沌としていく。
そして以前は気づけなかったもう1つの感情に気がついた。

シロを撫でている時に感じる説明出来ない不思議な気持ち、擽ったいような温かいような気持ちを朔に感じている自分に柏木は気がついた。相手がシロ意外にその気持ちを抱いたことに衝撃を受けた。そこからは朔を観察しながら柏木は自問自答をしていた。

そもそもなんで家まで来て料理をしたりしたんだろうか。倒れてあのまま弱って死んでもいいはずだった。柏木の本来の目的は、朔を壊して殺すこと。それをひたすら目標にしてここまで来たのに、壊れかけた相手に塩を送るようなことをしている自分の行動に柏木は困惑と苛立ちを感じた。

頭では冷静に考えられるのに、何故相手を目の前にすると予期していない行動を起こしてしまうのだろう。柏木は自分の矛盾に気が付き、慌てて冷静さを取り戻し目的のための手段を再構築しようと思考を切り替えようとする。


「柏木って…料理も出来るんだな。……うまかったよ」

考え込んでいる柏木に、雑炊を食べ終えた朔が声を掛ける。柏木はハッとして朔に意識を向けると、以前見た時よりもさらに分かりやすい、目尻が少し下がった穏やかな朔の表情がこちらを見ていた。

その瞬間、頭の中で組み立てていた計画や目標への手順が一気に頭から消えていった。
柏木はその表情を見つめた。


「………」

何も反応せずただ視線だけを向けてくる柏木に、朔は一瞬緩んだ表情をまたすぐに強ばらせ明らかに警戒しているような表情へと変わりそのまま視線を手元の器に逸らしてしまった。

柏木はその瞬間、無意識に落胆していた。朔の表情が、いつもの警戒の表情に変わってしまったことに。
あのはにかんだような笑顔が、すぐに消えてしまったことに。

そう思った瞬間、同時に柏木は恐怖に支配された。
このままではまずい─
この理解できない自分の中の感情が、完全に柏木を蝕もうとしている。制御出来ない理解できないこの感情は、自分を危険に陥れる。破滅への道。感情に支配され行動を制御出来なかった愚かな兄と同じ失敗を犯す。
このまま朔に接触し続けるのは、危険だと判断した。

柏木は我に返り、ソファから勢い良く立ち上がると無言でリビングを後にした。


「…え…、おい、柏木!」

朔は何も言わず無言で立ち去る柏木に意表を突かれ、少し遅れてその背中を追いかけた。
柏木はそのまま玄関に向かいドアノブに手をかけた。早く朔から離れなければいけない。これ以上自分の理解不能な感情を知りたくない。


「柏木!ありがとう!」

ドアを開けようとドアノブに力を込めた手が思わず止まった。


「…は?」

無視すればいいのに、理解の斜め上をいく朔の発言に柏木は思わず振り返った。

ありがとう?
その言葉の意味を理解して放っているのか。どういう意図で言っている言葉なのか、思わず確かめたい衝動に駆られた。


「その…、運んでくれたことや飲み物とか…あと、飯作ってくれたこと…も…。…ありがとう」

「…そんな状況になった元凶分かってんの?お前アホなの?」

あまりの偽善ぶりに柏木は思わず苛立ちのまま鋭い口調で朔に言い放った。


「確かに、お前にされたことを無かったことにするつもりは無いけど…、それでもやってくれたことに何も言わないのは嫌だから…」

朔は俯きながら、それでもしっかりした口調でそう告げた。


「…頭悪いな…」

柏木は皮肉を込めて睨みながら朔に吐き捨てた。

「…お前が頭良すぎなんだよ。俺は俺の出来ることはちゃんとしたいから…。ありがとうな、じゃあ……───


柏木の皮肉に、朔は苦笑に近い笑顔を返しながらまた感謝を口にした。その表情は柏木が今までみた朔の表情の中では一番、しっかりとした笑顔と言える表情だった。

笑顔は人を騙すための、使える道具のひとつ。笑顔でいれば何でも上手くいった。わざわざそんな風に思う暇なく、兄の拓人がいつもそうしていたように、柏木も息をするように楽しくなくても笑顔は作れた。そこに価値なんて感じていなかったのに。どうしてかその少しぎこちなく、でも自然に溢れた朔の笑顔がもっと見たかった。

いつの間にか柏木は朔に向き直りドアノブを掴んでいた右手は朔の後頭部に回っていた。そして気がついた時には、目の前の朔の唇に自身の唇を重ねていた。

それは一瞬の、ただ触れるだけの口づけだった。
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