[R-18]あの部屋

まお

文字の大きさ
上 下
68 / 87

67.違和感

しおりを挟む
柏木が中学に上がって暫く経った頃、兄の拓人の様子に違和感を感じることが多くなった。

勉強を見てもらっていたり、ご飯を食べている時などふとした時に拓人はぼーっとしていたり、家に帰る時間が遅くなること、部屋に籠る時間が増えていた。

ある日、塾も習い事も唯一無い水曜日に柏木が学校から真っ直ぐ家に帰ると、いつも大学から帰っている時間の拓人が家にまだ帰っていなかった。


「兄さん、まだ帰ってないのか…。今日宿題教えてくれるって言ってたのに」

柏木は少し肩を落としながらリビングのゲージからシロを外に出した。


「シロただいま!」

ゲージから出たシロは何かを訴えるように柏木を見上げにゃーにゃーといつもより沢山鳴いていた。


「どうした?……あれ……」

柏木はすぐにその異変に気づいた。
毎朝大学に行く前に拓人はシロに餌と水を与える係だったが、その日シロの餌入れや給水器には何も入っていなかった。


「兄さんからご飯貰ってないのか?……待ってな、えーっとシロのご飯…」

柏木はにわかに信じられない気持ちで慌ててシロの餌と水を用意した。今まで拓人のミスや失敗は見た事が無かった。そんな完璧な拓人が毎日の日課であるシロの世話を忘れるなんてことがあるのだろうかと、柏木は驚きと困惑を持て余しながらいつもより夢中で餌を食べるシロを黙って見つめた。

その日拓人は20時過ぎに帰ってきた。
玄関の扉が開く音が聞こえリビングから柏木は駆けて行った。


「おかえり!兄さん今日宿題見てくれる約束忘れてたで…………」

玄関にいた拓人の様子に柏木は声を詰まらせる。


「…颯希……。…ごめん、遅くなっちゃって。今日バイトだったんだ。今から宿題見るよ、持っておいで」

拓人は柏木の存在に気づき笑顔で声をかけた。
その笑顔までの一瞬、拓人の悲しそうな顔が見えた。直前まで泣いていたのか、目を赤くしながらも拓人は笑顔で平静を装い柏木に接していた。

柏木は小さく頷いてから自室へ走っていった。どんなに辛くても苦しくても拓人が弱音を吐いたり泣いたりしているところを見た事が無かった。誤魔化そうとしていたが、柏木は拓人の異変にすぐ気づいてしまった。嫌な胸騒ぎを感じた。


そこから2ヶ月後、拓人は通っていた医学部から親に無断で文系学部に転部した。

柏木は驚きと同時にやっぱりという気持ちを抱いた。あの日から今日までの期間、拓人の様子はずっとおかしかった。ただ、本人も気をつけていたのもあり、夜遅い時間にしか帰ってこない両親はその異変に全く気づくことはなかった。両親からすれば青天の霹靂だったのに違いない。

拓人はどんなに親に詰められても転部の本当の理由を口にすることは無かった。
毎日親に罵られ人格を否定するようなことを言われ続けても、拓人はあの時見せたような悲しい表情を見せることは無かった。ただ俯き黙ったままいた。

柏木は憧れの兄の変化の原因が知りたかった。その原因さえ潰して無かったことにしてしまえば、また平穏な生活、憧れの兄が返ってくると思った。

毎晩両親が帰ってきてから拓人はリビングに正座させられ尋問され罵られていた。柏木はその日の夜も廊下からこっそりリビングの様子を覗き見、拓人の背中を確認してから2階へと上がった。
向かった先は、拓人の部屋だった。

部屋の中に拓人がいる時に入ることはあっても、兄が不在の時に勝手に部屋に入ることは無かった。拓人が居ないと分かっていながら開けようとするその部屋の扉は、今までで一番重く感じた。

ゆっくり開いた扉の向こうの部屋はいつも見慣れた兄の部屋だった。ぎっしり本が詰まった本棚や、必要最小限の物しか置いていない簡素な部屋。物に執着のない拓人らしい部屋だった。

部屋の中を見渡すといつも閉じてあるノートパソコンが開いたままで起動していた。柏木は足音を立てないようにゆっくり机の上のパソコンを覗き込んだ。デスクトップはロック画面となっていて柏木は一瞬躊躇いつつも、そのロックを解こうとキーボードに触れた。
誕生日、数字の羅列、思いつくものを入力してみてもその画面が開かれることは無かった。

柏木は諦めて今度は拓人のカバンの中を覗き見た。大学の参考書とノート、財布、そして書類を収めたファイルが入っていた。柏木がそのクリアファイルの中を見ると、アルバイトの家庭教師に関する資料が挟まっていた。

3人ほど受け持っている生徒のそれぞれの名前と苦手な科目やテストの点数、次回の課題や分析など、几帳面に書き記されており真面目な拓人らしい仕事ぶりだなと柏木は幼いながらに関心した。特に気になる点もなく柏木はそのファイルの中身の2、3枚の資料をさらっと見てからこっそりカバンへ戻した。

兄を救い兄の奇行の原因を取り除きたくて柏木は必死で色々探った。それらを数日行っていたある日、柏木はついに兄を奇行へ走らせた原因を見つけた。


その日も拓人は両親に呼ばれて部屋を空けていた。柏木はいつも通り部屋へと入りパソコンのロック解除を何パターンか試してからカバンの中を探った。そこには見慣れないスマホが入っていた。いつも拓人の使っている物とは違った。柏木は不思議そうにそのスマホを手にして液晶を見ると、受信していたメッセージが表示されていた。


『昨日楽しかったよ、先生ありがとう!あと車の中にイヤホン忘れちゃったかも』

そのメッセージを見た瞬間柏木の背筋に戦慄が走った。確信は無いが、直感でこれだと思った。
柏木はすぐにそのメッセージの送信者の名前を確認し、以前拓人のカバンの中で見つけたあのクリアファイルを机や本棚を探し見つけ出す。動悸が激しく脈打つ。

拓人のことを先生と呼ぶ差出人の名前は【野坂君】と表示されていて、間違いなくそれは家庭教師で担当している生徒だと分かった。

以前拓人のカバンで見つけたクリアファイルを机の中から探し出し手元に準備し、緊張で少し震える手で中の資料を床の上に広げた。
受け持つ生徒の3人の名前を見てすぐにそのメッセージの相手は見つかった。

野坂朔

柏木と同じ歳の男子生徒だった。その資料だけでは年齢と名前しか分からずどこの学校なのか等は何も記されていなかった。

柏木は脱力して大声で叫び出したいような気持ちを堪えて、その書類を写真に残してからファイルを元の場所にしまった。

柏木は自室に戻りベッドの上に寝転んで考えを巡らせた。
メッセージのやり取りなんて仲良くなれば普通にするかもしれないし、相手は男で特に気になる事は無い。そう思うことが出来れば楽だった。
拓人の性格をよく知っている柏木からすればどうしてもそうは思えなかった。

まるで何かを隠すように新しいスマホを契約してその生徒と連絡を取り合っていること。大学にもバイトにも普段交通機関で通っているのにわざわざ車を出して2人で会っていること。

奇異な事は決してしない、真面目で模範的な拓人がわざわざそんなことをしているのが柏木にとっては信じられなかった。兄が何を考えているのか、そして2人がどんな関係なのか、考えても分からず、そして考えたくないとも思ってしまった。
これ以上深追いすれば、きっと兄を傷つけるし、自分も相当なダメージを受けることは想像出来た。それでも拓人の潔白を信じて安心して縋りたい気持ちを柏木は拭うことが出来なかった。



「兄さん、夏休みの自由研究で少し調べたいことあってパソコン貸して欲しいんだけど、いい?」

夏休みの終盤の平日の昼、大学も夏休み期間で柏木と拓人は2人で家で昼食をとっていた。ハウスキーパーは週2回ほど出入りしていたが、拓人がいる時の昼食は必ず拓人自信が作っていた。拓人の得意料理の1つでもあるカルボナーラを柏木は緊張を悟られないように口に運びながらタイミングを見計らって声をかけた。


「いいよ。これ食べたら一緒に部屋に行こう」

拓人は一瞬驚いたような表情を見せたが、その後はいつも通り優しい笑みで柏木の申し出を何も疑いもせず受け入れた。


「颯希は今年の自由研究は何を調べるんだ?」

「再生医療について調べてるよ。実験とデータをまとめてみたんだけど…少しだけ論文を見て最後考察を付け加えたいなって思って。パソコンで見た方が見やすいから…」

「…そうか。颯希は勉強熱心で真面目だね。きっといいお医者さんになれるよ」

そう言う拓人の顔はやはりいつも通り優しい笑みを崩してはいなかったが、どこか寂しそうな目をしていた。


「……兄さんは、何になりたいの?」

柏木は無意識に拓人へ訊ねていた。自分で言葉を放った後、柏木は何気ない自身の言葉に自分で驚き、おそるおそるそのまま拓人に視線を向けた。


「……そうだな…。……誰も傷つけない仕事とか人になりたい……とかどうかな?」

拓人は少し間を置き困ったような笑顔で無理やりおどけたような様子で答えた。


「下にパソコン持ってくるよ。颯希はここで待ってて」

拓人は笑顔で一言呟いて1人部屋へと戻って行った。
柏木は1人残されたダイニングで、皿に残っていたパスタをまとめて口に無理矢理詰め込んだ。今まで感じたことは無かったのに、今日はパスタの濃厚なクリームの口当たりに心地悪さを感じた。

5分後に戻ってきた拓人は、リビングの上にノートパソコンを広げ操作し始めた。
柏木は罪悪感のような後ろめたい気持ちを引きずりながらも、ただ拓人の指の動きだけをひたすら目で追いかけた。


「はい、調べていいよ。皿洗った後ここで本読んでるから分からないことあったらすぐ聞くんだよ」

拓人はそのまま席を立ち柏木の頭をポンと撫でてからキッチンの方へ向かった。
柏木はパソコンのキーボードを打ち込んで早速調べ物を始めた。1時間ほど作業をしたあと、柏木は拓人へノートパソコンを返した。

時刻は15時半を過ぎた頃だった。あと5時間もすればまた拓人は両親からの叱責を受け続けることになる。それがここ最近の日課となってしまっていた。そのせいか、ここ数日の拓人はやつれて疲れの色が抜けない様子だった。


「…兄さん」

「どうした?」

「いつもありがとう」

「…どういたしまして」

本当は、どうして医学部を辞めたの?野坂という生徒とはどういう関係なの?何を隠しているの?と聞きたいことは山ほどあった。当然そんなこと訊ねることも出来なくて、柏木は感謝を伝えた。言いたいことを隠すために伝えた感謝の言葉に、拓人はここ数日では久しぶりに見るような明るい笑顔を返してきた。


その数日後、柏木はついにパソコンの中身に拓人の秘密を見つけてしまう。
しおりを挟む
感想 21

あなたにおすすめの小説

4人の兄に溺愛されてます

まつも☆きらら
BL
中学1年生の梨夢は5人兄弟の末っ子。4人の兄にとにかく溺愛されている。兄たちが大好きな梨夢だが、心配性な兄たちは時に過保護になりすぎて。

塾の先生を舐めてはいけません(性的な意味で)

ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
個別指導塾で講師のアルバイトを始めたが、妙にスキンシップ多めで懐いてくる生徒がいた。 そしてやがてその生徒の行為はエスカレートし、ついに一線を超えてくる――。

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

壁乳

リリーブルー
BL
俺は後輩に「壁乳」に行こうと誘われた。 (作者の挿絵付きです。)

吊るされた少年は惨めな絶頂を繰り返す

五月雨時雨
BL
ブログに掲載した短編です。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

皇帝陛下の精子検査

雲丹はち
BL
弱冠25歳にして帝国全土の統一を果たした若き皇帝マクシミリアン。 しかし彼は政務に追われ、いまだ妃すら迎えられていなかった。 このままでは世継ぎが産まれるかどうかも分からない。 焦れた官僚たちに迫られ、マクシミリアンは世にも屈辱的な『検査』を受けさせられることに――!?

処理中です...