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66.翌日
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柏木は教室の窓からグラウンドを眺めていた。
グラウンドでは他クラスの体育の授業で長距離走が行われていた。午前から外で走らされ無駄な体力を使ってから始まる1日は疲れのせいで生産性も下がり非効率極まりない。頭の悪い学校運営だなと柏木は感情の無い冷めた視線を外に向けていた。
別に普段なら気にもとめない、取るに足らないどうでもいいことに柏木は敢えて意識を向けていた。そうしないと心のざわつき、不快さが昨日からずっと治まらなかった。
昨日自室で朔を解放した後、涙を流していた朔は暫く経つと意識を失うように眠りについた。柏木は朔が眠っているとわかると、金縛りが解けたように身体の自由を得た。
眠る朔に近づき左手をバスタオルで止血した。そのあと両手の傷を綺麗に手当してから包帯で傷を覆った。汚れた朔のワイシャツの代わりに自身のワイシャツを着させ身なりを整えた。身体の傷は包帯や服で隠せたが、顔の傷は痛々しく残ったままだったのでマスクを付けさせ隠した。
そのままタクシーを呼び眠っていた朔を抱き抱えタクシーの後部座席へと寝かせた。
「すみません、ここまでお願いします。寝てるだけなので着いたら起こしてやってください。ご迷惑おかけしてすみません。お釣りはいらないので」
柏木は怪訝な表情を向けてくるタクシー運転手にお得意の営業スマイルを向けて申し訳無さそうに言いながら5万円を現金トレーの上に置いた。朔の家の住所は財布に入っていた学生証を見せた。柏木の家から車で20分ほどの朔の家に行くのには5000円もあれば足りる距離だった。タクシー運転手は先程の表情から一変、愛想の良い笑顔を返し車を発進させた。
柏木は朔と2人きりの空間に不安定で不確定な、苛立ちよりも恐怖に近いような妙な感情に苛まれていた。だから慌てて意識の無い朔を自分の空間から排除した。
そこから今日にかけて、朔から連絡は勿論ない。普段から連絡が来ること自体無い。そして柏木に怯えていつも朝から登校していた朔は今日は2限目になっても登校して来なかった。
さすがに今日は休むか、傷が化膿して熱でも出しているのだろうか、このまま逃げられると思っているのかもしれない…
柏木はハッとしてぼんやりしていた視線をまたグラウンドに移した。昨日からおかしかった。いや、もっと前からだったのかもしれない。
気づけば朔のことを考えていた。もやもやして、苛立ちを感じる。不快感を抱くのに気を抜くと朔のことが頭を掠めた。
柏木はその思考のループを断ち切ろうと視線を上に向ける。窓から見える景色、今日は雲ひとつない晴天だった。青空を眺めてみるが特に気持ちの変化を感じることはない。ただ、一瞬思い出したように拓人のことが頭の中に浮かんだ。
柏木と拓人は年齢が9歳離れていた。何をするにしても兄の拓人が近くにいて見守ってくれていた。歳が離れていることにより兄弟間の軋轢は無く拓人がいつでも柏木を助け守る存在だった。
生まれた時から柏木にとって拓人は一番身近な存在で、一番信頼している人間だった。
柏木の両親は良い言い方をすれば教育熱心な両親だった。ただそれは表向きのもの。両親の教育熱心という対外的な体裁の裏は、単純に自分たちの見栄と虚栄心、そして社会的地位を守りたいという自己愛的なものでしかなかった。両親は共に医者で病院も経営しており、母方の祖父の代から続く大きな病院だった。
子どもを作ったのも、その病院の跡取りが必要だったため。それもあり年上の拓人は親からの重圧を1人で受け止めていた。
拓人は穏やかで器用な性格で、親の期待にしっかり応えられる子どもであった。親から与えられるのは無償の愛では無かったが、それでも腐ること無く素直で優しい子どもに育った。
そんな拓人のことを両親は駒のひとつとしか考えていなかった。長男という肩書きはそれだけ両親にとっては大きいものだった。失敗できない、自分達が輝くための人生設計の駒のひとつ。
そんな扱いや要望、期待、重圧に1人耐えてきた拓人は両親の一番の被害者だった。
拓人は長男として小学生の時でもしっかり期待以上の結果を出していた。1人でも十分だったのに両親が柏木という駒を増やしたのは、病院が軌道に乗っていたからだった。
系列病院を立ててそこの跡取りが必要になったから柏木を生んだ。両親の計画は思惑通りで順調に進んでいた。
次男として歳が離れて生まれた柏木に対して、両親は拓人の時に比べて余裕があったということもあり、扱いは拓人とは異なっていた。
1つ目の駒がしっかり働いているという安心感から、拓人に比べて柏木は甘やかされて育てられた。そこには拓人には向けられていなかった愛情に似たものがあった。
柏木がやりたい、欲しいという物はよっぽどの事が無ければ与えられた。ゲームが欲しい、猫を飼いたい、海外のテーマパークに行きたい、全て叶えられた。そして柏木も拓人に似て要領が良い子どもだった。10歳近く上に手本となる兄がいることでより上手く親の機嫌を取る事ができていたこともあり、両親も柏木には強く当たることは無かった。
当時は愛情を受け育てられているという満足感を得ていた。自分は特別だと思えていた。
ただ、歳を重ねるにつれて柏木は薄々気づいていった。結局、両親が一番愛しているものは子どもでも家族でも無い。名誉でしかないことを。
そう思うようになれば、やはり柏木にとって拓人の存在はより大きく偉大になった。
かっこよくて優しくて、頭も良くスポーツも出来る全てが完璧で憧れの自慢の兄。絶対的で安心できるオアシスのような存在が拓人であった。
両親とは違い兄から与えられるものは間違いなく愛情であると思えた。拓人は裏のある思惑もなく弟として柏木を可愛がっていた。だから柏木にとって拓人はたった1人の信用出来る人間であった。
だから柏木はすぐに気がついた。
心から信頼でき、尊敬していた拓人の変化に。
グラウンドでは他クラスの体育の授業で長距離走が行われていた。午前から外で走らされ無駄な体力を使ってから始まる1日は疲れのせいで生産性も下がり非効率極まりない。頭の悪い学校運営だなと柏木は感情の無い冷めた視線を外に向けていた。
別に普段なら気にもとめない、取るに足らないどうでもいいことに柏木は敢えて意識を向けていた。そうしないと心のざわつき、不快さが昨日からずっと治まらなかった。
昨日自室で朔を解放した後、涙を流していた朔は暫く経つと意識を失うように眠りについた。柏木は朔が眠っているとわかると、金縛りが解けたように身体の自由を得た。
眠る朔に近づき左手をバスタオルで止血した。そのあと両手の傷を綺麗に手当してから包帯で傷を覆った。汚れた朔のワイシャツの代わりに自身のワイシャツを着させ身なりを整えた。身体の傷は包帯や服で隠せたが、顔の傷は痛々しく残ったままだったのでマスクを付けさせ隠した。
そのままタクシーを呼び眠っていた朔を抱き抱えタクシーの後部座席へと寝かせた。
「すみません、ここまでお願いします。寝てるだけなので着いたら起こしてやってください。ご迷惑おかけしてすみません。お釣りはいらないので」
柏木は怪訝な表情を向けてくるタクシー運転手にお得意の営業スマイルを向けて申し訳無さそうに言いながら5万円を現金トレーの上に置いた。朔の家の住所は財布に入っていた学生証を見せた。柏木の家から車で20分ほどの朔の家に行くのには5000円もあれば足りる距離だった。タクシー運転手は先程の表情から一変、愛想の良い笑顔を返し車を発進させた。
柏木は朔と2人きりの空間に不安定で不確定な、苛立ちよりも恐怖に近いような妙な感情に苛まれていた。だから慌てて意識の無い朔を自分の空間から排除した。
そこから今日にかけて、朔から連絡は勿論ない。普段から連絡が来ること自体無い。そして柏木に怯えていつも朝から登校していた朔は今日は2限目になっても登校して来なかった。
さすがに今日は休むか、傷が化膿して熱でも出しているのだろうか、このまま逃げられると思っているのかもしれない…
柏木はハッとしてぼんやりしていた視線をまたグラウンドに移した。昨日からおかしかった。いや、もっと前からだったのかもしれない。
気づけば朔のことを考えていた。もやもやして、苛立ちを感じる。不快感を抱くのに気を抜くと朔のことが頭を掠めた。
柏木はその思考のループを断ち切ろうと視線を上に向ける。窓から見える景色、今日は雲ひとつない晴天だった。青空を眺めてみるが特に気持ちの変化を感じることはない。ただ、一瞬思い出したように拓人のことが頭の中に浮かんだ。
柏木と拓人は年齢が9歳離れていた。何をするにしても兄の拓人が近くにいて見守ってくれていた。歳が離れていることにより兄弟間の軋轢は無く拓人がいつでも柏木を助け守る存在だった。
生まれた時から柏木にとって拓人は一番身近な存在で、一番信頼している人間だった。
柏木の両親は良い言い方をすれば教育熱心な両親だった。ただそれは表向きのもの。両親の教育熱心という対外的な体裁の裏は、単純に自分たちの見栄と虚栄心、そして社会的地位を守りたいという自己愛的なものでしかなかった。両親は共に医者で病院も経営しており、母方の祖父の代から続く大きな病院だった。
子どもを作ったのも、その病院の跡取りが必要だったため。それもあり年上の拓人は親からの重圧を1人で受け止めていた。
拓人は穏やかで器用な性格で、親の期待にしっかり応えられる子どもであった。親から与えられるのは無償の愛では無かったが、それでも腐ること無く素直で優しい子どもに育った。
そんな拓人のことを両親は駒のひとつとしか考えていなかった。長男という肩書きはそれだけ両親にとっては大きいものだった。失敗できない、自分達が輝くための人生設計の駒のひとつ。
そんな扱いや要望、期待、重圧に1人耐えてきた拓人は両親の一番の被害者だった。
拓人は長男として小学生の時でもしっかり期待以上の結果を出していた。1人でも十分だったのに両親が柏木という駒を増やしたのは、病院が軌道に乗っていたからだった。
系列病院を立ててそこの跡取りが必要になったから柏木を生んだ。両親の計画は思惑通りで順調に進んでいた。
次男として歳が離れて生まれた柏木に対して、両親は拓人の時に比べて余裕があったということもあり、扱いは拓人とは異なっていた。
1つ目の駒がしっかり働いているという安心感から、拓人に比べて柏木は甘やかされて育てられた。そこには拓人には向けられていなかった愛情に似たものがあった。
柏木がやりたい、欲しいという物はよっぽどの事が無ければ与えられた。ゲームが欲しい、猫を飼いたい、海外のテーマパークに行きたい、全て叶えられた。そして柏木も拓人に似て要領が良い子どもだった。10歳近く上に手本となる兄がいることでより上手く親の機嫌を取る事ができていたこともあり、両親も柏木には強く当たることは無かった。
当時は愛情を受け育てられているという満足感を得ていた。自分は特別だと思えていた。
ただ、歳を重ねるにつれて柏木は薄々気づいていった。結局、両親が一番愛しているものは子どもでも家族でも無い。名誉でしかないことを。
そう思うようになれば、やはり柏木にとって拓人の存在はより大きく偉大になった。
かっこよくて優しくて、頭も良くスポーツも出来る全てが完璧で憧れの自慢の兄。絶対的で安心できるオアシスのような存在が拓人であった。
両親とは違い兄から与えられるものは間違いなく愛情であると思えた。拓人は裏のある思惑もなく弟として柏木を可愛がっていた。だから柏木にとって拓人はたった1人の信用出来る人間であった。
だから柏木はすぐに気がついた。
心から信頼でき、尊敬していた拓人の変化に。
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