[R-18]あの部屋

まお

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36.猫

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疲れ果ててしまった朔は、呆然としたまま力なく座ってただ風呂場の床の一点をぼーっと見つめていた。そうしていると、いつの間にか浴室から出て戻ってきた柏木が朔の前にしゃがみこみ、バスタオルで身体を包んだ。


「ここから出るけど、歩ける?」

朔はゆっくり目の前の柏木へと視線を向ける。疲れすぎて優しげな笑顔で問いかけてくる内容がすぐに理解できなかった。もう何もかもがどうでもいいと投げ出したい気持ちでいっぱいだった。

朔は暫くぼんやりしていたが、それに応えるように足を折り曲げ、力を込めようとするとガクガク震えはするが何とか動きはした。
そのまま床を踏みしめるように片足ずつ力を入れて立ち上がろうと試みる。


「ゔッ…」

両足で床を踏みしめて立ち上がった瞬間、ガクンと腰から力が抜けて前かがみで倒れ込んでしまった。
立ち上がった瞬間、足では無く腰と後孔の奥がズキンと鋭く痛み立っていられなかった。


「はは、えろ。腰痛い?励みすぎちゃったもんなー」

柏木はへらへら笑いながら前かがみで倒れ込んでいた朔の頭を撫でてから臀部を優しく撫でる。


「…ぅ…」

朔は俯きながら悔しさから歯を食いばった。

するといきなりふわっと身体が持ち上げられた。驚いて視線を彷徨わせると、朔の顔のすぐ近くに柏木の顔があった。
朔は柏木に横抱きに抱えあげられていた。


「な!…は、離せ…」

「離したら落ちるけどいいの?そういう痛いプレイが好みなら喜んで乗っかるけど」

「……」


黙り込む朔を他所に柏木は朔をお姫様抱っこの状態で浴室から連れ出した。
朔は惨めなこの状況と、柏木に何か借りを作ったような気にさせられて居心地が悪く俯いたまま黙り込んだ。

朔が気を失って運ぶ際に柏木に何度も抱き抱えられていることを知らない朔からすれば、男が男にお姫様抱っこをされている事がただ単に恥ずかしくて仕方がなかった。

俯いているといつの間にか別の部屋へと柏木は朔を抱えたまま移動していた。そして立ち止まると朔の身体はゆっくり下ろされる。下ろされた場所はソファの上だった。朔が仰向けに寝かされたソファの上から辺りを確認すると、大きい窓と高そうな家具が配置されているそこは広々としたリビングだった。


「…か、しわぎ…。服……、俺の服返してくれ」

見える範囲では人は誰も居ないその広々したリビングだったが、他人の家のリビングで朔はバスタオルが掛けられただけの全裸でいることにひどい羞恥心を感じ慌てて柏木へと申し出る。


「着る必要無いでしょ。またどうせ脱がされるんだから。今日は親の帰り遅いし、兄貴は帰ってこないし。まぁ親は帰って来ないかもしれないから誰かに見られる心配はないよ。…あ、もし見られたかったなら希望に添えなくてごめんね」

柏木は冷ややかな嘲りの視線を朔に向けた後リビングを出ていってしまった。

朔は1人取り残されてしまい茫然とする。

柏木が言っていた言葉が引っかかっていた。
親は帰らないかもしれないと。柏木の親、拓先生の親は昔から相当忙しい人達で家に殆ど居ないという事が昔の記憶と今日の様子で分かった。

そして拓先生も帰らないと言っていた。その言葉にやはり心臓が掴まれるような嫌な不快感を感じた。会わなくて済む安心感と、それ以外の感情。

柏木の親のことにしても、拓先生のことにしても何となくもやもやしたよく分からない感情が朔の中に湧き上がった。朔は感情を紛らわす為に寝かされている広々としたL字型のソファの上で身体を揺すって腕を拘束している手錠が外れないか試してみる。しかし頑丈な鉄の感触だけが手首に伝わりそれが外れる気配は無く、ただ惨めな思いをするだけだった。

朔は寝かされたままのソファの上で状況を把握する為に周辺に視線を向けた。大きい窓から見える景色から、もう日暮れであることは分かった。まだほんのり明るさが伺える空の様子から18時から19時頃なのかと予想する。そしてリビングもやはりモデルハウスのように整っていて生活感をまるで感じなかった。奥に見えるキッチンも見える範囲には物が全く無かった。
その割に柏木の部屋や、拓先生の部屋の記憶を思い返すとそこは確かに人の気配を感じる部屋だった。


(親は…本当に居るのか…?)

あまりにも生活感が無くて柏木の親の存在自体を疑ったが、朔は思い出した。

家庭教師との事が公になった翌日、朔の実家まで拓人の両親が来ていた。朔は自室に篭っていた為、1階の玄関先で彼らが何を話しているのかまでは分からなかった。だから今ここに住んでいるのかは疑問だが、柏木の親は間違いなくいる筈だった。そんな過去の事を思い返し息苦しさを感じていると、足元に何かが接触した。


「…ッわあッ!」

「ニャァー」

足元に白い塊が居た。それはいつの間にか朔の寝かされているソファに飛び乗っていた、白い毛並みの猫だった。


「……シロ…?」

朔はその猫を見つめて自然と名前を口にしていた。そう呼びかけると、その白い猫は茶色と水色のオッドアイで朔をじっと見つめ返し、そのまま朔のバスタオルが敷かれている腹の上まで歩いて来てそこで身体を丸め目を閉じた。


「…久しぶり…」

思わず自然に口にした猫の名前。朔は嬉しさと驚きの気持ちで腹の上で眠る猫を見つめた。

その猫は、3年前もいた拓人の家の飼い猫のシロだった。朔の家はペット禁止だった為、まだ体の関係になる前から遊びに行っていた拓人の家にいたシロは、朔にとって遊び相手の1人と言えるくらい可愛がってそして懐いてくれていた猫だった。

腹の上のシロを撫でたかったが、手が拘束されているのでただ眺めるしか出来なかった。


「…シロ、元気そうで良かった…。俺の事、覚えてくれてるのかな…」

眠る猫に声をかけていると、また記憶がふつふつと蘇ってきた。




◇◇

「わー!拓先生猫飼ってるんだね!」

朔の夏休み期間中のある日、朔が初めて拓人の家に遊びに来た日に朔とシロは対面した。
シロは拓人の部屋に抱き抱えられて連れてこられた。


「そう、名前はシロって言うんだよ」

「触りたい!抱っこさせて!」

朔は拓人に抱き抱えられたシロを覗き込む。


「うーん…シロは警戒心強いから俺と弟にしか懐いて無いんだよね…。逃げられちゃうかもしれないけど…」

少し躊躇いながら拓人はシロの身体を持ち上げて朔の腕の中へと預けた。


「かわいいー!おとなしいね、シロ。よしよし」

シロは朔の腕の中で暴れることもせず大人しく頭を撫でられていた。


「…わ、珍しい。シロが俺や弟以外から逃げないなんて初めて見たよ。朔の心の優しさがシロにも伝わるのかもしれないね」

拓人は驚きながらも優しい笑みを朔に向けて、シロを撫でる朔の頭をポンポンと撫でた。


「へへ、褒められた!」

「朔はすごいね。すごいすごい」

「ちょっと先生!俺は猫じゃないよ!?」

朔がシロを撫でるように拓人も朔を撫でているのに気づき朔は少し顔を赤くしながら拓人を眉を顰めて見上げた。


「あはは…ついつい」

「なんだよ、ついついって!」

2人は顔を見合わせて笑った。


◇◇


(あの時は…すごく優しかったのに…)

朔は眠るシロを見つめながら、過去の回想をし表情を曇らせた。そして、あの時の拓人の優しい笑顔がずっと怖い記憶だった筈なのに、今は何故か悲しく思えた。

今会えばまたあの時の優しい拓先生に戻っているのでは無いかと、少しだけそんな考えがよぎった。


「おい、シロ。何してんだ」

急に無人のリビングから響いた声に朔はビクッと驚き慌てて声の主の方に視線を向けた。いつの間にかリビングに戻ってきていた柏木が朔とシロがいるソファの方に近づいてきていた。

柏木はそのまま朔の腹の上にいたシロを抱き抱えた。
朔は慌てて柏木に抱き抱え上げられたシロに視線を向ける。柏木の異常性や乱暴さを知っている朔は、腹の上で寛いでいたシロが酷い扱いを受けるのでは無いかと心配で思わず身体を少し起こしシロの様子を確認した。

しかし、朔はそこで見た情景に思わず呆気に取られた。

柏木は抱き抱えたシロを優しく腕の中に包み込み、背中を撫でながら大事そうに抱えてソファから少し離れたシロのゲージへと歩いて行った。

その扱いが優しくて丁寧だった事にくわえて、シロを抱き抱える柏木の一瞬見えた表情が初めて見るものだった。

見た事の無い穏やかな表情で、少し拗ねたような、でも優しさと愛おしさが溢れる表情─

その表情はいつもの嘘で固められたような表情ではなく、柏木の素が垣間見れるような表情だった。


「……」

朔は黙って柏木がシロをゲージに戻す様子を見つめていた。柏木という人物がますます分からなくなった。朔は戸惑いと何故か少しの罪悪感を感じながら柏木の行動を目で追っていた。

シロをゲージに戻した後、柏木はまたソファへと戻ってくる。


「…シロ、元気そうで良かった。お前、猫好きなんだ…」

朔は柏木を見上げ呟いた。


「……好きだよ。でも野坂と野坂とのセックスの方が好きかな。そうだ、ここで交尾しよっか」

そう返ってきた柏木の言葉と表情は、先程とは全く異なる、いつも見慣れている貼り付けたような笑顔と頭のおかしい言動だった。

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