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兇変へと向かう序曲-鍵を守護する者⑨-
鍵の行方-美都の場合
しおりを挟む美都は今目の前に広がる光景に何度も首を捻る。それは主にここに座する面子についてだ。
「で、せっかくだから先に進路の話から聞こうかしらね」
そう口にしたのは自分の前に座っている伯母の円佳だ。進路という単語に声を詰まらせ目を泳がせる。
「私も気になってたんです。夏くらいに話した時はまだ決まってなかったみたいだし、その後どうなったのかなって」
今度は隣にいる弥生が声を上げた。彼女にとっては純粋な疑問なのだろう。そう言えば夏祭りの時に軽く相談した気もする、と今更ながらに思い出した。まさか気にかけてもらっているとは思わず逆に忍びない気持ちになる。その後しばらく有耶無耶していたため報告することもなかった。なのでこのタイミングが確かに適切なのかも知れない。そう考えながら円佳をチラリと見遣る。
「あんたの意志を尊重しようと思って口煩く言わなかったけど流石にもう12月だし。そろそろ聞いても良い頃よね」
円佳は育ての親であり、実質的な保護者に当たる。自分の意志を尊重してくれていたのはただただありがたかったが問題は”今”というタイミングだ。
「だからって別に今じゃ無くても……」
「そんなこと言ってたら年明けちゃうでしょ。それにちょうど”担任の先生”もいることだし」
半ば強調しながら、円佳はその言葉に該当する人物に目を向けた。それに続くように美都も視線を送る。
「悪い、月代。私は別にそのつもりで来たんじゃないんだけど」
「羽鳥先生ぇ……」
苦い顔を浮かべ弁明するのは”担任の先生”こと羽鳥だった。彼女が今この場にいることが冒頭で首を捻ったことに繋がる。突如円佳が「有識者だ」と言って羽鳥を連れてきたのだ。確かに羽鳥も鍵の存在を知っている数少ない人物であるが、まさか担任が自分の家に来ることがあるとは。そう驚いていたのも束の間、円佳から切り出された進路の話で言葉を詰まらせたところだった。
「まぁこの間ある程度まとまったんだし、タイミング的にちょうど良いんじゃないか?」
確かに彼女が言うことにも一理ある。これまで明確な目標が定まらず都度有耶無耶にしてきたが、つい先日ようやく羽鳥にも相談が出来た。彼女が真摯に向き合ってくれたおかげで少し自信が持てたのだ。教師然たる優しい雰囲気はやはり安心感がある。背中を押されるような、そんな温かい気持ちだ。
美都は下げていた眉を戻し、一旦呼吸を正す。少なくとも羽鳥が先に知っていてくれることが安心材料だった。
「あのね」
やはり緊張するものだ。なにせ円佳とはここ半年学校での話はしていない。恐らく彼女にとっては何に対しても寝耳に水の状態だ。その状態だからこそ良いのかも知れないが殊これから話す分野に関しては想定もしていないだろう。なにせ自分は今、まっさらな状態に近いのだから。
尚も強張った表情のまま内容を口にしていく。間違いなく自分自身が決めたことだ。それなのになぜか少しだけ他人事のように感じる。現実、まだ具体的な行動に移す前だからかも知れない。それでも自分がやりたいと望んだ。初めて、未来を考えられたのだ。
一通り話し終え円佳の方を見ると、案の定驚いた表情を浮かべていた。
「今年の音楽担当の先生と仲が良くてさ。その影響が大きいみたいだよ」
すかさず羽鳥からフォローが入る。学校生活の変化においては、彼女がこの中で一番よく知っている。信頼出来る大人の目があるおかげで安心して日々を送れているのだ。それは音楽の担当教師の高階も同様だ。
「……音楽の先生とね、クラシックの話を良くするの。その先生が弾くピアノが好きで、それでだんだん興味が湧いてきて……──だから、その……将来的に音楽の勉強がしっかり出来る高校に行きたいなって…………思ってます」
自分でもこの一年で驚くほど変わったと思う。環境の変化、周囲の人々、価値観や考え方。今までは一種の諦めの気持ちが強かった。良い子でいるためには誰にも迷惑をかけないようにしなければいけないという意識が働いていたからだ。だからあらゆることから距離を取っていた。それこそ最近まではその姿勢でいた。しかし違ったのだ。過日の出来事が、雁字搦めになっていた自分の思考を変えた。おかげでようやく少しずつ、自分の我儘を認められるようになってきている。今回の件はその一歩でもある。
「で、ピアノはいつから始めたいの? 早い方が良いんでしょ?」
「! えっと……今は先生にちょっとずつ基礎から教えてもらってるの。だから習い事としては……高校からが良いです」
「了解。自分で行きたい教室とか調べなさいね」
「──うん……! ありがとう円佳さん……!」
円佳は否定するでもなくただ美都の意志を尊重するように提案事を口にした。元から話を聞いてくれる人であったが驚きながらもこうして静かに自分の背を押してくれる様はやはり嬉しく思う。伯母である彼女にこれ以上面倒をかけて良いのか悩んでいたが、羽鳥の「甘えられるうちは甘えておいた方が良い」と言う言葉もきっかけとなりこうして願い出ることが出来た。今まででは考えられなかったことだ。
「すごいわ美都ちゃん。音楽の道、とっても素敵ね」
ずっと黙って話を聞いていた弥生が目を輝かせた。まだ何も成し得ていないのに妙な照れを感じる。将来の夢を語る、と言うのはこんなに面映いことなのか。
「話せてよかったね。スッキリしたろ?」
「はい……ありがとうございます、羽鳥先生」
「これでようやく向陽と夕月の進路も決まるし、私も一安心だよ」
その呟きには流石にうっ、と喉を詰まらせてしまった。そうなのだ。四季からは以前「同じところに行く」と宣言されているし、凛に至っては恐らく可能な範囲で合わせて来るだろうと思っていた。これまで自分の志望校が決まらなかったため、やはり二人にも影響が出ていたらしい。その点に関しては彼らにも、彼らの担任にも申し訳なさを感じるところだ。
「そういえば、今日は向陽いないんだ?」
「両親の話を聞くために帰ってます。お父さんが守護者だったそうなので」
そう答えると羽鳥はなるほど、と言って頷いた。いよいよ本日の本題が出て話の流れが変わる。
今日はそれぞれ各々の優先事項で行動している。水唯は入院中の母親の面会に瑛久のいる病院へ、四季と自分は血縁者で鍵に関わりがあった人物に話を聞く、という一日だ。夏に彼の母親である千咲と話した時に、彼女も鍵については認識済みであった。彼女からもアドバイスがもらえるのではと期待している。そしてこちらには守護者の経験を持つ弥生と円佳がいる。これだけ揃えば何かしらのピースがハマるはずだ。
「それで守護者の話なんだけど、二人が守護者の時ってどんな感じだったの?」
我ながら大雑把な質問だと感じるが、如何せんどう訊いて良いか分からず止むを得ずこの形になった。すると二人は当時の頃を思い出すかのようにそれぞれ目線を宙に置く。間髪入れずに口を開いたのは弥生だった。
「前にも話したと思うけど、私たちの時は守るべき所有者が現れなかったの。だから宿り魔が出たらただ倒す、っていう感じね。美都ちゃんたちに引き継がれるまで任期は長かったけど後半はほとんど名ばかりだったし」
「それって所有者の子が判明しなかったってことだよね? でも指輪が弥生ちゃん達を守護者に選んだなら近くにはいたってことなのかな」
「そういうことになるはず……なのよね」
歯切れ悪く弥生が会話のラリーを終えた。所有者を見つけられなかった後ろめたさがあるのかと考えたが、それにしては難しい顔をしたままなのが気になる。その様を首を傾げながら見ていると不意に彼女が言葉を続けた。
「このことについて、瑛久と話をしたの。任期中の時にもやっぱりおかしいんじゃないかって感じてたんだけど……。だからこれは私たちの憶測でしかないって体で聞いてね」
夫であり守護者のパートナーである瑛久の名が彼女の口から出る。少し前のめりになってしまうのは、彼の読みが鋭いからだろう。これまでも何度かそんな場面があった。憶測であってもかなり近い線に行くのではないかと耳を傾ける。
「私たちが守護者になったのは、美都ちゃんを隠すためのカモフラージュだったんじゃないかって」
「! わたし、を……?」
突然自分が引き合いに出されたことに驚き目を見開いた。弥生は静かに頷く。
「大体新しい守護者には15歳前後の子が選ばれるの。そう考えたら所有者もその年齢に近い子になるわよね。でも私たちの代には一向に所有者が現れなかった。それって、《闇の鍵》がずっと美都ちゃんの中にあったからなんじゃないかって」
「ずっと……わたしの中に……? そんなこと──」
「えぇ。私が守護者になった歳を考えると美都ちゃんは5歳くらいでしょう? そんなに小さい頃から鍵を所有することなんて普通は有り得ないわ。でもそうとしか考えられないの。宿り魔が出現しているのに所有者が見つからないなんて」
「でも瑛久さんは、所有者が見つかるのは宝くじが当たるよりも確率は低いって──」
以前、それも自分が守護者になりたての頃だ。櫻家で食事会をした時にそんな話になったことを思い出した。
美都が言い出したことに弥生も同意の頷きをする。しかし加えてまだ彼女の中には考えがあるようだった。
「確かに、この世でたった二つしかない鍵の所有者を見つけるのは至難の業よ。でもおかしいと思う点は私たちの代には他にもあるの」
続け様に弥生が話を展開していく。それに関しては美都だけではなく円佳も気になっているようで先程から興味深く耳を傾けているようだった。
「一つ目は任期が長いこと。これに関しては歴代の守護者でも相当の人たちがいたみたいだからあまり当てにならないかもしれないけどね。問題はこれに関連しての二つ目。……ある時期からパッタリと宿り魔の襲撃がなくなったことよ」
二つ目の理由を聞いてハッと目を開いた。そう言えばそのような会話もしていたと思い出したのだ。
「ある時期って……具体的には?」
「守護者になって5年目くらい……その頃には既に出現の頻度も減ってたわ。諦めたのか、もしくは”存在しない”と判断したのかは分からないけれど。私たちもそう思ったくらいだし。でもよくよく考えれば”存在しない”なんてことは有り得ないのよね。実際に私たちが守護者に選ばれているのならそれは鍵の意志なんだもの」
鍵の意志。守護者は鍵によって選ばれる。そう聞いている。ならばやはり鍵は近くにあったのだと考えるのが妥当だ。ならばやはり自分が、と眉間に皺を寄せ考え始めたところ弥生はまた口を開いた。
「三つ目の理由として、まだ私たちに守護者としての力が残っていることが挙げられるわ」
「それが一番の大きなポイントでしょうね」
それまで黙って聞いていた円佳も話に加わるように同意した。
「鍵が継承された時点で指輪の効力は徐々に失われていくはずよ。でも弥生ちゃんのそれは、まだしっかり武器になるのね?」
「はい。それでも以前よりは威力は落ちましたけど、この指輪はまだ十分に機能しています」
「……ってことは、鍵は”継承されなかった”って考えるのが妥当ね」
円佳が粒立てて口にした内容はつまり、”継承する必要がなかった”という意味だ。どうやら円佳も弥生の憶測が正しいと考えているらしい。
「でも……じゃあなんでわたしと四季は選ばれたのかな。新たに守護者を選ぶ必要があったの?」
「まぁ年齢的な面もあるでしょうし、それに──……鍵が、もうこの子は自分で守れると判断したからなのかもしれないわ」
美都の疑問に答えつつ、円佳も自身の考えを交えて考察を口にした。
「……この考えが、あんたが所有者で守護者であるっていう理由に一番しっくりくるのかもね」
所有者であり守護者であるということ。今回の一番大きなイレギュラーだ。そこには何かしら理由があるのではないかと以前から考えていた。円佳が話した考察を自身でも考える。確かに仮に自分が長期間鍵の所有者であったのなら妥当な線だ。しかしそうなってくるとまた新たな疑問が生まれる。なぜ鍵は継承されなかったのか、だ。
「──円佳さんに、お聞きしたかったことがあるんです」
不意に弥生が円佳に話を振る。少し固く聞こえる弥生の声色をきっかけに彼女に視線を移した。
「円佳さんが守護者だった時、もうひと組の方とは交錯しましたか?」
「──したわ」
言葉少なに円佳が答える。もうひと組という単語に怪訝な表情を浮かべると疑問が顔に出ていたのかすぐさま弥生から説明が入った。
「1つの鍵に守護者は2人いるはずでしょう? だから円佳さんたちの代は守護者同士が交錯した。でも私たちの代は全くそんなことがなかったの」
「ただ単に、範囲が広かったから交錯しなかったってわけじゃなくて?」
「それは確かに考えたわ。でも宿り魔がいるのにこれだけ長い期間交わらないのはおかしいのよ」
宿り魔が出現すれば、守護者は気配で分かるようになる。自分たちが守護者になってからも弥生たちはその気配を感じ取っていた姿も目の当たりにした。現役の守護者であれば宿り魔の出現場所へ向かうはずだ。だから円佳にも確認を取ったのだろう。1つの鍵に守護者は2人。つまり光と闇があるのならば4人いることになる。闇の鍵の所有者が美都であったと仮定しても、光の鍵の所有者が存在しするため弥生たち以外の守護者がいないことの理由にはならない。弥生はそれを「おかしい」と見ているのだろう。
「光の鍵は、守護者を選ばなかったってこと?」
必死に頭の中で考えたことを絞り出す。だが先程のように直ぐには弥生から応答がなかった。彼女もまた思案しているようでその表情は険しい。
「一つ考えられることとしては、私たちの預かり知らない安全な場所で守られているかもしれないってこと」
会話が続かなかった弥生に代わり、円佳が己の考えを口にした。深く艶のある声にハッとしたのか弥生も小さく頷く。
「はい。それならまだ良いんです。でもそうじゃないとしたら──」
「そうじゃないとしたら、光の鍵はどこかのタイミングで消失していることになるわね」
考えもしなかった予想に美都は驚いて目を見開いた。
「消失って……でも鍵は世界の均衡を保つためのものなんでしょう?」
「そうね。だから消失って言うのは有り得ない。だとしたら行方知れずってとこかしら」
一度自分で口にした可能性を否定し、妥当な線を上げていく。これには弥生も同等の意見だったようだ。
「私もそうなんじゃないかと思っています。少なくとも私たちの代以前に、何かがあったんじゃないかって」
「そ……そんなこと有り得るの?」
テンポの速い2人の会話をうまく処理出来ず、美都はポカンとしたまま疑問を吐き出す。消失も行方知れずも、どちらにせよ一大事なのではないかと。
「わからないわ。でもそうでも無い限り、指輪が──鍵が守護者を選ばないなんてことが考えられないの。だって鍵は守られるべきだもの。それに……有り得ないことなら、今のこの状況がそうだわ」
この状況という言葉が指すのは一つのことだけではない。1人の人間が所有者と守護者を兼ねていること、そして恐らく長い期間鍵を所有していること。既に有り得ないことが頻発している。だとしたら彼女たちが考えるように光の鍵が行方知れずになっているかも知れないということも可能性としては十分に有り得る。
「円佳さんと弥生ちゃんたちの間に、何かあったってこと……なのかな」
もしも仮に光の鍵が行方知れずになっていたのだとしたらそうとしか考えられない。そうなると何年前の話になるのか、その時の守護者は誰なのかと新たな疑問を反芻する前にそれまで黙していた羽鳥が口を開いた。
「それってさ、向陽の身内が守護者やってた期間と被るんじゃないか?」
「!」
その指摘にハッとする。透の年齢を考えると、確かにそうなるのだ。ならば今日四季が何かしらの情報を持って帰ってくるのではないかと期待が出来る。否、今連絡を入れた方が良いかとも一瞬頭を過るが踏み止まった。
「確かにそうです……帰ってきたら四季に話してみます」
「それが良いだろうね。何かしら穴埋めが出来るだろうし」
はい、と羽鳥の言葉に頷く。守護者の話を聞く、という名目ではあるが今日は各々折角の家族と共に過ごす時間でもあるのだ。特に千咲たちにとっては離れて暮らす息子との憩いの時間でもある。そこの介在するのは気が引けると考えた。
「ってなると、今現段階では少なくとも弥生さんの代からイレギュラーが発生してるってことしか分からないね」
「はい。でも逆に言えばそれがわかっただけ進歩だと思います。今まで私も不明点が多かったのは確かなので」
あまり接点の無い2人が会話している様は新鮮だなと感じる。今日に関してはこの面子が何よりも新鮮ではあるのだが。
そんなことを思いながら美都は一旦フッと息を吐いた。明確な理由はわからないにしろ、やはりイレギュラーがかなり存在することに安堵と目眩を覚える。
「お茶淹れ直しましょうか」
「あ、わたしやるよ」
言いながらテーブルに手を付く弥生に遅れることなく、美都も立ち上がった。勝手知ったる自宅であり、何せ目の前には育ての親と担任が坐している。今更円佳に気を遣うことはないが、羽鳥にはそうもいかない。これまで進路のことで気を揉ませた申し訳なさもある。何よりずっと大人しく座っているのは性に合わないのだ。
「悪い月代。ベランダ借りていい?」
話が一段落したと見たのか、それぞれ一息付く時間になったようだ。その申し出にすぐにピンときたので了承の返事をする。
「あんたまだ吸ってんの?」
「今日は加熱式。紙じゃないから」
「加熱式も紙もニコチン入ってたら変わんないわよ」
やいのやいのと友人同士の歯に衣着せぬ会話が耳に届く。親世代ながら微笑ましいなと感じてしまう程だ。フランクな話し方が出来るのは信頼関係がある証拠だろう。
羽鳥に付き添うようにして円佳も寒風吹くベランダへ出ていった。風邪を引かないと良いが、と目で追っているとキッチンで横に立つ弥生から声が掛かる。
「12月に入ってすっかり寒くなったわね」
「ね。今年は雪降るのかなぁ」
「降るとしても年明けじゃないかしら。中々都心じゃホワイトクリスマスって訳にはいかないわよね」
クリスマス、と言う単語にはたと目を瞬かせた。そう言えば一年を締め括る一大行事があったな、と。これまであまり重要視をしてこなかったのでついつい忘れがちだが街中ではイルミネーションが目立つようになってきた。まだ先の話だと思っていたのだが1ヶ月を切っているのだ。
「冬休みかぁ。勉強しなきゃだ……」
「ようやく進路が決まったものね。でもクリスマスくらいは遊んでもいいんじゃない? 恋人が出来て初めてのクリスマスなんだもの」
「うーん……何すればいいんだろ?」
恋人である四季とは既に同居しており毎日必ず顔を合わせている。イルミネーションを見に行くにしても互いの年齢を考えると遅くまでは出歩けない。どうしたものかと唸っているとクスクスと笑い声が届いた。
「逆転の発想をしてみたら? もし会うのが年に1回とかで、その時自分は恋人と何がしたいかとか」
それだと七夕になっちゃうけど、と己で言ったことに弥生が苦笑する。その提案を即座に頭に移した。
(もし、四季と会うのが一年に1回しかなかったら──)
確かに考えたことがなかった。この生活を始めてから毎日共にいることが当たり前になっていたからだ。仮定の話を考えると如何に贅沢な環境であるか改めて実感する。恋人と毎日会えることの幸せを。
「──!」
そんなことをぼんやりと薄目で考えていた間際だった。脳裏に見覚えのある残像が過りハッと目を見開いた。
「どうかした?」
「あ、ううん。なんでもない」
弥生に訊かれて慌てて首を横に振る。何事もなかったかのように、そのまま再度手を動かし始めた。
(今のは──……)
また、あの女性だ。脳裏に映ったのは1秒もなかったがそれでもはっきりと分かった。何度も自分の夢に出てくる、巴に似た黒髪の女性。哀しそうに笑う姿。また何かの暗示だろうか。
(一体誰なんだろう)
以前新見から「あなたを守りたいと思っている祖先の人間」ではないかと言われたことがあった。自分の記憶の中には一才登場しない見知らぬ女性。何かしら自分と縁がある人物なのだろうか。
そう考えながらチラリと弥生を横目で見る。弥生ならばあるいは知っているのだろうかとも考えたことがあるが、何分血縁と知って日が浅い。それに彼女は自分に対して後ろめたさを感じていたと告白してくれた。今、あまり親戚縁者のことを訊ねるのは避けておいたほうが良いとだろうと弁えている。それならば円佳に、とも思うのだが知ったところでという気がしないでもないのが本心だ。あの女性が誰なのか気にはなるが祖先ならば深掘りも難しいだろう。
(うーん)
しかし気になると言えば気になる。ベランダの方に目をやると、円佳と羽鳥は寒空の下でも話が弾んでいるようだった。
まぁまた機会があったらで良いか、と考えていると不意に透き通った弥生の声が横から飛んできた。
「で、クリスマスどうするか決まった?」
はたと目を瞬かせる。思考が別のことに引き摺られてしまい本来考えていたことを忘れていた。いつもの悪い癖だなと省みながら苦笑いを浮かべる。
「とりあえず、プレゼント何が欲しいかリサーチしてみる」
「いいじゃない。四季くん喜ぶと思うわ」
クリスマスプレゼント。恋人同士になってから自分が初めて四季に贈る物になる。
近いうちにリサーチと称して、クリスマスをどう過ごすのか訊いてみよう。
そんなことを考えながら、美都は茶葉が香るティーポットにお湯を注いだ。
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