めぐる鍵、守護するきみ-鍵を守護する者-

空哉

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思い出に至る全ての道-鍵を守護する者⑧下-

答えの向こう側

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「────あら、いらっしゃい」
扉を開けると一度驚いた様子を見せていたがすぐに歓迎の言葉が飛び出した。放課後のカウンセリング室。西陽がうっすらと入る室内で、新見はいつものように微笑んだ。
「体調はもう良いのかしら?」
「……おかげさまで」
「あらあら。可愛い顔が台無しよ」
自分が仕掛けておいてどの口が言うのかと怪訝な顔をして受け答えをしたところ、その表情に更に揶揄が入る。全くもって悪気の無い様子にやはり煮え切らなさを感じる。とは言え今更ではあるが。
「まさか来てくれるなんて思わなかったわ」
「……お話を伺いに来ました」
「でしょうね。と言うことは────」
言いながら新見は美都の背後に視線を向ける。彼女の後ろで控えている少年らを見遣るように。
「話したのね。彼らに」
装飾語をつけずとも、彼女が何を指してそう口にしたのかが理解できたため美都も無言で頷いた。彼らに話す前に唯一知っていた新見だからこそだ。無論知った経緯が正攻法ではなかったが故にここへ来ることに躊躇いがあった。しかし、彼女にしか知り得ないこともある。そう考え一念発起して今このカウンセリング室へ足を踏み入れている。単身ではなく、四季と水唯の二人と共に。
「いいわ。約束したものね。あなたが知りたいこと、訊きたいこと──私の知り得る限りで教えてあげる」
普段使用しているであろうカウンセリング用の椅子に腰掛けると、同じく美都へ「座ったら?」と促した。警戒しつつも新見から戦闘の意志も感じられないため向かいの椅子にゆっくりと腰を据える。少年らは美都の後ろでじっと様子を窺っていた。
「……体調が戻ったからなのか、この子たちに話したからなのかは分からないけれど──吹っ切れたような顔になったわね」
「脅威がなくなったのもあります」
「ふふ、油断はしない方がいいわよ?」
他愛ないやり取りのように思えたが不意に不穏な言葉を発する新見に、やはり身体が構える。だが恐らく彼女が言うのは、と予想も出来ていた。
「……次の脅威に、ですか?」
「そうね。具体的に何かが動き出したわけじゃなさそうだけど。それにここからは私の管轄外だもの。この先どうなるかは分からないわ」
顎に手を当てながら、彼女自身も考えるようにして目線を宙に置いていた。
「まぁ、この話は一旦置いておきましょうか。それで何から訊きたいのかしら?」
話を切り変えるようにして、再び向かい合う。美都は膝に置いた手に力を入れグッと喉を引き絞った。
「まず確認なんですけど──わたしが見たものと先生が見たものは同じものですか?」
「あなたの記憶のことを言っているならそうね。見え方に鮮明さや言語情報の不透明さはあるかもしれないけれどほぼ齟齬はないでしょう」
「じゃあ……わたしの過去を見て何か分かりましたか?」
新見はその特殊な能力で強引に美都の記憶を覗いた。その際に現れた記憶としての映像。まずはそれが共通のものか確かめる必要があった。と言うのは”美都の強すぎる力の要因となっている原因が過去にあるのではないか”と彼女が仮説を立てていたからだ。
「記憶からは──あなたのその力の要因は特に何も得られなかったわね。でも──」
すると一旦押し黙った後、考えるようにして新見がゆっくり口を開く。
「────あなたも見たんでしょう?  訊きたいのはそっちね?」
「……はい」
流石に察しが良く、具体的に言葉にする前に意味を汲み取られた。対して少年たちは何のことだか分からずに困惑している。その雰囲気を感じ取った美都が身体を捻って概要の説明をした。
「記憶を見られている途中でね、女の人が割って入ったの。『これ以上はだめ』みたいな感じで」
「本当、まるで守護霊よね」
その際のことを思い出したのか、新見はクスクスと笑みを溢した。彼女こそ途中で妨げられた本人であるはずなのにその点に於いてはあまり気にしていないようだ。それどころか多少楽しんでいるようにも感じる。
「心当たりないの?  あの女性に」
「最初は……守護者の時の自分に似ているとは思いましたけど。でも──」
「違うでしょうね。あれだけはっきりとした意志があるのだもの」
美都の回答を途中で遮り、否定の接続詞に繋がる言葉を予測でもしているかのように同意した。
「知り合いや親戚とかで似ている人は?」
「いません。親戚に関してはほとんど会ったこともないので」
父方の親戚は常盤の家しか知らず、増して母方の親戚などはここ数日で初めて弥生が親族だと知ったくらいだ。祖父母でさえも顔を見たことが無い。
「あの女性を認識したのはあの時が初めてなのかしら?」
「……いえ。その前にも二回くらい。それとあの直後に一度」
「あなたが会いたいと望んだ?」
まるでカウンセリングのように次々と繰り出される質問に従順に答えていく。そして間際の問いには首を横に振った。
「なら、向こうから何かしらの働きかけがあると言うことね」
「たぶん。それで……夢の中で会話をしたんです」
そう言うと興味深そうに新見が身体を前に乗り出す。後ろに立っている少年たちも気になっているようだ。
「さっき先生が仰ったように、声はもっと大人っぽくて。『私はあなただけど、あなたは私じゃない』──みたいなことを言っていて」
「妙に哲学的じゃない。他には?」
「えっと……」
記憶を遡り、彼女と会話した時のことを思い出す。眠っている間の邂逅。あの女性との会話は然程多くはない。先程口に出したこと以外で覚えていることと言えば「あなたは独りじゃないでしょう?」と言う示唆だけだ。だがこれは完全に自分に対しての助言だろう。もう他に情報は無いと首を横に振ろうとした瞬間、もう一つ思い出したことがあった。
「──”ごめんなさい”、って……。声は聞こえなかったんですけど……口の形でそう読み取れました」
どうして彼女が謝る必要があったのか未だに良く分からない。何に対しての謝罪なのか、それとも単に自分の思い違いなのか。そうであるならば何故あんなに悲しそうな表情をしていたのか。
「その女性が、あなたに対して後ろめたいことがあるんでしょうね」
「でも……全然知らない人なんですよ?」
「それも可笑しな話なのよ。全くの赤の他人があなたの意識に介在するかしら?」
そう指摘され言葉に詰まった。確かに新見の言うことは正しい。なぜ見知らぬ女性が自分の夢に度々現れるのか。何か働きかけるにしても理由がなければここまではしないはずだ。そしてそれは恐らく、と思った時に後ろから声がかかる。
「お前、前にも予知夢みたいなの見たって言ってなかったか?」
「……うん。もしかしたらそれも何か関係があるのかも」
結局は予知夢ではなかったのだが、あの閉ざされた空間で天から響く男の人の声。こちらは実態を見たことがない。だがあの声も自分に干渉してきている。加えて少し先の未来が分かっているのかそれを回避させようと働きかけてくるのだ。その事実を簡単に新見にも説明したところ面白いと言わんばかりに彼女がフッと軽く笑んだ。
「あなたを守りたい人間がたくさんいるのね」
「──!」
真っ向からの言葉に驚いて目を見開く。天からの声もあの女性も、まさかそういった働きをしていると考えたことがなかったからだ。だが言われてみれば確かに彼らの行動は自分にとって不利益となるものではない。むしろ危機を知らせてくれているようにも感じる。何故に、と考えればやはり。
「わたしが所有者だからでしょうか?」
「それはあるでしょう。特にあなたの中にあるのは《闇の鍵》だもの」
「闇の鍵……」
鍵は強大な力を秘めていると言う。光は創造、そして闇は破壊。相反する力を以てしてこの世界の均衡が成り立っていると菫が以前そう話していた。単語だけ聞くと破壊の力を有する《闇の鍵》を手中に収めたい、ということはやはり理由としては明るくないのだろうと察せられる。
「……鍵を欲している人の狙いは何なんですか?」
「普通に考えれば、世界の破壊でしょうね」
新見がサラリと口にした不穏な言葉に顔を顰める。やはりそうなのか、と思わざるを得ない。
「理由までは知らないけれど。あの人に興味もなかったし」
次の質問を予測してか先回りして新見が答える。出鼻を挫かれたようであからさまに肩を落とした。
鍵を手にして世界を破壊することを目的とするならば、何がきっかけとなったのか。それがずっと疑問だった。だが真相は未だ解らずということになる。
「新見先生は、その人に会ってるんですよね?」
「顔は知らないわ。契約のために言葉を交わしただけ。必要最低限のことしか喋らなかったもの」
水唯の時と同様だ。鍵を狙う人物は周到に己の身を隠すことを徹底している。新見ならばあるいは、と思って訊ねてみたが有益な情報は得られなかった。これでまたふりだしか、と息を吐いた。
「話を戻しましょう。さっき守護霊という言葉を使ったけれど、恐らく近いものがあるわ。祖先の中にあなたを守っている人間がいるのかもしれない。だとしたらあなたのその強い力もまだ納得出来るわね」
「家系的に、不思議な力が流れている──ということですか?」
「無きにしも非ず、当たらずしも遠からず。と、言ったところかしら。それが基盤としてある上で隔世遺伝的にあなたに現れたと考えるのが妥当ね」
自分で口にした家系的という単語。両親の詳しいことは分からないが、父親の姉である円佳と母親の妹である弥生。どちらも血縁として守護者であった経験がある。その為どちらの血筋かは断定出来ない。一度改めて双方の話を聞く必要があるなと考えた際、その考えにハッとした。
「そっか、両方だから……」
「──?」
ポツリと呟いたことに反応するように、四季が首を傾げる。
「他の親戚は知らないけど、弥生ちゃんも円佳さんも守護者の経験があるでしょ?  だからわたしは父方でも母方でも守護者としての力は強く受け継いでるんだと思う」
「──確かに、一理ありそうだな」
四季の場合は父親である透が守護者だったと聞いている。直系であっても然程大きな力が現れないということは自分が考えた説が近いのだろう。
「それにあなたは所有者という点も大きく関わってそうだものね」
「でも、所有者に力はないはずなんじゃ……」
「それは守る力の話でしょう?  あなたの中にある力は全く別物よ。良くも悪くもね。暫定的に”不思議な力”と括るしかないわ」
結局手詰まりだ。家系的な問題と分かっただけも上々なのだろう。それに理由が分かったとしても対処のしようがない。そう考えながら眉間に皺を寄せた。
「この力は──やっぱり狙われますか?」
「狙ってくるでしょうね。その力を探るために私を派遣したんだもの。その秤が振れてしまったのなら尚更よ」
「そう……ですよね……」
新見が示唆することは至極当然だと言える。今までは不思議な力を秘めているという漠然としたものだった。だが先の襲撃により、全容に近いものが明らかとなったのだ。常人よりも何倍も強い力。欲しがらない訳が無い。ここで情けないと感じるのが自分自身では全くそれを理解していないということだ。それは新見にも指摘されている。自分の無能さに辟易していると続けて新見が口を挟んだ。
「私に一つ、考えがあるわ」
ハッとして、俯き加減だった顔を持ち上げる。単純に驚いたのだ。今になって協力的な対応をする彼女に。
「どうすれば良いか教えて下さるんですか……?」
「今のままだとフェアじゃないもの。元々私は中立よ。それに、あなたがその力をちゃんと使えるか興味もあるしね」
最後の一言で思わず顔を顰めてしまった。結局この人にとって自分は興味の対象なのだということだ。それでも現状を鑑みると自分の力をこのままにしておくことは出来ない。理解しているが故に頼らざるを得ないのだ。
「あなたにとっても悪い話じゃないわよ」
「……はい。教えてもらいたいです」
「ふふ、良い返事」
俄に濁した返事を理解したかのように新見がクスクスと笑う。その反応にまた唇を尖らせた。こういうところが子どもっぽいのかと自分にも呆れる。新見はひとしきり笑い終えると姿勢を正し美都と向き合った。
「簡単よ。結界に変換すれば良いの」
「結界……?  それって新見先生が使ってるような……」
「えぇ、そう。水唯にも出来るんだからあなたにも出来るはずよ」
突然の提案に目を瞬かせる。無論一度たりとも考えたことがなかった方法だからだ。そんなことが出来ると思ったことがない。結界を張るには特殊な技術が必要ではないのかと疑問に感じるところでもある。しかし新見の言い方だと然も難しくないといった口振りだ。
「もちろんセンスは必要だけど、あなたなら大丈夫でしょう。早速やってみる?」
呆然としていると、すかさず新見が口を挟んだ。どうやら力の使い方についての信頼は得ているらしい。ならばこちらも彼女が言ったことをやってみようとそのままコクリと頷いた。
「じゃあ水唯。お手本を見せてあげなさい」
不意に名前を呼ばれたことに水唯が瞬間声を詰まらせる。だがすぐにその言葉に応じるようにして美都の横に並ぶように半歩前に出た。そのまま己の胸の高さまで手を掲げると突如空間が分断されたように固い音が近くで聞こえる。何かが変わったのだと思って美都が手を伸ばすとガラスのような透明な壁にコツンと当たった。
「結界は元々領域を分けるためのもの。水唯が今やってみせたのはスタンダードなものね。種類はたくさんあるけれど己を守ることを最低限の目標とするならこれで十分でしょう」
「ど、どうすれば……?」
横目で水唯の所作を見ていたがはっきり言って何も解らなかった。ただ手を掲げたらそこに透明な壁が現れたのだ。訳がわからず動揺して首を傾げる。
「片方の手に意識を集中させるんだ。身体の中にある力をそこに送り込むように」
そう言われて試しに見よう見真似で手を掲げて見るが、何も変化は見られない。ぐぬぬと眉間に皺を寄せる。手に意識を集中させても水唯がやったように上手くはいかないものだ。
「前提が悪いわね。むやみやたらと意識を集中させても無駄よ。まず一つは想像。その力、今まで全く使えなかった訳じゃないんでしょう?」
「──はい。えっと……」
確か、と状況を脳内に浮かべる。己の内側にある力が発揮出来る時に考えていたこと。
(……そうだ)
いつだってそうだった。いつだってそこには”守りたい”という気持ちがある。だがこの想いに関しては自分に向けられるものではない。だとすれば新見が先程言ったようにこの意味合いも変換すれば良いのだ。自分自身を守りたいと思えないのならばどうするか。
(鍵を……守らなきゃ)
自分は守護者であり所有者である。ここには二つの責務がある。自分の中に宿っている鍵を自分自身で守る。他人と違う力が流れているのはおそらくその為のはずだ。
目を瞑って暗闇を創造する。自分にとって暗闇は恐ろしい場所ではない。むしろ居心地が良く安心出来る空間だ。その暗闇の中で意識を研ぎ澄ませる。
段々と周りからの音が遮断されていく。無音状態のまま、暗闇へ手を伸ばす。以前空を切った時とは違う。確信がある。
守りたいものがある。大切なものがある。だから今度は大丈夫だ。いつだってこの力は、自分の味方なのだから。
そのうちに掲げている方の手が光に包まれる感覚がした。段々と熱を帯びていく。
(温かい……)
ここに光があるのだと思わせてくれる。そしてこの光こそが今までも自分を導いてくれたものだ。
選んで間違えてしまったら、と何度も考えた。それが怖かった。だから誰も信じなかった。それでも唯一知っている。
この光だけは絶対に信じて良いものだと。
「……驚いたわ。まさか本当に出来るなんて」
ふとそのポツリと呟かれた声を皮切りに、急に無音状態が終わった。ゆっくりと瞼を開いていく。ぼんやりとした視界の先には目を見開いてこちらの様子を見ている新見が見て取れた。そして徐に立ち上がってこちらへ歩いてくる。
「よく出来ました」
「!  これが……」
言いながら新見が空中へ向かってコンコン、と窓ガラスを叩くように指の甲を二度当てる。自分の目の前には透明な壁が出現していた。触れられてようやく理解が出来た。
「これはまだ初歩ね。そのうち印を結ぶことも出来るはずよ」
「ありがとう、ございます……」
「言ったでしょ、あなたにはセンスがあるって。ただ、使いこなしていくには訓練が必要よ。まぁあなたならすぐに習得出来るでしょう」
自身が発動した結界にまだ呆然とする。実感が湧かないというのが正直なところだが何となくの力の組み立て方は読めたような気がした。後は彼女の言う通り訓練次第というところだろう。また水唯にもコツを教えてもらわなくては、と彼のことをチラリと仰ぎ見る。
「さて、私が教えられる情報はこれくらいかしら。後は自分達の力でどうにかすることね」
頭上から響く甲高い声に目線を動かす。まさか新見がここまで親身に応じてくれるとは思わなかった。その点に関しては謝辞を述べるべきだろう。だが懸念すべき事項が残っている。
「……新見先生は、これからどうするんですか?」
話は終わったと言わんばかりに顔を横に向け、踵を返そうとしていたところに口を挟む。無論味方になるとは思えない。ただこのまま敵として再び相対することがあった場合、完全に不利な状況に陥ることとなる。それだけは避けたかった。
「──月代さん。あなたはどうして鍵を守りたいと思うの?」
質問に質問で返され、思わず美都は言葉を詰まらせた。鍵を守りたいと思う理由について。
「守護者である以上確かにそこに使命は存在するのかもしれない。それでも本来ならばそれは勝手に負わされた責任よ。そこまでの義理はないはず。それに──」
新見が朗々と語ることについて、黙って耳に流す。守護者であることの使命と責任。改めて聞くとその言葉の意味が重く感じる。どう答えようか考えていると彼女の言葉が続いた。
「所有者としてのあなたの苦しみは、あなたにしか分かり得ないわ。それを一人で抱えたまま……どうしてあなたは生きることを望むの?」
瞬間、飛び出た内容に驚いて目を見開く。それは目の前で自分の苦しむ姿を見た新見だから抱いた疑問なのだろう。心のカケラは身体を動かすための核だ。失われれば仮死状態に陥る。”仮死”とは良く言ったものだと思う。実際には短い死に近い。そこに至るまでの苦痛もなればこそだろう。恐らく新見はそれを踏まえた上で問うているのだ。
美都はふと目を細める。彼女の問いかけへの答えを探して。生きること、という決して当たり前ではない事象について。
「……約束を、したんです」
ポツリと呟く。
それは呪いだ。ずっと自分の中に蝕まれている、小さな小さな呪い。約束とはそういうものだ。「良い子で待てるわよね?」と母親は言った。今もずっとそれを守ろうとしている。思えばあれが初めて交わした約束だった。
「それを約束だと思ってるのは、あなただけではなくて?  待ち続けるのだって簡単じゃない。だからあの時、迎えなんて来ないって嘆いたんでしょう?」
何も口に出していないのにまるで考えていることを見透かしたかのように新見が追及する。恐らく彼女は記憶を垣間見たことで言葉と行動の齟齬についてのことを言っているのだ。
その通りだった。あの時は、孤立無援のように感じていた。誰にも頼ってはいけないと思っていたから。自分はそこまで価値のある人間ではないと。無論それは少なからず今も考えている。それでも。
「──わたしはずっと一人だと思っていました」
顔も覚えていない父親、十年経っても迎えに来ない母親。肉親からの愛情を受けず育ってきた。身元を預かってくれた常盤家の人間は優しかったが、彼らにも彼らの家庭がある。だから甘えすぎてはいけない、迷惑をかけてはいけないと。いつかは離れなければいけない時が来るからと。それは凛に対してもずっとそうだった。彼女だけではない。出逢う人物全てに対し、必ず一線を引いていた。信じるのも、信じて裏切られるのも怖かったから。
「色々なものを、……見ないふりしてきました。その方が楽だったから」
自分に向けられる想いを。愛理から「他人からの想いをなかったことにするな」と言われていたにも関わらず。向き合うことがひたすらに怖かった。今思えばそれがどんなに愚かしいことか解る。積み重ねてきたものを崩すことはそう易くはなかった。
「──自分の存在意義がわからなかった。置いて行かれた記憶だけが鮮明で、ずっと苦しくて。だから生きる意味なんて見つけられなかった。先生の言う通り、待ち続けるのは簡単じゃなかったんです」
どうして自分はここで生きているのかと、何度も考えた。誰の為に、何の為に。鍵を守ることに関しても同じだ。意識が朦朧としたあの時に脳裏に過った。
「辛くて、苦しい。それは心のカケラを取り出される時も同じです。抉られるような苦痛をもしかしたら今後も味わうことになるのかと思うと、いつだって怖いです」
自身の胸元に手を当てる。所有者であるが故に脅威の対象になる。そのせいで周りの人間にも影響が出るのだ。それが心苦しかった。だから他人から距離を取ろうとした。
不意に水唯が顔を歪ませて視線を落とす。以前、その苦痛を与えた本人だからだろう。
「確かに所有者はなりたくてなったわけじゃない。理不尽に思うこともあります。でも──守護者は違う。守護者は自分が望んだんです。大切な人を守りたいって」
鍵を守って欲しいと菫から言われた時には深く考えていなかった。だがその直後、大切な人に魔の手が伸びる様を目の当たりにして、自分自身が願ったのだ。守る力が欲しいと。
「あの時とは確かに状況が違う。前提が違う。鍵がわたしの中にあるのなら守らなきゃいけない。鍵を守ることが、”大切な人を守る”という信念に繋がるから。それに──教えてもらいました」
グッと手を握り締める。守護者の力を得る時に、この問いが再び巡ってくると予言されていた。あの時とは違う状況下で。だがもう答えは出た。自分が出した。自分自身の信念の元。それに気付かせてくれたのは紛れもなく周囲の人間のおかげだ。
「一人では立ち行かないって。手を伸ばして、引き留めて叱ってくれました。……わたしの、大切な人たちがみんな」
こんな自分のために。一人になろうとした時に、「ダメだ」と言ってくれる人がいた。繋ぎ止めてくれた。居場所を与えてくれた。何もないと思っていた自分に、意味を与えてくれた。それだけで理由としては充分だった。
視線を上げ、新見を見据える。彼女はただ黙って耳を傾けていた。
「きっとこれから先も辛いことは多いと思うんです。でもわたしは……自分が考える幸せを、生きていく上で感じてみたい。大切な人と過ごす日々を」
考えた先に感じる幸せがあるのだと。自分にとっての幸せは大切な人たちが幸せであること。それを当初は答えと定めた。しかしその先に出来てしまったのだ。今まで自分が決して望んではいなかったものが。
待つことは簡単ではない。だからこの10年間辛かった。何の為に待っているのかさえ忘れてしまいそうな程、長い長い期間。ずっと一人だと思っていた。
それでも光を見つけることが出来た。導いてくれた人がいたから。迷路から出られず殻に閉じ籠ろうとした時に道を示してくれる人。自分の周りにはそんな人たちがたくさんいるのだと気付いた。そして不意に己の掌を見つめる。
「それに──約束をしたんです、新しく。わたしがその子を待たせるわけには行かないので。だから──……」
握ってくれた小さな手。約束とは呪いだと知っていながらも、あの幼子と指切りをした。
新しい約束。新しい願い。必要としてくれる温もり。包まれて知ってしまった。欲が出てしまったのだ。
自分の口から未来を語る日が来るなんて、と少しだけ驚いている。周りに迷惑をかけるかも知れないと解っていても進みたい道がある。
「────大切な人との未来を生きてみたい。これが、わたしの答えです」
言い切った後、口を固く結んで口角を上げる。これが本当の、願いの先にみたものだ。
黙って聞いていた新見も俄に驚いて目を見開いている。しかしすぐに正気に戻り、フッと息を吐いた。
「……女の子の成長は、本当に早いわね。あなたの覚悟は分かったわ」
「新見先生、協力してくださいとは言いません。でもあちらに与することだけはやめてもらえませんか」
新見が言い終わるのと同時に、先ほど反故にしていた言葉を彼女に伝えた。味方にはならずとも、鍵を狙う人物の補助を続けることになればまたいずれ一戦交えることとなる。人間である彼女を攻撃することは出来ないのだ。
「心配しなくても私とあの人との契約関係は終わったわ。言ったでしょう、あくまで中立だって。──今は、ね」
安心したのも束の間、最後の一言に肩を竦める。契約関係が終わった現状だがこの先事態が変わった際にまた向こうに付く気なのか、と。グッと喉を引き絞った際、新見が続けて話し始めた。
「私はあなたみたいに、そんな高尚な覚悟を持ち合わせていないの。世界がどうなろうと知ったことではないわ。むしろ退屈な日常が崩れるならそれも面白いでしょうね。だから全ては月代さん──あなた次第よ」
「わ、たし……?」
名指しされ、きょとんと目を瞬かせる。その前に新見が語ったことを捨て置けなかったため、突然名前を出されたことに驚いたのだ。それに自分次第と言われ更に動揺する。
「これからあなたがその信念を貫いて、立ち向かっていく姿を見ているわ。もしそれで私を楽しませてくれるならあなたの手助けをしてあげる」
「……!」
「すぐにとはいかないでしょうけどね。あなたの今後の成長を期待してるわ」
新見が語る内容を自分の中に落とし込んでいく。構えながら聞いていたため精査するのに少し時間が掛かってしまった。結果構える必要はなかったのだ。それどころかこちらの利となり得る条件を明示した。
「──はい。頑張ります」
彼女がこちらに付くかは自分次第。そう飲み込んで強く頷いた。するとそれに応じるかのように新見がフッと笑みを零す。
「さて、本当にこれで終わりね。ちょうどもうすぐ下校時刻よ」
言いながら視線を誘導するように壁に掛かっている時計を見上げる。いつの間にか長い時間話し込んでいたようだ。
ここに来る前は気が重かったが、終わってしまえば逆に肩の荷が降りたようにも感じる。無論一人では難しかった。二人の少年が傍にいてくれたおかげで安心して話に集中することが出来たのだ。
立ち上がって少年らに目配せをしようとした瞬間、新見の声が入る。
「水唯は残りなさい。伝えておくことがあるわ」
「──!」
ちょうど踵を返そうとしたところを呼び止められたため、水唯が驚いて目を見開いた。次いで美都が彼心配そうな視線を向ける。
「何も取って食べるわけじゃないわ。今更この子のことをどうにかしようなんて思わないし」
美都の瞳を察知してか、鋭く補助が入る。そう言われても元々同志の彼らだけを残していくことが得策なのかと考えてしまう。特に水唯は組織から離反した身だ。そのせいで以前新見が制裁を加えようとしていたことも記憶に新しい。
「先に行ってくれ」
「水唯……でも……」
「俺は大丈夫だから」
心配させまいとして水唯がいつものように柔らかく微笑む。しかしそれこそ不安になるのだ。彼は自分と似ている。自分もいつもそうしてきたから。笑みを向けることは無意識の境界線だ。これ以上関わらせないという。もちろん彼にその意志がないことは分かっている。だから彼のことを”信じなくては”。
渋々と了承の意を伝えるため頷いた。次いで四季が後方にある扉へと促し、水唯も出入口まで二人を見送る形をとる。
「……──」
恐らくはもう新見の脅威は無い。先日のように水唯が襲われることも無い。それは分かっているのになぜだか彼を見ていると不安になる。見送られる側はこちらなのに。彼が何処かへ行ってしまうのではないかという気に陥る。この場に一人残る彼のことが気掛かりで。
「っ……水唯!」
気付けば反射的に彼の名を呼んでいた。本能の赴くままにとでも言うのだろうか。何となしに引き止めなければと思ったのだ。後一歩で扉から出るという手前で振り向いて手首を掴む。水唯自身も驚いて目を見開いていた。
「──っ……」
不安になるのは、きっと。似ているから。彼が自分に。あの時の構図に。
これは見送られる側ではない。彼を一人残して去るのだから”見送る側”なのだ。
俯きながらそんなことを考えていた。
あの時言えなかったから後悔した。だから今度はちゃんと言わなくては、と喉をグッと引き絞る。大丈夫。彼を信じている。
「……──教室で、待ってるね」
掴んでいた手首を離しながら顔を上げて笑みを作る。それでもいつもの様にはいかず、自分でもぎこちない感じがした。
水唯は掛けられた言葉と表情を見て、更に息を詰まらせていた。だがすぐに冷静になり、宥めるように笑みを返した。
「あぁ。すぐ行く」
「……うん。じゃあ後でね」
先に出ていた四季に倣って、扉から退出する。そのまま横開きの扉が閉まり、水唯の姿を見送った。口を結んでもう見えない彼の姿を思うように扉を見つめる。
見送る側は、やはり怖い。いつまた置いていかれるか分からないから。思っている以上に自分の中にトラウマが張り巡らされている様だ。
「!」
「大丈夫だって」
不安そうな瞳で扉を見ていると、不意に背後から四季の大きな手が頭に乗せられた。彼の温もりに少しだけ安心する。
「うん。……そうだよね、ごめん」
「下校時刻も近いし、そんな長話にはならないはずだ。教室で待つんだろ?」
四季の気遣いに救われる。彼の言う通りだ。間も無く下校時刻なので長話は出来ない。それにこれは杞憂だ。ただ状況が似ているせいで重ね合わせてしまっただけ。それは水唯の表情からも見てとれた。
そして二人は、どちらからともなくそのまま黄昏時が近づく校舎の廊下を歩き始めた。





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