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思い出に至る全ての道-鍵を守護する者⑧上-

孤独の中の

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「よぉ、星名」
「………」
「んな怖い顔すんなって」
あの後美都の後を追って家を出た水唯は、公園沿いの道路まで赴いた。適度に茂る木と金網を隔てた箇所で、ブランコに座る美都の後ろ姿を目視する。しかし、一人にさせてほしいと言った彼女に自分が話しかけるのも違うだろうと考え公園には入らなかった。
ただ、彼女の傍にはいなくてはならない。一人のときに何かあってからでは遅いのだから。
自分の役割と彼女の気持ちを考慮し、背中合わせになるようにフェンスにもたれた。
先程の四季との言い合いのとき、何かを言おうとして飲み込んだ美都の姿が思い出される。
この時は水唯自身も、美都の考えを図り切れずにいた。
「──気づいてたんだろ?」
「まあ、お前の先に美都が見えたからな」
微かに聞こえる、美都が口ずさんでいる歌を聞きながら考えを巡らせていたとき彼女の名前を呼ぶ声が聞こえた。その声の主が、今同じく水唯に声をかけてきた中原和真だったのだ。
特別怪しい気配がなかったため反応に遅れてしまった。慌てて振り返った際にフェンス越しに和真と一瞬目が合ったのだ。
「あれで正解だったか?」
「──あぁ。……悪い」
「なんだよ。お前のせいじゃないんだろ?」
和真は労いの意味も込めて言う。
あの瞬間目配せが有り、あえて彼が美都に話をしにいったのだと理解した。まるで自分が声をかけないことを把握したかのように。
「止められなかった俺にも責任はある」
その後彼の計らいもあり、和真と美都の会話をフェンス越しにずっと聞いていた。
その際に美都の想いをなんとなく把握する事が出来たのだ。
彼女の言う『守りたいもの』は自分たち周囲の人間で、『守らなきゃいけないもの』は疑いようもなく鍵のことだろう。責任感の強い美都の考えそうなことだと思った。
だがそれとこれとは話が別だ。彼女が自分たちのことを守りたいと考えるのと同じ、否、それ以上に彼女の方が守られるべき存在なのだ。
だが美都自身がそれを良しとはしていない。そこに齟齬が生じている。だからこそ、この現状なのだろう。
「────なぁ」
考えを巡らせていたところ、和真からおもむろに声がかかった。
「俺はお前らが何をしているのか知らないし、首を突っ込むことじゃないと思ってる」
いつになく真剣な表情をする和真に、水唯も応えるように背を正した。続けざまに和真は自論を展開する。
「だからこれは幼馴染みの一意見だ。いいか。あいつはお前らが思っているよりも相当頑固だ。一度決めたことはそうそう変えないし、言わないと言ったら言わない。絶対にだ」
固有名詞を出さなくても和真が言うのは美都のことだと容易に把握出来る。無言のまま彼の言葉を耳に流した。
「さっきの話聞いてたろ?  あいつにはまだお前らに言ってないことがある。まあ、凛にも言ってないとは思わなかったが……納得できなくはないな」
さっきの話というのは、和真と美都の会話の中に出てきた『あの事』だろう。会話中でも濁されていたため具体的なことはわからない。恐らく和真は自分が聞いていることを知っていた手前、美都に気遣ったのだろう。彼なりの配慮だ。当の和真も聞き及んでいない情報が飛び出したため驚いているらしい。
「あいつが話さないのは、それなりの理由がある。嫌味とかじゃないからな。俺がそれを知ってるのは、単に昔から一緒にいたからだ」
言いながら和真は眉根を顰める。制服のズボンに入れていた手を出し、腕を組んだ。
「良い傾向だと思ったんだ。ここ半年の美都は良い意味で感情的になったし、無理して笑う事が減った。お前らと逢って一緒に過ごす機会が増えて、……あいつなりに何か打ち込めるようなことが出来たんだなって思ってた」
尚も難しい顔をして彼は話を進める。飛び出す単語に引っかかりを覚えながらも口を挟むことはしない。今彼が発した内容は既に過去形だったからだ。
「──けど、最近のあいつはまるで逆だ。むしろ悪い。普段通りに振る舞おうとしてるのが裏目に出てる。ま、わかる奴にしかわかんねーけど」
逆説の後、和真が冷静に現状の所感を述べた。
そう言うと彼は再び水唯と向き合い、想いを口にしていく。
「これは四季にこそ言うべきなんだろうが……あいつが誰かと言い合いになるのなんて滅多にない。さっきの話を聞いてても思ったがそれほど何か譲れないものがあんだろ。俺はそれを知らねぇ。お前らにも事情があるだろうし、美都の気持ちを汲んでやれとは一概に言えねーけど……あいつ、このままだとやばいぞ」
「………」
鋭い意見だ。ずっと水唯が考えていたことを和真は全て口に出した。背景を知らない者でさえ勘付く程のところまで話はきている。
「……そうだな」
その真っ当な考えに、水唯は同意の相槌を打つほかなかった。
幼馴染みで長い付き合いがあるとは言え和真はそれ以上に勘が良い。示唆する事のほとんどが的を射ている。
「お前らを責めてるわけじゃねぇよ。それに、お前なんかは巻き込まれただけかもしれねーし。まああいつに関しては敏感になる奴が多いんだ。なんとなくわかるだろ?」
「──……あぁ」
ふと脳裏に美都の姿が浮かんだ。まだあどけなさを残す表情には、何か他者を惹きつけるものがあるのだろう。だから彼女の周りには常に人がいるのだ。
すると一通り自らの考えを伝え終えた和真は、肩を竦めて締め括るように水唯に軽く詫びた。
「悪いな、お前にばっか言って。あいつは妹みたいなもんだからつい口出したくなんだよ」
「いや。聞けてよかった」
水唯にとって和真はあまり言葉を交わしたことのない相手だったが、見かけに寄らず頭が冴える方なのだとということが判った。
話ながら感情的になることもなく、四季とは正反対だと感じた。その見た目から敬遠していたが、もっと深く話してみても面白いかもしれないとさえ思うほどだ。
「……星名ってさ」
話が一段落したと思い息を吐いた拍子に名前を呼ばれはたと顔をあげた。
「あ、いや。これは俺の興味本位だから言いたくなかったら言わんでもいいんだけど。……お前って、美都のことが好きなんだろ?  なんか……今やってることって不毛なんじゃねぇ?」
思いがけない問いに、目を瞬かせる。さすがにバレていたか、と。
「……割と容赦なく抉るんだな」
和真の質問に、フッと苦笑しながら応じる。悪意が無いからこそ反応に困るものだ。
「わりぃ」
「───そうだな……」
水唯はほんの少し前の出来事を思い浮かべた。自分が美都と敵対する者だった頃のこと。
初めて逢ったときから惹かれるものはあった。ただ、美都が鍵の所有者であると判明した瞬間彼女とは相容れないのだと悟った。自分が彼女を苦しみの底へ落とすのだ。だから不要な感情だと。一度は捨てたはずのものだった。しかし。
────それがあなたの意思なの⁉︎  本当にそんなことを望んでいるの!?  ねぇ、水唯──!
美都は苦しみの中、自分を信じて必死に訴えた。誤った道に進もうとしていた自分を命がけで引き戻してくれたのだ。
彼女に対する償いの気持ち。そして救われた事実。温もり、鼓動、誰かを想うと言うこと。知らなかった感情を全て彼女がくれた。
(不毛、か──)
確かに和真の言うことも一理ある。同じ想いが返ってくることはないのだから。
だがその想いはちゃんと口にした。自分の意思を持って、昇華させた。だから不毛なのではない。何よりも今は、自分自身がただ彼女を守りたいと強く思う。
あどけなく笑う彼女の笑顔を。
「お──おい、星名?」
考え込んだまま微動だにしない水唯を不安に思ったのか、和真が珍しくおどおどと呼びかける。水唯はそのまま黄金色の瞳を深く揺らし、ゆっくりと瞼を閉じた。
思っていたことをどう表現しようか迷った。美都に対しての感情は、好意以外にもある。だとしたら、きっとこの言葉が──先程彼が出した例えがふさわしいのだろうと微笑して応えた。
「俺も──、彼女の事に敏感になる奴の一人だからだな」





少しの肌寒さを感じ、美都はベッドの上で目を覚ました。
起き上がるとあたりは夜の静寂に包まれており、一瞬遅れて自室だという認識に至る。
(そっか……あのまま寝ちゃったんだ)
和真と別れた後、そのままマンションへと帰った。家を飛び出してきた手前、当然気まずさは残ったままだった。
──もし四季がいたらなんて言おう。自分の中で気持ちが昇華できていないのに。
そんなことを考えながら恐る恐る玄関の扉を開いたものの、意に反してリビングには誰もいなかった。玄関に靴は残っているのでおそらく部屋にいるのだろう。しかし顔を合わせずに済んだことに少しだけホッとしてしまった。玄関の扉は鈍い音を立てるため帰ったことに気付くはずだ。それなのに部屋から出てこないということは四季もまだ自分の気持ちに折り合いがついていないのだろうと考え、そのまま自室へとそっと戻った。
和真からもらったココアの缶を机の上に置く。考えなければならないことは山ほどあったが、さすがに疲れが押し寄せていた。
少しだけ、と思い制服のままベッドに寝転ぶ。そしてすぐにやってきた睡魔に抗うことなく、美都は目を閉じた。
(11時か……)
枕元に置いたままだったスマートフォンで時間を確認する。思った以上に眠っていたらしい。
おそらく一度はどちらかが様子を見に来てくれたのだろう。いつもリビングに置いてあるブランケットが身体にかけられていた。それさえも気づかないくらい熟睡していたのだ。
ベッドから降り、部屋の電灯の明るさを変える。制服を脱いでハンガーにかけ、部屋着に着替えた。
(寝てる……かな)
部屋の扉をそっと開ける。この時間であればまだ起きていることも儘あるのだが、廊下からリビングにかけて電気が消えているところを見ると既に二人とも自室にいるようだと判断する。
美都はブランケットを持ち、二人を起こさないよう静かにドアを閉め明かりを点けずリビングに向かった。
普段ならば消灯した状態でもリビングには月の光が射し、仄かな明るさになる。しかし新月が近いのかはたまた曇っているからなのか、射しこむ光も薄く誰もいないリビングは一層静けさを増していた。
ブランケットを置いて脱衣所へ向かおうとしたとき、微かにシャワー音が聞こえた。
「……!」
二人とも自室にいると思っていたがまだどちらかが使用しているようだ。
美都は一度部屋に戻ろうかと考えたが、迷った後リビングに留まることにした。眠りに入る前の気まずさが無かったわけではない。ただ、ここで戻ってしまったら現実から逃げているだけのような気がしたのだ。
そんな思考と肌寒さを紛らわせるため、カップに牛乳を注ぎ電子レンジで温める。夕飯を摂っていないことに気づいてはいたが、食べる気にはならなかった。
リビングの電気をこだまにし、温めたカップをソファーの前のテーブルに置く。自身はそのソファーの上に、膝を抱えるようにしてブランケットにくるまった。
「……」
寝ても覚めても、考えることは同じだ。
────どうしたら、いいんだろう。
何が正解なのか、どう答えを出せば良いのかわからない。出口のない迷路をさまよっているようだった。
カップの中にある液体の、白い面にうっすらと映る電球の灯りをぼんやりと見つめる。
自分の中に鍵があることは変えようのない事実だ。ならばこれから先もきっと自分は狙われる対象になる。
自分だけならまだよかった。ただ向かってくる敵と戦うだけだ。むしろ対象が他の人でなくてよかったと思っていたのに。
自分を守る為に、自分以外の人間が危険な目に遭っている。実際そういう場面を生み出してしまった。そのたびに胸が締め付けられる思いで。
「──……っ」
思わずブランケットに顔を埋める。不甲斐なさとやるせなさに押し潰されそうだった。
自分にもっと力があればこんなに悩まずに済んだのかもしれない。やり場のない気持ちが苦しい。
せっかく和真と話したことで少し楽になっていたのにまた戻ってきてしまった。和真に申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
「──美都」
「!」
不意に名前を呼ばれ、肩を竦める。その声の柔らかさから、どちらが名を呼んだかすぐにわかった。
「……水唯」
ブランケットからゆっくりと顔をあげ、ソファーの横に立っている人物の名を呼び返した。
「起きたんだな。疲れていたようだから起こさなかったんだ」
先程まで浴室を使用していたのは水唯だったらしい。薄暗さの中でも、乾かしたばかりであろう水色の髪が揺れたのがわかる。
「ありがとう……ブランケットかけてくれたんだね」
「ああ。それぐらいしかなくて」
その受け答えがすべてだった。
水唯だとわかっていながら、少しだけ期待していた自分がいたことに胸が痛んだ。
「──なにか……」
顔の動きで、水唯がマグカップの存在に気付いたのがわかった。美都も次の言葉を把握したようで、被せるように首を横に振り応える。
「お腹、すいてなくて」
「……そうか」
水唯のその返事には、おそらく何か食べたほうが良いというような意図が組み込まれていた。しかし自身の優しさからか、その言葉は飲み込んだらしい。目の前に置かれたマグカップの飲み物にほとんど口をつけていないため気になったのだろう。
テレビが点いていないからなのか、いつもよりも静寂で空気が揺れるように感じた。座っているとよりそう感じるのかもしれない。動いて入浴の支度をしなければと考えた時、不意に続けて声が届いた。
「……隣、座っていいか?」
「え?  あ、……うん」
予期せぬ水唯からの申し出に、美都は少し驚いて応える。
水唯は普段から口数が多い方ではない。こういった場面では、自然とそのまま流れることが多い。なので美都も少し緊張しつつ、自分が座っていた位置から横にずれて空間を作った。
その空いた場所に水唯がゆっくりと腰を下ろす。隣と言っても、美都と水唯の間にはもう一人座れるくらいの空間があった。
少しの沈黙が流れる。ちらっと水唯のほうを見ると、何から切り出してよいか決めあぐねているようだった。その雰囲気を感じ取り、美都の方から話を始める。
「……ごめんね。巻き込んじゃって」
具体的に何かという主語はあえて付けなかった。付けずとも明白だからだ。
同じタイミングで話しだそうとしていたのか、水唯は少しだけ恐縮気味に肩を竦めた。
「いや、俺は全然……。君の方こそ、その──大丈夫か……?」
恐らく切り出したかったのはこのことだろう。美都を気遣うように、口籠もりながら訊き辛そうにしていた。
水唯の問いにどう応えるべきか、はぐらかすように苦笑し一瞬間をおく。
「──悪いのは……わたしだもの」
迷った末、肯定も否定もしなかった。わからないのだ。自分の気持ちが。いつもであれば「大丈夫」だと言えるのに。自省の言葉が口から出た。
「君は……自分を責め過ぎだ」
眉を下げながら、今の言動を受けて水唯が返す。これが彼の優しさだ、と感じるところだ。
しかし美都はそれを受け取らず、首を横に振って応えた。
「そんなことない。四季が怒るのももっともだと思ってるの。わたしもそっちの立場だったら納得いかないもの……でも」
否定の接続詞と同時に目を細めた。
「それでもわたしは──……」
ブランケットの裾を強く握る。その後の言葉は飲み込んだ。また、こんなにも苦しい。上手く答えが出せない。それでも周りの人間が傷付くようなことだけは耐えられないのだ。
横で見ていた水唯は、美都のその表情から考えを感じとったようだ。少しの間思案して、静かに彼が口を開いた。
「──……美都。四季も俺も、君のことを守りたいと思ってる。だが、君もおそらく俺たちに対してそう思ってるんだろう?」
語られる言葉に、美都は姿勢を変えずに黙って耳を傾ける。
「だから君は、俺たちと距離を置こうとしてる。俺たちを巻き込まないために。……違ったら言ってくれ」
最近の美都の態度を気にしていたのは無論四季だけではない。だが水唯自身も明確な形容が出来ないでいた。それが今日の出来事でようやく輪郭がハッキリと見えたのだ。考察を述べながら美都に伺いを立てる。
その問いかけに美都は応じなかった。無言は肯定を意味するのだろう。
「君は優しいから……たとえ俺たちがどれだけ大丈夫だと言っても気にするんだろうな。だけど君が気にしているのはそれだけじゃないはずだ」
そう言うと水唯は一拍間をおいて美都の方に顔を向ける。その挙動に彼女はハッとして息を呑んだ。一瞬だけ目線を泳がせた後、ゆっくりと水唯に視線をあわせる。
「美都……君は鍵が守らなければいけないものだとわかっている。それでも俺たちを巻き込みたくない。そこに気持ちの矛盾が生じているんだろう?」
ただ真直ぐに水唯が美都に問いかける。その問いを落とし込むように、彼女は再び目を逸らした。
答えを探すように目線は宙を彷徨い、やがて観念したように苦い笑みを浮かべる。
「……かなわないなあ、水唯には」
それまで無言を貫いていた美都がようやく言葉を発した。一つ息を吐いて今度は彼女が水唯に問いかける。
「和真との話聞いてた?」
「!  ……すまない」
「ううん。たぶん水唯が近くにいてくれてるんだろうなって思ってたから」
美都が家から飛び出したあとのことだ。
わざわざ自分のいる場所を伝えたのは、何かあったときのため、そしてその「何か」を未然に防ぐためだ。特に逢魔が刻のあの時間は文字通り宿り魔の出現率が高い。対峙したときにすぐに援護できる必要があるのだろうと、美都にもわかっていた。
「──わかってるの、わたしの我儘だって。でもわたしは……わたしのせいで、みんなに迷惑がかかるのが嫌なの」
再び膝を抱え、ブランケットに顔を近づける。
「それは違う。君のせいじゃないだろ」
「そう思おうとした。だけど、わたしを守ろうとしてみんな何度も危険な目に遭ってる」
水唯のフォローを間髪入れずに否定し、美都は目を細める。その瞳の奥でどこか遠くを思い描くように。
「わたしは……守ってもらえるような人間じゃない」
不意に声色が変わった。強い感情でまるで自身のことを卑下するような口振りだ。だが水唯はそこで違和感を感じ取る。恐らくこれはただの卑下ではないのだと。先程公園で聞いていた内容から何かに繋がるのではないかと遡ろうとしたところ美都が続けた。
「それでも鍵が守らなきゃいけないものだって言うのならわたし一人でも大丈夫になる。──それが、鍵の守護者の役目」
遠回しに他者を拒絶しているようにも聞こえる。一つ前の彼女の言い分を整理するよりも先に、今の台詞は直ぐに繋ぎ合わせる事が出来た。
「……それが、『守るもの』の代価か?」
「──……そうだよ」
和真との会話で出てきた言葉だ。『最小限』という単語は、鍵の守護者である彼女自身のことを表すのだろう。同じく守護者である四季はその単位には含まれていない。だからこそ美都の返答に水唯は顔を歪ませる。
「美都……君は、何を抱えている──?」
冷静を保ちつつ問う。噛み砕ききれない疑問が山積している。だがそれを一つ一つ自分だけで咀嚼していたのでは埒が明かないと考えた。そこで単刀直入に聞いてみることにしたのだ。
しかし、否、やはりと言うべきか。思っていたような答えを望めるはずも無い。
「……何も抱えてないよ。だってわたしは自分のことしか考えてないもの」
──これが彼女を苦しめている原因だ。全て自分で引き受けることで、他者との関わりをだんだんと絶っていく。自分の我儘として自分の中に落とし込む。優しさを責任として偽ろうとするのだ。意識と無意識のどちらも働くことが、さらに状況を悪化させている。
水唯はこのまま押し問答を続けていても平行線だと悟った。少し厳しい言い方になっても、彼女自身の尊厳を意識させることが必要だと。
「君には誰か一人でも信頼できる人間はいるのか?」
すぐにハッとしたように、美都は水唯の方を見る。一瞬口籠った後、目線を落とし答えに惑うように呟いた。
「みんなのことを信頼してないわけじゃないよ。ただ……本当に嫌なの。これ以上、負担を増やしたくない」
質問の意図を捉えているのだろう。水唯のその問いには、和真との会話中に出てきた『あの事』に関してが含まれている。彼は幼馴染であるが故に知っていると言っていた。水唯が引っ掛かったのは、親友のように常に共にいるはずの凛に話をしていないことだった。
和真の口振りからして、相当な事情があることは把握した。それは恐らく美都の根底に関わってくることなのだろうと。長い時間共に過ごしてきた友人にさえ伝え難い事なのだ。
「──美都に……何がしか事情があることはわかった。それがそう簡単に口にできないことなのも」
水唯の言葉に、美都は背徳感を覚えて目を伏せる。心配してくれている彼にも素直に伝えられない。問答を諦めたような雰囲気に申し訳なく思っているとすぐさまフォローが入った。
「いや、責めているわけじゃないんだ。俺にもまだ君に言えてないことがあるし……」
「水唯にも……?」
驚いて思わず水唯の方に顔を向ける。すると彼は頷きながら応えた。
「伝えたところで何かが変わるわけではないし、きっと動揺させてしまう。そう考えると、現状は伝えるべきときではないのかと……迷っているんだ」
その表情は幾許か深刻そうに見えた。
水唯とは元々対立する立場であった為、彼自身の話を聞いたのはつい最近のことだ。以前の時も相当踏み込んだがそれでも全部ではなかったと言うことなのだろう。
「だから君のその考えがわからなくもない。俺も……君と同じだ」
「……──うん」
同じだ、と言われて自分の中にも落とし込むように前を向いて相槌を打つ。少しだけ許されたような気がした。水唯の優しさだと感じるところだ。
「───ひとつだけ、忠告させてくれ」
先程の表情を引き摺ったまま、彼の低い声が躊躇いながらも言葉を紡いだ。
「新見は……──俺に結界術を教えた人物だ」
「──!」
「彼女は結界術のエキスパートだ。戦闘力こそ高くないが、あの人の結界は場合によっては俺でさえ解けない可能性がある」
不意に新見香織が赴任してきた日の水唯の行動を思い出した。四季に、美都の手を離さない様にと指示したのだ。それにこれまでの戦闘でも嫌という程脅威になっている。エキスパートと言われるだけあって、その能力は他の者の追随を許さないということだろう。
水唯はそのまま難しい顔のまま話を続ける。
「ただ……今までも君が一人になる機会は少なからずあったはずなのに何も仕掛けてこなかった。それが解らなくて……俺もあの人の行動を図り切れずにいる」
引っかかる点はいくつかある。
カウンセラーとしての赴任、宿り魔強襲の増加、不可解な程の接触の少なさ。美都が狙いなのだとしたら、そこまで回りくどくする理由は果たして何なのか。
「あの人は命令に従うような人じゃない。自分が気になった事象にしか動かないから。初めは俺への揺さぶりのためかと思ったが……それも恐らく違う」
口に出しながら、考えられることを列挙した。彼の口振りから、確信的なものが無いことは明白だ。
「──新見先生は、なぜあちら側にいるの?  命令に従うような人じゃないのなら、どうして?」
問いかけに対して水唯が更に考えるように口元に手を当てる。
「……───恐らく向こうにいて、自分の利となることがあるからだろう。そのために手を貸しているのかもしれない」
応えるまでに幾分間があった。それは考えたことを別の言葉に変換したようにも聞こえる気もした。しかし話を切り替えるように、彼は向き直る。
「幸いなことと言えば、あの人も他人を必要以上に巻き込まないということだ。だから誰かといるときはいい。ひとりで行動するときは気を付けてくれ」
「──うん。わかった」
美都の返事を聞いて、ひとまず安堵したように水唯は息を吐いた。
先程の話の流れから、恐らくこの先も美都は一人で行動する事が増えるのではと感じたのだ。それを完全に御すことは出来なくとも、危機管理能力に訴えることは出来る。とは言え、水唯自身も全てを話すことができていない後ろめたさもあった。
苦虫を噛み潰したまま、ひとまずは話に区切りがついたと見て水唯がソファーから立ち上がる。
「遅くに長々とすまなかった。明日も学校があるしきみも──」
「……──水唯は」
立ち上がった事に気が付いていないのか、あるいは気付いていながらも訊きたいことがあるからなのか、美都は下を向いたまま水唯の言葉を遮った。
彼もそれに応じるように、改めて美都を見る。
「鍵のことを、どれくらい知っているの」
声から不安さが滲み出ているようだった。美都が持っている情報では今の彼女の立場において充分ではないということを瞬時に察知する。
水唯は一旦口を噤む。そしてどう伝えるべきか考えてた。鍵に関することは、あの場に居ながら深くは情報を得ていない。己が持ち得ることは全て話したが鍵については不明点が多いのも事実だ。それを考えていないわけでは無い。様々な事を考慮し、美都の質問に答えた。
「……以前に話した通りだ。後は憶測でしか話すことが出来ない」
「それでもいい!」
回答を聞いて美都が食いつくように反応した。彼女の焦りが見え隠れする。
本人も予想以上に声が大きかったことを気にしたのか、早々に平静を装った。
「憶測でも構わない。わたし知りたいの。自分が一番鍵の近くにいるはずなのに、わからないことが多すぎる」
美都は自分の胸に手をあてた。その中にある鍵に触れるかのように。
「知らなきゃだめな気がするの。所有者であり守護者である意味を。これが本当に前例のないことなら……きっとそこに何か意味があるんだって思うから」
俯きながら、胸に置いたままの手を強く握りしめる。その言葉尻からは、戸惑いながらも受け入れようとする決意の表れが感じられた。
「……」
美都の真剣な表情を見て、水唯は無意識に口元を覆った。
鍵のことに明るいわけでは無いが、彼女の言うとおり鍵の所有者でありながら守護者であることはおそらく前例がない。そこにはきっと何か理由があるはずだ。偶然に偶然が重ならない限り。
自分の行動で世界の命運が左右されることを、この少女は理解している。その小さい身体に背負うものが大きすぎる。何か一つでも綻べば、崩れそうな足場に立っている状態だ。
だからこそ助けてやりたい。少しでも救いになれればいい。彼女が自分にそうしてくれたように。
「……わかった。ただ、まとめる時間が欲しい。明日でもいいか?」
「うん。……ありがと、水唯」
水唯の答えに、美都は顔をあげて礼を伝えた。先程の声を大きくしたことを自省したのか少しだけ眉を下げながら。それだけ彼女も必死なのだ。
「引き止めちゃってごめんね」
「いや、俺も……話せてよかった」
続いて美都もソファーから立ち上がった。身を包んでいたブランケットを丁寧に畳む。その声色はいつもの彼女に戻っていた。
今までの流れを汲んで、水唯にはひとつ疑問が生じる。
「それじゃあ、おやすみ水唯」
「ああ……──」
その疑問を口に出すか迷ったが、それこそ話が長くなりそうなので胸に留めた。
答えを聞くのは、きっと明日でも良い。そう思った。
「おやすみ、美都」
互いに笑みを交わして、それぞれの場所へと向かう。
時計は間もなく、長針と短針が頂上で交わろうというところであった。


──この時にはそれぞれの明日が、とてつもなく長い一日となる事に気付くはずもなかった。

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