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思い出に至る全ての道-鍵を守護する者⑧上-

愛の喜びの中に

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明日に迫った文化祭のため、生徒たちも気がそぞろだった。今日の午後は文化祭の準備のために時間が当てられている。正真正銘、メインの学校行事としてはこれが最後になるだろう。
美都たちのクラスは脱出ゲームを企画していた。狭い教室内をどう駆使するか、アイデアの見せ所でもある。脱出ゲームに使う問題は揃っており7組の残作業といえば教室内の飾り付けのみであった。大した人手がいるわけでもないのでクラスの大半は既に下校準備に入っていた。
「こっち終わったよ」
「オッケー。ありがとー」
春香と共に教室内の装飾を加えていく。あやのはと言うと生徒会の仕事のため途中から抜けているのだ。彼女は最近特に忙しくしている。クラスの代表も兼任しているためこの文化祭が山場のようだ。慌ただしい姿を常日頃から見ているため、春香と共に装飾担当を買って出たと言うわけだ。
「なんかいよいよ中学最後の行事が終わっちゃう感じよね」
「確かに。ちょっと寂しいね」
飾り付けを進めながら春香が呟く。その思いに関しては美都も同意だった。今朝方凛とも似たような会話をしていたが、文化祭が終われば目ぼしい行事はほとんどないに等しい。かく言う文化祭も楽しみな気持ちと不安な気持ちが織り混ざっている状況だ。あまり気にし過ぎるのも良くないとわかってはいるのだが。
「明日は四季と回るの?  それとも凛?」
「え?  あ……そういえば考えてなかった。春香は?」
「あやのと、って言いたいところだけど……どうかなー」
うーんと春香が唸る。と言うのもあやのにも秀多がいるからだ。特に最近はあやのが忙しいため二人の会話が減っているようにも感じる。彼にとっては共に回りたいところだろう。
「じゃあ一緒に回ろうよ」
「もちろんそう出来たら嬉しいけどね。でも最近四季とべったりじゃない」
そう言われて思わずうっ、と声を詰まらせる。他人からはそう見えているのか、と。無論所構わず触れているわけではない。そもそも触れているわけではなく四季はただ常に側にいてくれているのだ。それが春香の言う「べったり」に見えているのだろう。
「にしてはちょっとピリピリしてるよね」
「あー……そう、かな」
チラリと教室の端で話している四季を見る。こうして教室にいる分には問題ない。例えば移動教室や他用で教室から離れる時だ。遡れば水唯の正体が判明する時からそうだったのだが最近はより顕著になった。心配してくれているのはありがたいのだが如何せん彼は神経質気味だ。逆に気を遣いすぎなのではと心配になってしまう。
「ま、仲睦まじいことは良いことよ。ケンカしたことないんでしょ?」
「ケンカはないかな。軽い言い合いはあるけど」
「そうなんだ?  ちょっとびっくり」
「?  なんで?」
春香の反応に首を傾げる。何を驚くことがあったのだろうと。
「美都が誰かに噛み付くことなんてないと思ってたから。ほら素直じゃない?」
「噛み付く、って程でもないけど……。四季は言えばちゃんと聞いてくれるから」
先ほどは言い合いと口にしたが実際には違う。自分の主張を聞いてもらっているだけだ。春香からは素直だと言う評価になっているが、それでもそのまま聞き入れるわけではない。納得する理由がなければ物事に対して疑問はつきものだ。だからこそ自分と意見が違った場合は必ず四季と言葉を交わすようにしている。大体は五分の割合で聞き入れられることが多い。同じ家で暮らすに当たっては大切な時間だ。
「順調に愛されてんのねー」
「あ、い……⁉︎」
「ちょっと今更照れないでよ。こっちのが恥ずかしくなるじゃない」
もう、と呆れ気味に言う春香から居た堪れずに美都は目を逸らした。仕方ないだろう、慣れないのだから。環境が人を変えるのだと身を以て実感した。自分が誰かを好きになることも、誰かと付き合うということもこれまでは考えたことがなかったのだ。
(だって……そうだよ)
だから急に不安になる。今こうしているのが本当に現実なのかと。何度朝と夜を繰り返してもやはり夢なのではないかと。それでも毎日目を合わせて名前を呼んでくれる四季の存在が自分の穿った気持ちを払拭してくれる。贅沢だ、と解っている。
「美都」
こうして名前を呼んでもらうことも。
柔らかいその声に反応するように振り返る。もちろん名をなぞったのは四季だ。
「明日どうする?」
つい先程まで同じ話題を春香としていた。やはり彼の方にも話が回っていたらしい。
四季に問われてふとそのまま仰ぎ見る。こうして声をかけてくれた、ということは恐らく彼の行動は八割型決まっているに違いない。だが敢えて訊いてみることにした。
「……四季はどうするの?」
「お前に合わせる」
想像通りの回答が返ってきてうーんと口を噤む。これは自惚れではない。彼はあくまで自分の身を心配して言ってくれているのだ。だからこそ考えてしまう。今この状況は四季の自由を奪っているのではないかと。
四季にも四季の生活圏がある。それなのに現状、守護者の責務のせいで「所有者を守ること」が優先されてしまっている気がするのだ。それは自分としては本望ではない。あまり彼に負担をかけ過ぎるのは良くないと考えている。
「あの……無理、してない?」
「?  何が?」
美都からの問いに眉根を顰めている。概要を飛ばしすぎたか、と反省しつつ再び先程訊ねた理由に説明を加えた。
「最近四季が自分の好きなように動けてないんじゃないかなって」
「……なんで?」
「わたしのことがあるから……」
少しだけ恐縮気味に答える。近くにある脅威に備えるのは必要なことだと分かっている。それでも四季の行動を縛ることだけはしたくない。その折り合いが難しいと感じているところだ。
四季は黙ったまま口元に手を当て何かを考えているようだった。するとしばらくしておもむろに美都の手首を掴む。
「ちょっと来て」
「え⁉︎  ちょ……!」
彼の行動に驚いて目を見開く。手の力に引っ張られながら足を動かし始めると、なぜか彼は廊下に繋がる扉へ向かうのではなく真反対に歩き出した。つまりは外だ。教室からは外に出る非常扉のようなものが設置されている。彼はそこからやや強引に外へ連れ出した。
大半の生徒が下校している状態でまだ助かった。教室内には見慣れた人間しかいないため四季とのやりとりもあまり気に留めていなかったようだ。彼もそれを見越していたのかもしれない。7組の教室は校舎の一番端に当たる。つまり非常扉から外へ出てそのまま後方へ歩くと校舎裏になるのだ。四季はそこまで来ると教室からの死角となる場所で足を止めた。美都が奥へ行くように誘導する。
「無理はしてない。ってかするわけないだろ」
「本当に?  窮屈に感じてない?」
「──待った」
と言って四季が片手を前に掲げる。制止に応じるように一旦口を噤み彼の出方を大人しく待つ。すると苦い顔をしながら掲げた手で己の頭を抱えた。
「……もしかしてお前が窮屈に感じてる?」
少しだけ顔色を悪くしながら四季が恐る恐る問いかけてくる。その様子にはつい首を傾げた。
「ううん。ただ負担になってたら嫌だなぁって」
美都がそう答えるとホッと胸を撫で下ろしたような表情を見せる。四季は目線を逸らしながら半身を校舎裏の壁に預けた。
「俺にとっては役得なんだよ。お前の側に居られるし、最近は──」
そこまで言うとまた口を噤んで渋い表情を浮かべた。見れば眉間にしわが寄っている。一度唸った後四季が慎重に言葉を組み立てていく。
「…………思うように触れてないだろ」
「……!」
ポツリと呟く中に、彼の葛藤が見て取れた。これまで学校では無理でも家に帰れば比較的自由に触れることが出来た。しかし現在は第三者──水唯の目がある。四季も気を遣っているらしい。
「だから無理はしてないけど────」
一旦校舎の壁から身体を離すと、角から教室の方面を仰ぎ見る。他人の気配がないのを確認するとそのまま美都の方へ一歩近づいた。
「我慢はしてる。すごく」
言いながら美都の頬に手を当て、彼女の唇に口付ける。いつもより俄かに軽いのはすぐ側が教室だからか。それでも優しいことには変わりない。不意に訪れた柔らかい感触に驚いて唇を隠しながら顔を紅潮させる。
「外じゃなかったら抱きしめてるぞ」
「もう──!」
追い討ちをかけるように飛んできた言葉に更に赤面する。控えめに抗議してみるが久しぶりに届いた温もりに、すぐには心臓が抑えられるはずがなかった。一方四季は先程教室内で会話していた時よりも表情を柔らかくしている。直接「我慢している」と伝えるくらいには相当堪えてくれていたのかもしれない。
「で、本題がずれたけど明日春香たちと回るなら──」
自ら脱線させていた話題を戻すかのように四季が話し始めた瞬間。
「っ!」
互いにハッと息を呑んで目を見開く。禍々しい気配を背中で感じ取ったからだ。紛れもなくここ最近毎日のように感じているもの──宿り魔の気配だ。
「──行こう!」
顔を見合わせて共に走り出す。一旦教室を通過しなければならないため、残っている生徒に野次を飛ばされそうだなと苦笑いを浮かべそうになった。だがそんな悠長に考えている時間はない。宿り魔を倒すこと──それが守護者の役割なのだから。





窓から夕陽が射し込む。水唯は職員室の前の廊下を、照らされた床を眺めながら歩いていた。
いよいよ文化祭が明日に差し迫った。すれ違う生徒たちも、学校の雰囲気自体も既に高揚感に溢れている。しかしだからと言って気は抜けない。あの人物がいつ仕掛けてくるか分からないからだ。
(一体何を──)
考えているのか。ここ最近毎日宿り魔を出現させるのは明らかに何かを狙っているに違いない。その対象は間違いなく美都であるのになぜかしっくり来ない。それは恐らくその人物の意図が読みきれていないからだ。
ハァ、と深い溜め息を吐く。掴めない性格なのは以前からよく知っている。彼女は一度たりとも隙を見せたことがない。だからこちらも身構えなければいけないのだ。
2階のホールに辿り着く。不意に壁際に設置してある木製のテーブルチェアに目線が動いた。
(懐かしいな)
まだ暑い夏の日。美都とここで他愛ない話をしたことを思い出した。互いに敵だと知らない時期だ。思えばあの頃から惹かれていたのかもしれないな、と己で考えたことに苦笑いを浮かべる。コロコロと表情を変える彼女を見ていると、自然と目が追ってしまうのだ。あのあどけなさと他人を受け入れる包容力は美都ならではだな、と思う。
テーブルの木目をなぞるように手を当てる。あの時から考えると彼女との関係性も大幅に変わった。今は守るべき対象だ。自分にとって何より大切な女の子。彼女を守ると決めた。そこに偽りはない。しかしまだ彼女に話せていないことがある。それは──。
「そんなところで何してるの?」
背後から響いてきた甲高い声にハッと目を見開く。その質問は明らかに自分に向けられたものだと瞬時に理解した。なぜならその声の人物に心当たりがあるから。
水唯はゆっくりと振り向いて声の主を確認する。先程まで考えていたその人物を。
「……別に、何もありません」
「あら、つれないのね。そんなに露骨に避けなくてもいいじゃない」
姿を確認しすぐに視線を逸らすと、追いかけるように詰る言葉が新見から飛んできた。なるべく彼女との接触は避けている。しかし広いと言えど校舎内ですれ違うことには回避が難しい。関わるべきではないと弁えている。今は敵同士なのだから。
「疑問に感じているんじゃないの?  私の行動に」
「──!」
考えていたことを見透かされた感じがして水唯は思わず声を詰まらせた。だがすぐに冷静さを取り戻す。そう訊ねてくるということは、新見にとって計画の内ということなのだろうと。ここで彼女に応じるのが得策なのか考える。眉根を顰めていると新見がふっと笑みを零した。
「私は別にあの子の中にある鍵をどうこうしようとは思ってないわ。それは契約に含まれていないもの」
契約、という単語を耳にしてピクリと瞼を震わせた。やはり彼と何かしらの契約を結んだのだ。その内容さえ明確になれば彼女の行動にも納得がいくようになる。そしてそれを考えていないわけではなかった。なぜなら彼女が現れたのは、自分が彼に美都の詳細を話した時期と重なるからだ。だがこの予想の正当性を確認するには新見と言葉を交わさなければならない。
水唯はグッと堪えたまま彼女を見据えた。
「どうしたの?  私に訊きたいことがあるんじゃないの?」
まるで煽るようにも聞こえるその態度に顔を顰める。乗せられてはダメだ、と理性を働かせる。正当性を確認しなくとも、ただ美都を守ることが出来れば問題はないのだ。だから再び彼女から目を逸らした。
「……あなたと話すことはありません」
「そう。まさかそんなにあの子に心酔してるなんて──驚いたわ」
クスクスと、新見は肩を竦ませて笑う。この状況を楽しんでいるのだ。圧倒的優位な立場にいるからこその余裕だろう。これ以上ここにいても無意味だ、と考え足を動かそうとした瞬間。
「──私がそう簡単に見逃してあげると思った?」
「っ……⁉︎」
脳に直接響く声に思わずバッと身体を構える。そのまま距離を取るため後退した。見据える彼女の瞳には陰が落ちている。打って変わったその雰囲気に顔を顰めた。
その気になれば新見はここにスポットを張り戦闘に持ち込むことも出来るのだ。間も無く下校時刻を迎えようとしているため、生徒たちの姿もまばらになってきている。警戒心を疎かにしていた自分を瞬時に苛んだ。連日の強襲を考えれば今が絶好の機会だろう。
「あなたとは、けじめを着けなくちゃいけないものね?  水唯」
喉を引き絞る。新見と自分の関係性を考えれば、彼女の言うことももっともだった。しかしだからと言ってこちらも安直に応じるわけにいかない。以前の自分の行動こそ過ちだったのだ。今はそれを説いてくれた美都を守ることが重要なのだから。
「──制裁ですか」
「そうね。私には一応その責任があるもの」
「だけどあなたには──そこまでの責務はないはずです」
なんとかしてこの戦闘を回避できないかと考えを巡らせる。元からして新見は自分のように彼の配下ではない。制裁として彼女が下すのは間違っているはずだ。だからこその発言だった。
「確かに義務ではないわね。だからこれは私自身の判断よ」
言いながら手を動かし始める。彼女の確固たる意思の前では避けられないのか、と考え水唯も体勢を整えた時だった。
新見の背後にある階段から、人の気配を察知する。疎らになって来ているとは言え校舎内にはまだ生徒が残っているのだ。新見もそれを感じ取ったのか一旦身体を制止させる。しかし階段を登って来た人物に目を見張った。
(夕月──!)
自分の姿を見つけると、凛はキョトンとした表情で目を瞬かせていた。
「水唯……?  ──っ……!」
そしてすぐに近くにいた人物に気が付きハッと声を詰まらせる。只事ではないと察知したのか身体を硬直させた。その様子を見て、新見は口元に笑みを零す。
「ちょうどいいわ。この子にも加わってもらいましょうか」
好機だと言わんばかりに新見は凛に目を付ける。ビクリと身体を竦ませるものの、まるで蛇に睨まれた蛙のように凛の足は床に固定されたままだった。
「何を……!」
「大丈夫よ。この子には何もしないわ────私は、ね」
新見の台詞に息を呑む。するとすぐに彼女が腕を掲げた。まずい、と水唯は凛を見遣る。凛を巻き込むことだけはあってはならない。それは美都が一番危惧していることだ。それに彼女こそ戦う術を持たないただの人間なのだから。
しかし寸分新見の方が早かった。凛の元へ駆け寄ろうとした矢先、辺りは反転された世界へと誘われる。
スポットに切り替わった瞬間、近くで宿り魔の気配を感じた。それに応じるように目の前から慄くような悲鳴が届く。
「──っ!」
凛のすぐそばで宿り魔が佇んでいるのを確認する。水唯はすぐさま宿り魔に向けて手を向けた。
「無駄よ」
水撃を放った瞬間、透明な壁に阻まれる。結界だ。新見はいち早く空間内を隔てる結界を張ったのだ。
「──やめろ!」
「安心しなさい。この子は囮よ。こうでもしないとあの子の本当の力が見えないでしょう?」
水唯は奥歯を噛み締める。新見が指す「あの子」とは今ここへ向かっているはずの美都のことだ。やはりあくまでも新見の狙いは美都自身なのだと実感する。その為に凛を囮に使ったのだ。
(せめて──!)
そう思いながら再び凛のいる方へ手を向ける。宿り魔と距離を取らせることは難しくとも、彼女の身体を守ることは出来るはずだと考えて。神経を集中させ凛の周りに水を喚ぶ。そして水の結界が彼女を包んだ。
「──、っは……!」
これで最悪の事態は免れた。宿り魔が凛を攻撃したとしても傷つくことはない。しかし得体の知れない怪物が目の前にいるということだけで生きた心地がしないだろう。否、生きた心地がしないのは自身も同じだった。
自分のせいで、凛が巻き込まれた。この状況を見れば美都は恐らく動揺するはずだ。新見の狙いはそれに違いない。凛に危害が加わることはないとは言え、彼女の身柄は新見にほど近いところにある。簡単にこちらに引き寄せることは難しいだろう。
「どう?  守る側の立場になった気分は」
新見は余裕そうな笑みを浮かべている。当然だ。こちらが攻撃したとして、彼女に命中する確率は低い。それは自分だからこそよく分かる。だからと言ってこのまま静止しているわけにもいかないと戦闘の構えをとる。
「いいわね。あの子が来るまで遊びましょうか」
彼女の小さい手のひらから更に小さい物質が垣間見える。それが紛れもなく宿り魔の胚だと分かるまで時間は掛からなかった。新見はすぐさまそれを憑代に融け込ませる。
「……っ!」
稲光を放ち瞬く間に人型を象るそれと対峙する。まさか自分がこの物体と戦う側になるとは思わなかった。今までは新見のように使役する立場だったのだから。その異形を目の前にして身体を構える。
自分は退魔する力を持たない。新見の言葉通り、美都たちが到着するまで凌ぐしかないだろう。己の力がどこまで通用するか。
水唯は深呼吸した後、宿り魔へ向かい手を掲げた。




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