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暗闇に届く一閃の -鍵を守護する者⑦-

星に願いを

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「……なるほどな」
報告を受け、溜め息混じりにそう呟いた。やはり予想通りになってしまったか、という己の察知能力を褒めたいところでもある。だが事態は褒められたことではない。
「いかがなさいますか?」
「好きにさせておけ。惜しいところではあるが、あいつが敵に回ったところで障害になりはしない」
これまで絶対に逆らわない駒であったため、正直人員が減るのは痛手ではある。しかし彼女に言った通り敵ではない。それに完全に敵に回りきれはしないはずだ、と踏んでいた。
「お前の手筈は整ったのか?」
「あら、性急ですね。昨日の今日ですよ」
クスクスと耳障りな笑い声が響く。その様に顔を顰めると雰囲気を察知した彼女が言葉を続けた。
「手続きが完了次第、すぐに取り掛かる予定です。ただ、そうですね──」
何かを考えるようにして一旦口を噤む。こちらから追及することでもないので彼女が話し出すのを待った。すると然程間を置かず再び唇を開く。
「契約遂行のためには、少しだけ長い期間を頂く必要があります」
「理由は?」
問いかけると不敵な笑みを浮かべた。まるでその質問が来ることがわかっていたかのように。
「試してみたいことがあるのですわ。もちろん損にはなりません。むしろあなたにとってはプラスとなるでしょう」
「プラスか。自信があるようだな?」
「もちろんです」
淀みのない受け答えから彼女の自信のほどが窺える。到底強がりという雰囲気ではない。
「いいだろう。あいつにもひと月与えた。同じ期間で十分か」
「えぇ。季節が変わるまでには必ず成果を上げてみせましょう」
それだけ言葉を交わすと彼女は頭を垂れてその場を後にした。余計なことを言わず去るのはいっそ清々しい気もする。
すると静寂に戻った場に、一つの気配が現れた。いつも側に控えさせているが彼女とは相性が良くないので下がらせていたのだ。
さて、と一息ついて名をなぞる。伝えねばならないことがあるのだ。
「────水唯が裏切ったよ」
そう言うと彼に似た容姿をした人物は、息を呑んでただ目を見開いた。





あの話し合いの後、すぐに瑛久と弥生に報告をした。二人とも驚いていたが話が決着したことに安心した様子を見せていた。水唯の母親は瑛久が責任を持って安全を確保してくれるとのことだ。その話を聞いた水唯は瑛久に頭を垂れ「ありがとうございます」と噛み締めながら呟いていた。
三人で夕飯を食べ終え、水唯は一旦荷物を纏めるために彼の家へ戻っている。当番の四季へ片付けを任せ、美都は一人ベランダへ出た。夕刻降っていた雨は止み、空には秋の星座が輝いている。
「きらきら光る──……」
手摺に手をかけてその歌を口ずさんだ。最近意識していたからなのか頭に残っているその曲を。気になって自分も検索したのだ。きらきら星変奏曲の原曲、原題の歌詞の意味を。
「──……」
不意に目を細める。普段あまり考えないようにしているが、きっかけがあればすぐに頭に過ぎるのだ。未練がましいな、と自分に呆れる。
秋風。少しだけひんやりとし始めた空気が、美都の頬を撫でた。季節はこれから冬に向かっていく。
(これから──どうなるんだろう)
目まぐるしい一日が終わろうとしていた。今日一日でこれまでの結果が出たように感じる。衣奈の件が終わり、水唯が敵だったと判明してからはすぐだった。長引かなくて安心した程だ。しかし、否、だからこそ不安になる。次に敵と対峙する時。それは全く知らない相手なのだ。一度交戦しているとは言え、あの短い時間ではほとんど情報も得られなかった。
(闇の鍵──……)
どうして、鍵が必要なのか。ずっと考えている。闇の鍵は、破壊の力を宿していると言う。わざわざ闇の鍵を探し、それを求めているということは少なからずその破壊の力を手にしたいからだろう。それは一体なぜ、何の為に。
はぁと息を吐き目を伏せたところ、背後の扉が開く音がした。
「またお前は──風邪引くだろ」
呆れ気味に四季が顔を覗かせた。片付けが終わったらしい。
「今日はちゃんと着てるから大丈夫だよ」
「季節の変わり目は体調崩しやすいんだから気をつけろよ」
あくまで心配してくれているようだ。彼の気遣いに礼を伝える。すると四季がそのまま美都の元へ歩いてきた。
「前もこんなことあったな」
「うん。誕生日の前の日」
「あーそういやそうだったか。いや、その時に言ってくれよ……」
四季はまだ誕生日のことを気にしているらしい。気を遣わせたくないと当日まで誕生日を黙っていたことが裏目に出てしまった。とは言えそれこそあの日から色々と変化し始めたのでもはや遠い過去のようにも感じる。
「ねぇ四季……」
「ん?」
頭を抱えていた四季の名を不意になぞる。すると彼は視線を美都へ移した。
「わたしは……間違いを正すことが出来たのかな……?」
色々考えていたところに彼が現れたから。つい甘えてしまう。ダメだとわかっているのに。
美都からの問いを聞くと四季は一瞬目を瞬かせた後首を傾げた。
「……水唯のことか?」
質問が質問で返ってくる。美都はそれに無言で頷いた。
「ひとりよがりになってなかったかなって……水唯の家のこと、何も知らなかったから」
自分のことを棚に上げて、水唯の事情にはずけずけと土足で踏み込んでしまった印象がある。彼の助けになりたいという一心からだったが、もし自分が彼の立場だったらどうだろうと考えなくはない。その時自分は、水唯のように他人を受け入れられるのか。
「出来ただろ。結果的にあいつはお前に救われたって言ってたんだから」
予想通りの返答に目を伏せる。四季ならば恐らくそう言うと考えていた。そう言ってくれるはずだと。それを見越しての質問だったのかもしれない。ただ自分が安心したかったから。だとしたらそれは愚問だ。
「……どうした?」
「──ううん、何でもない。ちょっとだけ不安になっちゃったの」
ごめん、と顔を上げていつも通りの笑顔を作る。自分の正義が本当に正しかったのか。それはいつも不安になる。結果的に水唯は救われたのだと言ってくれた。だからこの不安はもしかしたら衣奈の時に言われたことを引きずっているのかもしれない。
するとゆっくりと温もりに包まれる。まるで幼子をあやすように頭に手を乗せ優しく撫でた。
「お前はよくやったよ」
「そう、かな……」
「美都だから出来たことだ。もっと自分を褒めてやれ」
四季の胸の中でポツリと呟く。自己評価が低いのは、未だに自分の中に燻っている気持ちを昇華出来ていないからかもしれない。後ろめたさを感じているのは自分だ。何者でもなかった自分が今こうしてここにいられること自体が本来ならば不思議なのだ。
(この温もりも──……)
向けられる想いも。それはきっと『守護者になってからの美都』を見てきたからだ。
守護者として構える時は、その責務を担っているから気持ちを強く持っていられる。しかしいつもの自分は何にもないただの普通の人間だ。そのギャップが怖くなる。守護者であり所有者である自分は、普通ではない。しかし特別とも思っていない。実際日常生活で他人と違うところなどないはずだ。今はその気持ちの切り替えが難しい。
それでも、と彼の背に手を回す。今はこの温もりを離したくないと思ってしまう。
(ずるいな、わたし)
彼に何も話さずに傍にいようとしている。それが自分自身を苦しめているはずなのに。解っているのに踏み出せないのは自分が臆病だからだ。踏み出して今までのものが崩れることが怖い。愛理に言われたはずなのに。向き合わなければ進めないと。
「何かまだ不安なことがある?」
「……ううん、大丈夫」
ほら、また。こうして自分の本心を隠していく。話せないのではない。話した結果気を遣わせたくないのだ。だから言わない。今はまだ、話すべきときではない。きっといつか、その時が来るのだから。
そう思って美都はグッと喉を引き絞った。四季の胸に埋めたままだった顔を上げる。
「ありがとう、四季」
彼の赤茶色の瞳にはいつもの自分の姿が映っている。大丈夫だ。考えすぎるのも良くないと弁えている。こんなことで彼を心配させるわけにはいかない。これ以上甘えてはいけない、と四季から離れようとした。しかし。
「……まだダメ」
「──!」
先程よりも強い力で身体を引き寄せられる。美都は驚いて目を見開いた。もしかしたら自分の変な雰囲気に気づいてしまったのだろうか、と。
「これは俺の我儘。明日から気軽に触れなくなるし」
「!  そっか……」
理由を聞いてホッと胸を撫で下ろす。彼がそう言うのはこれから水唯が共に暮らすことになるからだろう。そう言えば、と思い出して思わず口を開く。
「そのこともありがとう。突然だったのに考えてくれて」
「んー……あのさ」
強く抱きしめられているため四季の顔はよく見えない。しかし俄かに煮え切らない返事に小首を傾げた。
「前も言ったと思うけど──俺は割と心が狭いんだって」
そう言うと後ろに回されていた手が美都の髪を弾く。四季はそのまま彼女の首筋に顔を埋めた。
「っ……!」
不意に肌に訪れた唇の感触に驚き、肩を竦める。彼の突然の挙動に心音が一つ大きく鳴った。
「なん……、えぇ……?」
四季の言葉の意図を読み取れず、混乱したまま「なんで」の頭文字だけ絞り出す。その間も彼は動きを止めない。吐息が耳を掠める様にくすぐったさを覚えた。
「そりゃあれだけ他の男の名前を連呼されればな」
「他の、って──水唯の」
「言うなって」
該当する人物の名前を口に出したところ、それを咎めるように思いっきり顔を胸に押し当てられる。むぐ、と声を詰まらせながらも何故今更と言う疑問の方が強く再度首を傾げた。
「だって四季も気にしてたじゃない」
「あのなぁ、俺が気にしてたのはあいつの動向なの。なのに結局お前が突っ走ってくからすっげぇ気を揉んだんだぞ」
「う……ごめんなさい」
頭上から降りてくる苦い声に自分の行動を省みて謝罪する。余程四季に心配と迷惑をかけたのだろう。顔が見えないため声でしか判断ができないが相当渋い表情をしているに違いない。抱きしめられている手に力が入った。
「……子どもっぽいだろ、俺も」
ポツリと四季が呟いた言葉に目を見開いた。以前自分が気にしていたことだ。大人びた彼に対して子どもっぽさが残る自分とでは釣り合わないのではと考えていた。彼はそれを覚えていたのだろう。
不意に四季の力が緩む。今度はその手が輪郭に当てられ、ゆっくりと顔を持ち上げられる。
「お前が思ってるより大人っぽくなんてない。ただ格好つけたいだけだ。お前が俺以外の物を見てる時はめちゃくちゃ焦るし悔しくなる。──わかりやすい、嫉妬だよ」
「……!」
「まぁでも俺は、そんなお前だから好きになったんだけどな。俺も大概だ」
自分に呆れるように彼は苦笑を滲ませた。対して美都は四季から伝えられた真直ぐな想いに顔を赤面させる。嫉妬という単語を用いられたのは恐らく初めてだったからだ。以前は態度で示された。だが今回はより端的だ。申し訳なさと半ば嬉しい気持ちが織り混ざる。
「あ……あのね、多分なんだけど──」
四季を見上げながら必死に口を動かす。
「わたしが──その、水唯に感じてるのは……四季がわたしに対して感じてるのと同じだと思うの。放っておけない、っていうか……」
「わかってるよ。庇護欲だろ」
「ひごよく……?」
耳馴染みのない単語に目を瞬かせ首を傾げる。しかし彼の理解は得られたようだ。
「俺はそれだけじゃないけどな」
「わたしだって──……!」
言い返すようになってしまった様にハッと一度息を呑んだ。このまま言葉を続けるとそれは水唯に対して思っていることになってしまう。今伝えようとしたのはそうではない。目の前にいる四季に対してだ。そう考え仕切り直す。
「……わたしも四季のこと、意外と考えてるよ」
「意外とってお前」
より自分の想いを伝わりやすいかと思ってそう表現してみたのだが、四季は呆れた顔を見せた。言葉選びを間違えたか、とうーんと目線を下げて唸るとフッと息を吐いて笑う声が聞こえた。
「まぁいいよ」
優しい声でそう言いながら美都の前髪を上げて額に口付けた。不意の出来事に彼女は再び顔を紅潮させる。しかし驚いている暇もなく四季はそのまま頬に唇を移動させた。彼の温かい手が美都の首筋をなぞる。その手つきに身体を竦めた。
「!  くすぐったい……」
「だめ。顔上げて」
いつもより俄かに柔らかい声に心臓が早鐘を打つ。おずおずとまずは目線だけあげた。程近くにある四季の瞳に息を呑む。深く揺れる赤茶色の眼。
(綺麗……)
とふと思った。琥珀よりも深く、緋色よりも派手すぎない。鼈甲のようだとも言えるのだろうか。その色合いをする瞳に飲み込まれそうだ。無意識に手が動き四季の頬に触れた。
「なに?」
「ううん。瞳が綺麗だなと思って」
「なんだそれ」
感じたままを伝えると少しだけ反応に困りながらフッと笑みを零す。彼の手が触れている手と重なり持ち上げられる。その手を引き寄せると今度は美都の手首へ口付けた。
「……!」
今までになく色々な箇所に落とされる唇に動揺する。普段と違う様に心音が高鳴る。このままでは保たないのではないかと思う程に煩い。
「っ……あの!」
「ん?」
耐えきれず美都が口を開く。既に彼女の顔は真っ赤だ。
「なんで──そんな色んなところにするの……?」
まるで焦らされているようにも感じる。しかしその一つ一つの所作は優しく丁寧なこともわかっていた。ただそれが続くとどうにも落ち着かなくなってしまうのだ。
すると四季は目を細めて美都を見つめる。
「……こうすると、ふとした時に思い出すだろ?」
言いながら今度は手のひらへ唇を付けた。触れられた箇所が一気に熱を帯びていくようだ。
「ずるい……」
四季の言う通りだ。これでは本当にそうなってしまいそうだと。きっと手首を見る度に今のことを思い出してしまう。手首だけでなく他の場所も。一種の刷り込みのようなものか。
ポツリと呟いた言葉を受け取ると四季は満足そうに微笑んだ。そして残しておいたと言わんばかりに頬を寄せる。そのままゆっくりと唇を重ね合わせた。
「ふ──……」
瞼を閉じると心臓の音が余計に煩く感じる。まるで内側から叩かれているかのようだ。彼に伝わるのではないかと思ってしまう。
しばらくして唇が離れる。浅く息を吐いて薄く目を開けた。
「ごめん」
まだ近くにある彼の口から、耳馴染みの良い低音が響く。その言葉の意味を考えるより先に彼が続けた。
「────もっと」
欲しい、と呟いて再び唇を求められる。間なく続けられる口付けにまた目を強く瞑った。いつもよりも深い。呼吸を忘れそうになった際、以前彼に言われたことを思い出した。
「──っ、ん……」
ピクリと瞼を震わせる。頬に触れていた四季の手が不意に首筋に触れた。その指から伝わる熱にくすぐったさを覚える。離れたくとも彼がそれを許さない。深い深い、四季からの想い。失うのが怖いとさえ感じるほどの。
そしてまた彼の唇が離れた。互いに吐息を交わす。見つめる瞳さえも熱かった。身体の火照りを冷ますように秋風がなぞる。涼しい、と思った瞬間に四季が肩を抱き寄せた。
「あったかい……」
贅沢だな、とふと感じる。人の体温がこんなにも愛おしく感じられることに自分でも驚きだった。彼の胸に当てている耳から鼓動が伝わってくる。その音も熱も、全て優しく包み込んでくれるものだ。
「お前は子ども体温だな」
「そんなことないもん」
四季に言われたことに反論して頬を膨らませると、更に強く抱きしめられた。この温もりには勝てそうにないな、と諦めざるを得ない。彼の胸に身体を預ける。ほぅ、と息を漏らした。
────幸せだな。
こんなに想ってもらえることが。こんなにもらってばっかりで。しかしそう思う反面不安にもなる。ずっと続きますように、と願いながらもそんなことはあり得ないと思う自分もいるからだ。ずっとなんてないことは、自分が一番良くわかっている。だからせめて今この瞬間だけは。この温もりを離したくないと思ってしまう。
この夜の出来事が、まるで夢の中であったかのように。まるでこれから起こることを予測していたかのように。
事態は、思わぬスピードで加速していくことになる。


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