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暗闇に届く一閃の -鍵を守護する者⑦-
これからの話
しおりを挟む「ソファー行けよ。何かあった時に対処しやすくなるだろ」
四季から提案が入る。彼の言葉に従うように美都が先に立ち上がり水唯を誘導した。二人に続いて提案者である四季もそちらに向かう。
水唯を先に座らせ一旦呼吸を落ち着ける。内心、少しだけ怖いと感じているからだ。明らかに衣奈の時とは違う宿り魔を、自分は祓うことが出来るだろうかと。その不安が伝わったのか水唯と向き合う前に四季から苦言が呈された。
「こら。お前が緊張してどうすんだ。水唯が不安になるだろ」
「そっか。そうだよね……ごめん」
そう諭されてハッと思い直す。四季の言う通りだ。水唯はとっくに心構えが出来ている。自分がしっかりしなければ、と気合いを入れた。
目を閉じて前回どのように行ったかを脳内に思い浮かべる。衣奈のことを助けたい、と必死の想いだった。今回もそうだ。水唯を蝕むものから解放したい。そう言えば、と彼女から言われていたことを思い出し目を開いた。
「衣奈ちゃんに──わたしの言葉には力があるって言われたの。それで宿り魔を祓ったんだって」
しかしその実、美都自身はそのことをよく解っていなかった。衣奈と対峙した時は話を聞いてもらおうと無我夢中だったからだ。すると水唯から口添えが入る。
「正確に言えば……言葉じゃない。君自身に不思議な力が流れているんだ。その力が守護者の力と相まったんだろう」
「そう、なんだ……」
美都は驚いて目を瞬かせる。不思議な力、と言われて思わず手のひらを見つめた。しかしやはり自分では解らないのだ。その力が発揮できている証拠があるにしても、自覚が無いだけに曖昧なもののようにも感じる。
(えっと、確か──)
衣奈と廊下で会話した内容を頭に呼び起こす。衣奈と戦う前に考えていたこと。それは。
────自分を信じること。
そうだ、と思い直して手をグッと握り締める。大切なのは相手を想うこと。顔を上げておもむろにネックレスの留め具に手を掛けた。首にかけていた指輪を外し自身の右手中指へ嵌め、そのまま水唯が座る前まで歩き膝をつく。その挙動に彼は少しだけ驚いていた。
「手を握らせてくれる?」
「あ、あぁ……」
目線より下から掛けられた声に、水唯はおずおずと手を差し出す。優しく包み込むように、美都は彼の手を両手で挟んだ。
一度深呼吸する。そして神経を研ぎ澄ませるように己の視線を指輪へ集中させた。持ち主の想いに呼応したのか、指輪はすぐに赤色の溝を光らせる。
「──行くよ」
小さくそう呟いた後、目の前に座る水唯が無言で頷いたのを確認しゆっくりと目を閉じた。
彼の手に触れている箇所に、意識を集中させる。眼前に広がる暗闇の中、頼りになるのは握っているこの温もりだけだ。
まずは、水唯と同化している宿り魔の力を解離させること。この時点で衣奈の時とは違った。指輪は光を放ってはいるがまだ退魔には及ばない。もう少し力が必要なのかもしれない、と小さく呼吸を繰り返した時。
「──っ……!」
ビリッと静電気のようなものが走った。なんとか手を離すことはなかったが、ハッと目を見開いた瞬間水唯が苦しそうに顔を歪めている姿が見て取れた。
「水唯、苦しい……?」
「っ……、大丈夫だ──」
言葉とは裏腹に、顔を背けて苦痛を我慢しているようにも見える彼に一気に不安が押し寄せる。やはり四季の見解通りだった。水唯に憑いている宿り魔は相当深いところまで根を張り巡らせている。その為引き剥がそうとすると彼には相応の負荷がかかるのだ。どうしよう、と動揺して瞳を揺らしていると視界の端から四季の声が届く。
「そのまま続けるんだ」
「でも……!」
水唯の苦しそうな顔を見てしまったら、このまま続けるのが正解なのか解らなくなってしまった。しかしすぐに四季がそれを制す。
「やめたところで何も変わらない。もう一度退魔しようとしたとしても同じ苦しみが水唯を襲うだけだ」
言いながら彼が進み出る。そのまま水唯の元へと歩き空いている方の腕を掴んだ。
「身体をソファーの背に預けろ。少しは楽になるはずだから。美都、立てるか」
「う、うん」
美都は水唯の手を握ったまま立ち上がった。
浅い呼吸を繰り返し顔を蒼白とさせている水唯を見ると尚も不安が増す。しかし四季の指示と誘導に従うように、水唯はソファーに身体を預け呼吸を整え始めた。
「っ……悪い。そのまま……、身体を押さえててくれるか──」
途切れ途切れに水唯が呟く。腕を掴んでいた四季への依頼のようだ。
「いいけど加減はしないからな」
「構わない……助かる」
「右手にだけは力を入れるなよ」
「あぁ」
二人は理由を聞かずとも互いの意図が読めているようだった。四季は苦しそうに顔を歪める水唯の身体をソファーに押しつける。その様子を見ていた美都だけは訳が分からずおろおろと動揺する他なかったが、当事者である水唯がゆっくりと深呼吸をした後再び口を開いた。
「美都、大丈夫だ。大丈夫、だから──……」
自分を安心させる為か水唯がひたすらその言葉を繰り返す。眉を下げて見つめていると次いで四季も美都に言葉を投げた。
「本人がこう言ってるんだから信じてやれ。じゃないと水唯の体力が消耗するだけだ」
「──!」
「落ち着いて──お前なら出来るはずなんだから」
四季にそう諭されハッと息を呑む。そうだ、このまま止まっていてはダメなのだと。自分は守護者なのだ。水唯の身体から宿り魔を祓わなければ。
握ったままの手に再び力を込める。出来るはずだ、と言う言葉を耳に残し静かに目を閉じた。
『ご自分を、そして力を信じてください。守護者の力もご自身の力も、願えば全てあなたの糧となります。美都さんには出来るはずです。そこまで自分と向き合えているのであれば、あとは信じることです』
菫に以前言われたことを思い出した。守護者としての己の不甲斐なさに打ちのめされていた時だ。この力は、大切な人を守る為に自分自身が望んだものだ。自分がそれを信じなければ扱うことなど確かに出来るはずがない。
剣を向けず、自分なりの形で力を使おうと心に決めたはずだ。自分が持てる力をどう形にしていくか。
(わたしは──水唯を守りたい)
守護者の力は、守る為の力だから。だからお願い、わたしに力を貸して。
美都は心の中でそう願う。すると眼前に広がる暗闇に一閃の光が瞬いた。
「……!」
ピクリと瞼が動く。そうだ、いつだって迷った時は光のある方に歩けば道は続いていくのだと。その光へ向かうために自分が為すべきことは──。
「────天に、希う」
いつもの口上は、退魔するときに一時的に短くしたものだ。いつもと同じではダメなのだと考える。そうでなければ光へは進めない。一つ一つ、しっかりと紐解いていかなければ。
「この力は浄めのために」
退魔は、自分の力で行うことが出来ない。指輪に宿る人智を超えた力──言うなれば神の領域に近い力を借りなければ浄化は行えない。人ならざるもの──宿り魔を祓う為には相応の力が必要となる。
だんだんと握っている手に、まるで光で照らされているかのような温もりを感じ始めた。
「──っ……! く……っ、ぁ──……!」
同時に目の前に座る少年から呻き声が上がる。包み込んでいる手が硬直しているのが分かる。それでもここでやめるわけにはいかない。動揺してはいけないのだと必死に冷静さを呼び起こす。
「悪しきを祓除し、不浄を清めよ──」
水唯の身に宿る禍つ物を切り離していく。彼は四季の指示通り右手には力を込めないようにしているようだ。しかしそれゆえか小刻みに指が震えていた。相当な苦痛なのだろう。恐らくは身体を四季に押さえてもらっているおかげで耐えられているに違いない。
これ以上長引かせてはいけない、と美都は更に神経を研ぎ澄ませる。意識の深いところまで。再び暗闇に届く光へ、手を伸ばすような感覚だった。
(大丈夫……)
一人じゃない。独りで苦しませることはしない。その苦痛をわたしも受け止めるから。だから、大丈夫だよ。
「守護する者としてこの力を為すとき」
触れている手に光を送り込むように。その手を更に包み込むように優しく。苦しみを解き放つのだ。
守護者の力を以って宿り魔を祓う。目的はいつもと同じなのに方法はこんなにも違う。そうしなければこの宿り魔は祓うことが出来ないと考えたからだ。
大丈夫、大丈夫だと心の中で唱える。光が射す方へ真っ直ぐに進めば良い。その道は、今はわたしが示すから。迷わずに足を踏み出して。
手は熱を帯びていた。この温もりは想いの表れだ。この想いがあれば、もう大丈夫だ。
美都はふっと息を吐く。そして今度は思い切り空気を吸い込んだ。
「……加護の元に礼を尽くさん──!」
この力を大切な人のために使わせて欲しい。そう願いながら美都は口上を言い切った。
「っ──……!」
目の前に光の景色が広がる。目を閉じているはずなのに不思議な話だ。無数の光の粒が真っ直ぐに上に立ち上っていく。その様をゆっくりと瞳を開きながら確認した。
(どうか──安らぎを……)
長く続く苦しみからの解放。それは宿り魔に対しても同じことが言えるのかもしれない、とふと考えた。互いに痛みを昇華出来ますように、と願う気持ちだった。
深い息をゆっくりと長く吐く。そして今度こそ目の前に座る少年の姿を確認した。その身体をぐったりとソファーに預けたまま浅い呼吸を繰り返している。四季は先程からの光景を目の当たりにし、驚いたように目を見開いたままだった。
「……っ、……痛みが──……消えた……?」
「──! よかった……」
ポツリと弱々しく呟く水唯の言葉に安心して胸を撫で下ろす。顔色も先程より良くなってきたようだ。その様に一息つこうとしたところ、自然と足から力が抜けた。
「おい!」
慌てて四季が腕を伸ばす。寸でのところで間に合ったその腕に支えられるように、身体が沈んでいく。
「大丈夫か?」
「ありがと……」
いつも以上に集中したせいか、思ったよりも体力を消耗していたらしい。退魔している間は無我夢中で気が付かなかったのだ。心配して声をかけてくれる四季に、半笑いで答えを返す。
「水唯は平気?」
「あぁ……──大丈夫だ」
床に腰を付けたまま訊ねると、水唯は右手のひらを眺めた後呆然と呟いた。四季に誘導され、彼の補助を経て身体を浮かせ空いている水唯の隣へ腰を下ろす。とは言えその間には人一人入れるくらいの隙間はあった。美都も覗き込むようにして水唯の右手を確認すると、そこにあった宿り魔の刻印は消え去っているようだった。
「本当に、祓えたんだな……」
未だに信じられない、といった様子で目を瞬かせている。驚くのも頷ける。殆ど同化していた宿り魔を切り離し、且つ完全に退魔したのだ。負荷がかかると思っていたがそれは退魔の最中だけの話だったようで、水唯の呼吸はすっかりいつも通りに戻っている。後遺症と見られるものもないようだ。その様に美都は安心する。
「……ありがとう。──そうだ」
礼が伝えられた後、すぐに何かを思い出したように水唯はポケットへと手を伸ばした。
「これも壊してくれないか」
差し出された手のひらに乗せられていたものに目を見開く。小さいながらも禍々しい気を放つ宿り魔の胚だ。今まで気づかなかったのは水唯に憑いていた宿り魔の気配に隠されていたからだろう。
「どうして使わなかったの……?」
水唯は手ずから美都に迫った。宿り魔の胚があったのならそれを使うことが出来たはずだ、と疑問に思って美都は口に出した。その問いかけに水唯は表情を険しくさせる。
「元々俺に命じられていたのは──それを君のカケラに埋め込むことだった」
「──っ! どういうこと?」
彼が示したことをすぐには理解出来ず、更に訊ねる。しかし何となくそれが良くないことであるのは肌で感じた。同じく四季も眉間にしわを寄せている。
「彼は所有者しか鍵を扱うことが出来ないと知っていた上で、俺にそう指示を出した。──君を内側から支配するためだ」
「……!」
驚いて目を見開く。思わず胸の前で手を握り締めた。
「──美都の精神を宿り魔に乗っ取らせて、鍵を使わせる……ってことか。とんでもねぇな」
苦い顔をしながら四季が考えたことを口に出した。水唯が無言で頷く様を見ると四季の予想は当たっているようだ。美都は目線を落とし息を呑む。そこまでしてその人物は鍵を欲しているのかと。手段を選ばない姿勢に背筋がゾッとする。顔も見たことがないその人物に、今から対峙するのが恐ろしいとさえ感じた。
その様子を見ていた四季は、美都の身体のことも気を遣ってか水唯の手の上に乗った宿り魔の胚を祓うことを引き受けた。すぐに武器を呼び出し退魔の言を結ぶ。これでようやく一通り終わった、ということだ。
「──で、これからどうする」
「どうするって……水唯はもう何も無いんだよ?」
「水唯は、な。家族──特に父親に関してはすぐに関係を切れるとは思えない。違うか?」
今後のことを示唆するように、四季が冷静に考えを述べていく。宿り魔を祓ったことで水唯はこれまでの煩わしいことから解放されると考えていたが、確かに四季のいうことこそもっともだった。水唯の母親は瑛久の庇護下におけるとしても、昔馴染みだという父親はそう簡単にその人物と縁を切ることは難しいだろう。加えて父親の背景も考えればその人物が手を離すとは思えない。それに於いては水唯も考えるところは同じだったようだ。四季からの問いかけに、水唯は小さく頷いた。
「──四季の言う通りだ。逆に父さんの縛りの方がキツくなるだろうな。俺も当然まだ無関係じゃない」
眉を下げながら水唯の言葉に耳を傾ける。事態は自分が考えていたよりも簡単な話ではなかったのだと思い知る。ようやく解放されると思い込んでいた浅はかな己の考えに辟易とした。
水唯は目を閉じ、何かを考えるようにして長い沈黙を続ける。そしてその後ゆっくりと瞼を開いた。
「俺の力を使ってくれ」
「! でも水唯、それじゃ──……お父さんと敵対するってことだよ……?」
彼からの申し出に驚き、美都は一旦口を挟んだ。水唯の決意を否定したくは無いが、それは彼自身が家族と──父親と相対する立ち位置になるということなのだ。それを思うと是とは言えなかった。すると彼はすぐに首を横に振る。
「それは違う。父さん自身は彼に力を貸しているだけであって鍵を求めているわけじゃない。それこそそこを切り離す策を考えなきゃいけないんだ。それに──」
不意に視線が水唯と交わる。その金色の瞳は、一刻前に感じた冷酷なものでも不安に揺れるものでもなかった。その瞳から視線を逸らすことが出来ない。吸い込まれそうな程綺麗な瞳だ。
「君に、救われたから」
真っ直ぐに届くその言葉に、美都は目を見開く。透き通るような声が耳に心地良い。水唯はそのまま続ける。
「今度は俺に──君を守らせて欲しい」
そう言って水唯は表情を和らげていく。彼のこんなにも優しい笑顔を見たのはいつぶりだろう。救われた、という言葉が面映ゆい。しかしようやくこれまでのことが繋がったのだと少しだけ感慨深かった。
「水唯……」
守らせて欲しいと言う申し出に反射するように、美都にも同じ考えが浮かんでいた。むしろそれは自分の台詞になるはずだったのだ。しかし今言ったところでただのオウム返しになってしまう。それでも何か彼に答えなければと、頭の中で様々な考えを巡らせた結果美都の口から出たことは。
「水唯! 一緒に暮らそう!」
「………………は?」
間抜けな声を出したのは四季だ。そう言われた張本人である水唯は驚いて目を瞬かせている。
「待て待て待て待て! なんでそうなる⁉︎」
「だ、だって! 水唯のことが心配なんだもん!」
「だからってお前の思考回路はどうなってんだ⁉︎」
心底意味がわからない、と言った風に美都は四季から言動の意図を問い詰められる。彼が慌てふためくのも無理はない。冷静に考えれば彼女の言動は何も繋がっていないからだ。それに一歩間違えればプロポーズのようなものだろう。無論美都は色々考えた末での提案だった。ただその『色々』の部分を端折ってしまったのだ。口をまごつかせながら、美都は考えた『色々』のことを順に説明していく。
「だって水唯──全然ご飯食べてないし、放っておくと栄養はサプリメントで補っちゃいそうなんだもん。現に水唯の家にいっぱい置いてあったし……」
「なら飯を一緒に食えばいいだけの話だろ」
「あんな広い部屋に一人なんて寂しいよ!」
「それは本人の感じ方によるだろうが! 訊いてからにしろ!」
側から見ればまるで兄と妹の喧嘩だ。否、子猫を拾ってきた子どもに諭す親とも言い換えられるか。ともかくも美都の言い訳を四季は正論で返していく。その様子に水唯は口を挟む隙もなくただ困ったように見守るだけだった。度重なる口論の末、ぐぬぬと口籠もった後美都は更に食い下がる。
「それにまたあの人に襲われたら──!」
「……あの人?」
勢いで口にしたことに思わずハッとする。そう言えばまだこの問題があったのだ、と思い出しそのまま水唯を見た。目配せの意味を察したのか、それまで傍観者であった彼がようやく声を発する。
「そのことは俺が説明する。実は──」
そう言って先程起こった瑣末を四季に話し始めた。水唯の家を去る間際、暗闇の中に潜んでいた人物の話だ。宿り魔を使役し明らかな敵意を醸し出していた。暗くて姿までは確認出来なかったが、話し方や声のトーンから察するに女性のようだ。彼女は水唯の行動を咎めていたようにも感じる。当然と言えば当然だ。向こうの秩序に反するのだから。むしろ良くあの場で退いてくれたものだと今になって胸を撫で下ろした。
「──そう言う大事なことは先に言え」
はぁ、と大きなため息を吐きながら四季が頭を抱える。彼にとってはまさに寝耳に水といった感じなのだろう。
「つまり、そいつが次の敵ってことでいいんだな?」
「そうなると……思う。断言は出来ないが」
「ったく次から次へと……」
一件落着したかと思えばすぐに次の脅威が現れる。所有者が判明しているからなのか四季が言う通り間断なく敵が迫ってくるのだ。息つく暇も無いとはこのことだろう。
「だから水唯を一人にしちゃ危ないんじゃないかなって」
これまでの経緯が説明されたところで今一度美都が進言する。すると四季は難しい顔をしながら顎に手を置いた。
「それって狙われたのは水唯なのか? 美都じゃなくて?」
「今回の場合に限っては俺だろう。命令に背いた俺への……制裁のようなものだ。だが今後危ないのは無論美都だ。俺のことは気にしなくていい」
制裁という単語に思わず身を竦める。水唯がこれまで中核で動いていたからなのか衣奈の時とは状況が違うのだと改めて思い知らされる。だが彼に非は無い。それでいてなぜ彼が危険に晒されなければならないのだと憤慨の気持ちもあった。しかし今怒ったところで何の意味も無い。まずは目の前の問題を片付けることなのだ。気にしなくていいと水唯は言うがこの状況で目を離すことは得策では無いように感じる。
「四季……」
無言で何か考えたままの彼の名をなぞる。すると更に上があったのかと思うほどに眉根を潜ませ頭を掻きながら再び深い息を吐いた。
「お前は他人と共同生活するのに抵抗ないのか?」
「……したことがないから分からない」
「だろうな」
訊ねたことへの回答を把握していたかのように、四季は半ば呆れ気味に納得した。そして目を閉じて考えていることを口にしていく。
「俺的には──別に無理して一緒に暮らさなくても、って言う考えではある」
四季の話に、他二人は無言のまま耳を傾ける。特に美都は彼の反応に興味津々だった。
「だけど──このままお前のことを放置して何かあったら寝覚めが悪い。そうなった時に俺がこいつに恨まれる」
親指で自分を示された美都は何も考えずうんうん、と二度軽く頷いた。先程の水唯の発言もそうだが、彼は自分をおざなりにする傾向がある。それ故に心配になるのだ。
「お前の力はどれくらい残ってる?」
「宿り魔の補助が無くなっただけだ。少しだけ威力は落ちるが……これまでと大差ない」
己の力が残っているとは言え、これまでとは恐らく勝手が違う。もし一人でいる際に奇襲に遭えば危険なはずだ。それを四季も理解しているようだ。「なるほど」と現状を把握し言葉を続けた。
「ならお前の進言通り、その力を美都に使え。それがお前の贖罪だろ」
「わかった」
「──それで、だ」
何度も難しい顔を覗かせながら四季は考えたことを口に出していく。否、言い淀んでいるのかもしれない。必要以上に口を開かない二人に動向を見られているからだろうか。幾度目かの溜め息を吐いている。
「守るなら近くにいた方がいいのは確かだ。狭いけど空き部屋はある。事が落ち着くまで……試してみるのも有りだとは……思う」
1、2ヶ月くらいとブツブツと口籠もりつつ期間を挙げた。具体的には言わなかったが彼の言動から察するに、美都が勢いで水唯に提案したことについての回答のようだ。その意図を汲み取るとすぐさま美都は表情を明るくさせる。
「いいか嫌なら断った方がいいぞ、こいつの押しの強さを知ってるだろ?」
「もう、四季!」
暗にお節介だと評されたことに抗議するように彼の名をなぞる。しかしそれに関しては否定出来ないところがあった。殊、水唯に対しては。当の本人はしばらく目を瞬かせて内容を咀嚼していた。
「……いいのか?」
「今言った通りだ。それに念押しするけど部屋は本当に狭いからな」
「それは別に構わないが……いや、そうじゃなくて」
言いながら四季と美都を交互に見る。その様にきょとんと首を傾げる美都に対して四季は水唯の目視の意味を把握したようだ。
「こいつがそこまで考えてるわけないだろ……」
「……意外と苦労してるんだな」
「ほっとけ」
半ば同情めいた言葉を水唯から掛けられ四季は苦虫を噛み潰したような表情を見せる。四季が示す二人称が自分だと分かってはいるものの何について話しているのか理解出来ず美都は堪らず眉間にしわを寄せた。
ほぅ、と小さく息を吐いて水唯が姿勢を正す。その視線は下に向けたままポツリと呟いた。
「──迷惑をかけると思う」
「そんなのお互い様だよ。探りながら気楽にやってこう。ね?」
「……ありがとう」
美都の言葉に顔を上げると、彼女の微笑みにつられるようにして水唯も表情を和らげた。勢いとは言え真面目に検討してくれた四季にも頭が下がる思いだった。
「あー…………お前さ」
二人の会話を横目に、四季が言いづらそうに口を挟んだ。彼が指すのは水唯のことのようだ。
「もしかして、言わないつもりか?」
渋い表情でそう問いかける。美都は質問の意図が読み取れずただただ目を瞬かせた。
すると水唯は一度ふっと視線を逸らした後、今度は彼から伺うようにして四季に訊ねる。
「言っていいのか?」
「じゃなきゃこれから一緒に暮らすのに不健康だろ。それに俺も靄る」
「……それもそうか」
二人だけで話が進む様に美都はいよいよ意味がわからず首を捻る。どうして何も具体的な内容を言及せずに分かり合えているのだろうと不思議だった。
「何の話──」
「美都」
堪らず自分から内容を訊ねようとしたところで、水唯に名前を呼ばれる。美都は応じるように彼の方へ身体を捻った。突然呼ばれたことに不思議に思いながらも水唯と真正面から向き合う。水唯は一旦呼吸を整えて目を閉じた後、金色の瞳を揺らしながらゆっくりと瞼を開いた。
「俺は────君が好きだ」
真っ直ぐと飛んできたその言葉に一瞬理解力を失った。頭の中で順序立てて考える。目の前に座る水唯は、自分に対して──。
「──…………え⁉︎」
一拍──否、三拍程置いてようやく彼が言ったことが脳に届き、驚いて大きな声を出す。ハッとして口を押さえた後その事実に頬に熱が帯び始めた。
「あ……、え……えっと、わたし……?」
念の為確かめるように水唯を見ると彼は静かに頷いた。突然想いを告げられたことを自覚して更に顔が赤くなる。美都は動揺して口をまごつかせた。何か応えなければと目を白黒させているとその様子を目の前で見ていた水唯が苦笑混じりに眉を下げた。
「答えが欲しいわけじゃない。君が四季と付き合っていることは知っているし──ただ……そうだな」
そう言うと水唯は何かを思い描くように深い瞳の色を見せた。
出会ってからこれまでのこと。気づけばいつも近くにいた。ずっと名前を呼んでくれた。その笑顔に心が温かくなっていた。暗闇の底にいた自分に手を伸ばしてくれた光。それが君だと、抱きしめてくれたとき伝わってきた鼓動が教えてくれた。大切で大事な想いを。
その瞳の奥にも映っているのは美都の姿だった。そして今瞳に映すのも。
水唯はふっと表情を和らげる。こんなに穏やかな気持ちは初めてかもしれない、と思ったのだ。それを伝えるべく再び美都を見る。顔を赤くして目を瞬かせている彼女へ。
「君に──教えてもらったんだ。想う、ということを。それは自分の中にはなかったものだから──」
だから今でも驚いている。自分がこんなにも他人を想えるということに。今までの自分ではあり得なかっただろう。間違いなく変えたのは彼女だ。
「……ありがとう。君のおかげだ」
ただ伝えたかった。この想いに気付かせてくれたことを。元より返して欲しい想いなんてない。それ以上にもらっているのだから。
「あの、水唯……、えっ……と──……」
美都は紫紺の瞳を揺らし、言葉をつかえさせる。赤面させながら一生懸命何かを伝えようとしてくれている様は見ていて愛らしいな、とさえ思う。そんなことを口にすれば四季に怒られるのだろうか、とふと考えた矢先ようやく彼女が喉を振り絞って顔を上げた。
「こちらこそありがとう……その──わたしなんかを……好きになってくれて」
「──なんか、じゃない。君だからだ。君は自分が思っているよりも周りに影響を与えている」
「……! そ、そうなのかな……」
自分を卑下する美都に、水唯はそれを否定して所感を述べる。ずっと考えていたことだ。不思議な雰囲気を纏っていて、誰もが彼女のことを放っておかない。恐らくそれは「美都だから」なはずだと。他の誰でもない彼女だから、他人は彼女のことを気にかける。それは美都がまず第一に周りのことを大切にしているからだ。いつでも真っ直ぐ向き合う姿勢や柔らかな雰囲気は他者の目を惹く。彼女の存在に救われている人間は多いはずだ。
「気を遣わせてしまってすまない。本当は言うつもりはなかったんだが──何分焚きつけられたから」
「悪かったな」
水唯は肩を竦めて申し訳なさそうにするが、次の瞬間には四季への苦言に変わった。それを受け取ると視界の端から焚きつけた張本人の声が聞こえる。
「だから、出来ればこれからも今まで通り接して欲しい。すぐには無理かもしれないが……」
「う……、わかった……」
ぎこちなく頷く美都を見てふっと笑みを漏らす。少しだけ時間がかかりそうだな、と考えながら彼女ならば精一杯努めるのだろうと安易に予測できる。それが美都の魅力だ。
すると空気を変えるかのように四季が部屋の案内を買って出る。まだ情緒が安定していない美都を残し二人は四季を先頭に歩き出した。一刻前の張り詰めた空気は既になく、何となく二人は以前よりも打ち解けているようにも思えた。考え方が似通っているのだろう。四季は元より面倒見が良い。水唯のこともしっかりと見ていてくれるはずだ。
一方美都は手で両頬を覆い熱を冷ますようにほぅと息を吐いた。まさか水唯にそう想われていただなんて。嬉しくもあり驚きもあった。ただ同時に少しだけ申し訳ないな、とも。
(ううん……)
そう思ってはダメだ。水唯に失礼だと思い直す。同じ想いは返せなくても、彼のことが大切であることには変わりない。
美都はグッと顔を上げ、そう自分に落とし込んだ。
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