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暗闇に届く一閃の -鍵を守護する者⑦-
光と鼓動
しおりを挟むこんなこと、早く終わらせるつもりだったんだ。
────君じゃなければ。
元々他人と積極的に関わる方ではなかった。学校という狭いコミュニティが苦手だったというのもある。最低限の出席日数を確保しさえすれば家でも勉強は出来る。現に今まではそうしてきたのだ。それなのに。
指定された転校先で、初めて出逢ったのが君だった。初めて、話をしたのが君だった。大きな瞳で無邪気にこちらに話しかけてくる様を邪険には出来なかった。
『やっぱり同い年だ! 中3ですよね?』
無論、転校先でも誰かと親しくなるつもりはなかった。自分には役割があったから。余計な感情は邪魔にしかならない。そう思っていたのに次々と繰り出される質問に応答せずにはいられなかった。
転校生だから物珍しいというのもあったのかもしれない。彼女の自分に対する興味は尽きず、初めてで──厳密に言えば会うのは二度目だが──こんなに話が出来るものなのかと驚いたものだ。
『同じクラスなんだし、敬語はやめよう? ねぇ、水唯って呼んでもいいかな?』
クスクスと微笑む彼女にすっかりペースを乱されてしまった。同級生に──それも女子に名前で呼ばれたことなどは無い。その距離の詰め方に若干気圧された。それでも嫌な気持ちはしなかった。それはやはり、君だったからなのか。
その日だけで終わると思っていた交流は、その後ずっと続いた。彼女は自分のことを決して放っておかなかった。なぜそれまで、と思う程に。自分がつまらない人間だということは自分が一番良く解っている。己を卑下するような発言をした際、
『水唯は淡白なんかじゃ無いよ』
と自分を評価した。その発言に素直に戸惑った。彼女は本当の自分を知らないからだと。真っ直ぐで無邪気に向けられる笑顔は、自分がしていることを知ればきっとなくなる。そんなこと分かりきっていた。それでもその時は、ただの同級生だったから。
自分の使命を考えれば、やはり特定の人間と親しくするべきではなかったのだと今なら思う。それも標的とする、同級生の女子生徒に。無意識に彼女を対象から排除していた。だから同志の少女が標的とする者の名で彼女を挙げた際に動揺したのだ。咄嗟に心が揺れた。あの無邪気な少女に魔の手が伸びるのかと。吐き気さえ覚えた。しかし主命は絶対だ。ならばこのひと時耐えるしかない。そう思っていたのに。
彼女が《闇の鍵》の所有者だと判明した。そしてこれまで戦ってきた守護者の正体も。
自分たちは決して交わらない存在なのだと悟った。鍵を守る守護者でありながらそれを持つ所有者である彼女と、その鍵を狙い彼女を脅かす存在である自分と。相容れるわけがない。自分が彼女を、手にかけるのだから。
────こんなこと早く終わらせるつもりだった。
水唯は手のひらにある宿り魔の刻印を美都の胸元に翳したまま、その様をぼんやりと見つめる。目の前の少女と過ごしてきたこれまでの日々を思い返していた。そうでもしないとこの状況に耐えられなかったのだ。美都は顔を歪ませ、時折苦痛の声を上げる。それでもそれを必死に押し殺しているようだった。
(──抵抗、しているのか……こんな小さな身体で)
ギリっと奥歯を噛み締める。心のカケラは人間を動かす核だ。それを強制的に取り出す行為は神の領域を反する。その為相応の苦痛が伴うのだ。本来ならば声を抑えられない程に。
「美都──もう抵抗するのはやめろ……!」
名前をなぞるとピクリと瞼を震わせながら小さく首を横に振った。美都の身体には相当負荷が掛かっているはずだった。抵抗する程苦痛が長引く。それは彼女自身を苦しめることになる。
「そんなことしても、君が苦しくなるだけだ──……!」
頼むから。もう抵抗しないでくれ。抗わずに早く苦痛から解き放たれて欲しい。ただそう願うだけだった。こんなことをしているのは自分なのに。
「……っぁ、だ……め──っ……、すい──!」
「っ──!」
苦しみを堪え、途切れ途切れに美都が呟く。この状況でも尚、水唯を止めようとしているのだ。その様に彼は目を見張る。同時に胸がズキンと痛んだ。このまま抵抗をやめなくても、いずれ心のカケラは出現する。そうすればこの苦しみから一時は解放されるだろう。しかし現れた心のカケラに宿り魔の胚を植え付けて再度戻すのだ。そうすればまた異なる苦痛が彼女を襲う。現状でもこんなに苦しんでいるのに。その苦しみの最中でも尚、意識は水唯を救うことに向いているのだ。
(なんで──っ……!)
こんな時でも他人のことを考えられるんだ。耐え難い苦しみのはずだ。現に段々と彼女の声は小さくなってきている。ならばせめて、と水唯は表情を歪ませた。
(終わらせる……!)
瞬間翳している手に力を込める。すると宿り魔の刻印が先程よりも強く光った。
「っぅああ……! あぁっ……ぁ──……!」
美都の悲鳴が部屋に響き渡る。耳を塞ぎたくて仕方なかった。苦痛を訴えるその声は自分を責めているように聞こえていたから。
まだ15歳のか弱い少女。その小さな身体に闇の鍵を宿し、苦しみに耐え必死に守ろうとしている。なぜこの子だったんだ。なぜこの子に全部押し付けた。不意に脳裏に、彼女の屈託ない笑顔が浮かんだ。純粋で、優しくて愛らしい。何に対しても真っ直ぐに向かっていく姿勢が眩しかった。こんな自分にも、いつも気にかけてくれて。彼女だけだった。
間も無く彼女の心のカケラが現れる。ようやく少女の苦しみが終わるのだ。そうすれば彼女は仮死状態に陥ることとなり、短い死が彼女を襲う。それはどんなに恐ろしいことだろう。
早く、早くと顔を顰めていると苦しみを堪えながら少女が精一杯の力を込めて首をもたげた。瞼を震わせ薄眼を開く。その紫紺の瞳を揺らし、か細い声で呟いた。
「──っぁ……、す……ぃ──」
名前を呼んだ後、「だめ」と声なき声が上がる。その様に息を呑む。すると彼女がフッと眼を閉じ、身体から力が抜け落ちようとしていた。ガクッと上半身が前のめりに揺れる。
(倒れる──……!)
ハッと目を見張る。そこからはほぼ反射だった。彼女の身体が倒れて床にぶつかる前に、と無意識に身体が動いたのだ。
水の術を解き、美都の胸元に翳していた手は彼女の身体を抱き留めるために回す。抱き留めた衝撃を和らげるように己の胸で彼女を支えながらその勢いのまま床に腰を下ろした。
その一瞬の出来事に、心臓が早鐘を打つ。乱れた呼吸のまま浅い息を繰り返した。その現状に目を見開く。何が起こったのか咄嗟に脳内で処理が追いつかなかった。
(俺、は──、一体……っ何を……──)
心音が大きく鳴っている。一体自分は今、何をしたのかと。なぜなら美都の心のカケラは出現していないのだから。出現する前に、遮ったのだ。紛れもなく己の意思で。己の意思で術を解いた。倒れるわけがない彼女の身体を受け止めるために。
そんな自分に驚いている。なぜ、と自問した時に不意に先程の美都の顔が浮かんだ。限界を超えても、自分を止めようと必死に信じてくれている彼女が。真っ直ぐに届く彼女の想いが。
そう考えた瞬間、胸にストンと感情が落ちた。
────あぁ、そうだ。俺は……。
肩越しで尚も苦しそうに浅く呼吸を繰り返す少女を抱き締める。今更、こんな感情が許されるはずもない。それでも。
「美都──俺は……っ、君を傷つけたくない──……!」
情けなくて不甲斐ない。こんなこと、最初からわかっていたはずなのに。身体はずっと警鐘を鳴らしていた。見ないフリをしてきたのは自分だ。
すると腕の中の少女が、弱々しく自分の背中に手を回した。
「──!」
「……だい……じょうぶ、だよ」
美都が肩越しでポツリと呟く。その声に息を呑んだ。まだ相当身体は辛いはずだ。それでも彼女は途切れ途切れに言葉を紡いでいく。
「す、い──……だいじょうぶ……だから、──ね……?」
そう言って力なく抱きしめ返される。彼女の温もりと鼓動の音が身体を通して伝わってきた。いつもより俄かに早いであろう鼓動が、彼女が繰り返し呟く言葉と重なる。それはまるで温かい光のようで。ずっと彷徨っていた暗闇の底に届く、強い光。
(──……そう、か……)
本当はずっと前から解っていた。彼女への想いを。それを何と呼ぶのか知らなかっただけだ。いつだって温かく、自分を包んでくれる光の存在を。ようやく知ることが出来た。
水唯の金色の瞳が揺れる。そしてその頬に雫が伝った。
「ごめん……っ、──……!」
涙は堰を切ったように溢れ出す。みっともないと思いながらも長く抑えていた感情は、そう簡単に止められるものではなかった。声を上げて泣くのはいつ以来だろう。目の前の少女を差し置いて、こんなことが許されるわけがないのに。それでも、止まらない。止めることが出来なかった。そんな自分を彼女は優しく抱きしめたままだ。背中をさすりながら小さく「大丈夫」と繰り返す。その柔らかな声にまた涙が出た。
美都の腕の中、水唯はそのまましばらく泣き続けた。
◇
「落ち着いた?」
「あぁ…………ごめん」
しばらくして呼吸を整えた後、互いに顔を見合わせた。水唯は恥ずかしさですぐに目を逸らす。美都の方もいつも通りに見える。しかしやはりどうしても確かめておかなければ、と思い彼が声をかけた。
「もう──大丈夫、なのか……?」
「ん? うん、全然平気!」
そう言いながら美都は彼に微笑みかける。気を遣っているわけではなく本心なのだろう。水唯はその姿を見てホッと胸を撫で下ろした。だがまだやることがたくさんある。グッと喉を引き絞って彼女と向かい合った。
「俺、……話すよ。知ってること全部」
「……いいの? それで水唯は大丈夫なの?」
あんなことをしても尚、自分の立場を気にしてくれるのか。美都は心配そうに眉を下げた。
「いいんだ。俺にはこんなことくらいしか出来ない」
せめてもの彼女の力になれればと。そう考えての進言だった。水唯の言葉を聞いて少し躊躇いながらも「わかった」と美都が頷く。そしてゆっくり体勢を整えながら立ち上がった。
「とりあえず、四季に連絡しても良い? 出来れば四季にも聞いてもらいたくて──……だめかな?」
「いや──それがいいと思う」
彼にも一度謝らなければ、と水唯は考えていた。美都が立ち上がるのと同時に彼も腰を浮かせる。そのまま彼女は床に落ちたままだったスマートフォンの元へ向かった。画面を確認すると困り果てたような顔を覗かせる。相当数の連絡が来ているのだろうと容易に察することが出来た。
「掛け直した方がいい。きっと心配してるだろうし」
「あ、うん──じゃあちょっとだけ……」
少しだけ忍びなさそうにしながら、美都がスマートフォンを耳に当てる。彼女がどうこの状況を説明するのか気掛かりだった。だが責められるのも覚悟の上だ。すると発信先の人間は一秒と待たず応答した。
『お前っ! 今どこにいる⁉︎』
離れていてもその声が聞こえてくる。怒鳴り声のようにも感じるのは相当焦っているからだろう。電話をかけた美都はその音量に驚いて肩を竦めていた。
「えーっと、その……ごめん、とにかく大丈夫だから!」
美都はしどろもどろになりながらまるで説明にもなっていない言葉で彼を諌めようとしている。しばらく問答が続けられ「すぐ戻るからー!」と言って半ば強引に通話を切った。やれやれと肩を落とした後、気まずそうに水唯の方へ身体を捻る。
「……ということなので、ついてきてもらってもいい──?」
美都が指差すのは隣に居を構える自分の家だ。当然四季はそこで待っているのだろう。ならば自分が拒否することは出来ない。話をすると言い出したのは自分だ。彼女の依頼に頷きそのまま歩き出そうとした。
その時。
「────だめじゃない、水唯」
「⁉︎」
暗闇の方からする声にハッと振り返る。甲高く響くその声に聞き覚えがあった。
「あなた、は──……!」
息を呑んでその様を見つめる。なぜ、彼女がここにいるのだと。いやそれよりも、と水唯が急いで美都の側へ駆け寄る。
「あらあら。命令に背くのかしら」
「──っ……」
美都を背後におき、暗闇に佇む人影と対峙する。クスクスと笑う声に身体が恐縮し硬直しそうになるのを必死に振り払った。するとすぐに宿り魔の気配が濃くなる。その人物が宿り魔を呼び出したのだ。
「伏せろっ!」
言いながら彼女を屈ませ、手前に結界を張る。だが恐らく意味を為さないのだということは何となく感じていた。予想通り宿り魔の攻撃は結界を突き破り、眼前に迫る。せめて美都だけは、と彼女の身体を庇おうとした時。
「水唯っ!」
咄嗟に美都が剣を呼び出し、水唯の前に躍り出た。剣で攻撃を弾き返したのだ。今度は水唯が彼女に庇われる形になる。剣を構える少女の背はあまりにも凜としていた。その姿に目を奪われ瞬間呆然と彼女を見つめる。
「──なるほど。その力なのね」
「あなたは誰⁉︎」
見えざる人影に美都が叫ぶ。目の前には宿り魔がいるという事実があることに御構い無しで、自ら立ち向かおうとしているのだ。その強さに水唯は息を呑む。だが恐らく彼女は動じないだろうと踏んでいた。否、むしろ逆だ。美都の強さは、彼女にとって興味の対象になり得る。そう考えた瞬間血の気が引いた。
「美都、だめだ下がれ!」
「っ……でも!」
既に美都は臨戦体勢に入っていた。水唯の言葉を聞いて顔を顰めている。すると再び甲高い笑い声が暗闇から響いてきた。
「大丈夫よ。今日のところは退くわ。────水唯」
その声に名前をなぞられる。息を呑んで暗闇を見つめた。暗闇の中に微かに見える、彼女の瞳と視線を交わす。
「このことは私から報告しておくわ。今後は容赦しないから、そのつもりで」
「……!」
思わず唇を噛み締める。容赦はしない、という宣戦布告だ。やはり彼女が主の元へ戻ったのだと瞬時に理解する。厄介な相手を敵に回した、と。
すると目の前にあった脅威があっという間に気配を消した。同じく宿り魔の気配も消え去る。張り詰めた空気がようやく和らいでいくようだ。片膝をついて水唯はフッと息を吐く。
「水唯!」
「──……大丈夫だ」
半ば目眩のようなものに近かった。まさか彼女が出てくるなんて想定外だ。水唯は眉を顰めて口元を覆う。青ざめた表情を心配した美都が覗き込むようにして様子を窺った。
「とにかく、うちに行こう? 立てる?」
美都の問いに小さく頷く。恐らく彼女は今起こった出来事についての把握が出来ていない。ひとまずは退いてくれて助かったというところなのだ。あのまま戦闘が始まっていたらと考えるだけで背筋が凍る思いだった。自分の様子を見に来ただけではないはずだ。だとしたら、と美都に視線を移す。
水唯は頭の中で考えたことを一旦振り払った。ひとまずは四季に話をするのが先だと。そして今の件も伝えるのだ。今後また、新たな脅威となり得る彼女のことを。
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