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暗闇に届く一閃の -鍵を守護する者⑦-

あの日の回想

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美都を呼んでみたがやはり口にするのはまだ早いと思い直した。その様子に不服そうにしていたが確証が無い段階で彼女に伝えるのは気が引ける。しかし先程の無邪気な姿を見ているとどうにも心配になってしまう。「もう少し警戒してくれ」と喉元まで出かかった。そう口にするときっと「何で?」と聞き返されるだろう。その理由はまだ話せない。
9月のある日。衣奈との一件が終わった後の週末に、櫻家で開かれた集いにて瑛久から話があった。前置きとして「俺の憶測だ」としきりに気にするように。
「俺たちが対峙した男についてだ。お前がスポットから出ていった後、俺はあの男としばらく戦った。その際に俺が投げたナイフが相手のシャツを掠めたんだ」
状況説明をしながら瑛久が身振り手振りを加え話を進める。投げたナイフは男のシャツを裂き、その際に腕が見えたのだと。
「背もそんなに高くないし細身だな、とは思ったけど──ただ、腕に筋肉がついてた」
「……?  それがどうかしたんですか?」
バスケ部やバレー部に所属していれば腕も鍛えられるだろう。だから不思議なことではない。なぜ瑛久がそんなに訝しむのか理解出来なかったがその理由はすぐに彼が説明してくれた。
「──あれは剣道をやっていた人間の筋肉のつき方だ」
「剣道?」
瑛久が言うには独特なつき方になるのだそうだ。竹刀を振るため特に手首から腕にかけて、筋が出るほど鍛えられるのだと言う。さすがは経験者だ。同じ境遇だからすぐに判ったのだろう。
「お前の学年に剣道部は何人いる?」
「そんなにいないんじゃないですか?  美都に聞けばわかると思いますけど」
「まぁ、剣道やってる人口なんて元々そんなにいないからな。じゃあ──やってた人間は?」
同学年の男子生徒の部活状況を全て把握しているわけではない。特に自分は初冬にこの学校に来たので美都ほど同学年の生徒に明るくない。だが瑛久の質問に引っかかるものを感じ頭を巡らせた。なぜ瑛久がここで剣道の話を出してきたのか。
「……剣道を、やってた──?」
そう言えば以前そんな話をしなかったか。誰と、どこで。その答えはすぐに出た。瑛久もその時に同席していたからだ。心臓が大きく鳴る。自分で考えたことに目を見開き口元を押さえた。その様子を見ていた瑛久が推し測ったように言葉を続ける。
「俺がスポットに入ったとき、一瞬だが間が出来た。守護者以外の人間が入ってきたからなのか、あるいは俺だったからなのかは知らんが驚いてたように見えなかったか?」
そう問われて当時の状況を思い浮かべる。あの時は確かスポットから出ることに必死だった。一刻も早く美都の元へ駆けつけなければ、と。今冷静になって思い出してみると確かに思い当たる人物に背格好は近い。それに瑛久の言う通り、少なからずあの男は瑛久の登場に目を見張っていたようだった。自分の正体は知っていたのだとしても、予期せぬ瑛久が入ってきたことに驚いたと考えることが出来る。
「あの出で立ちも声も、似てるとは思う。だが決定的な証拠はない」
「──……っ」
「疑心暗鬼にさせるのは良くないと思って静観してたんだが──もうそうも言ってられないだろ?」
美都が所有者だと判明した今、彼女に降り注ぐ災いから守るのが守護者の使命だ。疑わしきは罰せよ、ではないが瑛久の言う通り警戒はしなくてはならない。もしそれが友人だったとしても。否、既に同学年の男子生徒だと判っているのだ。少なからず美都に接触したことのある人物だろうとは思っていた。そこまで深く考えていなかったのだ。
(水唯が敵──……?)
苦い顔でこれまでの彼の行動を思い返す。特に怪しい動きはなかった。学校生活でも目立つことはない。ただ何事もなく日々を過ごしていたように思える。しかしここ最近は確かに様子が違った。自分たちへ距離を取り始めたようにも感じる。それはもしかして正体に気付いたからなのかと穿ってしまう。
「それともう一つ。あいつに関して気になることがある」
互いに固有名詞は出していない。しかしどう考えても思い描く人物は同一だった。その上で瑛久の言葉に耳を傾ける。
「同じ苗字の患者が俺の病院にいる。珍しい苗字だろ?  なんとなく顔も似てるし母親じゃないかって思って接触してみた」
渋い顔を浮かべながら口にしていく。彼はあまり仕事のことを口には出さない。それは患者のプライバシーにも関わるからだ。少しだけ驚いたが瑛久の手早い行動に感嘆とする。
「名前までは聞き出せなかったが息子がいるって証言は取れた。話し方からするに、それなりの年頃なんだと思う。だけどな──」
そこまで言っておもむろに口を噤んだ。逆説の接続詞が出たと言うことは彼にとっても予想外のことがあったのだろうと察する。考えながら目を細めた瑛久が再び口を開いた。
「──二人」
「ふたり……?」
「あぁ。息子が二人いるって。そう言ってた」
思いがけない情報に眉間にしわを寄せる。これまで水唯と家族構成の話をしたことは無い。だから彼に兄弟がいると考えたことがなかった。しかし例えその女性の息子が彼であったにしろ、ここでまた疑問が生まれる。息子が二人いるのだとしたらなぜ水唯だけ一人暮らしなのか、と言うことだ。おそらくは瑛久も同じことを考えているのだろう。だから渋い顔をしているに違いない。
「その人は……なんで入院してるんですか?」
水唯の母親と思しき人物。彼が一人暮らしをしている理由とも関係しているはずだ。そう訊ねると瑛久は更に表情を険しくした。
「……長期療養が必要な患者だ」
と、短くそう答える。それ以上はプライバシーと言うことだろう。
「旦那も見かけた。夫婦揃って若い感じだったな」
「話はしなかったんですか?」
「回診の途中だったからな。帰り際にチラッと顔を見られたってくらいだ。どうにも忙しいらしい」
腕を組みながら一つ息を吐く。彼自身も考えを巡らせているようだった。
「なぁ──あいつが転校してきた理由は聞いたことがあるのか?」
「……いえ。あの会食以来、俺はそんなに話してませんから」
しかし美都は別だ。彼女は事あるごとに水唯のことを気にかけていた。それはもうこちらが嫉妬する程に。彼女ならばあるいは何か知っているかもしれない。
「よくよく考えれば、何もないのにあんな時期に転校してくるわけないよな」
「──そうですね」
瑛久の言う通りだ。中学三年生の7月。夏休み直前だ。わざわざあの忙しない時期に転校してくるのもおかしな話だ。そこには何か理由が存在するはずだと考えられる。例えばそれが──。
「それが──鍵の所有者を探すためかもしれない、ってことですよね」
「……そう言うことだ」
現に不思議な影が現れ始めたのは彼が転校してきてからだ。水を使役する攻撃。名は体を表すとは言うがよもや本当にそうだとは信じられない。
(なんで……)
もし本当に彼だった場合、なぜこんな状態になっているのかと与えられた情報から頭の中で考えを巡らせる。
長期療養が必要で入院を余儀なくされている母親。母親と離れて暮らさなければならないのは分かる。だが父親と兄弟は一体どうしたと言うのだろう。特に父親に関しては瑛久が姿を確認しているのであれば特別仲が悪いと言うわけでは無いはずだ。逆に水唯自身が父親と不仲ということは考えられるが。
もうひとつ。なぜ水唯が鍵を探しているのか。彼が鍵を狙う理由は何だ。
(いや──平野と同様なのか)
衣奈の時は彼女自身に宿り魔が憑いていた。宿り魔を憑けた人物に傾倒していたはずだ。そうすると水唯もその可能性がある。彼から宿り魔の気配を感じたことは無い。だが気配を操っているのだとしたら納得は出来る。
ちょうどそんなことを考えていた時に瑛久から「この憶測の判断は任せる」と言われたのだ。それと、「お前も心当たりがあるのでは無いか」とも。その答えには口籠もる他なかった。
水唯を信じていたい気持ちと美都を守らなければならないという使命感の折り合いが難しかった。だがすぐに圧倒的に後者の方が大切なのだと思い知る。正直疑心暗鬼になるのが恐ろしい。だから衣奈の時もリストを作成したのだ。全く意味をなさないものとなったが。
しかし、と隣を歩く美都を横目で見る。
美都が鍵の所有者だと判明した現在、何があっても彼女を守ることが守護者の存在意義だ。守護者のことを無しにしても、彼女のことを守りたいと思う。
(傷つけさせるわけにはいかない──)
もし仮に水唯が敵である場合、彼自身が美都を手に掛けることになるだろう。だからここ最近は警戒している。少しだけピリついた空気を滲ませたところ彼もそれを察知しているようだった。守護者の正体を知っていれば無闇に口を出すようなことはしないからだろう。そうなると瑛久の憶測は当たりだということだ。
だがここでまた先に考えていたことに戻る。彼が敵なのであれば接触の機会を減らしたい。それを彼女に訴えたいのだが如何せん確固たる証拠が無い。だからこんな中途半端なことになっているのだ。
「夕飯何が食べたい?」などと言って誤魔化してみたが美都の行動を見ていると不安になる。衣奈の一件が落ち着いて以降宿り魔が出現していないため少しだけ気が緩んでいるような雰囲気さえ出ている。ただでさえ向こう見ずで突っ込んでいくのだ。やはりそれとなく言っておくべきだなとぼんやりと考えた。しかしどうすることが効果的なのか。
夕飯の希望に「魚料理」と答えた美都の声を聞きながら、同時に夕飯の献立も練っていく。スーパーで食材を見て決めよう。いや、その前に教会か。鍵の話を聞きにいかねばならない。だとしたら先程の話は夕飯を食べ終えた後でも良いか、と。後は──。
「帰ったらさっきの話聞くからな」
さっきの、というのは美都が零した夢の話のことだ。まずはそれが優先だと思い出す。なぜ今の今まで黙っていたのか。問い詰めなければ。もちろんそれは今後のためにだ。
肩を落として悩むようにする美都の姿が横目に入る。今はただ過保護だと言われようとこうしておく必要があるのだ。それを彼女自身がちゃんと理解してくれないと困る。こちらが呆れるように息を吐きたい気持ちをぐっと抑え、教室へ向かった。


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