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祝いの中の真実に-鍵を守護する者⑥下-
この手で君を
しおりを挟む晴れた週末。窓から覗く空が青々としていてとても綺麗だ。まだ入道雲が残っており残暑を感じさせる。穏やかな日だ。
「改めて、お誕生日おめでとう美都ちゃん」
「おめでとー!」
この家の母娘から祝いの言葉とともにホールケーキが差し出される。先程まで彼女の手料理を振る舞ってもらい、更にこんな立派なケーキまで用意されているとは。くすぐったくなりながらもその好意に礼を伝える。
「ありがとう。なんか至れり尽くせりだなぁ」
「主役なんだもの、当たり前じゃない」
そう言うと弥生がふふっと笑んだ。今もケーキを切り分けるために食器を準備してくれている。彼女こそ今日の立役者だ。さりげない弥生の気遣いに心が暖かくなる。
誕生パーティーとして那茅から招待状を受け取っていた。先日までの忙しさが嘘のように時間がゆったりと流れている。窓から差し込む陽で日光浴をしていると、隣にいた四季がケーキに手を伸ばした。
「どれくらい食べる?」
「えっと……これくらい?」
「ん」
彼の問いに指を定規のようにして示す。するとすぐに推し測った様子で四季がケーキを切り分けてくれた。手元にちょうどいい分量のケーキが置かれる。続けて那茅が自分の分を彼に要求していた。ケーキと言えば紅茶だな、と思い出して弥生の動きを見つつ立ち上がろうと思った矢先。
「美都は座ってて」
「でも──」
いいから、と言うのは凛だ。先日の一件が一段落したので、弥生たちの許可を得て彼女も招いていたのだ。最初は恐縮していたが時間が経って段々と慣れ始めたらしい。弥生をサポートするようにキッチンへと向かった。
「なんか落ち着かないなぁ」
「何が」
「ずっと座ってるの。そわそわしちゃう」
うーんと唸りながら目線を宙に向ける。常盤家では「働かざる者」の信念で動いていたためこうもやる事がないと逆に落ち着かない。主役なのだからと言われてしまえばそうかもしれないがそれでもだ。こんなに色々してもらって良いのかと考えてしまう。
「たまにはいいだろ。ここ最近ずっと動きっぱなしだったんだし」
それを言うなら四季だって同じことだ。当然同じ状況下にいたわけなので彼だって相応の動きをしている。
「そうよ。少しくらいゆっくりしてもバチは当たらないわ。それに美都は目を離すとどこに行っちゃうかわからないんだもの」
「完全に同意する」
途中から凛が会話に加わり、この場面の正当性を主張していたものの途中からなぜか自分の行動に対する揶揄になった。そこに四季が被せるように頷く。全くこの二人はなぜこういう時だけ意見が合うのかと眉間にしわが寄ってしまった。
「美都ちゃんがいかにお転婆かよくわかるわね」
紅茶を淹れながらクスクスと弥生も笑みを零した。弥生にもそう言われてしまっては完全に分が悪い。そんなことはないと主張しなければ、と思った矢先。
「そんなことないって思ってるだろ」
「な……なんで?」
「思いっきり顔に出てるからな。そう言うのも自覚した方がいいぞ」
「もう!」
完全に牽制されてしまった。しかし納得できずぐぬぬと頬を膨らます。美都のその表情に、四季は一旦息を吐いた後ふっと笑みを浮かべた。
「まあ今回の功労者でもあるんだし。今日くらいは大人しくしとけ」
そう言って美都の頭に手を伸ばし優しく二度反復させた。本当に彼は自分の機嫌の取り方が上手いなと感じる。つられるように頬を緩ませたときに少しだけ強めに机にカップが置かれた。その音にビクッと肩を竦める。
「美都は紅茶で良かったわよね?」
「あ……は、はい」
ニコリと凛が笑む。優しい、というよりも冷ややかな笑顔だった。さすがに彼女のその表情の意味はわかる。他人の家でイチャつくな。というよりも自分の前で、というのが正しいか。やはり彼らの相性は良くないらしい。すると入れ替わるように四季が苦い顔をして弥生のいるキッチンの元へ歩いて行った。
「その後、何かあった?」
「ううん。結局衣奈ちゃんが言ってた『あの子』っていうのも誰なのかさっぱりだし。宿り魔も出てないしで……」
凛の問いに首を横に振る。実際何も起こっていないのだ。もちろん起こらない方が良いに決まっている。だが衣奈より「あの子があなたを狙いに来る」と警告されている手前、気をつけておかなければならない。今は束の間の休息というところか。今後また新たな刺客が現れるはずだ。それに備えなければ。
(菫さんのところにも行かないとな……)
自分が所有者と判明してからまだ日も浅い。特に何か変化があった訳ではないが菫には報告しておいたほうが良いだろう。もしかしたら彼女は既に知っているのかもしれないが。今後は所有者としても守護者としても鍵を守っていかなければならない。そのためにまた聞きたいことがある。鍵を所有するという意味を。無意識に胸元にある指輪に触れる。すると那茅が目を瞬かせ美都を見つめた。
「みとちゃんキラキラいっぱい!」
「え? あ、確かに今日はそうかも」
「かわいいねー!」
指輪の他に、ブレスレットと凛からもらったヘアピンを着けている。特にヘアピンは角度によって輝き方が違うので那茅にとっては目新しいのだろう。
「やっぱりそのピンすごく似合うわ」
「えへへ、ありがと。凛が一緒に選んでくれたからだよ」
そう言うと凛は満足げに笑みを見せた。自分でも気に入っている。少し派手なため学校にはしていけないがこうして休みの日にだけ着けるのも特別感が出るものだ。
「りんちゃんのおめめもキラキラしてる! ほうせきみたい!」
今度は対象が凛に移った。那茅は興奮気味にじっと彼女の方を見つめている。すると凛はどう答えようかと恥ずかしそうに口籠もっていた。彼女もまたひとりっ子ゆえに幼子との交流は慣れていないようだ。
「ね。わたしも大好きなんだぁ」
「きれいだねぇ」
那茅の発言を受けて同調するように、凛の瞳を見つめながら素直な感想を述べる。初めて会った時からずっと思っている。海の色だ。澄んだ碧色。吸い込まれそうな程透明な瞳が見ていてとても心地良いのだ。
二人からの熱視線に凛は俯き加減で顔を赤くしている。するとキッチンにいた弥生と四季もそれぞれカップを持ち寄り所定の位置についた。
「さ、紅茶冷めちゃう前に食べましょう」
目の前に置かれたケーキが手付かずのままになっていた。弥生の声を合図に各々手を伸ばし始める。
穏やかな休日の午後。リビングには絶え間なく暖かな日差しが降り注いでいる。甘いケーキに、美味しい紅茶。大切な人たちに囲まれながら過ごす時間。
(……幸せだな)
こんな些細なことが。否、些細なことではない。自分にとってこうしてここにいられることが何よりも奇跡だ。そんなことを言ったら四季あたりに「大袈裟だな」と言われそうだが実際そう感じるのだ。ゆったりと流れていく時間が、欠けているものを満たしてくれる感じがして。入り込む陽の光のように心が温かくなる。
「水唯も来られたらよかったのに」
不意にポツリと呟く。誘っては見たもののまだ体調が良くないとのことで断られてしまった。しばらく彼の元気な姿を見ていないせいで心配になる。
「結局会えてないんだっけか」
「うん……。明日からまた学校だけど大丈夫かな」
先日差し入れで持って行った惣菜は授業のプリントと共にドアノブに引っ掛けておいた。そうして欲しいとの水唯からの希望だった。受け取った旨の連絡が来たため食欲はあるようだ。しかし彼としばらく目を見て話していない。元々が華奢なせいで免疫力が低いのではないかと勝手に考えてしまう。
少しだけ伏し目がちになっていたところ、仕事の連絡のため席を立っていた瑛久が一息つきながら自室から出てきた。祝いの席なのにえらく大人しい雰囲気に見えたのか首を傾げている。
「なんだ? そんなしんみりして」
心底どういう状況なのか測りかねているといった声色だった。確かにケーキを食べながらなる空気ではない。話の発端となった己が説明しなければと顔を上げた。
「実は水唯がここ最近体調を崩しているみたいで……少し心配だなって話をしていたんです」
「すいくん、げんきないの?」
瑛久にそう説明したところ、横にいた那茅が心配そうにこちらに瞳を向けてきた。あまり幼子に難しい話をすべきではないがそう口にしてしまい、彼女もそう受け取ってしまったため上手く誤魔化すことも出来ない。そのため「ちょっとだけね」と肩を竦めて那茅を諌めた。そうだ、と不意に彼の職業を思い出し再び瑛久の方へ身体を捻った。
「もし長引くようなら、瑛久さん一度診てもらえませんか……?」
総合診療医として総合病院で勤務していることを知っているからこその依頼だ。厚かましいとは思うが家からも出られない程酷ければ病院へ行くのも億劫になるだろう。そうなると身近な人間に頼んだ方が水唯も気が知れて良いのではないだろうか、と考えた結果だった。
美都からの依願に一瞬声を詰まらせながらも瑛久はすぐに表情を和らげた。
「そうだね。水唯が希望するならそうしてみるよ」
「! ありがとうございます!」
「まぁずっと休んでるわけにもいかないだろうし明日の様子を聞いてからになるかな。──四季」
瑛久は会話をやんわりと切り上げると、ふと美都の隣に座っている少年の名を呼んだ。突然名前をなぞられたことに驚きつつすぐに反応して目を向けている。続けて瑛久が手でジェスチャーを交えながら四季の行動を促した。
「ちょっといいか。前言ってたことについて話しておきたいことがある」
「はい、行きます」
思い当たる節があったのか四季の方もすぐに立ち上がった。なんだろう、と首を傾げる美都と凛をよそに弥生は渋い顔を浮かべている。
「今じゃなきゃダメなの?」
明らかに不満そうな雰囲気を声に滲ませていた。皆でケーキを突いており、ちょうど瑛久も仕事が一段落したところなのだ。彼女の言いたいこともよく分かる。しかし、と瑛久も譲れないものがあった。
「忘れないうちにな。ごめんね美都ちゃん。一瞬だけ四季借りるね」
「いえ! お構いなく!」
顔の前で片手のひらを横にし、申し訳なさそうに頭を下げると二人は先程瑛久が出てきた自室へと歩いて行った。その背中を見送りながら弥生はしばし無言だったが切り替えるように一つ息を吐いた後こちらに向き直る。
「しょうがないわね。こっちはこっちで女子会しましょ」
彼女の提案に同意するように再びケーキに手を伸ばし始めた。彼らの話が気にならないでもないがわざわざ部屋を別にするということはここでは話しづらい内容なのだろうと察することが出来る。四季の反応を見るからに、彼も把握したような雰囲気だった為ここは自分が口出しすることではないなと瞬時に弁えた。
同性だけでこうして他愛ない話をしながらゆっくりする時間も悪くない。明日からまたいつも通りの日常が始まるのだから。
◇
陽だまりの部屋から移動し、書斎とも言える瑛久の仕事部屋へと通される。本棚には難しそうな医学書が多数並んでおり彼の博学さが伺える。目新しく辺りを見渡していると先に歩いていた瑛久がくるりと身体の向きを変えた。
「さて、なんでお前だけ呼んだか分かるか?」
腕を組みながら瑛久から質問が飛んでくる。言葉だけ聞けば冷たく感じるかも知れないがどうやら怒っているわけではなさそうだ。当然だ。怒られるようなことはしていないのだから。呼び出し文句から察するに、以前彼が口にしていた「気になること」についてだろう。自分だけ呼び出す理由は凛がいるからだろうか。だが彼女も守護者について知っている数少ない人物である。そこで遠慮することはないはずだ。だとしたら、とふと考えたことを口にする。
「美都に聞かれたくないこと、ですか?」
「まぁ有り体に言えばそんなところだな」
若干含みのある言葉で肯定しながら瑛久が頷いた。彼のことだ、恐らく美都に気を遣ってのことだろう。自分で「聞かれたくないこと」と口に出したのはいいがこちらは一体どう言った内容が語られるのかまでは把握できていない。だが一連の流れから美都にとってセンシティブなことであるのだと察せられる。
「あいつが所有者だからですか?」
自分と彼女との違い。美都は守護者でありながら鍵の所有者であった。その身に鍵を宿しているということはリスクが高い。そう考えての発言だ。だが瑛久は四季の質問に否と答え手を横に振った。
「そうじゃない。これが俺の憶測に過ぎないからだ」
「──?」
思わず眉間にしわを寄せて首を傾げた。瑛久の言う「憶測」とは何なのか。心当たりはないがそれは今から語られることだ。敢えて声には出さず大人しく彼の次の言葉を待つことにした。
瑛久は頭を掻きながら書斎机にもたれるようにして目を伏せた。
「いいか、あくまで俺の考えとして聞け。この間俺たちが対峙したあの男についてだ」
しっかりと前置きをして語り始める。淡々と、なるべく冷静を装うように。瑛久の「憶測」を耳にしながら、その話される内容に表情を変化させた。息を呑む。鼓動が早くなる。彼が話すことを考えれば考えるほど「そうなのかも知れない」と思うしか無くなってくる。途中から口元に手を当てて咀嚼しながら彼の話を聞いた。
一通り話し終えると瑛久も渋い顔を浮かべて息を吐いた。
「判断はお前に任せる。これは憶測であってまだ決まったわけじゃないからな」
「でも──……もし瑛久さんの言ってることが正しかったんだとしたら──」
その後の言葉は飲み込んだ。言わずとも互いに理解していたからだ。彼の憶測が正しい場合、決して状況は良い方向に転ばない。だから口を噤んだのだ。
「実際どう思う? 否定しないってことはお前も思い当たる節があるんじゃないのか」
「それは──……」
所感を訊ねられ、口籠もる他なかった。そんなわけがない、と言い難いのは事実だ。だがそれでもとグッと唇を噛み締める。これは自分ではなく美都を思ってのことだ。自分も一時考えたことはあった。しかし疑心暗鬼も良くないと己自身に言い聞かせたのだ。それに美都は──。
問いかけに答えられず硬直していたところ、瑛久が更に苦い顔を見せた。
「お前が考えてることはなんとなく分かる。だからあの子に伝えるか伝えないかはお前次第だ。間違いならそれで済む話だしな。問題は──」
と一旦言葉を呑む。そうだ、憶測が間違っているのならそれで構う話ではない。むしろその方が良い、と願ってしまう自分もいる。だが瑛久が言いたいのはそう言うことではない。彼の言う問題とは恐らく。
「──何も知らされずに事実と直面した時、あの子の心が壊れないか、だ」
そうだ。美都はつい先日、同等の経験をし心に傷を負っている。該当の少女と和解したものの初めての経験だったに違いない。友人だと思っていた人物に、裏切られるということ自体が。再びまた、そんな日が来ることが恐ろしい。そんなことさせてはならない。だから迷う。何が彼女のためになるのか。
不意に美都の顔が脳裏に浮かぶ。先程幸せそうに微笑んでいた彼女の顔が。これ以上彼女に傷ついて欲しくない。彼女の笑顔を曇らせたくない。そう心から思っている。
「悪い。お前ばっかりに背負わそうとは思ってなかったんだけど、如何せんあの子に伝えていいかわかんなかったからさ」
表情を歪ませている自分に気付いたのか、フォローするように瑛久から声がかかる。ハッとして首を横に振った。
「いえ、瑛久さんのいう通りです。現状は……伝えるべきじゃないでしょうね」
「でもどうする? 俺もまた探ってはみるけど、これ以上有力な情報は得られるかわかんないぞ」
瑛久から聞かされた内容は、自分では思い至らない程の的確な考えで構成されていた。正直目から鱗だったのだ。これ以上の情報があれば確かに今後ありがたいが現状彼に頼りきりというわけには行かない。自分でなんとかしなければ。
「ちゃんと目を光らせておきます。向こうが仕掛けてくる前に確固たる証拠を掴まないと──」
問いかけに答えながら眉間にしわを寄せる。誰かを疑うことは神経をすり減らす。なるべくなら避けたいところだが今の瑛久の話と、衣奈が呟いていた内容を加味すればそうせざるを得ない。再び同級生の中に脅威がいるのだとしたら。美都を守るためには、止むを得ないことだ。
「……だいぶしんどくなるぞ」
視界の端でポツリと声が聞こえる。彼も敢えて視線を交じらせることはしない。独り言のように、しかし確実に自分を心配するような言葉だ。
一旦呼吸を落ち着けるためゆっくりと瞳を閉じる。自分がするべきこと。しなければならないこと。それを履き違えないために。
四季は一度深呼吸した後、再び瞼を開き目を細めた。
「────覚悟します」
彼女の笑顔を守る。そのためならば。
たとえ茨の道であろうとも、進むしかない。
無邪気な君の瞳が思い出される。
その瞳に果たして自分はどう映るのか。
少女の名を小さく口にする。
────絶対に、この手で君を。
そして強く、手を握りしめた。
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