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祝いの中の真実に-鍵を守護する者⑥下-

わがままな想い

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大人気ない、と思う。それは十分理解しているつもりだ。それでも。
遡ること数分前。4限目の授業を終え先に教室へ戻ってきた。というのも、今日こそは絶対に待つつもりでいたのだが美都からの「遅くなるから」という強い申し出により戻らざるをえなかったのだ。しかしいつまで経っても教室に帰ってこない様子に焦燥し、やきもきしていたところを和真に見つかった。
「お前なぁ」
「……わかってる」
「しかしよく飽きねぇな。そこまで一緒にいて」
彼は同居していることを知っている。それに美都とは幼馴染みだ。彼女の性格についても自分より余程詳しいのだろう。彼女を昔から知っているからこその言葉だ。
飽きる、なんてことは無い。5ヶ月間家でも学校でも美都を見ているがそんなことはあり得ない。むしろ。
「心配なんだよ……」
「立派に保護者してんなぁ」
そう言われて堪らず頭を抱えた。和真が評価することに何も言い返せない。そもそも保護者と呼ばれていたのは自分ではなかった。無論付き合う前までは。美都のことをずっと見ていれば彼女が如何に危なっかしいかが良く分かる。だから自然と気にせざるを得ない。あの少女を放っておけないと庇護欲を掻き立てられるのだ。こう考えているのは恐らく自分だけでは無いはずなのだが如何せん今一番身近にいるのが自分というだけあってどうしても先に身体が動いてしまう。
(なんであんなに危機感が薄いんだ──?)
ただただ美都の動向が不思議だった。昨日宿り魔に襲撃され、自身が鍵の所有者だと判明した。もっと動揺するかと思っていたが今朝には至って元通りだった。一昨日初めて襲撃されたときの方が驚いていたように感じる。ただ肝が据わっているだけなのか。深く考えていないということではなさそうだ。しかし自分が鍵の所有者であるならば、それを狙う敵が近くにいることに関してもっと警戒しても良いのでは無いかと思う。
「美都って、昔からあんななのか?」
「マイペースさは昔から変わらん」
口の中の苦虫を噛み潰す。危機感の薄さは筋金入りということか。はぁと溜め息を吐いた。あくまで付き合う前は干渉し過ぎてはいけないと、一定の距離を置いていた。それは同居する上で円滑に物事を進めるために。互いにそう考えていたはずだ。しかし付き合い始めてからも「交友関係を大切にする」と言う約束の元、学校では過度に会話していない。周りも不思議がるほどに。
(確かにおかしいよな)
傍目から見れば、学校にいる間はほとんど会話していない事が多いのだ。美都は「家に帰ればいつでも話が出来るから」と主張していたが彼女は恐らく周りの目を気にしていないのだろうと思う。それに美都がそう言うからには彼女自身は自分の時間を大切にしたいと言う思いがあるはずだと。だから束縛するのは良くないと弁えている。つもりだった。
「俺、重い……?」
自ら考えた思考が口から溢れ落ちた。はたと目を瞬かせる。彼女が危なっかしいからと思っていたが裏を返せばそうなるのだと気付いてしまった。
「今更何言ってんだ」
否定の言葉を望んでいただけに和真からの然もあらんと言う返しに肩を落とした。一気に自覚する。心配も過ぎれば束縛になるのか。自分がここまで他人のことに気を遣うことになるなんて。その事実に驚く。
「まぁでもあいつにはそれぐらいがちょうどいいんじゃねぇの?」
「……ウザがられてないならいいんだけどな」
「何だ珍しく弱気だな」
重いと自覚した途端自分の行動全てが勝手に見えてくる。弱気にもなるだろう。自分だけが一方的に彼女のことを想っている気がしてしまう。そんなことは絶対に無いとわかっているのに。だがたまに分からなくなる。美都が何を考えているのか見えなくて。
「何がそんな不安なんだよ」
ふと和真にそう問われてはたと考える。今自分が感じていることは果たして不安なのかと。
美都の奔放な性格は彼女にとっての長所だ。それを制限することはしたく無いし、してはならない。それでも目の届くところにいて欲しいと願ってしまう。彼女の傍にいるのがいつでも自分でありたいと思うから。
(あーっ……)
これか。ようやく理解して顔を覆う。わかってしまえば理由は単純だ。それを認めるのが出来なかっただけで。無意識にやはり美都には余裕さを見せていたかった、という見栄から来たものだ。
「……迎え行ってくる」
「おー行ってこい行ってこい」
ふらふらと歩き出す四季を半ばあしらうように和真が送り出す。その一部始終のやり取りを見ていた春香が首を傾げながら和真の元へ歩いてきた。
「何あれ。どしたの?」
「あー?  考え過ぎて勝手に卑屈になってる図」
「は?  何を考えてんの?」
心底意味がわからないといった表情で春香が眉を顰める。彼女が首を傾げるのも頷ける。つい一昨日美都の誕生日があり、昨日も今日も特に彼女に変化は見られなかった。だから何をそんなに考える事があるのかと不思議なのだろう。
春香からの質問に思わず目を宙に泳がせる。四季が何を考えているのかと聞かれれば、恐らく美都との距離感だろう。だがそれも不毛な話だ。同じ家で暮らしていることに加え、彼らは既に恋人同士だ。一番近くにいるのが己であるはずなのに不安になっているのは、美都のことをまだ把握していないからだろう。
「まぁなぁ……」
そもそも美都の方は元より掴みにくい。彼はまだそれを充分に理解していないのだろうと思う。それに関しては彼女が全て委ねられていないというのも大いにあるはずだ。幼馴染みとして美都の境遇を知っているだけに口籠もる他ない。しかし自分が口を出すところでもないと弁えている。それにこちらから見ている限り、今の所はそんなに心配せずとも大丈夫だ。
「ま。あいつらはあれくらいで良いバランスだろうよ」
答えになっていないその答えに春香は更に怪訝な顔を浮かべている。
現状、美都の傍に一番近いのは言わずもがな四季だ。彼女の首根っこを掴んでおけるのは彼しかいない。自分でそう口に出したが間違ってはいないだろう。良いバランスだ。
和真はそう考えてうんうんと一人頷いた。
一方、教室から出て一人廊下を歩きながら四季は尚も悶々と考えていた。この時間はほとんどの生徒は昼食のため教室にいる。通り過ぎる他クラスの教室からは賑やかな声が聞こえてくる。口元を押さえながら眉間にしわを寄せた。
(俺が心配しすぎなのか?  いやでも──……)
口の中でブツブツ唱えながら歩を進める。恋人を守りたいと思うのは当たり前だろう。加えて使命として更に守らなければならない対象となった。美都からは「心配しすぎだ」と昨日言われてはいるが。事の重大さを考えると気にしないわけはない。
(まぁでも確かに考えすぎではある──のか)
と囚われつつあった己の思考を省みたとき、駆け昇って行く階段の上方で美都の声が聞こえた。続いて彼女と仲の良い教師の姿が視界に入る。
楽しそうに談笑する声、彼に向ける笑顔。客観的に見た彼女が、自分に見せる表情とあまりに違い過ぎて胸が詰まりそうだった。先程からずっと彼女のことを考えていたせいか、一気に胸の中に靄が広がる。
すると自分の存在に気付いた教師が、美都の視線を促すように瞬きをした。そのすぐ後会釈をして彼女の元から去っていく。その様をただ無言で見つめていた。
パタパタと美都がこちらへ駆け寄ってくる。申し訳なさそうに自分を見上げ苦い顔を浮かべていた。
(──なんで)
グッと唇を噛み締める。彼女のことになると冷静になれない。余裕がなくなる。その笑顔がなぜ自分に向けられたものではないのかと、そう感じてしまう。わかりやすい嫉妬だ。
いつだって触れたくて、誰よりも傍にいたい。手元に置いておきたい。自分はなんて独占欲の塊なんだとさえ思う。
「ちょ、ちょっと……!」
目の前に掲げられた手の細い手首を掴み、心のままに歩き出した。驚いた表情を浮かべる美都は見えていた。しかしそれ以上に、今の自分の顔を見られたくなかった。きっと渋面だったに違いない。
冷静になれ、と歩きながら自分に言い聞かせる。今彼女を繋いでいるのは自分なのだと。この手の中に間違いなくいるのだと。みっともない。大人気ない。それでも嫌だ。美都の全てを自分のものにしたい。瞬間ハッと我に返る。ダメだ、全然冷静になれないじゃないかと。なんでこんなに余裕がなくなるのか自分でも不思議だった。
階段を降りて、そのままホール中央まで歩く。自分たちの教室とは違う方面に歩いたことで美都も戸惑っているようだった。掴んでいた手首を引っ張りホールの隅へ寄せる。ここは完全に他クラスからの死角だ。更に彼女が見えないように自分の身体で隠すようにして壁にもたれた。
「えっと……どう、したの?」
ひとまず自分の行動に合わせるようにして足を動かしていた美都がきょとんと目を瞬かせた。その曇りのない瞳に罪悪感を感じる。耐えきれず彼女から視線を逸らした。
「──俺は、心が狭いんだ」
「え……?  そう……かな?」
口に出すことでちゃんと己に自覚させる。目を瞑って息を正す。心を落ち着かせなければ。相当苦い顔になっているのだろう。目の前に佇む少女のあどけなさを感じ、更に自分が大人気ないことを痛感する。
何をどう伝えれば良いのか自分でもわからなくなってきた。というよりどうしたら彼女に伝わるのか。目を開いてチラリと美都を見る。
(あーっ、もう)
彼女の反応は至って通常だ。自分だけがこんなに空回っている。情緒不安定かと自分に突っ込みたくなる程に。仕方ないだろう。囲っておきたくなるのだから。
「俺は心が狭い……」
「?  今聞いたけど……」
「だから──お前が見えないところにいると不安になる」
「──?」
首を傾げて怪訝そうにこちらを見ている。直球に言ったら角が立つと思いこれでも遠回しの表現を選んだつもりだがさすがに伝わらなかったようだ。そう言えば彼女は鈍感だったなと今更思い出した。
「──取られたくない」
「何を?」
誰を、と考えないところが美都だなと感じる。押し問答にやきもきして再び彼女の手首を掴む。そのまま自分の指を彼女の手のひらに添わせた。
「わかんない?」
「……!」
その仕種に気付き一気に美都が顔を紅潮させる。そして慌てて弁解するように口を開いた。
「た、高階先生とは、何もないよ?」
「……わかってます」
「なんで敬語なの……?」
このやり取りでさえいじらしく感じるのだ。自分はわがままだ。この表情を見せるのは恐らく自分だけだろう。そうであって欲しい。そうでなくては困る。それなのにまだこれ以上望むのか、と自分に呆れる。それでも仕方がない。
「!  ちょ、っと待った……!」
回り込むようにして彼女の身体とともに掴んでいた手首を壁に押し当てる。驚いて目を見開いた彼女が制止の声を上げる。動作の意味に気づいてしまったらしい。
「あの、学校……だから……!」
もっともな言い分だとは思う。だがこれに関しては先程から考えていることがあった。
「あのな。俺たちが特殊なんだ」
「へ?  どういうこと?」
目を瞬かせて自分の言うことに問いかける。確かにこれだけ言われても意味を計りかねるか、と息を吐いた。
「普通は一緒に暮らしてない」
「そ……!  れは確かに……」
「だから学校でこうするのは普通なことだと思うんだけど」
「でも誰かに見られたら──!」
一度は目を逸らして、抗議のために見上げた瞳が揺らいでいる。戸惑いの色だ。普段触れ合うのは同居している家の中でのことがほとんどだ。だからいつもと違う雰囲気、そして近くに人の気配があることに落ち着かないのだろう。それでもこちらももはや止まれるはずがない。
「この時間に出歩いてるのなんか俺たちくらいだ」
言いながら美都へ距離を詰める。顔を赤くして肩を竦める彼女の姿は何よりも愛らしい。いつも以上に身体が小さく感じる。自分とは違い片手に教科書を抱えているせいか全体的に縮こまって見えるのだろう。半ば俯いている美都の顔を覗き込むように、やや下方から彼女を見つめた。
(──可愛いな)
口の中でその言葉を呟く。どれだけ一緒にいても飽きる日は来ない。むしろ傍にいないと不安になる。それほどに自分はこの少女の存在に依存している。好きだと言う気持ちが止まらない。そのままそっと口付けた。
「……!」
瞬間掴んでいた手の指を絡ませる。するとその挙動に驚くかのように彼女の指がピクリと動いた。ぎゅっと目を瞑ったまま、触れられた箇所に敏感に反応する。
心臓の音が聞こえそうだ。一番近くにあるクラスからの談笑がこのホールにも響いている。それでも今ここにいるのは二人だけだ。周りと一画引いた場所にいるのだと実感する。
こんなに彼女を求めてしまうのは、昨日久しぶりに触れたからかもしれないな、と目の前にある体温を感じながらふと考える。
唇を離して美都を見ると、まるで走った後であるかのように小刻みに呼吸を繰り返し頬を赤くしていた。恥ずかしそうに自分を見た後、何か考えるようにして目を逸らす。
「なんか……、悪いことしてる気分……」
そう口に零して尚も呼吸を整えている。背徳感のようなものかと半ば納得する。学校とは本来勉学に励む場所だ。特に彼女は真面目であるが故にそう考えてしまうのだろう。他の生徒と違う行動をしていると言う後ろめたさか。そう言えば、と以前保健教諭に「手を出すなら校外にしろ」と釘を刺されていたなと不意に思い出した。だがそれも今更だ。
「別に誰かに迷惑かけてるわけでもないんだし」
「それは、そう……かもしれないけど」
強引に彼女を説得するとうーんと唸りながら苦い顔を浮かべていた。とは言え先程和真に対しては面倒な姿を見せてしまったなと反省せざるを得ない。
絡めていた指を離してその手を美都の頭に乗せる。少しだけ不服そうに口を結んでいた。この状況をまだ自分の中に落とし込めていないようだ。
「──その顔」
「顔?」
言われてきょとんと目を瞬かせる。ころころと変わる表情は、美都にしか出来ない芸当だなと感じる。だからこそ周りの目を惹きつけるのだ。自分もそれに惹かれた。だがしかしそれを独占したいと言う欲もまたある。全ては出来ないのは分かっているためせめて、と。
「頼むから俺以外の前でしないで。可愛いから」
「……っ!」
可愛い、と言う言葉に声を詰まらせて一気にまた彼女の顔が紅潮していく。逆にその反応に驚く。そして瞬時に理解した。そうか、考えているだけであまり口には出していなかったか、と。少しだけ省みたがこれはこれで良い表情だなとじっと観察する。
「もう!  しないよ!」
するとパクパクと口を開閉させ目を白黒させていた美都が耐えきれず抗議するように身体を押し退けた。これ以上があるのかと疑問に思う程顔を真っ赤にさせている。その顔を隠すように手の甲で口元を覆う。
「心配性なんだから……」
「当たり前だ。昨日の今日なんだぞ。お前が奔放すぎるんだ」
火照った顔を冷ますようにして今度は頬に自分の手を当てていた少女がポツリと呟く。すかさずそれを拾い正当な理由を答えると居心地の悪そうに苦い顔を浮かべていた。反論して来ないと言うことは少なからず理解はしているらしい。それを行動に起こして欲しいと感じるところだが。
どちらからとも言わず、互いに心が落ち着いたと判断し二人揃って教室へ向かうため歩き出した。ホールから廊下へ移動する最中、美都が自分の挙動について言及し始める。
「それにしても四季は心配しすぎだよ」
「お前なぁ……お前だからに決まってるだろ。どうでもいい奴にこんな心配はしないっての」
四季が呆れ気味にそう答える。すると何かを思ったかのように美都がはたと目を瞬かせた。ついでその場で足を止める。
「──そう……だよね、普通」
独り言ちるように呆然と美都が呟く。その視線には先程降りてきた階段があった。あの踊り場で会話したのだ、衣奈と。その時の彼女の表情を思い返す。
心配して声を掛けてくれた。その前からずっと彼女は何かと気にしてくれていた。
(あれが本当に演技なの──?)
やはりそうは思えない。自惚れだとしても、衣奈は少なからず自分を気にしてくれていたはずだ。そうでなければあそこまで親身になってくれるとは到底思えない。
急に立ち止まり黙った美都に対して何事かと疑問に思って四季が彼女を覗き込もうとした瞬間、ぐるりと身体を捻り彼の方へ顔を向けた。
「やっぱり何かあるんだよ」
「?  何の話──……」
「そうじゃなきゃ絶対おかしいもん」
答えになっていない返しに、四季は怪訝な表情を浮かべて首を傾げている。その間も美都は己の中で必死に頭を回転させた。
宿り魔は、本来であれば無機物を憑代にする。その憑代となった物が人型を型取り意志を持つ。ならばその憑代が人であるならば?
「──あの時、四季が言ってたこと……」
その疑問を以前も抱いたことがある。それを思い出してふと口から零した。初めて初音と対峙した日の夜。まだ初音という名前もなかった頃だ。四季と”キツネ面の少女”について見解を交しあった。人間に憑いた宿り魔について。彼が示していたことを。
これまで対峙してきた初音には、彼女の意志があった。自分がしていることを理解しながらその行為に及んでいる。
(だとしたら操られているわけじゃない……?  でも何かおかしい)
しかしその何かが掴めずに頭を悩ませる。意志があるのなら操られているわけではないはずだ。初音は初音として、これまで守護者と──もとい美都と対峙してきた。彼女は守護者の正体が自分だと分かっていた。だから利用してきたのだとも。
”初音”と”衣奈”の二人の少女の違和感が拭えない。昨日今日で間違いなく同一人物だと自分も感じた。衣奈にも初音にもそれぞれの意志がある。これは事実だ。しかし同一人物でありながらここまで意志が乖離するものなのだろうか。
「……まだかかりそう?」
「あと一歩のところまで来てるんだけど」
四季からそう問われてうーんと唸りながら眉間にしわを寄せる。言葉通りあと少しで何か掴めそうなのだ。しかしここで悩んでいるわけにも行かないか、と一旦息を吐いて再び歩き出す。
「あの時っていつ?」
「え?  あ……えっと、四季が怪我した日。覚えてない?」
「──あぁ、あの日か。俺なんか言ったっけ?」
具体的な出来事を挙げた途端、瞬時に彼も思い出したようだ。しかし内容までは覚えていないらしい。それも仕方のないことだ。何せ彼は怪我に苦しんでいたのだから。
「憑かれた人間の意志がどうのって。なんかそこに糸口がありそうな気がして」
「まぁ人間の意志ってのは厄介だからな」
言ったことは覚えておらずともやはり似たようなことを口にしている辺り、やはり四季らしいなと思う。そこで再びハッとして目を見開いた。
「憑かれた人間の意志──?」
ポツリとその言葉を復唱する。それを提言するとしたら間違いなく衣奈だ。衣奈に宿り魔が憑いたことで宿り魔の意志──初音という人格が出来た、ということになる。だとすれば宿り魔を祓えば、衣奈は正気に戻る。それでもこれでは理論が成り立たないように思える。衣奈にも意志があるのだから。そうだ、ここに違和感が生じるのだ。
「違う……出来たんじゃないんだ」
そもそも乖離などしていない。そういうことか。美都は目を見開いた。心臓が一つ大きく鳴る。
もしこの考えが正解なのだとしたら今日の戦いは茨の道となる。しかし同時に可能性を見出すことも出来た。だがこれは賭けだ。
「四季──わたし分かった」
「──?  何が……」
自分の思考に耽っていたせいでまた彼の存在をおざなりにしまっていた。四季も不意に名前を呼ばれたことで一体何の話なのかを把握しきれなかったようだ。
顔を上げて四季と目線を合わせる。
「──お願いがあるの」
この作戦を実行するには少なからず彼の力が必要となる。もしかすると止められる場合もあった。それでも僅かな可能性を消したくない。その一心だった。
いつになく真剣な眼差しの美都を見て、四季は一瞬面食らう。彼女が自分に依頼することであれば何でも力になろうと思い口を開いた。しかし、と思い留まる。
「内容を聞いてから判断する。無茶されると困るから」
「……無茶はしない……と思う」
「こら。そこで目を逸らすんじゃない」
呆れるように息を吐いて美都の額を小突く。さすがに四季は鋭いなと感じざるを得ない。
「ひとまずその話は後でな。教室内じゃ話せないだろ」
「そうだね。これ以上お昼遅くなっちゃうとまずいしね」
ただでさえいつも以上に昼食の時間が押している。話はしたいが規律を乱すのは良くないと弁えている。
教室に戻ると春香たちが「ようやく帰ってきた」と言わんばかりに呆れ顔を覗かせていた。遅くなったことを詫びながら彼女らとともに昼食に入る。他愛ない会話の中でも考えるのは放課後のことだ。刻一刻と迫る、決戦の時。頭の中で己の考えをずっと巡らせ続けた。


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