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祝いの中の真実に-鍵を守護する者⑥上-

迫りし時

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その嫌な予感にハッと振り向いた。空は陽が傾き、紫色を帯び始めている。
この数日、近付かないようにとの彼女からの頼みだった。だから今日は親友を待つことなく先に帰ってきたのだ。それなのに。
(美都──……大丈夫、よね……?)
心なしか動悸がする。今朝、彼女は笑って大丈夫だと言っていた。それに彼もいる。だからあれ以上食い下がることはしなかった。
凛は不安な面持ちで胸の前で手を握り締める。他でもない美都との約束だったから。彼女を困らせることをしたくない。ぎゅっと目を瞑り苦い表情を浮かべる。
「……──っ!」
ダメだ。目を開いたのと同時に思わず駆け出した。嫌な予感がする。きっとこれは虫の知らせだ。美都に何かあったに違いない。そうでなければこの胸騒ぎに理由がつかない。
どこにいるかもわからない親友を探すのは至難の業だ。それでもジッとしているよりマシだった。走りながらスマートフォンを取り出し彼女の連絡先を呼び出す。これで連絡がつくのならそれで良い。そう思いながら一縷の希望の元電話を掛けるが、耳に届くのは繰り返されるコール音のみだった。
(美都……!)
一気に不安が増す。どうか近くにスマートフォンが無いだけであって欲しい。確かにそう願っているのにそれが現実では無いのではとどうしても考えてしまう。思考が悪い方ばかりに向かってしまう。
怖い。あの子に何かあったらと思うだけで息が詰まりそうだった。何より自分は、あの恐怖を知っている。見たこともない化け物に迫られ、無造作に心を抉られるような苦痛。そう例えては見たもののあの苦痛は如何とも形容し難い。
ひとまずは美都の帰路を辿るしかない。そう考えて必死に彼女の家まで疾走する。その間も耳から電話を離すことはしない。もしかしたら彼女が電話に出て「どうしたの?」と何も無かったかのように答えてくれるかもしれないから。
(お願い──!)
杞憂であって欲しいと願う。普段は通らない道を走りながら凛はキョロキョロと視線を動かす。どこかに美都がいやしないかと。ちょうどその時、前方から走ってくる女性の姿が見えた。
「!  弥生さんっ!」
何かに気を配りながら駆けていた女性は、自身の名を呼ばれてハッと視線をこちらに向けた。彼女の姿を見て美都に言われたことを思い出す。何か異変があれば弥生に知らせるようにと言付かっていたのだ。彼女を探さなければという焦りからすっかり抜け落ちていた。
「凛ちゃん!   美都ちゃんと一緒じゃなかったの⁉︎」
「いえ、今日は美都から離れるよう言われてて……!  やっぱり何かあったんですか⁉︎」
そう答えると弥生は険しい表情を浮かべた。明確な返答が無くとも分かる。やはり美都に何かあったのだ。弥生は息を切らしながらも足を止めず、心当たりがある方へ向かっているようだった。
「宿り魔の気配が消えないの……!  普段ならこんなに長引くことないのに──!」
彼女も焦っているように見える。昨日の事態を把握していれば当たり前だ。狙いが美都だったのだから。
「でも今日は四季が付いてくれているはずです!」
「えぇ──そう……よね」
言いながら凛は弥生の後に続く。弥生は納得したように呟いたがその顔にはまだ不安な表情が覗いている。だからこそ彼女は足を止めず美都がいるはずの方面へ急いでいるのだろう。
「こっち、なんですか⁉︎」
驚いて声を上げる。この道は美都の帰路から少し外れている。もしかしたら弥生も迷っているのかもしれないと思い念の為彼女に訊ねてみた。すると弥生も眉間にしわを寄せる。
「私も不思議なの……でも気配は間違いなくこっちよ!」
凛には宿り魔の気配というものは分からない。しかし以前守護者として戦っていた弥生が言うのならば確かなのだろう。いつもの帰り道から少し外れた道だ。そしてそこには確か近くに公園がある。弥生の足はそちらへ向かっていた。
「⁉︎」
その公園に足を踏み入れた途端、弥生が混乱したように足を留める。どうしたのかと彼女を見ると目を見開いて何もない空間を見つめていた。
「どういう──こと……⁉︎」
動揺のままそう呟いた。しかし彼女が見つめる先は何も変化は見られない。凛はその光景こそ不思議だった。
「弥生さん?  どうか……したんですか?」
「っ──……!」
何事かと訊ねると彼女は口惜しげに唇を噛み締めた。その表情に只事ではないと察することが出来る。しかし自分の目には何も映っていない。ただの公園でしかないのだ。
すると弥生は胸元のネックレスを引っ張り出し、公園の中央へと駆け出した。
「凛ちゃんはここにいて!」
「!  弥生さん!」
留める間も無く彼女の姿が忽然と消えた。驚いて目を見開く。前に少しだけ美都に聞いたことがあった。守護者の務めについて。スポット、という現実世界とは反転された空間の中で戦うのだと。そしてそれは普通の人には知覚できないものだと言っていた。弥生が姿を消した理由は恐らくそれだ。彼女もまたスポットへと足を踏み入れたということだ。ならば近くに美都がいるということか。それなのに弥生の先程の表情はなんなのだろう。
不安な気持ちが大きくなる。ここに来て自分だけが何も出来ないのだということに打ちのめされる。
「……!」
弥生が走っていった方面に、置き去りにされた美都の鞄を見つけた。そして少し離れたところに四季のものもある。凛はすぐさま駆け寄った。鞄のポケットにはスマートフォンが入れっぱなしになっていた。着信を知らせるように画面が光っているのが見える。自分が掛けた履歴だろう。ついですぐ側に地面に落ちているものに気が付いた。あのお揃いで買ったキーホルダーだ。凛は慌ててそれを拾い上げた。
(……っ、美都──!)
泣き出しそうになるのを必死で堪える。まだ最悪の事態と決まったわけではない。
凛はキーホルダーを両手で包み込み祈るように顔に近づけ目を閉じた。
どうか、どうか。彼女に何事もありませんように。
夕暮れ近くの公園。神に縋る思いで、凛はその場に佇んだ。





焦りと動揺でいつもより息が上がるのが早い。早くここから出なくてはいけないのに。
一体どれくらい時間が経過したのか。攻め続けていても手応えのない相手のせいで、時間の感覚さえなくなっていた。
キツネ面に向かって発砲を続ける。同じように向こうも水を使役して攻撃を仕掛けてきた。男は自分を倒そうとするのではなく、あくまでここで足留めをしようとしているようだ。
(こんなところで──!)
四季は奥歯を噛みしめる。自分の不甲斐なさも腹立たしい。今この時間にも美都が危ないのに。
焦れば焦るほど相手の術中に嵌っていく気がする。加えて相手は常に一歩引いて余裕を見せているのだ。影だけの時も思ったが相当立ち回りが上手い。厄介な相手だと言わざるを得ない。
それに更に厄介なことは、男がただの人間であるのかそうでないのか判別が出来ていないことだった。自分が見る限り、男の身体には刻印が見られない。しかし宿り魔が憑いていないとこの不思議な能力も説明することが難しい。こんな人間離れした技は、宿り魔の力あってこそだろう。
一進一退。膠着状態だ。苛立ちだけが募る。
「四季!」
「!?  瑛久さん!」
その時意識の端から名前が呼ばれ、ハッとして振り返る。
予期せぬ人物がスポットに入ってきたことで、男の方も驚いたようだ。瑛久の姿を凝視している。その隙に彼が一直線に四季の元へ向かった。
「どうなってんだこれは──美都ちゃんは⁉︎」
「っ……!  空間を分断されました!」
「もう一個の方か──!」
やはりスポットが二つ出来ているということか。瑛久の言葉で現状を理解する。しかし彼の方も何が起きているのかまでの把握は出来ていなかったようだ。
「──あれは……人間か?」
「わかりません。宿り魔憑きかどうかも──」
「厄介だな」
目の前に佇むキツネ面の男を見据えながら冷静に瑛久がそう呟く。今までは宿り魔憑きだと考えて攻撃をしていたが相手がただの人間だった場合、この武器では歯が立たない。これはあくまで宿り魔にしか効かないものだ。
すると男は無言で再び横に手を翳した。ついで印を結ぶかのごとく手を動かす。
「──⁉︎」
バチっと静電気のような音が響いた。二人はハッとして空間を見渡す。
男はスポット全体に結界を張ったのだ。これで更にスポットから出ることが困難になった。奥歯を噛み締めてキツネ面を睨み付ける。
瑛久も同様にこの状況に息を呑んだ。しかしすぐに打開策を口にする。
「とりあえず……結界を破るか」
「出来るんですか⁉︎」
言いながらスーツのポケットから指輪を取り出す。四季の問いに渋面を浮かべ、取り出した指輪をそのまま右手中指にはめた。
「わからん。だが壊さないとここから出られそうにないだろ。ならやってみるしかない」
状況を冷静に分析し、的確に指示を出すのはさすがだ。しかし瑛久の言うことに納得はしたものの、肝心の彼の動きが読めない。以前守護者として戦っていたと聞いてはいるが実際に目にしたことはないのだ。
その雰囲気を察したのか、瑛久は苦笑しながら息を吐いた。
「期待はするなよ。現役から離れてだいぶ経ってるんだ。お前のサポートくらいにしかならないぞ」
「──はい!」
そう謙遜するが彼の背中は頼もしく見える。守護者の先輩として、恐らく戦い方は自分より何倍も理解しているはずだ。既に瑛久は戦闘の構えに入っており、その手には指の間にそれぞれ小型のナイフが握られている。それが彼の武器なのだろう。
「何人でも同じ事だ」
事の始終を黙って見ていたキツネ面の男が不意に口を開いた。男は微動だにせず、あくまで自分が立っている位置から動こうとはしない。キッと男を睨みつけると動き出す前に瑛久が四季に声をかけた。
「弥生もこっちに向かってるはずだ。でもあいつもどこまで出来るかわからない。だから──しっかりしろよ四季」
その言葉にグッと喉を引き絞り力強く頷く。直後「いくぞ」という合図とともに瑛久が駆け出した。そして持っていたナイフを男に投げつける。迷いの無い動きだ。とても現役を離れていたとは思えない程に。
瑛久の手から離れたナイフは奇しくも男の水攻撃によって地面に叩き落とされる。その隙に四季は結界を破るために発砲を続けた。そして俊敏な動きで瑛久はナイフを拾い上げると男と接近戦に持ち込んだ。
「……っ!」
「なるほど、接近戦は苦手なんだな」
弱点見たりという表情で瑛久が男にそう呟く。これほど心強い助っ人もいないと思いながら自分に出来ることを必死に考えた。
これまで発砲を続けていたが一向に歯が立たない。ならば他の方法を考えるべきなのでは無いかと。しかし自分の武器はこれだけだ。どうすれば良い、と唇を噛み締め頭を巡らせる。
「──!」
そう言えば、と思い出したことがあった。以前巴が結界を破っていたでは無いかと。あの力があれば自分にも出来るはずだ。しかし問題は、今までに一度もその力を発揮した試しがないことだった。彼女と比べてなんと不甲斐ないことか。
グッと銃を握り締める。思い出せ。彼女がどうやっていたのかを。彼女はいつも何を考えて戦っていた。自分が今やるべきことは何だ。
(美都はいつだって──)
誰かを守りたいと戦っていたはずだ。その誰かは今、自分にとって美都だけだ。瞬間彼女の顔が脳裏を過る。いつも側で戦ってくれている彼女の姿が。
ハッと違和感に気付き手にしている銃を覗き込む。この銃は指輪の化身だ。ボディには指輪の溝を示すような蒼い宝珠が付いている。その宝珠がいつもとは違う輝き方をしているのだ。
(これが──!)
彼女もあの時同様の反応を見せていた。これが、指輪の新たな力だ。指輪が想いに応えようとしてくれている。だとしたら自分の想いは一つ。美都を守ることだ。
強い想いで銃を前に掲げる。そして尚も瑛久が交戦しているキツネ面の男、その横を目掛けて引き金を引いた。弾丸が見えない壁に当たり、電磁波のようなものが結界があるはずの場所から放たれる。
「──!」
「そのまま撃ち込め!」
異変に気付いたキツネ面の男を瑛久が制し、続けて四季に指示を出した。間髪入れず続けて発砲する。するとガラスが割れるような音がスポット内に大きく鳴り響いた。結界が壊れたのだと瞬時に理解する。
「行け!」
「──っ、ありがとうございます!」
瑛久は再び結界を結び直そうとしていた男の動きを封じてくれている。彼に申し訳ない気持ちと、感謝の意を噛み締めながら破れた結界へ一目散に駆け出した。ここは彼に任せるのが吉だ。そう判断して四季はそのままスポットから姿を消した。
その様を見届けると瑛久は一旦キツネ面の男と距離をとる。二対一ではやはり不利だったようだ。男は四季を追いかけることも無く、瑛久と対峙している。
「──さて。お前は人間か?」
「答える必要は無い」
「まぁそうだろうな」
瑛久の問いに男は素っ気なく返事を返す。少なくとも滞りなく会話が出来るということは意思疎通が図れる証拠だ。男はそこまで考えていないのだろう。
(宿り魔憑きの人間か──)
彼らから噂には聞いていた。目の前の男がそうと決まったわけでは無いが十中八九そうなのだろう。宿り魔の気配は自在に操れるとも耳にした。男はそれで気配を抑えているに違いない。
第一中の学生服を身に纏ったキツネ面を被る男。初音と呼ばれる少女は確実に第一中の生徒だと四季たちが推理していた。だとすると目の前の男──否、少年もそのはずだ。
とにかく今はもう少し情報が欲しい。そう考えて瑛久は再びその少年に向かって駆け出した。するとその動きを制するように手を前に掲げ、水を使役して攻撃を仕掛けてくる。余程距離を詰められるのが嫌と見える。まるで己の領域に入られるのを拒否するかのようだ。
正直こちらも人間に攻撃するのは慣れていない。自分の時は必ず対宿り魔だった。しかしそうも言っていられない、と瑛久は再びナイフを少年へ投げつける。己を守る結界が上手く結び直っていなかったのか、その内の一本が彼の制服を掠めた。シャツの腕部分がナイフによって引き裂かれる。
「!」
思わず目を見張る。スポット内の暗さで気づかなかった。目の前の少年は、恐らく同学年の生徒に比べれば細い方なのだと思う。身長もそこまで高くはない。しかし──。
(あの筋肉の付き方は──)
先ほど引き裂かれたシャツの袖から腕が垣間見えた。本当に一瞬の出来事であったが、普通の人間とは違う腕の筋が見えたのだ。
瑛久は眉間にしわを寄せ、口元に手を当てる。気付いたのは自分もそうだから・・・・・・・・。ある一定の訓練をしなければ、あんな筋肉の付き方はしない。ましてあんな華奢な身体で上手く鍛えるのは至難の業だ。
加えて気になるのは佇まいだ。背筋が伸び軸がぶれない。余程体幹が良いと見える。齢15の男がこれだけ静かに立てるものなのか、と疑問を抱く程に。
(──考えたくはないが)
確かめてみる他ないか、と息を吐いた。もし自分の考えが正しかったのだとしたら。瑛久は渋い顔を浮かべた。キッと視線を少年に向ける。
「天浄清礼!」
この言葉を結ぶのも何年ぶりか。そんな懐かしさに浸りながら瑛久はナイフを放った。そもそもまだ自分にこの力が残っていた事の方が驚きだ。
しかし今度の攻撃は当たらなかった。既に彼自身を包む結界が直っており、少年に当たる手前でナイフは全て地面へと落ちる。その様に思わず舌打ちをした。
そのまま少年は静かに後ろへ一歩退がる。そしてこれ以上の言葉を発する事なくスポットの闇に溶け込み始めた。
「待て!」
そう叫んだ時には既に少年の姿は消えていた。自分が叫んだ残響だけが空間にこだまする。
(逃げたか……)
少年に跳ね返されたナイフを拾いながらふぅと息を吐いた。最後にもう少しだけ、確実な証拠が欲しかった。そうでないとただの憶測になってしまう。
先程まで対峙していた姿を思い浮かべる。背格好、そして一瞬だけ響いた声。加えてあの腕の筋だ。同じ経験をしなければ普通ならば気付くことはない。だからこそ苦い顔をせざるを得ない。なぜなら、今しがた考えた条件に当てはまる知り合いに心当たりがあるから。しかしそれだけで疑うのは良くないというのは重々理解している。
(あいつ……)
もし。もし仮にそうなんだとしたら。15歳の少年がここまでしなければならない理由はなんだ。それにあの力。宿り魔憑きだとしても、彼の力は強い。あの力はどこから来るのか。そしてまだ気になることがあった。先程の少年が今自分が思い描いている人物だとしたら。
(俺に気付いたはずだよな)
スポットに入ったとき、ほんの一瞬だったが間ができた。キツネ面のせいで表情までは窺えなかったが驚いていたようにも見えたのだ。あの驚きが、守護者以外の者が入ってきたからなのか。あるいは自分だったからなのか。
瑛久は目を瞑り頭を抱える。どうしても歳を取ると頭が固くなってしまうな、と自戒の意味を込めて。いずれは考えなければいけないかもしれないが、ひとまずはやることがある。そう考え直し、彼は再び顔を上げて次へ行くべき場所へと向かった。


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