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祝いの中の真実に-鍵を守護する者⑥上-

一変する景色

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強い光が収まったと見て、美都は恐る恐る目を開いた。
「──!」
開いた瞬間目に入ったのは色が反転された景色だった。スポットだ、と瞬時に理解する。
しまった、と思ったのは自分が制服姿のまま巻き込まれたことだ。以前四季も同様の目に遭っている。しかしこればっかりは注意しようにも難しいことだ。いつスポットが現れるかわからないのだから。
と言うことは、とハッとして辺りを見渡す。スポットが張られたのならば、近くに対象者と宿り魔がいるはずだ。この姿のままでも出来る限り対象者を守らなければ、と喉を引き絞った。
直後背筋に悪寒が走る。反射的にバッと背後の気配を悟り振り返った。予想通りだ。宿り魔が程近い距離で佇んでいた。直ぐにでも応戦できる体勢を取る。だがここで一つ違和感が生じた。いつもと何かが違う、と。宿り魔がこちらを見ているのだ。そしてもう一つ。対象者が見当たらない。一体どう言うことだろうと眉間にしわを寄せていると、この疑問は宿り魔が放った言葉で答えが導き出されることとなった。
『貴様の心のカケラを寄越せ』
────え?
自分を真っ直ぐに見据えて響いてきた声に、息が詰まった。一瞬理解が及ばず何もかもが硬直する。何かの間違いだと。信じられるわけがなかった。宿り魔の標的が、自分であるはずがない。
身体を硬直させ目を見開いたまま必死に状況を整理する。その間に徐々に宿り魔がにじり寄って来ていた。ダメだ、動かなければと強引に脳から命令を出し足を後退させる。
「っ!」
宿り魔が自分に向けて攻撃を始めた。だが今までの攻撃とはまるで違う。それは自分を倒すためでは無く、捕らえることを目的としているのだ。
心臓が早鐘を打ち始める。まだ信じることが出来ない。それでも目の前の宿り魔は、確実に自分に向かって来ている。守護者姿の巴では無く、ただの自分に。これが答えだった。
逃げるしかない。捕まるわけにはいかないと必死に足を動かす。
「はっ……、っ……!」
息が切れ始める。いつもより息切れが早いのは、動揺もしているからだろう。宿り魔は一向に自分を捕まえられず苛立ち始めていた。静が来るまで持ちこたえられるだろうかと思った瞬間、宿り魔が放ったゴムのようなものに左腕を絡め取られた。
「──っ……!」
しまった、と奥歯を噛みしめる。このままではダメだ。捕まってしまう。その時不意に菫の言葉を思い出した。
──『守護者の力は、その姿のままでも扱うことが出来ます』
と。確かにそう言っていた。そしてそのことは実証済みだ。背に腹はかえられない。それに初音には恐らく正体がバレている。ならば、とグッと唇を噛み締め空いている右手に剣を呼び出した。
「はぁっ!」
いつも退魔する時と同じ要領で、手にした剣を振るう。切っ先はゴムに触れ、美都を絡め取っていたものを切り裂いた。
再び身体が自由になったと見て、呼吸と体勢を整える。また捕らえられる前に退魔しなければ。だがこれに関しては宿り魔の方が上手だった。次の瞬間には既に臨戦体勢に入っており素早い動きでこちらに詰め寄る。
「……!」
目前に迫る宿り魔が下卑た笑みを浮かべる。その表情に息が詰まる思いだった。いつもよりも身体が上手く動かない。足がもつれそうになる。これは恐怖だ。
尚も俊敏な動きで宿り魔がその腕を自分に伸ばそうとした。阻止しなければ捕まる。わかってはいるのに、と自分の動きの鈍さに奥歯を噛み締めた。
しかしその手は何も掴むことなく退いた。同じタイミングで意識の端から銃声が聞こえたのだ。弾丸が宿り魔の手に直撃したようだった。
「!  静……!」
美都は、守護者姿で現れた彼の名を呼んだ。喉は乾燥しており声も震える。だが彼のおかげで少しの安心感を覚えた。
恐らくこの状況に彼も混乱しているはずだ。しかし己の務めからしっかりと美都の目の前に佇む宿り魔に照準を合わせている。ならば今は加勢するよりも、距離を取るべきだと瞬時に判断し呻き声を上げている宿り魔から引き退った。
『オノレぇ!』
口惜しそうな声が耳に届く。そしてその視線が静ではなく自分に動いたことがわかった。思わず唇を噛みしめる。目の前の怪物が、はっきりと自分を捉えているのだ。目的を果たせず消えていく悔しさをぶつけるかのように。その圧に、フラッとそこから数歩また退いた。
「天浄清礼!」
静の声が響き、光を帯びた弾丸が宿り魔の身体に命中する。そして間髪入れず周囲の空気を震わすような咆哮が響き渡った。普段から耳にしているはずの流れに、今日だけは肩を竦めざるを得なかった。心臓が煩いくらいに鳴っているのだ。
宿り魔はそのまま断末魔を上げて消滅した。静が退魔をし終えたのだ。もう姿形が見えないことに安堵の息を漏らす。身体を硬直させていると直ぐに静が駆け寄って来てくれた。
「美都!」
直ぐに応じられないくらいには、理解が及んでいなかった。排出された宿り魔の胚を食い入るように見つめていたからだ。本当にそうなのかと未だ信じられない気持ちだった。
「大丈夫か⁉︎」
「う、ん……」
なんとか絞り出した肯定の言葉は震えていた。乱れた呼吸がずっと落ち着かない。整えようと努めてはいるものの、現実がそれを許さなかった。それでも何とかしなければと深呼吸をしようと試みた時だった。
「残念。失敗しちゃったわね」
「──!」
遠くから聞こえる聞き慣れたその声に、二人揃って反応する。静は美都を庇うようにして彼女を背中に隠した。二人の視線の先にいた人物と対峙するように。
いつものようにキツネ面から口元だけを出しクスクスと愉しそうに笑っている。初音は二人を見据えながら一度笑い声を抑え、その顔に笑みを零した。
「やっぱり守護者はあなただったのね月代さん」
「っ!  初音……!」
美都の手には剣がまだ握られていた。動かぬ証拠となってしまった今、否定することも出来ない。彼女の名をなぞり奥歯を噛み締めた。
「そうなるとちょっと厄介ね。さっきみたいに反撃されちゃうんだもの」
やれやれといった口調で初音が息を吐く。彼女はあくまで目的を口にはしていない。だがその言い方が示唆すること。それは何となく予想がついた。
「それに優秀な騎士様がいるみたいだしね」
今度は矛先を静に向ける。騎士様という言い方は皮肉だろう。静もそれを真っ向から受け取り眉間にしわを寄せ初音を睨みつけている。
「怖い顔。まぁ今日はほんの肩慣らしよ。良いデータも取れたしね」
静の形相を煽るように初音がクスリと笑む。そしてまた意味深な言葉を呟いた。肩慣らしという意味を考えると決して良い方には向かない。美都は静の背後で唾を飲み込んだ。
初音は自分の正体を知って尚、この状況を仕掛けたのだ。自分が守護者だということを理解した上で彼女は宿り魔を放った。それはつまり──。
「月代さん」
高い声音で自分の名をなぞる。顔を引きつらせたまま静越しに初音の方に目線を動かした。彼女は口角を上げキツネ面をしたまま一心にこちらを見つめている。
「──次の機会を楽しみにしてるわ」
「……!」
心臓が締め付けられる思いだった。同時に静が、構えていた銃で初音に発砲する。彼女はひらりとそれを交わすと闇に溶け込むようにし姿を消した。
しばらく警戒するように彼女が消えた方を見つめる。だが辺りには既に不穏な気配は無い。すると直ぐにスポットが砕ける音が鳴り響いた。静は慌ててその場で変身を解く。
スポットが砕けるのと同時に瞑った目を見開くと、そこはいつもの何の変哲もない公園だった。間も無く宵闇に包まれる時刻。人の気配はなく静寂に近い。だがここがスポット内部では無いというだけで安心を覚えた。
ずっと緊張したままだった足の力が抜け、膝から崩れ落ちる。
「美都!」
直後目の前に立っていた四季が自分の身体を支えるようにして手を添わせる。
「ごめ……ちょっと……びっくりした、だけ……」
心臓がずっと早鐘を打っている。それを鎮めたくて胸の前で手を握り締めた。
四季に応じた言葉は偽りでは無い。だがそれ以上に頭の中は混乱を極めていた。彼と目を合わせられないほど、この状況を精査するのに神経がいる。先程のスポット内での出来事を思い返す。
自分以外対象者のいないスポット、いつもと違う宿り魔の動き、そして初音の言葉の意味。考えたことを照らし合わせて導き出される答えは一つしかなかった。
────狙われたのは。
(わたし……?)
目を見開いたまま浅く呼吸を繰り返す。頭上からは四季の心配する声が響いている。
力無く地面に座り込んだまま、その状況を受け入れるしかなかった。





パリン、とガラスのコップが割れる。
よろけた反動で机の上に置いてあったそれが床へと勢いよく落ちたのだ。
だがそんなことどうでも良かった。否、気にならないほど男は他の事へ気をとられていた。
目を見開き口元を押さえる。受け入れ難い事実に心臓が大きく鳴った。
「…………っ!」
まさか。そんな。こんなことがあり得るのか。だがこれは──。
男は少女の指示通り、手出しはせずいつものように水鏡でスポット内の状況を観察していた。本来ならばそれさえも嫌だった。しかし主命には逆らえない。仕方なしに、ただ見ているだけだった。
彼女に魔の手が伸びる瞬間は見ていたくなかった。これが本音だ。だから宿り魔に絡まれたときには一瞬だけ目を逸らした。しかし。
次の瞬間には別の意味で息を呑むこととなった。あろうことか彼女は自分でその状況を打破したのだ。それも、いつも邪魔な存在だと胡乱げに見つめていた守護者の武器を手にして。
「彼女が……守護者──?」
男はその事実を反芻するようにポツリと呟く。そんなわけないと考えたい自分と目の前で起こっている状況が更に頭を混乱させた。
信じたくなかった。だが彼女が手に持っている剣を見れば明白だった。
数回しか対峙していない、あの守護者の少女を思い出す。背格好は確かに彼女そのものだ。気付かなかったのは、無意識に彼女の存在を排除していたからか。
『あなた、後悔することになるわよ』
とあの少女が呟いていたことを思い出した。あの時、彼女は既に知っていたのだ。守護者の正体が誰なのか。それを聞かなかったのは己の判断だ。
ギリ、と奥歯を噛み締める。
今回さえ終わればまた戻るだけだと、そう思っていた。だがこれではそうもいかなくなった。たとえ彼女が所有者じゃないにしろ、いずれは直接戦うことになる。そういうことだ。
────所有者じゃなければ?
自分で考えたことにハッとする。そうだ。彼女が守護者なのだとしたら所有者を兼ねることなんてあり得ない。なのになぜあの少女はわざわざ事に及んだのか。何の為に。ただ彼女に苦痛を与えることが目的なのかと穿った見方をしてしまう。
「──っ……」
吐き気を抑えるように身体を屈める。これは自分が招いた事態だ。覚悟を決めなければ。敵なのだと。そう自覚しなければならない。
ふと彼女の笑顔が脳裏を過る。あの笑顔を、もう見る資格はない。自分は決して許されないことをしているのだから。
胸がズキンと痛む。こんな痛み、感じる方が間違っているのに。明日からどんな顔をして会えばいい。彼女の顔をまともに見ることは恐らく出来ないだろう。
「美都……」
受け入れ難い事実を反芻するかのように頭を抱える。
一人暗い部屋で、水唯はしばらく立ち上がることが出来なかった。





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