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祝いの中の真実に-鍵を守護する者⑥上-

新しい月が始まる朝

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9月1日。二学期の初日だ。始業式のため午前中の式が終われば午後は解散となる。ただ午前中の全校集会を乗り越えるだけの一日だった。その為だけに生徒たちは登校する。
美都と四季ももちろん他の生徒同様学校へ向かっていた。学校へ近づくに連れ増えていく生徒たちに混じりながら二人で歩く姿にも、ようやく周囲も慣れてきた頃だ。
だがいつもと何かが違うなと思った四季がおもむろに口を開いた。
「──凛は?」
普段の登校時間ならば、学校付近のこの交差点には凛が待機している。しかし今日に至ってはその姿が見えないため不思議に思ったようだ。
「たぶん……先に学校着いてる……はず」
美都のその答えに、特に何も疑問を抱くことなく四季は「ふーん」と相槌を打った。なんとなく凛がここにいない理由は察知出来た。だがいずれバレるにしろここで打ち明けることでもないだろうと考え、目を逸らしながら平然を装いそう呟く。この後のことを思うと苦い表情をせざるを得ないのだが。美都のその悩みもつゆしらず、四季は何事も無く隣で歩を進めた。
校門を通り過ぎいよいよ校舎に近づくと、背後から「美都せんぱーい!」と呼ぶ声が聞こえた。それに応じるように美都が振り返るとラクロス部の後輩二人がこちらに向かって走ってくるのが窺える。その場で足を留め彼女らを迎えることにした。
「おはよー。元気だねー」
美都が立ち止まるのと同時に、四季も彼女に合わせるようにして佇んだ。気を遣ってか少しだけ距離を置いている。後輩らも美都に挨拶をすると部活動の近況を話し始めた。だがそれはただの会話のきっかけだったようで手短かに報告を終えると一旦四季をチラりと見た後にこやかに美都に言葉を投げた。
「おめでとうございます、美都先輩!」
「あ、ありがとう……」
顔を引きつらせながらその言葉に応じる。わざわざ四季を見る必要があるのかは謎だが、彼は容姿が良いので目が惹かれるのもわからないでもない。だが今少女たちが言った言葉を聞かれていないかヒヤヒヤする。概要まで触れられなくて良かった。とは言えこのタイミングなら『合唱コンクール銀賞おめでとう』ということで誤魔化すことも出来るかもしれないが。
そう言い残し掛けていく後輩たちに手を振り、美都と四季も再び歩き始める。
「今日午後は何かあるんだっけ?」
「あぁ。和真たちとちょっとふらついてくる」
「ん。わかった。わたしも春香たち誘ってどこか行こうかな」
そうは言っても今日は食事当番のため遊ぶにしてもあまり遅くなってもいけない。そもそも受験生なので遊んでいていいのかと言う疑問も生じるところだ。他愛ない会話をしているとあっという間に昇降口に差し掛かる。ちょうど多くの生徒が登校する時間と重なったようで靴箱では活気付いた声が響いていた。
「美都、おはよー。あ、髪切ったんだ?」
隣に立ってシューズを取り替えながら春香と朝の挨拶を交わす。再び開こうとした口を一度閉じた後、彼女は四季をチラリと見ながら小声で美都に訊ねた。
「言った?」
「……言ってない」
「えぇ?  じゃあまだ知らないの?」
驚きと哀れみの表情を浮かべ、春香が四季と自分を交互に見遣る。さすがに彼もそのやり取りを不思議に思ったのか首を傾げている。
「う──うん。とは言っても……」
「美都!」
目を逸らして口籠もる。ここまで来てしまえば時間の問題だ。そう春香に言おうとした瞬間背後から嬉々として自分の名を呼ぶ声が聞こえた。振り返らずとも分かる。甲高いその声を響かせるのは凛だ。そしてなんとなく彼女の行動も読めていた。
「凛、おは──」
「誕生日おめでとう!」
朝の挨拶を遮られ、すぐさま祝いの言葉が自分に向かって飛んできた。そして間髪入れずラッピングされた箱を差し出される。
「はい、これ」
「あ、ありがとう。昨日渡してくれても良かったのに」
「お祝いするなら当日がいいじゃない。開けてみて」
昨日一緒に選んでいるので実は中身については把握している。毎年互いの誕生日はこうするのがここ数年の通例だ。凛の手から箱を受け取り礼を伝えると、彼女の指示通りラッピングを解いていく。
「──今年も可愛いの見つかってよかったぁ」
「ね。美都にぴったり」
小さな箱に控えめに梱包されている品を見て、感嘆の息を漏らす。控えめな装飾がされたヘアピンだ。ガラス玉で花の形が作られており、光に当てるとその色を変化させる。キラキラと輝いてとても綺麗だ。
「ありがとね、凛」
「ううん。今年も一緒にお祝いできて良かった」
互いに微笑みを交わす。2学期最初の日、毎年この日は凛が先に学校に着いて自分を出迎えてくれる。それは中学に入ってからも変わらなかった。なぜそうするのか訊いてみたことがあった。すると彼女は「特別な日なんだからいつもと一緒じゃつまらないじゃない」と答えたのだ。聞いたときは苦笑いを浮かべたものだが凛のおかげであまり余計なことを考えずに済んでいると言う事実も然りだ。
「────誕生日……?」
呆気にとられたのかポツリと呟く声が耳に届き、思わずハッとした。凛の勢いに気圧されてすっかりおざなりにしてしまっていた。恐る恐る振り返る。するときょとんとした顔で佇む四季の姿が見て取れた。隣に立っている春香が「あーあ」と言う表情を浮かべているのも同時に目に入ってきた。間違いない。やってしまったなと目を逸らす。
「待っ……、今日?」
「えーっと…………はい」
ふらふらと美都に近づきながら四季が疑問を口にする。その問いに答えるべく、しかし実に言い辛そうに肯定した。なんとなく居心地が悪くて彼と目を合わせることが出来ない。逸らした視線の先では春香が息を吐いていた。
「じゃ、これは私から」
「え?  あ、ありがとう……」
「先に教室行ってるわ。痴話喧嘩するなら隅でやりなさいよ」
「ちょっ……春香!」
紙製の手提げ袋を美都に渡すと、春香は我関せずと言った感じで颯爽と教室へ向かっていった。その際に勝ち誇ったような表情を浮かべている凛も引き連れて。助けてくれないのか、と言う意味を込めて名前を呼ぶがこの状況を招いたのは紛れもなく自分自身だ。甘んじて受けるしかない、と目を閉じてうーんと唸った。
「⁉︎」
「な──!」
「ストップ!  せめて隅!  隅に寄ってから!」
肩をガシッと掴まれたため、今後の展開を予想して一旦彼を止めに入る。甘んじて受けるとは言ったがあまり目立ちたくもない。それも今更だとは思うが。春香の助言に従い四季を宥めてホールの端まで移動させる。
「なんで言わなかった!」
至近距離から圧の強い言葉を投げられ思わず肩を竦める。だがこうなるのも予想はできていた為、動揺することではなかった。
「だって気遣わせたくなかったんだもん……」
「だからってお前……!」
逆に四季の方が動揺しているようだ。責めるような言葉を用いているが、内実焦っているのかもしれない。それもこれも確かに言わなかった自分の責任ではある。だが先程伝えた言葉に偽りはなかった。気を遣わせたくない。ただそれだけだった。
「それにわたしも四季の誕生日知らないし」
「4月3日」
「ほら過ぎてるじゃん。ってか四季、もう既に16歳だったんだね」
同じ学年で過ごしている為忘れがちだが、四季は1つ歳が違う。だから周囲の男子生徒よりも大人びて見える時がある。彼自身があまり気にしていないようなので、クラスメイトたちも普段はただの級友として過ごしている。そう考えるとやはり巡り合わせとは不思議なものだ。
守護者として共に暮らし始めて早5ヶ月。その間に二人の関係性も変化したのだから。初めは守護者同士として。次にクラスメイト。そして今や恋人同士だ。最初のきっかけがなければこうして彼と話すこともなかったのだろうなとぼんやり考える。
「こら、聞いてんのか」
「あ、ごめん。四季の方こそ言ってくれたら良かったのに」
「あんなすぐのタイミングで言えるわけないだろ。じゃなくて俺のことはどうでもいいんだって」
どうでも良くはないんだけどなぁと心の中で呟き美都は目を宙に泳がせた。と言うのも現実から目を逸らしたかったせいもある。互いに考えていることは似ているのかもしれない。
「付き合ってるんだから祝いたいに決まってるだろ。特別な日なんだし」
そう彼が言ったことに、小さく息を呑んだ。特別な日。年に一度しかない日。誕生日とは一般的にそういうものだ。
「──…………別に、そうでもないけどね」
聞こえない程度の音量でポツリと呟く。
口元に手を当て目を逸らしながらブツブツと今日の予定を確認し始めていた四季が、美都の呟きに気付いたのか首を傾げた。
「ううん、なんでもない。今日午後は和真たちと遊びに行くんでしょ?」
「そう、だけど……断ることも出来るし」
「だーめ。お互いに交友関係大切にするって約束したじゃない」
美都に諭されると四季は奥歯を噛み締めるようにして押し黙った。だがもちろんここで引き下がる彼でないことは分かっていた。それだけ想ってくれていることが素直に嬉しくもある。口籠もる四季の表情を見て、美都は眉を下げて微笑んだ。
「四季、わたしねいつも通りでいいんだよ。何か欲しいわけでもないし」
「でも──……」
尚も彼は食い下がる。何か妥協案を見つけなければ納得してくれなさそうだ。特に欲しいものもない。ただいつも通りに過ごすことが出来ればいい。そうなると自分の望みは一つだ。
「じゃあ今日食事当番代わってよ。せっかくなら美味しい料理食べたいな」
「それは別に構わないけど──」
「ん、それで十分」
承諾の言葉を聞くと美都はくるりと体勢を変えた。自分で作った料理より何倍も美味しい彼の料理が食べられるだけで幸福だ。これ以上の妥協案が出なかった為、否定されたらどうしようかと考えていたが無事に通って安心した。それでも四季はまだ納得しきれていない表情を浮かべている。目の前で凛にあんな顔をされれば簡単に引き下がることは難しいのかもしれないなと苦い笑みを零した。
「ほら、教室行こう?」
「……ん」
先程の美都の返答を最後に口を噤んで何かを考えている四季を教室へ促した。ぼんやりとしたまま返事をしてゆっくり足を進める。こうなるからあまり知られたくなかったのだ、と美都は彼に気付かれないよう息を吐いた。気を遣わせることは目に見えていた。だからいつも通り過ごしたかったのだ。
「お、痴話喧嘩は終わったのか?」
4組の教室の前で友人と話していた和真からすかさず茶々が入る。美都が顔を引きつらせてその言葉を否定した。
「そんなんじゃないよ」
「だから怒られるって言ったろー」
今度は事実のため和真のセリフに返す言葉が無く苦い表情を浮かべた。怒られたというには違う気もするが、実際怒られたものと同意語だろう。責められたという方が正しいか。
「和真……お前知ってたな?」
「そりゃな。つったって俺こいつに口止めされてたし」
余計なことを、と思った時にはもう遅い。ガンッと衝撃を受けた顔をした四季の表情が目に入った。すかさず再び責めるような姿勢でこちらに向き合った。
「なんで!」
「だから!  気を遣わせたくなかったんだってば!」
何度理由を聞かれようが答えは変わることはない。これこの通りだ。和真の一言のせいで再び蒸し返してしまったではないか。それも他クラスの前なので割と目立つ感じになってしまった。
二度も同じ返答が来たからかさすがに四季の方も飲み込むしかなかったようだ。やれやれと肩を落として7組の教室へ向かおうとしたところ、そのまま和真が口を挟んできた。
「お前今日ウチ寄れる?」
「え?  あ……多加江さん?」
「そう。今年もえれーでっかいの用意してるぞ」
和真の話す内容を瞬間に察知し彼の母の名を出すと、頷きながら概要を説明し始めた。彼が雑に表現するのはケーキの話だ。毎年誕生日には多加江がケーキを焼いてくれる。今年も御多分に漏れず彼女は用意してくれているらしい。
「来られないなら四季に渡すけど。会わせろって言われてるしな」
続けて彼が言うことにそれも有りかもしれないなと考える。そもそも今の居住地と和真の家では方面が完全に逆なのだ。幸い午後は今の所予定が入っていないため向かうことは可能だ。ただしそれは同時に常盤家に行くことになる。今日に至ってはなんと無く円佳に顔を合わせづらい。
「ってことは、四季は俺らと遊んだ後にまた月代に会うってこと?  二度手間じゃね?」
今まで和真の横で話を聞いていた秀多が急に会話に参戦し始めた。彼の言うことに3人ともハッとして明後日の方向を見る。美都と四季が同居していることは限られた者しか知らない。和真、凛、愛理、そして隣で暮らす水唯。同じ学年では4名だけだ。当の和真も危うく口を滑らせそうになったことを反省したのか口を覆い苦い表情をしていた。秀多の言う通り、端から見れば二度手間に見えるのだろう。となると今は、と唸った後に美都はようやく和真の言葉に答えを出した。
「わかった、取りに行くよ。多加江さんに直接お礼も言いたいしね」
「そうして頂けるとヒジョーに助かります」
わざとへりくだった言い方をする和真の所作に眉間にしわを寄せる。自分もそうだが彼にも一層注意してもらわなければと。
「──気をつけてよね」
「悪りぃ、すっかり忘れてた」
小声で和真に話しかけると彼は飄々としながら謝罪の言葉を述べた。そんな会話をしながら歩いているとようやく7組の教室へ辿り着く。夏休み中も学校へ来ていたとは言えやはり新学期だけあって活気に溢れているように感じる。
教室内にいる級友らと挨拶を交わしながら自分の席へ向かった。机にカバンを置くのと同時に後ろの席のあやのから声がかかる。
「今日誕生日なんだって?  おめでとー!」
「ありがとう。まぁ特に何か変わるわけじゃないけどね」
「わかるー。年齢だけレベルアップって感じだよね」
春香から聞いたのか、あやのから祝いの言葉をもらい続けて会話をしていると、周辺にいた級友にも聞こえていたようで次々と「誕生日おめでとう」といった祝辞が飛んでくる。図らずも仰々しくなってしまったなぁと苦笑いを浮かべるが関心を向けてもらうのはこそばゆくも嬉しくなる。
「今日何か持ってたかなぁ。あ、飴あげる」
「えー、じゃあ私消しゴムあげるよー!  使ってないのあるし!」
「私はねー、シャー芯でもいい?」
やいのやいのと瞬く間に美都の周りに人が増え、彼女の両手が埋まっていく。誰に何をもらったか憶えていられるか心配になる程度には細かい物が多い。次々と手に品が乗せられていくので礼を伝えるのも駆け足だ。
その様子を遠目で見ていた四季と和真が、まるで他人事のように窓際で会話を始める。
「愛されてんなぁ、お前の彼女」
「……そうだな」
「お、嫉妬か?  しょうがねーだろ、あいつモテるんだし」
本人にその自覚はねぇけど、と和真が付け加える。嫉妬かと言われて否定はしなかったがこれはそういうものではないと思う。美都が周囲の目を惹きつけるのは知っている。だからこの現象は不思議なことではない。和真の言葉に上の空で応えたのは他のことを考えていたからだ。誕生日と言えば年に一度しかない特別な日だ。それをいつも通りに過ごしたい、と言う彼女は珍しいとさえ思う。それに自分に気を遣わせたくないからと言って和真たちに口止めしていたという事実も気に掛かる。そこまでする必要があるのかと。とは言え美都の性格を思えば納得出来なくもない。それに問題は他にもあった。
「あいつの好きなものってなんだ……?」
美都からは何か欲しいわけではないと言われている。だがそういう訳にもいかない。言うなればこれはプライドだ。
しかし肝心の、彼女の好みが定まっていない。ポツリと呟いた言葉にすかさず和真が反応する。
「なんでも喜ぶだろうよ」
「そりゃ……まぁそうなんだろうけど」
「午後付き合ってやるって」
「……頼んだ」
確かに彼のいう通り、美都ならばなんでも喜んでくれるはずだ。だがそれだけではダメな気がする。重すぎず軽すぎず、彼女の唯一になれるもの。そう考えるとなかなか難しい。和真がどれほど頼りになるかはわからないが一人で悩むよりも良いはずだ。ようやく午後へのモチベーションが出てきた。
そんな賑やかな教室に、一人静かに水唯が入ってくる。周りの喧騒を気にするでも無く、彼はいつも通りに自分の席へ向かった。直後予鈴が鳴り響く。
各々緩やかに自分の席へ向かいながら、美都も貰ったものを一旦机に置こうとした際、その中の一つが溢れ水唯の足元へと転がった。彼がそれを拾い上げる。
「おはよう水唯。拾ってくれてありがと」
「いや……何か──あるのか?」
手渡す時には目を逸らしていた水唯も、ただ事ではない雰囲気を察知したのか美都にその理由を問いかけた。何か、と答えれば確かに何かなのだがやはり自分で自分のことは言い出しづらい。口籠もっていたところあやのから「今日は美都の誕生日なんだよ」と助け舟が出された。
「たん、じょうび……なのか──……」
水唯はその事実を知った途端、驚いたように目を見開き息を呑んだ。その様子に首を傾げる。何をそんなに驚くことがあるのだろうか。9月1日と言えば特に何かあるわけではない至って普通の日だ。彼はしばらくその場で硬直したまま自分を見つめている。
「水唯?  どうかした?」
「!  あ、いや──なんでもない。……おめでとう」
呼び掛けられてようやく、水唯はハッと肩を竦め視線を下に落とした。顔を背けながらも祝いの言葉が付け加わる。皆と同じように彼にも礼を伝えた。直後、担任である羽鳥が教室に入ってきて生徒たちは慌てて自分の席へつく。
気のせいだろうか。水唯の顔色が悪いような気がした。自分と目を合わせようとしなかったのも気に掛かる。もしかして体調が良くないのでは、と心配になった。今日は幸い、午前中始業式を終えれば解散となる。だとしたら午後は彼もゆっくり休めるはずだ。それまで保つと良いのだが、と美都は考えた。尚も青ざめながら下を向く彼の様子を目の端に入れながら。
水唯は膝の上で握り拳を作る。動揺を曝け出す訳にはいかない。そんなことわかっている。それなのにこれではあまりに────。
奥歯を噛み締めて周囲に悟られないよう顔を歪ませた。これ以上はダメだ、と。干渉すべきでない。そうグッと堪え、人知れずその瞳に陰を落とした。


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