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高い空へ唄う歌-鍵を守護する者⑤-
彼女は誰?
しおりを挟む急ぎ足で喫茶店の扉から出ると、尚も着信で震えているスマートフォンに触れた。
『駅前着いた。どこ?』
「えっと、少し歩いたところにある喫茶店。赤い軒があるの」
電話越しに聞こえる四季の声に、美都は今自分が立っている位置を伝える。すると程なくして駅がある方面から人混みをかき分け彼が走ってくる姿が見えた。実に朝以来になるので、なぜだか心無しか安心した気持ちになる。
「ごめん、わざわざ」
「いや、それはいいんだけど──。俺も無理言ってるし」
急いで来てくれたのか、四季は肩で息をした。荒れた呼吸を整えながらきょろきょろと視線を動かしている。その仕種がなんとも不思議だった。差し出された財布を受け取り感謝の言葉を伝える。
「ありがとう。四季の用事は大丈夫だったの?」
「あー……いや、大丈夫じゃないけどお手上げ状態というかだな」
美都の素朴な疑問により、四季の眉間にしわがよる。寝不足が祟っているのか、まだ彼の顔から疲れが取れていない様子が見て取れた。何が起きているのか状況を訊きたいところではあるが、用事が済んでいないのなら引き止めておくことも出来ないなと小さく息を吐いた。
「まだかかるよね?」
「あぁ。本当に悪い」
「ううん。これで夕飯の買い物行けるし。帰ったら話聞かせてね」
「それはもちろん。不自由させてるしな。それよりなんでいきなり財布?」
四季はまるで今までなぜ気づかなかったのか、と言いたげだった。確かに疑問に思う気持ちもわかる。下校してからそれなりに時間が経っているからだ。菫のいる教会を出るまで財布に触る機会がなかった。千咲と会う前までは夕飯の買い物を諦めれば小銭入れだけでも十分だったのだが如何せんそうもいかなくなったのだ。
「それが……──あ、千咲さん!」
どう説明したものかと考えていたとき、喫茶店から鐘の音が聞こえた。入退店するときの合図のようなものなのだろう。カランという昔ながらの純喫茶にあるような音を立てたため扉を確認すると、千咲と透が出てくるところだった。
美都は慌てて二人の元に駆け寄る。その瞬間の四季の表情を確認しないまま。
「お金払います!」
「いいのよ私が誘ったんだし! 楽しいお話も出来たしね」
「でも……」
渋る美都を諌め、ニコニコと千咲が微笑んだ。せっかく財布を届けてもらったのに、彼女たちの方が一歩上手だった。美都の行動を読んでいたらしく先に会計を終わらせてしまったのだ。恐縮する美都に透が彼女の鞄を差し出した。
「ごめんなさい荷物まで……。重いですよね」
「全然大丈夫だよ」
「ありがとうございます」
自分の鞄を受け取り、背の高い透を見上げる。先程は見つめられる側だったのであまり気にしていなかったが、良く見ると眼鏡越しの表情が誰かに似ているような気がするなと感じた。
「透さん……眼鏡取ってみてもらえませんか?」
「眼鏡? いいよ」
はい、と言いながら透が美都の要求に応じ、かけていた眼鏡を外した。黒い髪に薄っすらと赤い瞳。その既視感に、そうだと思って彼と似た人物がいる背後を振り向く。すると該当する少年が口をポカンと開けて目を丸くしていた。その様子を不思議に思って首を傾げる。
「──? どう」
「どうしたの? 四季」
美都の言葉を遮るようにして千咲が言葉を放つ。全く同じ言葉を言おうとしていたため驚いて目を瞬かせた。そして瞬間感じた違和感に反することなく、そのまま千咲を見る。確かに今、彼女が少年の名前を呼んだ。その事に混乱する。美都は一拍置いた後、千咲と四季を交互に見遣った。
「えっ……と…………、第一中にいる知り合いってもしかして…………?」
尚も混乱する頭で、必死に考えたことを恐る恐る口にする。みなまで言う前に千咲はニコリと微笑んだ。反対に四季は蒼い顔をしたまま頭を抱えている。透に至っては二人から目を逸らし苦笑いを浮かべていた。
「向陽千咲。そこにいる四季の母親よ。改めてよろしくね、美都ちゃん」
◇
千咲の正体を知り、美都は再び目を瞬かせた。
「四季の──お父さんとお母さん?」
「えぇ。黙っていてごめんなさいねぇ」
頬に手を当てて、千咲は飄飄と笑んだ。彼女からの肯定の言葉を聞いた後ハッとこれまでのことを思い出した。つまり、自分は知らない間に恋人の母親と話をしていたという事になる。しかもその会話の内容はあろうことか四季についてだ。固有名詞は出していないし、付き合っているとは知らないのかもしれないが思いがけない展開に美都は顔を紅潮させた。
「ちょっ……と待って…………。これは一体どういう状況なんだ……」
それまで静観していた四季がとぼとぼと歩きながらこちらに近づいて来て途切れ途切れに言葉を紡いだ。
「たまたまよぉ。飛ばされた帽子を美都ちゃんが拾ってくれたの。ね?」
「え? あ、はい」
眉間にしわを寄せる四季の方を向いていると、不意に名前を呼ばれ今度は千咲の声に応じた。これに関しては本当に偶然だった。
「それがなんでこんな事になるんだ……?」
「可愛かったからナンパしちゃった」
まるで四季の機嫌にはお構いなしに千咲はキャッキャと声を弾ませた。彼女の語尾にはハートマークが付きそうな勢いだ。母親である千咲の反応に四季は頭を抱えている。なるほど、彼でもそういう対応になるのかと少し新鮮だった。
「来ない来ないと思ったら……──父さん!」
「え、俺ぇ⁉︎」
思わぬところで白羽の矢が立ったのは透だった。四季の当てどころのない感情が今度は父親に向いたのだ。透は苦笑いを浮かべて、責める態勢に入っている四季を諌めようとしている。
「無理だろー。そんなのお前が一番良くわかってるじゃないか」
「だけど手綱を握れるのは父さんだけだろ」
「ま。手綱だなんてひどい言い方ね」
三者三様、相手の言い分を聞きながらそれぞれ反応する姿がなんだか可笑しかった。その様にクスクスと笑い声が漏れる。たった数秒の会話から仲の良さが窺えた。幸せな家庭が目に浮かぶようで。
美都は心が冷静になる手前でパッと顔を上げる。
「じゃあわたしは夕飯の買い物があるので。し──向陽くん、またね」
親子水入らずの時間を邪魔してはならない。そう考えた末、自分はこの場を去ろうと四季に目配せを送った。四季が仕切りに気にしていたのは恐らく千咲と透の事だ。この後マンションへ向かうのだろう。急に居を別にした息子の住まいを確認するのは親としては当然のことだ。
親の前であることを考え、四季の名前を呼びそうになるのを直前で訂正し苗字で呼び直した。先ほどぼーっとしたままなぞってしまったので今更だなとは思うが。
「あらぁ。四季ったら美都ちゃんに買い物お願いしてるの?」
「してない。交互に──……っ」
しまった、という顔をして四季がバッと口を覆う。美都も立ち去ろうとしていた身体の動きを思わず止めた。互いに目を合わせ苦い表情を浮かべる。通じるわけがないが「自分は詳細については話していない」と主張するかのように小さく首を横に振った。
その上で恐る恐る千咲の顔を見る。
「同居人、美都ちゃんなんでしょ?」
(バレてる──……!)
サーっと血の気が引く音がした。それは四季も同じだったらしい。つまりは彼も何も伝えていなかったという事だ。ならばなぜ、と考えたときに以前四季が教会で話してくれたことを思い出した。それは彼がなぜ守護者になったのか、という経緯を聞いた際だ。四季は『守護者について親が何か知っていたらしい』と語っていた。先程千咲は、自分が屈んだ瞬間指輪を見たのかもしれない。もし彼女がこの指輪の意味を知っているのならば納得は出来る。
「千咲さんってもしかして守──」
「ストップ!」
可能性を口にしようとした瞬間、四季が慌てて手を伸ばし美都の口を塞いだ。むぐっと言葉を詰まらせ彼に目で何事かと問う。はぁと息を吐くと美都に聞こえるくらいの小声で呟いた。
「……こんな道の往来でする話じゃないだろ」
「そっか……ごめん」
四季の言うことも然もありなんと納得し、彼の手が離れた口で同じように小声で謝罪をした。
「まぁまぁ。ずいぶん仲良しなのね」
その様子を見ていた千咲が嬉々として感想を発する。その言葉に、二人してハッとし肩を竦めた。千咲はニコニコとこちらを見ている。誤魔化すように引き攣った笑みを返した。
四季と自分が付き合っている、と知らないはずだ。しかしこれまでのことを鑑みると、千咲は勘が鋭そうだ。四季がいる手前、どう振る舞えば良いのか正解がわからない。ひとまずは彼に確認するのが先かと考え、千咲に聞こえないように井戸端会議を始める。
「……言った?」
「言ってない。言うわけない。でも勘はめちゃくちゃ良い」
「だよね……」
小声で四季に問うと、予想通りの答えが返ってきた。やはり知らないはずなのだ。だとしたら今のやり取りだけで判断したのだろうかと勘ぐっていると、先程喫茶店でした会話を思い出した。
「あっ、わたし付き合ってる人がいるってことは言っちゃった……」
「なんだってそんな話……──いや、なんとなく分からなくもないけど」
「でも固有名詞は出してないよ?」
「だから勘が良いんだって」
はぁと溜め息を吐き、四季はこの状況に頭を悩ませるかのように瞳を閉じた。横からは千咲の「二人だけでこそこそ話してー!」と責めるような声が聞こえてくる。彼は眉間にしわを寄せたまま目を開いた。そしてその瞳を美都に向ける。
「──文句は後で聞く」
「え? うわ⁉︎」
四季はそう呟くと美都の返事を待たず急にグイッと肩を引き寄せた。彼のその仕種に彼女は驚いて声を発し、目の前の大人二人は目を丸くする。あまりにいきなりだったので体勢を崩しそうになったのを咎めようと、四季を仰ぎ見たときだった。
「付き合ってる。──この子と」
耳に届いた言葉に美都は目を見開いた。頭の整理が追いつかず口を開閉させる。
「…………え⁉︎」
「やっぱりそうよねぇ。もー、お父さんったら鈍いんだから」
驚いて声を上げたのは透だった。対して千咲はやはりと言った様子でニコニコと微笑んでいる。彼女は四季の前だからか、透のことを名前で呼びはしなかった。
両親の反応を見届けると四季は安堵の息を漏らし、再び美都に小声で囁いた。
「ごめん……って、美都?」
「え…………あ……」
当の美都は身体を硬直させ喉の奥から絞り出すように声を出した。見れば顔だけでなく耳まで赤くさせている。突然の出来事に恥ずかしくなってそのまま手の甲で口元を隠す。千咲に気付かれていたとは言え、こんな急に紹介されることになるとは思わなかったからだ。恐縮して身体を竦めていると不意に掴まれていた肩から四季の手が離れた。
「それはずるい……」
彼の方も口元に手を当て、グッと堪えるように美都から目線を逸らした。
ここが公道でなく、更に人の前で無ければそのまま抱きしめているところだ。悶々とした想いが募る。反応が可愛すぎて頭を抱えたくなった。
「まぁまぁ! 立ち話もなんだし、ひとまず向かいましょうよ。ね、美都ちゃんも」
千咲が柏手を打ち、そのまま両手を己の頬に寄せる。なんとか飛んでいた意識を取り戻し、美都は彼女と視線を合わせた。しかし、やはりここは身を引くべきだと考え両手を己の身体の前に翳す。
「や。でも親子水入らずなのに悪いです」
「何言ってるのぉ。美都ちゃんの話聞きたいなー。その話も、ね?」
「……っ! さ、さっきので勘弁してください……」
千咲の返しにうぅ、と唸ると美都は俯いてまた顔を紅潮させた。彼女の言い方は常に柔らかいのにこの有無を言わせない押しの強さはどこから来るのかと不思議に思ってしまう。
喫茶店で二人きりのときに話した内容を思い返すと居た堪れない。そもそも千咲が四季の母親だという事実を知らなかったため仕方ないのだが、あの場で自分は変なことを言わなかっただろうかと記憶を手繰る。
「じゃあ優しい四季くん。道案内お願いね?」
優しいという単語に肩を竦ませる。そうだ、確かにそんなことを言っていた。むしろあの時は事細かには口にしていない。千咲も良く覚えているな、と謎に関心してしまう。
一方四季はいきなり母親からそう評され「うわ」という表情を浮かべている。そしてそんな彼を宥めるように透が肩に手を置いた。渋々と四季が足をマンションの方へ向け、一息ついて歩き始める。なんとなくこの家族の力関係が見えてきたなと思い、美都は一人苦笑しながらすごすごと彼らの後に続いた。
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