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天の川へ願いを-鍵を守護する者④-
良くないものの正体
しおりを挟むやはり浴衣は走りにくい。そもそも走る目的での装束ではないので当たり前なのだが、こういった小洒落た格好をする際は今後も四季が近くにいてくれている時でないと支障が出そうだなと美都は走りながら考えた。
普段に比べて格段に走る速度は遅い。幸いだったのはサンダルだったことだろう。弥生の提案によるものだった。だがそれでも宿り魔の気配はまだ先だ。
(あの変な影が現れなければいいんだけど──……!)
正体不明の影は、守護者の足を拘束する。だが静の場合はまだ飛び道具だから反撃の隙はあるか。なんにせよ早く加勢に行かなければ。
今日は祭りだからか駅前の商店街に向かうに連れて行き交う人が多くなった。それに逆らうように気配は人通りの少ない道の先からする。そろそろいいかと頃合いを見て美都は首に掛けてあった指輪を取り出そうとした。
「美都ちゃん?」
「──!」
名前を呼ばれて思わず足を留める。声のした方に目を遣るときょとんとした顔でこちらを見ている少女の姿が確認出来た。
「衣奈ちゃん……!」
「どこ行くの? お祭りそっちじゃないよ?」
おさげに眼鏡をかけたいつものスタイルの彼女が首を傾げる。それもそのはずだ。浴衣を着ていれば祭りに行くものだと予想は出来る。だが美都が向かっている先は今はスポットなのだ。それを説明する事は殊に難しい。
「お祭りの前に行くところがあって──!」
「その格好で?」
「う……うん! ごめん、ちょっと急いでるの!」
衣奈には申し訳ないがここで悠長に話している時間はない。四季はゆっくり来いと言ってくれてはいたが、万が一初音や正体不明の影が現れていれば例え彼でも退魔に支障を来すことになるだろう。だから一刻も早く駆けつけなければと気持ちが逸った。
「あ、ねぇ美都ちゃん」
「っ──、なに?」
駆け出そうとしたところ再び呼び止められて一先ず用向きを伺う。衣奈の方も急ぎだったのなら退魔が終わった後にでもまた戻ってこようと思った。しかし衣奈は一向に口を開こうとはせずしばし無言で美都を見つめた。いつもと違う彼女の雰囲気に眉を顰める。一体どうしたというのだろう。何か言いたいことがあって呼び止めたのではないかと内心焦りながら首を傾げていると、衣奈がふっと口元に笑みを零した。
「──何でもない。引き止めちゃってごめんね。また学校で」
「え? あ、……うん。──またね衣奈ちゃん!」
結局衣奈は特に用件を話さず、引き止めたことの謝罪をして美都に手を振った。何だったのだろうと疑問に思いながらも、美都も彼女に手を振り返して再び小刻みに足を動かし始める。普段の彼女の雰囲気をどこか違うように見受けられた。夏休みに入ってしばらく会話をしていなかったせいだろうか。少し大人びたようにも見える。彼女の方にも何か進展があったのだろうか。だが衣奈の話を聞くのは目下退魔を終えてからだ。補講が始まれば学校で会う機会もあるだろうと美都は自身を納得させ再び指輪を取り出した。
「慌ただしいなぁ……」
一人残された衣奈はポツリと呟く。先程、美都を見かける前に例の少年が駆けていく姿を目撃していた。彼女は恐らく彼の後を追っているのだろう。
6月の終わり、彼らが付き合い始めたと耳にした。修学旅行中に美都の相談を受けており、直後あまり雰囲気が良くなかったので気を揉んでいたのだがどうやら大丈夫だったらしい。その後美都本人からも改めて礼を伝えられた。
「──もうちょっとお話ししたかったんだけどな」
だが急いでいるようだったので仕方がないと思い身を引いたのだ。あそこで無理に話を聞き出したところで、詳しくは聞けなかっただろう。いつもと違う格好と髪型をした彼女を見て実に微笑ましかった。上手くいっているのだなと心底思う。羨ましいくらいに。
「守りたいものがいっぱいあると大変だね、美都ちゃん」
衣奈はふっと口角をあげる。そう、だから美都のことが知りたいのだ。自分とは全く違うあの少女のことを。あどけなく繊細な彼女が果たしてこれからどういう表情を見せるのか。まだまだ楽しめそうだなと衣奈は一人、人気のない道へ姿を消した。
◇
巴としての装束を纏う。間も無くスポットを発見し、現実との境目を確認する。波紋が広がったのを見て一気に切り込んだ。
入った瞬間、銃声音が耳に付く。その音に反応しハッと身体を捻った。静が宿り魔と交戦している最中だった。加勢するために巴もその手に剣を呼び出す。
「待て巴!」
「⁉︎」
駆け出そうとした瞬間、静が制止の声を上げる。驚いて彼を見るといつもと様子がおかしいことに気が付いた。
────影だ。
しかし次の瞬間にふとした違和感を捉えた。影だけではない。何かが静の足元に纏わりついているように見える。巴は目を凝らしてその「何か」を確認する。
(……──水滴?)
透明で小さな粒子だ。スポット内の暗さで断定はできないがそれに近いもののように感じた。思わず辺りを見渡す。人通りの少ない道の間にある、空き地となっている場所だ。雑草も育ちつつある。そして静の足元のすぐ近くにぬかるんでいる箇所を見つけた。
「──!」
ぬかるんだ土のすぐ横には小さな水溜りが確認出来る。そこから何らかの不穏な気配を感じたのだ。
「静! 足元の水溜りを撃って!」
巴の声に反応するよう静は瞬時に体勢を捻り足元に銃口を向けた。乾いた音が一発耳に響く。次の瞬間には静を捕らえていた影が消え、彼の身体が自由になった。今度こそ大丈夫だと見て静に駆け寄る。
「助かった!」
「ううん、わたしも判ってよかった!」
正体が判明したおかげで元凶を断つことが出来た。つまり前回も同じ方法だったのだろう。客観的に見ないとわからないものだなと思う。
改めて宿り魔に向き直る。対象者は地面に倒れその身体の少し上には心のカケラが浮いているのが確認できる。宿り魔が手にしていないところを見ると静の攻撃が命中したのだろう。これなら退魔は問題なさそうだ。
「静、退魔をお願い」
「あぁ!」
そう言いながら静が宿り魔へ銃を構える。巴はその隙に対象者の元へと向かった。しかし──。
「⁉︎」
急に空間が張り詰める音がした。思わず対象者の手前で足を留める。眉を顰めその違和感を確かめるため不意に手を前に伸ばした。
「っ!」
バチッという激しい音とともに、差し出した手が弾き返される。感じた痛みに顔を歪めもう一方の手で手首を庇った。見えない壁のようなものがある。以前、初音と対峙した時に四季が囚われていた空間に似ているが決してそれではない。同じく静も退魔しようと放った銃弾が弾かれたのを目の当たりにし、目を見張っている。
「結界か……!」
自分たちがいる場所と宿り魔及び対象者がいる場所を隔てるように結界が張られているのだと言う。だから銃も効かなかったのか。手が弾き返されるほど強力なものだ。
「どうしよう──……!」
宿り魔はこの間に徐々に回復をしているように見える。このまま手出しが出来なければ再び宿り魔に心のカケラが渡ってしまう。それだけは何とか防がなければと巴に焦りの表情が滲む。
瞬間ハッと思い出した。そして手にしている剣を見遣る。先程菫が言っていたじゃないか。指輪が強い想いに応えたのだと。もしそれが本当ならば。
(お願い、またわたしに力を貸して──!)
目を強く瞑り胸の前で剣を握り締める。強い想いで指輪が更に力を与えてくれるなら。しかし意に反して剣は何も反応しなかった。菫が言っていた通り、まだ力を上手く使いこなせていないということか。肝心な時に発揮できないなんて、と巴は顔を歪ませる。
『残念だったな』
「──……っ!」
足元をふらつかせながらも宿り魔がニタリと下卑た笑みを浮かべる。置かれている状況で優勢だと気付いたようだ。その表情に二人は奥歯を噛み締めた。
静は再び何発か発砲するが宿り魔に届く手前で銃弾は虚しくも結界に飲まれる。
宿り魔がゆっくりと体勢を整え、心のカケラの元へ歩を進めた。ダメだ、と咄嗟に息を呑む。守らなければいけないのに。あの子を助けなければ。
その時不意に、初音の言葉が脳裏を過ぎった。
────『全部助けられるなんて幻想よ』
このままでは彼女の言った通りになってしまう。そんなことあってはならない。剣を握り締める手に力を込める。思い出せ、麻衣子のときを。あの時どうやって力を発揮したのかを。
(……誰一人、犠牲にはさせない──!)
たとえそれが誰であろうと。あの子だって誰かの「大切な人」だ。
────『失う覚悟がなければそのうち立ち行かなくなるわ』
違う。失う覚悟なんていらない。失う前に守るのだ。守護者に与えられた力は、そのためのもののはずだ。だから──。
「──!」
瞬間、握っていた剣が温かくなったような気がした。ハッとして剣を持ち上げる。同じだ、あの時と。剣の柄についている宝珠が一層赤く輝いている。
巴はグッと喉を引き絞り前を見据えた。両手で剣の柄を強く握る。願わくはあの結界を断ち切る力を。
「はぁっ!」
駆け出した勢いに乗せ、巴は思い切り剣を振り翳した。先程よりも大きいバチィッとした音が響く。強力な結界は簡単には破らせてくれずしばし力は拮抗した。ググッと跳ね返されそうなのを必死で堪える。だがここで気圧されるわけにはいかない。そう思ったとき、視界の端から静の声が聞こえた。
「そのまま堪えろ!」
「っ……!」
次の瞬間には乾いた音が耳に届き、銃弾が結界に撃ち込まれる。巴が切り込んでいるすぐ側に命中した弾丸が、彼女の力と合間って結界の力を弱まらせた。今だ、と言わんばかりに巴がすかさず全身の力で剣を押し込んだ。
「や!」
電磁波に怯むことなく手にした剣で一気に切り込んだことが功を奏したのか、一度大きな音を立てるとそれまで力で押し返されていた剣がすり抜けた。結界が壊れたのだ。巴は勢いで思わず膝をつく。
(やった──!)
これには宿り魔も予想外だったようで焦ったように反撃する素振りを見せる。しかし巴もすぐさま静に目配せを送った。隔てるものがない今、彼の方が退魔に有利だ。その予想は当たった。
「天浄清礼!」
間髪入れず静の声がこだました。彼の放った弾丸が光を帯び宿り魔の身体を貫く。
『グ……、オノレ……守護者──!』
そう悔しげに呟くと宿り魔は断末魔を上げた。耳を裂くような強烈な声がスポット内に響き渡る。巴は肩を竦めてその様を見守った。
ようやく宿り魔の気配が消失したと見て、思わず安堵の息を漏らす。だがまだやることがある。心のカケラを対象者に戻さねば。無我夢中だった為気付かなかったがどうやら相当体力を消耗したらしく、まだ膝に力が入りきらない。巴のその様子を見ていち早く静が対象者の元へと駆け寄った。
(よかった……)
ギリギリのところではあったが、何とか対象者を守ることが出来た。否、それが守護者の務めであるのだから当たり前と言えば当たり前なのだが。ふっと息を吐き、自身も膝に手を当ててゆっくりと立ち上がる。そして静が介抱してくれている対象者の元へ向かった。
「平気か?」
「うん、なんとか。ありがとう」
側に来た巴の気配を察知し、静が彼女に言葉をかける。動ける程度には身体も回復したので彼の言葉に眉を下げながら頷いた。静に抱えられた少女を見つめる。やはり同学年の生徒だ。この法則は確定なのだろう。しかしまた一つ不思議なことがあった。
「ねぇなんで────」
初音は姿を現さないんだろう、と静に問おうとした。
『──鍵の守護者』
「⁉︎」
背後からする声に二人はバッと振り返った。スポットに入ることが出来る人間は限られている。対象者、守護者、そして初音のように宿り魔が憑いた人間。だがその声は明らかに初音のものではなかった。
「誰だ!」
静が声を荒げる。声がした方に目線を遣るが、その姿が確認出来ない。代わりに目に入ったものに息を呑んだ。初音がいつもしているのと同じ、キツネ面だ。その面に、まるで意志があるかのように空間に浮いている。声の出所は間違いなくそれだった。
『鍵の所有者を言え』
「──……っ」
その言葉に目を見張った。同じ問いだ。初音と、そして教会の来訪者と。実体の無い影も同様に鍵を求めている。その声は教会で聞いたものよりは高い。ただ何か変声機でも使われているかのようで俄かに聞き取りづらかった。
『無関係の人間をひたすらに巻き込むことになってもいいというのなら構わない』
「お前らがこんな馬鹿なことをしなければいいだけの話だ!」
静は対象者の少女をゆっくりと地面に寝かせたあと、立ち上がってその声に反論した。彼の言う通りだ。鍵は心のカケラの中にあるという。心のカケラは本来ならば絶対不可侵の領域だ。それを破って、誰かを苦しめてまで鍵を求める理由。それがわからない。初音の時と同様その理由を問いだそうとした瞬間、再びキツネ面から声が響いてきた。
『────鍵の本質を知っているか』
その声に二人してピタリと動きを止める。鍵の本質? 一体何のことかと目を瞬かせる。答えられずにいると容赦無く次の言葉が発せられる。
『その程度か。それを知らずに守護者などと甚だしい』
「──あなたは知っていると言うの?」
『無論。求めることには相応の意味を為す。だがそんなことはどうでもいい』
実体が見えないからなのか、肉声ではないからなのか、その音はとても冷ややかだった。
『お前たちに用は無い』
「鍵は絶対に守ってみせる……!」
『──なるほど』
そう呟いたのち、しばし沈黙が流れる。納得する言葉ではあるがよもやそうとは限らない。そう考えたとき、揺れ動く影が視界の端に映った。
「⁉︎ ──っあ!」
1秒と掛からずその影が守護者二人を目掛けて襲いかかってきた。あまりの速さに身体が動かず、ともに仰け反るように地面に倒される。違う、影ではない。これは──。
(……っ、水だ)
まるで水に意志でもあるかのようだ。水の塊が一気に守護者二人の身体をいなした。突然のことに項垂れながらも、力を込め前方を見遣る。恐らくは声の主の仕業だろう。水を操る力。宿り魔との交戦中に守護者の妨害をしたのもこの力に違いない。
『把握した』
ひとりごちるように、その声はポツリと呟いた。隣でいきなりパンッという乾いた音が鳴り響き思わず肩を竦める。静がキツネ面に向けて発砲したのだ。しかし銃弾は当たることなく、キツネ面の前に大きな波紋が現れたのちあっという間に姿を消したのだ。まるで元からそこに何もなかったかのように。
突然の出来事に巴も静も無言のまま今はもう何も無い方をただ見つめた。
(今のは何──……?)
心臓が早鐘を打っている。実体は無いのに、その雰囲気に気圧されてしまった。見えないからこそ気味が悪い。何も出来ずただ空間から聞こえる声に反応するだけになってしまった。挙げ句の果てに急襲を受ける始末だ。完全に油断していた。
直後、対象者となった少女の呻き声が聞こえてハッと顔を見合わせた。意識が戻る合図だ。ならばそろそろスポットも消える。
二人は急いでその場から立ち上がると、目配せをしてそれぞれ違う場所へと向きを変えた。巴は剣を手にしたまま顔を俯かせる。これが夢で言っていた「良くないもの」なのかと。想像以上の脅威に、身体が少し震えている。新しい力を発揮できたのも束の間、それを以ってしてまた戦い方を考えなければとスポットが砕ける音を聞きながら巴はそう思った。
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