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それは紫陽花の花に似て-鍵を守護する者③-
空模様と重なる
しおりを挟むまもなく梅雨が到来する。合わせて最近の空はどんよりとした曇りの日が増えた。こういう日はどうしても気持ちまで塞ぎがちになってしまう。級友たちが口々に「明日からの修学旅行、雨降らないといいね」と話していた。降水確率的には半分の割合だったのであとは運次第だろう。
部活動を終えて、美都は一人とぼとぼと帰路を歩いていた。特に学校で何かがあったわけではないのに、空模様にひきづられるように思わず溜め息を吐く。
(……ひとまず、円佳さんには連絡しとかなきゃ)
学習活動と言えど、旅行という名の下家を空けることになるので彼女には連絡をしておいた方が良いだろう。あとは弥生にもか。
そう考えはするものの、なかなか手に付かない。後回しにするのは良くないと分かってはいるが気持ち的に億劫になっている。原因は、ずっと自分の胸の中にある痼りだ。
ずっと塞ぎ込んでいたわけではない。ただふとしたときにどうしても思い出してしまうのだ。自分の中にある、靄がかかったような感情に。
気付けばもう家のマンションの前まで来ていた。だがなんとなくこの気持ちのまま帰りたくない気がして思わず目に入った公園に歩を進める。この季節は18時を過ぎても空がまだ明るい。だがさすがに遊具で遊ぶ子どもたちの姿はなかった。美都にとっては好都合だった。この揺れる気持ちも相まって、ブランコに座って落ち着きたかったからだ。
誰もいない公園のブランコに腰を下ろす。銀色の鎖を持ちながら俯き加減で軽く揺らした。こんな時、つい口ずさんでしまう歌がある。いつの頃からか勝手に歌えるようになっていた歌だ。タイトルはわからない。だが旋律が気に入っておりふと思い出したように度々口にしている。
(どうしたんだろ、わたし……)
ここ最近の気持ちの浮き沈みが激しい。日常生活に支障はきたしていないが随分と長いことこの靄と付き合っていて少々疲れてきた。今まで感じたことのない感情だけに答えが見つけられずにいる。
「修学旅行、かぁー……」
「いよいよ明日からねー。気をつけて行ってきてね」
独り言のつもりで空を仰いだところ、返答が来て思わず目を瞬かせる。声のした方に顔を戻すと買い物袋を下げた女性と目が合った。
「弥生ちゃん!」
「こんばんは美都ちゃん」
彼女の名前を呼ぶと、弥生はいつものように微笑んで自分に手を振った。ふとした違和感が気になり彼女に訪ねてみる。
「あれ? なっちゃんは?」
いつも一緒にいるはずの那茅が側にいないことに首を傾げる。彼女が娘をおいて一人でいることが珍しかった。その謎は彼女の回答ですぐに判明した。
「今日は瑛久がお休みだから見ていてくれてるの。だから買い物してきちゃった。美都ちゃんはこんなところで何してるの?」
「あー、えっと……ちょっと考え事を……」
「そうなの? お邪魔しちゃった?」
「ううん、全然。煮詰まってたところだったから」
大きな瞳を瞬かせて小首を傾げる弥生の言葉に、少しだけ大げさに両手を振った。実際答えが出ずに煮詰まっていたのは確かだ。弥生は美都の言葉を聞くと優しく微笑んで口を開いた。
「それ、わたしが聞いたらまずい話?」
「そんなことは……」
「じゃあ美都ちゃんが何をそんなに考えているのか聞かせて欲しいなー。だめ?」
弥生からの甘い視線に一瞬言葉を詰まらせるが、もちろん邪険にすることはできない。ダメではないという意思表示のため、首を小さく横に振った。
美都の反応を見て彼女の横の空いているブランコに弥生が座り、顔を傾けた。
「それでどうしたの? 修学旅行のことで気になることがあるの?」
「うーんと……実は四季と同じ班なんだけど……」
「? 四季くんと喧嘩でもしたの?」
「そうじゃないの。ただ最近……ちょっと考えることがあって」
まごつきながら説明をしていく美都の言葉に弥生が首を傾げる。喧嘩をしたわけではない。むしろあれ以来学校ではまともに会話していない気がする。班行動の計画を立てるときもなるべく目を合わせないようにしていた。家でも必要最低限の会話しかしていないのが現状だ。
「……四季って女の子からモテるみたいでね。だからあんまり近くにいない方がいいかなって思ってるんだけど……親戚っていう設定が一人歩きしてどうしても一緒にされることが多くて」
「確かに四季くんは普通にしてればかっこいいものねぇ」
「うん。だから修学旅行の班もなるべく一緒じゃない方がいいなって思ってたんだけど、結局同じ班になっちゃったの。だから四季は嫌がってるんじゃないかなって。ほら、弥生ちゃんも言ってたでしょ? 家でも学校でも顔を合わせてるのにその上旅行の班まで一緒なんだよ? ちょっとかわいそうかなって」
以前弥生が言っていたことを思い出し、その言葉を借りて状況を解説する。弥生は美都の長文の説明を聞くと目を瞬かせた。そして直後に慌てるようにしてフォローを入れ始める。
「あ……あれはね! 私と瑛久の話だから美都ちゃんは気にしなくていいのよ?」
「うん……そう、だよね……」
だんだんと俯き加減になる。弥生の言葉に力無く頷いたが、気がかりなのはそれだけじゃないからだ。弥生が美都の雰囲気を察したのか一つの疑問を口にした。
「美都ちゃんは、四季くんと一緒だと嫌?」
「嫌じゃないよ。でも……四季との距離感がわからなくなってきちゃった」
「……何か、あったの?」
窺うような弥生の問いに美都は眉を顰めてブランコの鎖を強く握った。思い出すのは、四季と愛理の二人で話し合っていた情景だ。ずっと自分の中で昇華できずにいる感情。
「──四季が怪我をした日があったでしょ? 実はその翌日、ちょっとした意見の食い違いで言い合いになって……腕を掴まれたの」
「えぇ!? なんでそんなことに?」
「えっと保健室で傷の手当てをしてて、そこからちょっとお互いぶつかり合っちゃって……。で、居た堪れなくなって帰ろうとしたときに、こう……宥めるような……? 感じで」
身振り手振りでその時の状況を説明する。弥生は初めて聞く情報に、驚いたように隣で目を瞬かせている。その日のうちに解決したことなので報告をしていなかったのだ。その後も特に大きな言い合いには発展していないため気にする程のことではなかった。
「それは……大丈夫だったの?」
「うん、別にそれはね。その後から遠慮せずに何かと言い合えるようになったし、なんか四季も妙に優しくなったし」
確かにあれ以来、彼は妙に気遣ってくれるようになった。否、もともと気遣ってくれていたのだろうか目に見えてわかるようになったのだ。彼の雰囲気が変わったことに周りも気づく程に。
「それでそれで?」
話を聞く弥生の姿勢が先程よりも前のめりになって来ている気がする。余計な心配をかけてしまわないかと気を揉むが、気にしてくれている以上続きを話すべきだろう。
「最近わたしの幼馴染みがね、……四季と二人で話をしてたの。何を話してたのかはわからないんだけど……同じように腕を掴んでいる姿を見ちゃって──」
「待って美都ちゃん。その幼馴染みの子は女の子?」
「? うん。それでなんかそれを見た後からずっと……モヤモヤしちゃってて……」
上手い表現が見つからず抽象的になってしまった。だが他の喩えでもさほど大差ないだろう。胸の中にある靄が一向に晴れない。この空模様と同じように。
思い出して溜め息を吐く。本来なら喜ばしいことだ。大切な幼馴染みと同居人が仲良くすることは悪いことではないはずだ。
反応のない弥生を不思議に思って彼女の方に顔を傾けると、何やら目を輝かせて口元を押さえている姿が目に入った。
「や……弥生ちゃん?」
「美都ちゃん……! そう、そっか……えっとね──」
思いがけない弥生の反応に目を丸くすると彼女はうんうんと頷きながら言葉を探すように瞳を閉じていた。
「美都ちゃんは四季くんのことどう思ってるの?」
「どうって……同じ守護者だから大切には思ってるけど」
「それはあくまで守護者としてでしょ? それを抜きにして、個人としてどう思ってるかよ」
その質問に目を瞬かせてしばし考える。守護者としてではなく、個人としての彼のことを。改めて考えてみるとどういう見方をして良いかわからず眉を顰める。
「じゃあ……腕を掴まれた時にどう思った?」
見かねた弥生が助け舟を出すようにわかりやすい質問に変える。当時のことを思い浮かべる。
自分の子供じみた対応に居た堪れなくなって。早くその場を去りたかったのに、掴まれた腕が引き寄せられた。不意に近付いた彼との距離に戸惑っていつもより心音が煩くなって。
「恥ずかしく、なって──……」
「嫌だった?」
「ううん。ただ……えっと……びっくりしちゃって……」
言葉がまごつく。嫌だったわけではない。ただ動揺しただけだ。いつもと違う彼に。俯いて顔を紅潮させる。
「何にびっくりしちゃった? 距離? それとも……感じたことのない気持ち?」
一つずつ紐解くようにしながら、弥生が美都の気持ちの動きを計るように疑問を投げていく。心理テストのようでなんだか落ち着かないがこの気持ちを有耶無耶にしておきたくもない。
「──……両方」
そう答えると弥生は満足そうに微笑んだ。そして続けざまに言葉を紡ぐ。
「美都ちゃん、四季くんがその幼馴染みの子に同じようにしてるのを見て『なんで?』って思わなかった?」
「……! な……なんでって言うよりは、……誰にでも同じようなことするんだなって、思って」
「もー! 四季くんったら!」
素直に思ったことを弥生に伝えると、呆れたように彼の名を口にし頭を抱えた。弥生は何かに気づいたのだろうかと彼女の反応を不思議に思っているとまたすぐに自分の方へ向き直った。
「あのね美都ちゃん。一旦、四季くんがどう思ってるかは気にしなくていいと思うわ。大切なのは自分の気持ちよ。その気持ちに素直になること」
「気持ちに素直になる……?」
「と言っても、きっと今はそれがわからないのよね。だったらひとまず考えるのはやめちゃいなさい」
弥生の言葉に目を丸くした。その意図が読めず首を傾げる。
「やめちゃって……いいの?」
「えぇ。だって考えても答えが出ないんでしょ? それじゃあ美都ちゃんずっと苦しいままになっちゃうじゃない。そんなの不毛よ」
「それはそうなんだけど……」
もごもごと口を動かす。このまま考えることを放棄していいのだろうかと躊躇ってしまう。弥生はブランコから腰をあげるとそれを見透かしたように美都の前に立った。
「大丈夫よ。今はわからなくてもいずれきっと答えが出るはずだから」
「ほ、本当に?」
「えぇ。それに明日から修学旅行でしょ? せっかくなら楽しまなきゃ! 四季くんと同じ班だからって遠慮なんかせずにね!」
諭すようにニコリと微笑む姿に、目を瞬かせた。弥生が言うとなんだか安心する。彼女の言葉なら不思議と信じられる。
(……そうだ)
この既視感はなんだろうと思っていた。弥生は菫と似ている気がする。彼女の言葉にもまた暖かいものがあり包み込んでくれるような雰囲気がある。迷っている自分の道を示してくれるような。
美都は弥生の微笑みにつられるように笑みを零す。今日弥生と会えてよかったと心底思う。
「ありがとう、弥生ちゃん」
「いえいえ。あ、でも今後また四季くんが強引に腕を掴んだーとか言うことがあったら真っ先に教えてね? 私が怒ってあげるから」
弥生の言葉に目を丸くする。そう言えば彼女は出会った時からそうだったなと思い返してクスクスと声を出して笑った。
「弥生ちゃんって、四季に厳しいよね」
「当たり前よ! 私は美都ちゃんの味方だからね。何があっても!」
「ふふ、心強いなぁ。ありがと、──……っ!」
礼を言い終える前にハッとして顔を上げた。弥生も同じように少しだけピクリと表情を固くさせる。宿り魔の気配だ。
「美都ちゃん、鞄持って帰るわ。終わったらうちに寄って」
「ありがとう」
ブランコから立ち上がり一度深呼吸をする。鞄を下ろして弥生に託したあと両手で自分の頬を思いっきり叩いた。
「……よし! 行ってくる!」
「行ってらっしゃい。気をつけてね」
もう大丈夫だ。弥生のおかげでこれまでかかっていた靄が晴れたような気がする。彼女の言葉を聞くと、美都は一目散に気配を頼りに走り出した。
美都の背中を見送りながら、弥生はその場に残ってふっと息を吐いた。鈍感だと思っていたあの子が、自分の気持ちの変化に気付きつつある。それだけで大きな成長だと感じる。
(青春ねぇ……)
そう思うのは自分が歳を取った証拠だろうか。事実にしろ、あの初々しさは彼女の年頃所以だろう。
それにしても、と美都との会話を思い出す。腕を掴んだですって? 自分の知らないところでいつの間にか話がそんなに進んでいたとは思わず驚いてしまった。同時にふつふつと怒りが沸いてきた。
(四季くん怒らないとなー)
うら若き少女に手を出すなど。由々しき事態だ。許せるはずがない。恋愛に関しては言及することはないがこれはそれ以前の問題だ。それに彼の迂闊な行動に頭を悩ませている美都がいることなど知りもしないのだろう。
ひとまず現状を瑛久に報告しようと、少しだけ嬉々としながら美都の鞄と買い物袋を手に持ちマンションへ歩を進めた。
◇
「静!」
「────!」
スポットの中に入ると既に静が戦っている最中だった。巴の気配に気付き身体を捻って確認する。さすがに彼は行動が早く、間も無く退魔の言を結ぶところだったようだ。
改めて姿勢を整えたとき、ふと出現したもう一つの気配に阻まれ静が一旦銃を引いた。
「出たなキツネ面」
「もっと可愛い名前で呼んでくれない?」
「ふざけんな。正体も知れないのに呼べるわけないだろ」
キツネ面の少女が静の言葉にやれやれと肩を落とした。静の言うことこそもっともだ。正体もわからず名前も知らない。
静が少女に発砲するのと同時に、彼女も反撃するように腕を掲げ気砲をこちらに向けた。攻撃は避けられたものの少女が対象者に近づく隙をまんまと与えてしまった。
「……この子も違うわね。残念」
倒れた対象者の身体の上で輝く心のカケラを手に取り、溜め息を吐いた。その言葉に顔を歪ませる。キツネ面の少女が鍵を探しているのは知っている。それでも彼女の目の前には顔を蒼白とさせた対象者が倒れているのだ。それを気にも留めずただ己の目的しか考えていない言動に奥歯を噛み締めた。
「あら怖い。可愛い顔が台無しよ」
「──……っ!」
巴はその手に剣を呼び出す。ただし向けるのはキツネ面の少女では無く、静の攻撃を受けて踠いている宿り魔に対してだ。彼もその動きがわかったようで少女の方の相手を無言で引き受けてくれた。
「天浄清礼!」
瀕死状態だった宿り魔からは大きな反撃も無く、巴が振るった剣を真っ向に受けると一際大袈裟な声を上げた。それが断末魔となり、呆気なく宿り魔の姿は消えていった。
背後ではまだ戦う音が聞こえていたが、ひとまずは対象者となった生徒の介抱が先だ。戦闘を再開する前にキツネ面の少女が投げ捨てた心のカケラを拾い上げる。心のカケラは身体を動かすための核だ。仮死状態が続けばそれだけ負荷がかかってしまう。
対象者の元へ屈もうとした瞬間、横から気砲が向かってくるのに気付き咄嗟に体制を立て直し間一髪でそれを躱した。
「もうちょっとだけお話ししましょうよ。明日から修学旅行なんだし」
彼女の言葉にギクリと反応する。やはり在校生か。だがだからと言って同じ学年とは限らない。慎重に動向を見極めなければ。
「巴構うな。戯れ言だ」
「もう、これでも気を遣ってあげてるのよ? ちゃんとテスト期間も考慮してあげたんだから」
やはり考査期間中に宿り魔が出現しなかったのは意図的なものだったのだ。ならばこうしてわざわざ行事前に姿を現したのにも意味があるのではないか。そう考えて巴は対象者の心のカケラを手にしたままキツネ面の少女に向かい合った。
「あなたは、第一中の3年生なの?」
肩を竦めて彼女の真正面から問いかける。すると少女はキツネ面から出した口元を緩ませた。肯定なのだろうか。だとしたら旅行中も気を抜けない。彼女の反応に構えているとそれを見透かしたようにクスクスと笑いながら口を開いた。
「大丈夫よ、私も慣れない土地で仕掛けるのは億劫だもの。旅行中は見逃してあげる」
「信じられると思ってんのか!」
「ほーんとあなたは血気盛んね。私からの配慮よ。また帰ってきたら遊んであげるわ」
静の攻撃を飄々と躱す。身のこなし的にやはり只者では無い。宿り魔の力があるせいなのか知れないがただの人間とは思えない身軽さだ。
キツネ面の少女は距離をとって改めて二人を見回した。
「巴と静……源平合戦ね。じゃあ私もその辺りから名前をもらおうかしら。キツネだし初音なんてどう?」
「……?」
「ちゃんと勉強しておいた方が鎌倉は楽しめるわよ。それじゃあね」
そう言うとキツネ面の少女──初音と名付けたらしい──はスポットの暗闇へと溶けこむよう姿を消した。
彼女の気配が完全に消えたのを確認し、ほうと息を吐いて改めて対象者の元へ屈む。この心許無い程小さくて軽い心のカケラを早く戻さなければ。初音の妨害があったとはいえ遅くなってしまい申し訳ないと思いながら少女の胸元に翳す。あるべき場所へ戻っていく様を見届ける。対象者となった少女は顔色が戻り小さな呻き声を上げた。もう大丈夫だ。間も無くスポットも砕ける。
すぐ側まで来ていた静に気付いて顔を上げると、無言で対象者を抱きかかえたのち座らせるように壁へ寄り掛からせた。目配せを合図に立ち上がり、元の姿に戻るためにそれぞれ別の場所へ歩き出した。
スポットが砕ける音を聞き、反転世界から戻ったことを確認する。辺りは日が暮れ始め仄暗くなっていた。息を吐いて顔をあげると前方から四季が歩いてくるのが見えた。
「目、覚ましたみたいだったから大丈夫そうだ」
「そっか。よかった」
四季は対象者となった生徒の様子を確認してくれていたようだ。昨年同じクラスだった友人だ。つい先日会話をしたばかりだったので一層心配していたところだ。ほっと胸を撫で下ろす。
「初音ってなんのことなんだろ」
「義経記だろ。確か狐の話があったはずだ」
「ぎけいき?」
「源義経の話が中心の軍記物語だよ。あの時代にはそう言うのが多いんだ」
へぇ、と感嘆の声が出る。さすがに良く知っているなと彼の話を聞きながら頷いた。自分の記憶が間違っていなければ教科書には載っていなかったはずだ。初音もそうだが四季もすぐに意味を理解したあたり博識なのだろう。
どちらから言うこともなく、マンションへ向かって歩き出した。歩きながら他愛ない話を続けていると何かに気付いたように四季が美都に疑問を投げた。
「なんか吹っ切れたのか?」
「え? なんで?」
「最近いろいろ考えてたろ。顔に出てたぞ」
「そ、そう……だったんだ。さっき弥生ちゃんに話聞いてもらって、それでね」
考えていたことを指摘され思わず顔が引き攣る。隠しきれていなかったか。それとも四季が鋭いのか。なんにせよ今後気をつけようと心に決め、理由を話した。
こうして何事も無く四季の隣を歩けているのは弥生のおかげだ。後で改めてお礼を言わなければ。
「修学旅行楽しみだね。あっ、同じ班だから迷惑かけないよう気をつけなきゃ」
「別に普段から迷惑だなんて思ってないぞ」
四季の言葉に目を瞬かせた。
そうか。自分が考えていたより彼はなんとも思っていないのかも知れない。彼なりの気遣いかも知れないが、なんとなくその言葉だけで一気に心持ちが軽くなった。
「どうした?」
「あ……ううん。もしかしたら四季は嫌だったんじゃないかなって思ってたから」
「は? なんで」
言った後にしまったと後悔した。黙っているつもりだったのについ口に出してしまった。目の前で驚く四季の表情を見て若干後ずさるがこの状況では言い逃れは出来そうにない。渋々、先ほど弥生に話したことと同様のことを説明した。
「ほら……家でも学校でも顔を合わせてるのに、その上旅行の班も同じになっちゃったから──嫌じゃないかなって」
釈明するように両手を顔の前に翳す。四季は目を丸くした後、はぁーといつもより長い溜め息を吐いて頭を抱えた。
「──最近考えてたのって、まさかそれ?」
「……も、あるけど」
「まだ他にもあるのか!? 」
美都の答えに若干焦り気味にしながら四季が聞き返す。逆にその反応に驚いて肩を竦めた。
「や、あとは自分の問題というか……」
確かに四季が関わっているのは事実だが、感情については自分でどうにかするしかない。それに弥生もそのうち答えが出ると言っていたので焦る気持ちも薄れていたところだ。
「お前……そういうのは直接俺に訊けよ」
「だって、訊いてもしそうだったら気まずいじゃない……」
「あー……まぁそうなるのか……いや、でも今零してただろうが」
眉を下げ自分の意見を主張する。四季は何度も小さく溜め息を吐きながら、最初は納得しつつも最終的には反論した。
「迷惑じゃないってわかったから、つい……」
そう。つい気が緩んでしまった。本来なら言うつもりでなかったことだ。だが結果的には良かったのかも知れない。
四季は再び頭を抱えたあと急にハッとして顔を引き攣らせた。
「ちょっと待て。まさかそれを弥生さんに相談したのか?」
「え? うん。あ、帰りに弥生ちゃんち寄らなきゃ」
鞄を預けていたのだったと思い出す。四季が隣で蒼い顔をしているのにも気付かずに。
そして急に無言になった四季を不思議に思い美都は首を傾げた。
「どうかした?」
「いや……なんでも──。俺が悪かったなって」
「? 別に四季が悪いなんて一言も……」
「そう言う話じゃなくて……まぁお前は気にしなくていい」
四季は口籠もりながら気まずそうに目を逸らした。自分が悪いと言うのは、「彼女が鈍感なのを知っていながら早めに問い質さなかった」と言う意味だ。だからこの状況は自分の責任だ。弥生に曲解して伝わっていなければ良いが。弁明する余地があるかわからないが後で少し話をしておこう。
「ただ危なっかしくはあるから、それだけは注意してくれ」
「う……気をつけます」
「慣れない土地だしな。俺も気をつけておく」
美都は四季の言葉にギクリと肩を竦めた。そう言えば高階にも同じようなことを言われたのだった。そんなに自分は危なっかしく見えるのかと思いながら息を吐く。
(でも……)
修学旅行前に胸のわだかまりが解けて良かった。正確に言えば全てではないが、弥生の言葉通り一旦考えるのはよそう。せっかくの校外学習なのだ。暗い気持ちのまま旅立つのだけは避けたかった。
美都は顔を上げて笑みを零す。前日にしてようやく楽しみになってきた。
見上げた空の雲間から星が瞬いている。願わくはこの天気が旅行中続きますようにと祈り、軽やかな気持ちで家に向かって歩を進めた。
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