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新緑の頃、再び -鍵を守護する者②-

炭酸水の泡と

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大型連休も中間に差し掛かったある日、美都は市の図書館に赴いていた。大きい机に勉強道具を一式広げ、頭を悩ませる。
その横には黙々と問題集を解き進める衣奈の姿があった。今日は一日、図書館で彼女と勉強することになっている。天気がいいだけに籠り切りなのはもったいないな、と思う反面これが受験生としての義務なのだからしょうがないと諦める気持ちもある。
「どうかした?」
と隣に座る衣奈が小声で美都に話しかける。いつもの声で喋ると図書館ではよく響くのだ。
度々頭を抱える美都を見かねて、時折衣奈の方が気付いて話しかけてくれるようになった。
「ここが……何度解いても理解できなくて……」
躓いたのは理科の問題だった。国語の文章読解や社会の暗記に比べて理科は数学に近いものがある気がする。
一つずつ論理づけて行って答えを導き出すものだ。美都はとにかくそういった問題に弱かった。だがどうしてそうなるのか理解しなければ先に進めない。勉強においては得意の「これはこうなのだ」という考えで押し通せる程甘くないと知っている。
だからこそ普段使わない思考に混乱するのだ。
「あぁ。ここはね──……」
そう言って衣奈がルーズリーフに図を書いてくれたそれに沿って丁寧に解説を始める。
美都は耳をそばだてながら、問題と衣奈の解説を照らし合わせた。そうしていくうちに理解が深まっていく。彼女の教え方は上手い。自身は文系だと言っていたが、彼女の説明は理論がしっかりしている。だからわかりやすい。
先程躓いたところがあっという間に理解でき感嘆としながら彼女にお礼を伝えた。
再び自分のスペースへと向き直り、教えてもらったところを復習しながら問題を解き進める。基礎が理解できれば応用問題にも対応できるようになる。一人では解けなかったところも解説してもらったおかげですんなりと正解を導き出すことができ、感慨深くなった。
やっと一息ついて美都は思わず天井を仰ぐ。まだまだ課題は山積みだがやはり衣奈を誘ってよかった。誰かと一緒にいる方が自分にとっては捗る。
そう考えていると衣奈もキリがついたのか同じように腕を伸ばした。図書館にかかっている時計を確認するとちょうど15時を回ろうというところだ。小腹も空いてきた。
「外で休憩しない?」
と衣奈から誘いがくる。ちょうど自分もそう思っていたところだった。美都は彼女の誘いに頷き、貴重品を持って席を立つ。周りの目があるので勉強道具は置いていっても大丈夫だろうと判断した。
市の図書館だけあって学校の図書室とは違い蔵書の数は格段に多い。後で少し見て回って見ようかなと思いながらいくつもの本棚を横目に出入り口を目指した。
一歩外に出ると館内とは打って変わっての晴れやかな日で空気も爽やかだった。やはり図書館内は空気が循環していないのだなと感じる程だ。
図書館を出てすぐ近くにある自販機で各々飲み物を買う。頭を使った後は甘いものを飲みたくなる。冬ならば迷わずココアを選ぶのだが流石にさっぱりとしたものが恋しくなり、炭酸入りの清涼飲料水を選んでボタンを押した。
それを持って近くのベンチまで歩く。美都たちと同じように考える人が多かったのか複数あるベンチも埋まりつつあった。なんとか場所を見つけて二人で腰掛ける。
「疲れた?」
「すっごく。でも衣奈ちゃんのおかげでいつもより捗ってる気がする」
「ならよかった。あ、チョコレートあげる」
「わぁ、ありがとー!」
衣奈の気遣いにありがたく手を差し出した。受け取ったチョコレートを口に含み反芻する。
結局ここ数日宿り魔は出現していない。あの時現れたキツネ面の少女についても正体を掴みあぐねていた。
四季の見解は、あの少女が第一中の生徒かもしてないというものだった。確かに考えられなくもない。否、むしろ今思えばそう考えるのが妥当だろう。
しかし美都はそう考えたくない気持ちの方が強かった。もしそうだった場合、誰かを疑わなければいけなくなる。それが加速すると疑心暗鬼に落ちかねない。それを懸念しているのだ。
そんなことを無言で考えながら思わず吐いた溜め息を聞いて、衣奈が苦笑する。
「何か考え事?」
「あっ、ごめんね。まぁいろいろと……」
「ううん。こんなこと言ったら悪いけど、美都ちゃん見てると面白くって」
「お、面白い……かな?」
面白いと言われて驚いて目を丸くする。そんなに自分に面白い要素などあっただろうかと小首をかしげる。
「表情がころころ変わるから。なんだか可愛いなぁって」
「!  そう、なんだ……」
「でもわたしが見る限り怪訝そうにしている時が多いみたいだけど?」
考え事をしていると表情に出るのは無意識だ。その点を指摘されて少し恥ずかしげに俯く。怪訝そうな顔が多いというのはちょうど四季のことや宿り魔のことを考えている時に見られているのだろう。気をつけなければ。
表情筋をほぐすように両手で頬を持ち上げる。
「ねぇ、美都ちゃんにいろいろ訊いてもいい?」
「?  うん。四季とは付き合ってないよ」
最近はそういった質問がつきまとうので先手を打って先に答える。衣奈はその言葉にクスクスと笑いながら言葉を続けた。
「確かにそれも訊きたかったことだけど、そうなんだ。割と一緒にいるとこよく見かけるからてっきり」
「いつ!?」
「えーっと、つい先日かな。お昼の時とか下校時刻の時とか」
言われて記憶を遡る。お昼の時というのは音楽の授業の後か。そして下校時刻の時というのは図書室に出た宿り魔を退治した後だろう。まさか見られていたとは。完全に不注意だ。前者はまだしも後者は危ない。守護者から戻ったばかりの姿だ。今後一層注意しなければと胸に刻む。
「だからそうなのかなって」
「違うよ!  本当にたまたまで……」
「ふーん?  向陽くんと何話すの?」
「え……えっと……」
何か含まれているかのような衣奈からの質問に言葉を詰まらせる。よもや家でのことや宿り魔のことなど言えるはずがない。適当に受け流してしまえばよかったのが考える素振りをしてしまった以上何か答えなければ。そう思って美都は咄嗟に脳裏に浮かんだことを口走った。
「──親族会議……?」
苦肉の策だ。自分でもこの回答はどうかと思う。
すると衣奈はまたクスクスと笑い声をあげた。
「美都ちゃんってやっぱり面白いね」
自分の回答に恥ずかしくなって苦笑しながら目線を逸らす。自分のアドリブ力の無さに頭を抱えたくなる。そう言えばと思って今度は美都が衣奈に質問を返した。
「衣奈ちゃんはどうしてわたしに声をかけてくれたの?」
凛からの情報だが、衣奈は特別親しい友人を作らないと聞いた。初めて会話した時はただの善意だけだったのかもしれないが。
衣奈は少し考えるように先ほど買った飲み物に口をつけた後、再び美都の方を向いて微笑んで言った。
「言ったでしょ?  美都ちゃんて自然と目を惹くの。だからどんな子なのかなって気になってて。話す機会を窺ってたんだよ」
「実際普通すぎて幻滅してない?」
「まさか。こんなに話せて嬉しいくらい」
ああ、またネガティブなことを言ってしまった。しかし衣奈は動じることなく笑みで返してくれた。彼女の言う「目を惹く」と言うのは自分ではわからない。至って普通に学校生活を送っているだけだ。特出すべきこともない。なので褒められることに慣れていないと言うのが本音だ。人から見る自分というものは俄かに解らないものだ。
衣奈に至ってもそうだろう。彼女は同級生の間では秀才と言われており、実際に勉強も良くできて真面目な優等生という表現が当てはまる。しかし話してみると自分たちと何ら変わらないただの少女だ。恋愛のことにも興味があるようだし──あるのはもしかしたら四季との関係についてかもしれないが──背格好や容姿にしてもそうだ。おさげで眼鏡をかけているというテンプレートさが、同級生たちが言う「ミステリアス」なのだろうかと首を傾げたくなる。これまで話してきた中でミステリアスを感じたことはない。
「衣奈ちゃんってずっと眼鏡?  コンタクトにはしないの?」
そう問いかけると衣奈の動きが一瞬止まったように見えた。しかしすぐに先ほどど同様に笑みを浮かべる。
「眼鏡の方が落ち着くの。お守りみたいなものよ」
「……そっか」
気のせいだろうか。何かまずいことを訊いたかと思ったが彼女の受け答えは当たり障りないものだ。そう落とし込んで美都は相槌を打った。
それからしばらく他愛のない話を続けたのち、話題は再び恋愛のことに戻ってきた。
「ねぇ、美都ちゃんは好きな人いないの?」
衣奈にそう訊かれて目を丸くした。好きな人、とは複数の意味があるがここでは恋愛的に好きな人という意味合いで出されたのだろう。その問いに一瞬頭で考えたのちに割とすぐに答えを出した。
「いないね」
「そうなの?  興味ないの?」
「興味……?」
興味というのは付き合うとかそういうことだろうか。眉間にしわを寄せて顎に手を置いた。自分の中の興味とやらを探ってみる。
第一今まで好きな人ができたことがない。否、もしかすると遡ればいたのかもしれないが、その感情が解らないのだ。だから付き合うどころか好きな人ができる感覚も自分にとっては曖昧だ。
「あんまり考えたことがないなぁ……」
「難しく考えすぎなんじゃない?  身近で気になる人とか大切に想う人とか。そう感じる人はいない?」
「言われてみればいる気がするけど、恋愛的なものじゃない気がする」
大切に想う人ならたくさんいる。だがそれはおそらく恋愛的な枠組みとは違うものだ。尊敬や敬愛といった表現が当てはまるだろう。うーんと唸りながら逆に衣奈はどうなのか訊いてみた。
「衣奈ちゃんは?」
「わたし?  いるよ、好きな人」
意外にもあっさりと答えが返ってきて一瞬きょとんとする。すぐさま驚いて重ねて問い質した。
「そうなの!?  どんな子?  わたしの知ってる子?」
個人のプライバシーの部分であることはわかっていたが気になってつい訊いてしまった。すると衣奈は照れたように微笑んだ。
「内緒。でもちょっと気になるなってくらいだよ?」
「そうなんだぁ……」
ほぅ、と感嘆する。そう言う衣奈の顔は少し頬を緩ませ紅潮していた。彼女にも想い人がいるのだ。それが誰かは知らないが彼女の心を掴んで柔らかい表情にさせるだけの人物なのだ。
恋する少女はやはり可愛いなぁと思う。級友たちの中でもそういった話題になることがある。美都は専ら聞くだけだが、その想いを語る友人たちは纏う雰囲気も華やかだ。それだけで楽しそうに見える。もちろん羨ましいなと思ったことはあるが何分自分にはその感情さえ解らない。そう思って衣奈に先程まで考えていたことを訊いてみることにした。
「ねぇ、誰かを好きになるってどう言うことなのかな?」
ずっと不思議だった。同い年の子達が楽しそうに、時には気恥ずかしそうに恋を語らうことが。自分には解らない感覚だから。敬遠していたわけではない。ただ本当に「解らない」のだ。だから知りたかった。
衣奈はしばし考えた後、尚も思考を巡らせるようにしながら口に出していく。
「そうだなぁ……。意味もなくドキドキしたり、ずっと傍にいたいって思ったり、知らぬ間に目で追ったり。後は守りたいって言う気持ちもそうなのかな?」
「守りたい……?」
「うん。その人を心からそう思えるのも好きって言うことだと思う」
そう言うと「何だか恥ずかしいな」と衣奈は照れて頬に手を当てた。
彼女の言葉を反芻する。守りたいと言う気持ちなら、守護者として覚醒した時にあった。でもそれは目の前で襲われている友人たちを見てそう思ったのだ。
この気持ちが異性に働くと、それが好きと言うことなのだろうか。いつか自分にもそう思える人が出来るのだろうか。
そんなことを考えていると衣奈から「そろそろ戻ろうか」と声がかかる。
美都は頷いて手持ちの清涼飲料水を飲み干す。シュワシュワと音を立てる炭酸水が、喉の奥を刺した。


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