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黄昏時の襲来

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もうすぐ陽が沈む。4月に入り日照時間は伸びつつあるが授業が終わった後の時間など程なく終わる。
一人でここで待つのももう2日目だ。
沈んでいく夕陽を見つめながら凛は息を吐いた。
丸一日会えないのは、別に初めてのことではない。春休み期間中だって会えない日は何日もあった。それなのに。この胸騒ぎはなんだろう。
凛は視界の端に映った、自分の通学鞄についているキーホルダーに目をやる。おもむろにそれを外し、手のひらに乗せて眺めた。
あの子とお揃いで買ったものだ。
──最近、美都の様子がおかしい。
否、おかしいというより何かを隠しているように思える。
聞けば春休み期間に引越しをしたのだという。彼女の様子が変わったのはそれからだ。
そしてなぜか冬に転校してきた例の少年と親しくしている。遠縁だという噂を耳にした。
どうして?いつから?
なんでもいい。早くその理由が知りたい。そうでないと得体の知れない不安に潰されそうになってしまう。
手に持っているキーホルダーをそっと机の上に置いた。
考えるのはいつだってあの子のことだ。
あの時から誰よりも自分が彼女の傍にいた。ずっと隣で彼女のことを見てきた。手を伸ばせば届く距離に。
今、すごく遠く感じるのは本当に会えていないからだけなのだろうか。
「………」
目を伏せて右手を胸の前に置く。
こんな感情知らない。苦しい。怖い。
走ってもないのに鼓動が早くなる。
ねぇ、お願い。お願いだから────。



「凛‼︎」
美都が息を切らしながら4組の教室へ入ってきた。
凛もその声に反応するように席から立ち上がる。
尚も肩で息をしながら美都は数歩進んで凛の元へ近づいた。彼女の存在を認識し、少しだけ安堵の表情を浮かべる。
「遅くなって本当にごめん」
まずは待たせてしまったことについて頭を垂れた。
凛は無言で首を横に振る。
顔をあげて彼女を見る。しかし逆光なのかその表情は良くわからない。やっと会えたことの安心と、これから説明しなければならない事象の多さに若干の目眩を覚えつつも、美都は一拍置いて凛に話かけた。
「あのね、凛──」
「ねぇ美都」
美都が喋りはじめたのとほぼ同時くらいに、凛の声が重なった。
その声がどこか憂いを帯びているようにも聞こえて思わず美都は次の言葉を待つ。
「あの男の子と親戚って、本当なの?」
その質問にたじろぐ。なぜなら一番説明がしにくい部分だからだ。
本当かと問われれば『本当ではない』。ここで肯定するとそれはたちまち嘘に変わる。
それでも守護者の命の元、三者間で取り決めたことだ。その方が動きやすいからと。
このことは他言無用ということになっている。だからどう説明すれば良いか決めあぐねていたのだ。
「あ……──、えっと……」
思わず凛から顔を逸らす。上手い言葉が見つからない。
「……どうして何も言ってくれないの……?」
凛の言葉が突き刺さる。こうならないようしっかり説明しようと決めたのに、すぐに揺らいでしまった。
彼女に嘘を吐きたくない気持ちと、巻き込んではいけないという思いに折り合いがつかない。何も言えない自分に対して凛が訝しむのも当然だ。
まずは自分が冷静にならなければこの話は進まない。美都はゆっくり呼吸をする。
「凛……、順を追って話すから──」
「みんなを、騙してるの?」
「……っ──!  ちがう……!」
違う。騙しているつもりはない。ただ言えないのだ。話をしても万人に理解してもらえるものではない。自分でさえまだ曖昧な立場なのに。
咄嗟に凛の言葉を否定したがその先の言葉が続かない。
「じゃあなんで……なんで黙ってるの!?  何か隠してるんでしょう!?」
「それは──……!」
段々と凛から発せられる語気が強くなる。感情を抑えられなくなってきたようで、叫びにも似た声が教室内に響き渡った。
凛の言葉にすぐに反応できない。何か言葉を返したくともそれはこの場凌ぎにしかならないような気がして何も言えないのだ。
言えないことが歯がゆく、もどかしい。何も答えられないこの状況を、凛も感じ取っているはずだ。
「……っ──わかんない……、わかんないよ……美都……!」
凛は俯きながら、絞り出すように呟いた。震えながら発するその声が更に美都を刺す。
動揺と混乱で何から話せば良いのか美都自身もわからなくなっていた。
四季と自分は親戚ではない。ただ、同じ使命を抱えたもの同士だ。
それが伝えられれば彼女の疑念も解消される。だが伝えたところで新たな疑問が生まれるのも確かだ。そうなれば結局すべてを話さざるを得なくなる。
美都はただ金魚のように口を開閉しては言葉を呑んだ。
ついに堪えられなくなったのか、凛は自分の机に置いてあった鞄を手に取って扉に向かおうとした。
「──!  待って凛……!」
制止の言葉と同時に、凛が鞄を持ち上げた際に何かが机の上から落ちた。カシャンという軽い音を立て、床を滑るように教卓のあたりで止まる。
思わずそれを目で追うとそれはキーホルダーだった。
小学校の修学旅行、二人でおそろいで買ったもの。プラスチックの平たいケースの中には、碧い液体に小さい星の型をしたスパンコールが泳いでいる。
────あの時、自分が選んだのだ。
『ねぇ見て!』
修学旅行の最後の旅程。もうここでしかお土産を買う場所がない。
何にしようかと店内を歩き回っている同級生をすり抜けて、同じくお土産で悩んでいた凛を呼んだ。その手に例のキーホルダーを持って。
一目見て心を惹かれたのだ。だから彼女にも見せたかった。
『わあ……綺麗……』
期待通りの反応をしてくれた彼女を横目に、惹かれた理由を話した。
『でしょ?  凛の瞳の色と一緒で綺麗だなって思って』
『!  そ、そうかな……』
凛は美都の言葉に少しだけ照れて反応した。
恐らく水族館の付近だったからだろう。他にも同系色のものはあったが、なかでもその碧さに目が引かれたのだ。
『わたしこれにしようかな』
『ご当地のものじゃないみたいだけど……いいの?』
周りの同級生は、その土地ならではのお土産を選んでいた。明確にどこに行ったのかがわかる、観光地のお土産だ。
しかし美都は一見どこにでも手に入りそうなそのキーホルダーを手にしたのだ。
『うん。たとえ観光地の名前が入ってなくても、今この会話でどこに行ったのかいつでも思い出せるでしょ?』
その言葉に凛は驚いて目を見開いた。そしてすぐさま美都に呼応するように口を開いた。
『わ、わたしも……!  それに……しよう、かな』
『ほんと?  じゃあお揃いだね』
『──うん!』
お揃いだという美都の言葉に嬉しそうに笑う彼女の顔を覚えている。
まるで走馬灯のように思い出される出来事を懐かしむように目を細めた。
やはりずっと一緒にいる凛に嘘は吐けない。もう一度、ちゃんと話を聞いてもらおう。
「凛……」
彼女の名前を呼ぶ。
美都と同じく、キーホルダーに釘づけになっていた凛はその声を合図にするように動きだした。
そしてその床に落ちたキーホルダーを拾い上げようと手を伸ばす。
────その瞬間だった。
凛の触れた手に反応したかのようにキーホルダーは目が眩むほどの強い光を放った。
「──……っ!?」
美都は思わず目を瞑り顔面を腕で覆う。
その一瞬、腕を上げた時に視界に入った自分の右手で光る物体に息を呑んだ。





瞼を開いた瞬間広がったのは、色が反転された教室だった。
強い光のせいで目が眩んだのかと思ったがもちろんそうではない。
──ここはスポットだ。
あの光に包まれてスポットに入ったのだ。
「きゃあ!」
すぐ近くで悲鳴が聞こえた。まだ慣れない目でその声を頼りにあたりを見渡す。
視界に人影を捉えた。そのまま視線を辿ると信じがたい光景に目を見張った。
「──!!」
人影の正体は凛だった。仰け反りながら見上げる彼女の視線の先にいたのは。
「な……な、に……?」
まるでおぞましいものでも見るかのように震える声。
それもそのはずだ。彼女のすぐ目の前には到底人間とは呼ぶことの出来ない得体の知れない何かが立っているのだ。
(宿り魔──……!)
美都は混乱する頭で瞬時に考える。
スポットは対象者を閉じ込めるための空間。本来そこには対象者しか入れない。
だが自分は守護者だ。対象者でなくとも指輪の力で入ることは出来る。そうなると考えられるのは一つしかない。
悟った瞬間一気に血の気が引いた。
(狙いは、凛だ──……!)
「────っ!」
美都は机の合間を縫って凛のもとへ一目散に駆け出す。
全身を碧で包まれた宿り魔はその鋭い目で凛を見下ろしながらニヤリと不敵に笑んだ。
『貴様の心のカケラを頂こう』
「……?  こ、こころの……かけら……?」
何が起こっているのかわからず、凛は目の前の宿り魔の言葉を復唱する。
次の瞬間には宿り魔が無造作に凛へ手を伸ばした。
「凛っ!!」
宿り魔の手が凛を掴もうとする寸でのところで、美都は彼女の腕を取り強引に立ち上がらせると教室の後方まで駆け足で引き連れていった。
そのまま庇うように彼女を背にすると、美都は宿り魔と対面した。
「……っ、──……!」
間一髪のところだった。動揺と緊張で浅い息を繰り返す。
なんとか引き離すことは出来たが問題はここからだ。
「ね、ねぇ美都……?  一体何が──」
「──……絶対に私の後ろにいて」
「え……?」
混乱する凛の言葉に短く答える。
宿り魔の狙いが凛であることは間違いない。ならば自分は守護者として彼女を守らなければ。
(お願い──……!)
美都は指輪の嵌っている右手に力を込める。
だが指輪はスポットに入る際に光っただけでその後はなんの反応も示さない。
どうして、なんでという焦燥感が美都を追い詰め始めた。
『──虫が。どこから入った』
目の前には苛立ちを見せる宿り魔が立っている。
怖い。それでもここを退くわけにはいかない。
美都は喉をぐっと締めた。焦りと恐怖で額には汗が滲む。
このまままた覚醒しなければ四季が来てくれるのを待つしかない。だがスポットは出現したばかりで、彼がどこから向かっているのかも不明だ。
気をしっかり持たなければ。
宿り魔の圧で潰されそうになりながら、美都は必死でその場に立ちふさがった。
しかしそれも大した時間稼ぎにはならない。宿り魔は苛立ちながら例のごとくその手を前に掲げた。
『邪魔を──するな!!』
「──っ!!」
その瞬間宿り魔の背後には複数の鎖が出現し美都に向かって襲いかかってきた。
後ろには凛がいる。当然避けられるわけもなく、抵抗の余地もかなわずに重たい鎖を身体に巻きつけられる。
そのまま宿り魔の方へ容赦ない力で強く引っ張られた。
「っあ!」
「美都っ!」
腕を縛られ不自由な体勢となった美都はそのまま前のめりに転倒した。
ガシャンとその付近にある机に身体と頭を打ち付け、その衝撃で咄嗟に目を瞑る。
大した痛みではない。それでもゆっくりと目を開いたのはこの現状を確認したくなかったからだ。
凛の盾となっていた自分が倒されたことで、彼女を守るものがなくなってしまった。ぼやけた視界のまま、机と椅子の足の隙間から凛の姿を見上げる。
彼女も不安と心配が入り混じった表情でこちらを見つめていた。
『お前は後だ。まずは──』
「──っ!  凛逃げて!!」
ほぼ頭上からした声はあっという間に美都を飛び越えて凛の方へ向かった。
身体の自由が利かない今、叫ぶことしかできない。
彼女は美都の声に反応しながらも得体の知れない恐怖で身体が硬直しているようだった。
足を竦ませながら近づいてくる宿り魔を凝視している。
「凛!  凛っ……!」
何度も彼女の名を呼ぶ。なんとか自分の足で逃げてと言う意味を込めて。
(お願い、四季──!  早く来て……!)
藁にもすがる思いだった。もう一刻の猶予も無い。
自分の身体に絡まる鎖の重さが煩わしい。必死に抜け出そうとしても太く冷たい鉛の塊はしっかりと固定されていた。
宿り魔が視界を遮る。凛と重なり彼女の姿が隠れた。その陰から小さな悲鳴が聞こえる。
「やめて!  凛──っ……!」
これは悪い夢だ。そうであったならどれほどよかっただろう。しかし否応無しに身体の痛みと床の冷たさが現実を突き付けてくる。
まただ。また自分は何も出来ないのか。これで三度目だ。大切な人が目の前で。
悔しさに、血が出そうな程唇を噛みしめる。
なんでこんなに弱いんだろう。どうしてこんなに無力なの。
『おとなしくしていればすぐに終わる──!』
下卑た声が響く。その向こうで凛の慄く声がする。そしてそれはすぐに苦痛を堪える悲鳴に変わった。
「……っやめて──……!  いや……!」
身体に纏わりつく鎖に体力を持って行かれ、抵抗する声も薄れてきた。
誰かお願い。あの子を守って。
守りたい、守らなきゃいけないのに。私にもう少し力があれば。守れるのに。
────力が、あれば。
自分のその考えにハッとする。
力ならあるはずだ。ここに。それが発動しないのは。
(……わたしが、怖いと思っているからだ──)
鼓動が大きく鳴る。心音が跳ねる。
美都は歯を食いしばった。冷たい鎖が絡みつく右手を強く握る。
『美都ちゃんに必要なのは、あとほんの少しの勇気。それと──……』
弥生の言葉を思い出す。
「……っ、おねがい──……」
呟いたのは何に対して。誰に対してか。
乾いた空気が喉に張り付く。
倒れたまま視線を右手の指輪に送る。
お願い、お願い。あなたが私を選んだんでしょう。私には守る為の力が必要だって、判断したんでしょう。
そうだよ。守りたいの。大切な人を。だから。
床から伝わる心臓の音がうるさい。
浅い呼吸を繰り返し、美都は強く目を瞑る。
戦う術は。
────自分を信じること。
「お願い!!  私に力を貸して!!」
美都は全身の力を振り絞って叫んだ。
それと同時に美都の右手に収まっていた指輪が今までにない程の強い光を放ち、彼女の身体を包み込んだ。





頭がぼうっとする。
美都は微睡の中で目を開いた。
────ここはどこだろう。
はっきりとしない視界で見渡すと、一面真っ白な空間のようだ。
自分はその空間を漂っている。
違う。私はこんなことをしている場合じゃないのに。
凛を助けに行かなきゃ。
『──月代美都』
突然天から声が聞こえた。思わず仰ぎ見るが特別姿は見られない。
(だれ……?)
不思議に思いながらいつもよりゆっくり瞬きをする。
『何故、力を望む』
その声は自分に問いかけているようだ。
なぜ力を望むのか。なぜ?なぜって。
「……守りたいから」
大切な人を。私が守らなきゃ。誰かじゃなくて、私が。
『何の為。誰が為に守りたいと思うのか』
何のため?  誰の、ため?  そんなの考えたことなかった。
「……わからない」
俯きながら素直にそう応える。その答えに天からの反応は無い。
誰かを助けたいという気持ちに理由がいるのだろうか。そうなんだとしたらそれは今まで感じたことのないものだ。
今、目の前で苦しんでいる人がいる。それが理由にはならないのだろうか。
「でもわたしは、守りたいの。自分で」
だから力が欲しい。何も出来ないのは嫌だ。
強く手を握り締めた。
『成程。その想いしかと見た。だが憶えておくとよい』
その声に顔を上げる。続けざまに天から言葉が響いてきた。
『その問いは、いずれまた廻ってくる。力を持たぬ今とは、全く違う立場で』
美都は目を見開いた。
力を手にする前の現在と、手にした後の未来。
それは守護者としての使命と責任を負うということだ。
『それでも、力を手にする覚悟はあるか』
覚悟。
その言葉に喉をぐっと締める。
────もう後戻りは出来ない。
「……覚悟はある。わたしは戦う。大切な人を守るために!」
対象のいない天へ声高く叫ぶ。
自らにも言い聞かせるように。
『心得た。ならば力を託そう』
一拍置いて再び下りてくる声を聞いたのと同時に、光の粒が美都の元へ集まってきた。
「……──!」
温かい光に呑まれる。
美都はまたその空間で瞼を閉じた。

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