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追憶への乖離2

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※※※

「君って――なのか?」

 明帆は、思わず疑問形にした。
 しかし口に出して後悔する言葉は腐るほどある。それが、これだった事に気がついたのはすぐあとで。

「あの明帆さん……」
「ええっと、ごめん! 僕、そういうの分かんなくって」

 嘘だ。彼は分かっていた。
 何となくぼんやりとだが、泰親が自分に好意を持っていること。しかもそれが、性的なものを含んだライク (好き)でなくラブ (恋)であることに。

(なんでよりによって僕なんだ)

 見ないふりをしていた。
 目を背けて笑っていればいいと思っていたのだ。ただの、年の離れた友達。まるで可愛い弟のような存在。
 さりげなく肩や腰に回された腕も、ふざけた様子で頬に落とされた口付けも。
 虐待された子どもの、愛に飢えた行動なんだと思えたのに。
 それが勘違いだと、目の前に突き付けられるまでは。

「ぼくは、そういうのじゃないよ」
「で、でも、泰親はまだカノジョとか作ったことないだろ」
「え」
「あ、ごめん。なんかおかしかったな、今のは」
「……」

 言葉が勝手に溢れてくる。誤魔化そうとすればするほど、意志に反して彼を傷つけてしまうだろう。
 
(そうじゃない。そうじゃないのに)

 しかし何が本心なのかも、自分では分からなかった。
 突然の告白。

『愛しています、付き合ってください』

 そんなシンプルな言葉を、何度もどもりながらつっかえながら口にする少年に唖然とした。
 その瞳はうっすらと涙の膜が張っており、両手は固く拳が握られていて。
 袖の端から、薄くなってきた切り傷。リストカットの跡が哀しい。

「僕みたいな、その……お、男に、興味があるってのが……あー、ええっと……」
「明帆さん」

 必死で言葉を探しながら、座っていた公園のベンチから腰を浮かす。
 さっきまで他愛のない話をしながら、夕焼けを眺めていた。馬鹿みたいな冗談を言って笑って、少し小突き合っていたらふと黙り込んだ彼。
 不思議に思って顔を向けたら、驚くほど真剣な目をしていた。
 そしてあの告白。

「ぼくじゃ、ダメ?」
「だ、だ、ダメっていうワケじゃ――」
「じゃあ付き合ってくれる!?」
「それはっ、そういう事じゃなくってなぁ!」
「明帆さん……」

 これは懐かれたという問題じゃない。しかもその表情か可愛いばかりだと思っていた仔犬が、狼だったというレベル。なんというか、目がギラギラしていた。

(こ、こいつ、背ぇ伸びた!?)

 出会った頃より目線が近い。人の成長期は様々だし、明帆とてそんなに低身長では無いはずなのだが。
 
「ねぇ。
「っ……!」

 手を握られた。
 強制的にベンチに座り直す形になり、さらにその距離は縮まる。
 見つめてくる双眸から、彼の強い気持ちが流し込まれるような気分にめまいを感じた。
 心臓が跳ね上がり、視線が泳ぐ。どこを見ればいいのか、迷っているうちにもどかしげに名を呼ばれる。

「勘違いでも思い違いでもない。それにゲイでもない、多分だけど」
「だ、だったらなんで――」
「好きなんだ。明帆だけが」

(ああ、やめてくれ)

 せめていつものように呼んで欲しい。そんな、ギラついた目で見詰めないで欲しい。
 そう言いたくても、言葉が喉から出てこない。
 ただただ震えて、見慣れているはずの顔を馬鹿みたいに凝視するだけ。

「もしかして寒い?」
「……」

 ブンブン、と首を横にふる。
 寒いわけがあるか、むしろ熱くて仕方ない――そう怒鳴りつけたかった。

「かわいいなぁ」
「かっ、可愛い!?」

 誰に言ってるのだろう。
 柔らかさの欠けらも無い男。しかも目つきもあまり良くない、性格も可愛げがあると言われたためしはないのに。

「まままっ、待てぇっ、泰親!」
「いつまで待てばいいの?」
「え゙っ、ええっとぉ……」

 彼はおずおずと遠慮がちで、すぐに黙りこくってしまう少年だった。
 なのに出会って一年も経てばこんなに人懐こく、甘えに躊躇がなくなり。
 ともすれば年齢に似合わぬ無邪気さで、グイグイと迫ってくるようになる。

「ぼくの事、嫌い? 仲良くしてくれるって言ったのは嘘だったの……」
「ハァァ!? そんなワケないだろ!」

 明帆は声を荒らげた。
 出会いこそ特殊だったが、泰親との時間に偽りはない。彼だって聖人君子ではなく、単なる平凡な高校生だ。
 たまたま助ける形になった少年と、彼らなりの友情を育んだだけ。そこに不穏なモノを感じ始めたのはごく最近で、それが目下の悩みだったのだが。

「ぼくだけを見て」

 懇願する面影は、まだ幼さを残している。でも垣間見える男の顔に、動揺が隠せないのはなぜか。
 
「なんで……」

 可愛い弟のような存在でいてくれなかったのだろう。
 ふつふつと、そんな理不尽ともいえる怒りが湧く。
 
「明帆、好きだよ」

 愛しげに覗き込んでくる目。
 そう、それだ。それがたまらなく辛かった。

(そんな女を見るような目で見るなよ)

 男だからこそ分かる、その眼差しの意味。泰親が、自分を女のように愛したいということに。
 そして同時に、所有して組み伏せて喰らいたいという雄の欲望が見え隠れしていた。

「明帆のこと、大事にするから」
「あのなぁ! 僕をなんだと思っ……」

 思わず怒鳴りつけようと口を開けば。

「大好き」

 独り言のような愛の言葉のあとに、影がおおった。
 
(え)

 唇に触れた柔らかな。マシュマロより弾力がある。
 それが、一方的に押し付けられ離れていく。
 ほんの数秒、幼い口付けが唇に落とされた。彼は呆然と目を見開く。

「ごめん。でも――」

 我慢出来なかった、なんて笑って言うものだから。

「ふ、ふざけんな」

 苛立ちが腹の底から湧き上がる。
 その笑みは、いつも無邪気なものだった。まるで少し悪ノリし過ぎたジョークだと言わんばかりの。
 
(こいつ、揶揄からかったのか)

 本気で慌てた自分を笑い者にされた、と思ったのだ。
 それは彼にとってはあまりにも酷い悪ふざけだった。

「ねぇ明帆……」
「触るなっ!」

 近付いてきた手を、叩く。
 パァンッ、と乾いた音が公園に響いた。途端、沈黙が二人を包む。

「明帆?」

 困惑したような顔をする少年が憎らしい。
 きっとこれも全部ウソなのだ、と彼は思い込もうとした。
 すべて冗談だ、真実でたまるか。でもそれが嘘やジョークであったなら、もっと腹立たしい。
 矛盾の塊のような感情論が、胸中を目まぐるしく駆け回る。
 なんとも言えない、嫌な霧のようなモヤつきに顔をしかめた。まったくもって不快。自分自身が、この世の中で一番理解し難い生き物になってしまったかのような錯覚をしてしまう。

「か、帰る」

 ようやく口から飛び出した言葉がそれだった。
 その後どんな表情をすれば分からず、彼は顔を極端なほどに背けて立ち上がる。
 
「明帆、ぼくは……」
「やめろッ!」

 そんな呼び方するな、と文句を言うことすらしたくない。それどころか、一刻も早くここを立ち去りたい。
 そんな想いで怒鳴りつける。

「用事、思い出したから」

 取ってつけたかのように加えて、足を踏み出した。
 顔の見えない彼がどんな顔をしていたのか、もう分からない――。


※※※


「泰親君の話、しないのね」
「!!!」

 唐突に始まった会話に、思わず顔をあげた。
 朝。いつものように幼なじみの少女と、学校への道を歩いているときだった。

「や、泰親の?」
「うん。だってこの前まで、いっつも『泰親泰親』って。そういえば、最近来ないね。あの子」

 あの告白から十日ほど。
 すっかり姿を表さなくなった彼と、話題すら避けるようになった明帆と。
 彼女でなくとも不自然だと思うだろう。
 
「なんかあったの? ケンカ?」
「いや、別に……」

 ケンカといえばそうなのか。しかしこれは一方的にこちらが怒っただけである。
 しかも今でも。なぜあそこまで腹が立ったのか、自分自身分かりかねていた。

「うーん。なんか調子狂っちゃうのよねぇ」
「なにがだよ」
「アンタ達がイチャイチャしてるの、正直いうと見るのウンザリしてたんだけど」
「い、イチャイチャなんて!」

 慌てて訂正しようと口を開くが、彼女は首振って遮る。

「してたでしょ。もう、鬱陶しいくらいに。ほんと男って、いつまでもガキよねぇ」
「……」
「でも、まったく無いのもそれはそれで不気味っていうか――」

 ちょうどいい言葉が見つからなかったらしい。眉を数秒だけ寄せてから。

「ま、いいけどね」

 と笑った。

(いいのかよ)

 隣にいる幼なじみの機嫌が良いに越したことはない。
 それに彼女とは明確な告白などはしてないけど、お互いに意識し合う関係。いわゆる友達以上恋人未満か。
 何かを期待する視線を最近よく感じるのは、気のせいではあるまい。

「あ。そういえば」

 揺れるスカート。華奢な体躯に、柔らかな曲線が多いであろう身体。
 自分の持っていない『女』という存在。

(僕は何を考えているんだ)

 漠然とだが、想像してしまった。女のように愛される自分を。
 あの拙いキスが大人のそれに変化して、互いに求め合ったら――。

「明帆?」
「っ、な、なんでもない!!!」
「何もいってないけど……?」

 好意を向けられているを薄々分かっていたのに、逃げなかったのはなぜか。
 可愛い弟役であり年下の友達を、ずっとしてくれるとでも思っていたのか。
 自分を嘲る言葉ならいくらでも出てきた。
 しかしもう、すべては遅いのだ。

(泰親は、来ないだろうな)

「今度の、家族旅行。お土産買ってきてよね!」
「ん? あぁ。いいけど」
「タイって何が有名なのかな。魚?」
「それは鯛だろ……ま、適当に買ってきてやるから。文句は言うなよ」
「はいはい。楽しみにしてるね!」

 ニコニコと屈託のない表情に、心癒される反面。少し罪悪感を抱いてしまう。
 
(僕は女じゃない)

 しかもゲイでもない。だから、彼の気持ちには応えられない。
 でも友達くらいなら、と甘えてしまいたいとも思っていた。
 またあの無邪気な笑顔を見せて欲しい。傷付いていた彼の自分にだけ見せる表情が、明帆はたまらなく好きだったのだ。
 
「泰親君にも、ちゃんとお土産買ってきなさいよ」
「え?」

 彼女がいつになく真剣な顔で、覗き込んでくる。

「それでちゃんと仲直りして、ね?」
「だから別にケンカなんて……」
「やれやれだわ。ほんっとに、男ってバカよねぇ」
 
 わざとらしくため息をついてから。でも、ニィと笑った。

 




 

 
 
 

 


 

 
 
 
 
 

 


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