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無頼なれど光あれ

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 己の血の匂いなど、嗅ぎ慣れぬものでは無い。
 
「くそっ」

 痛みより何より腹立たしかった。
 魔王に腕を持っていかれた事、それが右腕であったことだ。

(油断しちまった)

 音もなく後ろに立った敵に慌てて飛び退いた時には、既に遅かったのだろう。
 乾いた土の上に転がった肉と、吹き上げた血飛沫。
 ああ、やられた。と思った。
 
「チッ……」

 近くに伸びていた細くしなやかなつるを、左手で引きちぎる。
 ぬるつく血を、脱ぎ捨てたシャツで拭いながら、さらにそれを傷口に宛てがった。

「っと」

 器用に蔓をシャツの上から巻いていく。これでとりあえず止血をする。
 失血で、意識を失うことだけは避けられそうだ。

「ふむ」

 アレックスは考えあぐねた。
 魔王は彼の腕を切り落としたあと、それを持ち去ったらしい。
 最期のトドメくらい簡単にさせるだろうに、だ。

(ナメられてるってことか)

 だとすれば屈辱以外の何物でもない。しかしチャンスだという見方もできる。
 この男、思考の切り替えも得意らしい。さっさと顔を上げ、森の中を歩きだした。

 ――細々と続く獣道。

 元々この島は、少数の種族が共存していたという。
 広がる海で隔離された世界。
 彼らにとってここ以外の場所を知らなかったのではないか、というくらい。長いこと、島外との交渉はなされなかった。
 小さな領土を取り合い、種族同士が争うことも珍しくなく。
 気がつけば、十数はいたとされる少数民族はたった二つになっていた。
 水棲である半魚人と、西の森のエルフ族。
 しかしそれも一つが絶滅。

(なんかこう、切ねぇものだな)

 珍しく感傷的になるのは、あの半魚人の少年と出会ったからか。
 彼はどんな選択をしたのだろう。あの娘と、駆け落ちして島を出る決心をしたのか。
 それとも。

(ま、オレには関係の無い話だ)

 あくまで道を拡げて見せたに過ぎない。そこから歩むべき未来を目指すのは、少年達自身である。
 アレックスはそれを分かっていたが、ただ小さく胸の内で祈った。
 彼の行く先に幸多からん事を、と。
 彼は他人に対し、あまり表情豊かに示すことが苦手な男である。しかし、だからと言って感情が無いわけではない。
 花を見れば美しいと思うし、哀しい歌を聴けば心が沈むこともある。その移ろいが、上手く表出しないだけなのだ。
 ただし、アレン・カントールに対しては例外であるが。
 
(アレンに会いたい)

 久しぶりに会ったというのに、ロクな触れ合いもできていない。
 なんならもう片時も離れたくなかった。
 唯一、彼といる時は呼吸が楽になるのだ。

 ……理由は分からない。ただ、そばにいるだけで限りない幸せを感じる。
 と同時に、今まで経験したことのない多くの感情を自らの内に見出して戸惑う。
 愛情や性愛、思慕や友情。さらには嫉妬や怒り、恐れなど。おおよそ歓迎したくないものまで含む。
 この小さな脳の中には、パンドラの箱のように膨大なモノが詰まっていたのかと愕然がくぜんとすることもあった。
 しかし。
 すべてを受け入れてでも、アレックスは愛する人と人生を共にしたいと思う。
 それは固い決意であり、強い願望である。

「くっ」

 考え事をしていると、痛みが広がり始めた。
 どうやら一種の興奮状態で痛みを感じにくくなっていたらしい。いわゆる脳内麻薬、アドレナリンやβエンドルフィンなど。
 それらが影響していたが、冷静になるにつれ顔も青ざめるというものだ。
 
(くそ、血圧下がってきやがったか)

 やはり止血したものの、出血が多かった。めまいと多少の吐き気にふらつく。
 これはまずい、非常にまずいことになったと。どちらかと言えば楽観主義者である彼も、危機感を覚えるほどで。

(こんなとこで、くたばってたまるものか)

 あるはずのない右の指先の痛みを感じながら、眩しくなっていく視界に目を細めた。
 まるで患部に心臓が出来たかのように、脈打つ感覚。
 リズミカルなそれが、彼の体力や精神力を着実に奪っていく。
 意地になって進めていた歩も、途切れがちになり。ついには、その場に崩れた。

「……っ」
 
(駄目だ。もう)
 
 冷や汗をかきながら、早くなる脈に浅い息をつく。
 言ってみれば出血性ショック。虚脱や呼吸不全、皮膚の蒼白などが特徴として現れる。 
 このままいれば、死に至る可能性も充分あるのだ。

「あ……アレ、ン」

(会いたい。抱きしめたい)

 顔をしかめられようと。変態と罵られようと。触れ合って愛を囁きたい。
 惚れた者に惚れた、と口にする事の悦びを心すべてで感じたい。
 狂おしいほどの飢餓感に、まぶたの裏の面影を恋い慕う。
 思えば、彼もまた魔王やシセロ達とそう大差ないのかもしれない。
 貪欲に求め、手に入れたいと願う狩猟本能ともいうべきか。
 男の性と表現すれば、軽蔑されるだろうか。しかしこの本能的な欲求は、そうとしか言い表せないのだ。
 そのためなら、己の命さえ惜しくない。しかしその命が無ければ、愛しい者と肌を触れ合わせる事もできないではないか。

(矛盾してるな)

 自嘲しえども答えは同じ、結局は生きるも死ぬもその愛ゆえとなる。なんと愚かしい生き様だろう。
 悟りにも似た境地に、そっと笑みを零した時だった。
 
「やーれやれ、ですわ」
「!?」

 ガクリと頭をたれるアレックスの、上から降ってきた声に耳を疑う。

「っ、ま、まさかアンタは――」
「めまいを起こしますよ。大丈夫、ゆっくり呼吸して」
「うっ」

 顔をあげるだけで、ぐらりと視界が揺れる。まるで酷い乗り物酔いだ。
 浅い呼吸を繰り返す男に、その声は優しげに言う。

「アレックス。わたくしが分かりますね?」
「あ、あぁ」

 目を閉じ、ただひたすらめまいと吐き気を堪えながら答えた。
 忘れるわけがない。唐突な出会いではあったが、別れも突然であったから。

「……マリア、か」

 もしや魔王が、自分をせせら笑いにきたのか。そんな嫌な予感も無いわけではなかった。
 しかし考えるだけ無駄というもの。どちらにせよ、今のアレックスは身体を起こすことすら出来ないのだ。
 赤子の手をひねるより容易く、殺せるだろう。

「そう。覚えていて頂き、光栄ですわ」
「生きてた、のか」
「ええ。こう見えてもエルフっていうのは存外、頑丈にできているのですよ。姉弟そろって、ね」

 冗談めかし微笑んでいるらしい。柔らかで鈴の音のような言葉は降り注ぐ。
 エルフであり聖女、神に仕える女。シスター・マリア、その人である。
 すその長い聖衣は、この鬱蒼とした獣道広がる森には不似合いだ。
 しかしそれも汚れるのも構わず、膝をついた彼女はアレックスの失くした腕を撫でた。

「可哀想に。痛みますか」
「ン。それなりに……だな」

 彼女には特になんの感情もない。
 強いていえば、自分の知らないアレンを知っている嫉妬がましい想いくらいか。それも大人げないと分かっているから、口にも態度にも出したことはない。少なくてもアレックス自身は、そう思っている。

「あらまあ。 強がりはいけませんよ」
「男は強がらねぇとやってられねぇよ」
「ふふ。貴方は、の間違いでは?」
「うるせぇ」
 
 そうしている間にも、意識が朦朧としてくる。そろそろ会話すら難しくなってくるだろう。
 マリアは少し言い淀むと、口を開いた。

「貴方自身がこの顛末ストーリーに、決着をつけてくださいませ」
「どういう、ことだ……」

 もう目も開けていられない。
 完全に地面に横たわった男の頬を、そっと撫でる聖女。

「哀れな子羊。悲しい、運命という名の番人の奴隷――どの言葉も、今の貴方には当てはまりませんわね」
「説教なら聞かねぇぜ」

 教会なんて、子どもの頃に連れていかれた記憶しかない。
 前世も含めて信心なんてものは、欠片も持ち合わせていないのだ。
 どこまでいっても、ぶっきらぼうな物言いに彼女はクスクスと笑う。

「そんな貴方を、して差し上げますわ」
「おいおい、待て」

 魔法でも掛けようとでも言うのだろうか。
 そんなことをすれば回復どころか即オダブツしちまう、と鼻を鳴らした。
 しかしマリアは緩く首を横に振る。

「いいえ、大丈夫。わたくしをなんだと思ってるの」
「隣国の聖女でも、魔法アレルギーは治せなかったぜ?」

 この体質を治そうと、一時期は名だたる魔法使いや聖女達の所へたずね回ったものだ。それでも、生まれついてのモノだとサジを投げられたのだ。
 しかし彼女は不敵な笑みを浮かべる。

「ふふん、あんなのはですわよ」

 ある意味、彼女の心に火をつけたらしい。腕まくりをし、高らかに宣言した。

「このシスター・マリアが、聖女とエルフ族の名にかけて。貴方を超絶回復させてみせますわ!」

(な、なんかイヤな予感がするぜ……)

 それは的中した。

「聖女ぉぉぉっ、アタァァァック!!!」
「ぶべしっ!?」

 死にかけ瀕死な男を、こともあろうにぶっ叩き始める聖女。
 
「お、おいっ、なにしやが――」
「このマリア様が貴方の魔法アレルギーを改善し、回復魔法を施してやります」
「待てっ、その前に死――」
「やれば出来るぅぅぅっ、アタァァァック!!!」
「ぐばっ!?」

(失血死より先に、この女に殺されるかもしれねぇ)

 アレックスは薄れゆく意識で呟いた。



 

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