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2.泣き顔と弱味と剪定された木
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「……まさかアンタ、高校生食っちゃったの!?」
路地裏にある喫茶店の店内で、女が甲高く叫んだ。
カウンター席とテーブル席合わせても少なめな、こじんまりとした店だ。
そのカウンター席に俺は座り、珈琲を飲む。
女はカウンター越しに俺を軽く睨んだ。
「食ってねぇ……あと声がデカい」
対する俺の声は唸るように低かった。
―――ここは繁華街の表通りから一つ奥に入った、隠れ家のような場所にある喫茶店だ。
しかも外観が古い。レトロ、と言えば聞こえがいいが。一昔前の場末のスナックを中だけ改装して使っているからだろう。
しかもその中身ってやつも、昔で言う純喫茶でやはりカフェより喫茶店と呼ぶ方がしっくり来る。
こんな場所で、こんな古い建物の商売だ。なかなか暇だろうと思っていたが……これがなかなか人が来る。
しかし大抵、得体の知れない身元の知れない怪しげで事情のありそうな奴らばかりなのが心配だ。
「とは言ってもね。未成年、しかも高校生はヤバいわよ」
そう言って思い切り顔を顰めるのは、俺の元嫁でここの経営者だったりする。
一木 梨花、俺のひとつ上だから今年で37歳だと思うが、とてもそうは見えない。
童顔なのは昔からだった。俺と彼女はいわゆる幼馴染ってやつで、その流れで十年も前に結婚したんだが一年もしないうちに離婚。
これは全面的に俺が悪い。
実はゲイで女を抱くのは不可能では無かったが、苦痛の方が大きいのを隠していたからだ。
当時は今以上に差別や偏見が多く、それに屈し彼女を利用した事になる。
どうしようもなくなった俺は、ある日梨花に頭を下げて別れを乞うた。実はゲイで妻である自分を騙していたと打ち明ける夫を、彼女はどう思ったか。
しかし泣き笑いの笑顔で応えたのだ。
『知ってたよ』と。
……それから、俺と彼女は友人としての関係を築くようになった。
彼女がどういう経緯か、この店を前のオーナーから譲り受けて経営するようになったのか知らないが、できる限りの相談は乗ってきたつもりだ。
しかし自立心というか、しっかりした女なもので、元旦那である俺に援助を求めることをしなかった。こちらからの申し出にも感謝の意を示しつつ、柔らかな微笑みと共に未だに受けようとしない。
「あっちが誘って来たんだぜ」
「だからってアンタ! ホテルに連れ込むなんて……淫行ってやつ知らないの!?」
目尻をキッと上げて綺麗な指をまっすぐ指して怒る。
俺はそれを受けて軽く肩を竦めてみせた。
……確かに軽率な行動だったと思う。
向こうが誘ってきたのを差し引けば買春、しかも高校生と関係を持ったことになる。
「本当に何もしてないでしょうね!?」
「何もっていうか……」
俺は湯気を立てる珈琲を一瞥すると、あの後のことを思い出した。
―――ラブホテルの広いベッドの上。
初めて他人の手でイかされた事で、あのガキ大泣きしやがった。
わんわん泣きわめく子供は苦手で、どうも困り果てたわけだが。
「ぐすっ、ぅ……ひっ、く」
「やれやれ、いい加減泣き止め。ガキじゃあるまいし」
「こ……高校生、だしっ……ひぐっ……」
あぁ、確かに。ガキだな、うん。
それにしても泣きすぎだろ。理不尽に処女散らされた女みてぇに泣きやがやって。
別に俺は悪くねぇ。むしろ金も払ったし、被害者だと思って欲しいくらいだ。
それが今必死でざめざめと涙を流す男子高校生を慰めている。
……とは言っても、俺は元来こういうのは不得意だ。顔だってどちらかと言えば怖いと言われるし、体格だってゴツい。
今まで何度乳幼児に泣かれたことか。
特に顔は持って生まれたものだから仕方ないとは言え、極めて理不尽だぜ。
それでも俺は辛抱強く、彼が泣き止むのを待っていた。
すると相変わらずしゃくりあげながら、先程まで両手で隠していた真っ赤になった目と鼻の頭をようやく覗かせる。
「ひくっ、っ、ら、LINE……」
「は?」
聞き返すと、膨れっ面しながら彼は俺の耳元に唇を寄せて一言。
「……LINE、教えて」
「何言ってんだ、お前」
いや、俺じゃなくてもこの反応だろ。
突然なんだよってなるよな。よりによって、先程泣かされた相手(俺にとっては非常に不本意だが)の連絡先聞くって。
まさかコイツ。
「おい。お前俺を脅すつもりか」
有り得る。このクソガキ、大人をナメやがって。
思わず腹の底がカッと熱くなって怒りが込上げる。
「……そうじゃない。おじさんの連絡先聞きたいだけ」
「はァ!?」
訳わかんねぇヤツだな。
俺は呆れるやら困惑するやらで言葉が出ない。
その間に彼はサッサと服を着て、俺の鼻先に見覚えのあるスマホを突きつけた。
「それ俺のじゃねぇか!」
「うん」
「うん、じゃねぇよ。スりやがったな」
「だって、おじさんが教えてくれないから」
慌てて取り返そうと手を伸ばすが、彼はサッと引っ込めてそれを胸に抱く仕草をする。
「ヤダ。返して欲しかったら、僕の言うこと聞きなよね!」
「なんで俺がお前の言うことを聞かなきゃならねぇんだ。……大人を甘く見るなよ?」
思い切り人相悪く睨みつける。
すると先程の事が頭をよぎったのか、単純に俺の顔が怖かったせいか。ビクッと肩を震わせてベッドの上を数センチ後ずさりした。
「こ、怖がらせたって無駄だからな! 教えてくれなきゃこのスマホ水につけちゃうし、あと『おじさんに乱暴にエッチなことされた』って言い触らしてやるぅぅっ!!」
「……」
呆れた。駄々っ子じゃねぇか。
今どきの高校生ってこんなにガキなのかよ。しかもこいつ男だろ。
確かに女みてぇな可愛いツラしてるが、言動までもが伴い過ぎてるだろうが。
「お前、言ってること無茶苦茶だぜ。何がしたいんだよ」
目的が分からねぇ。ただの情緒不安定って気もするが。
すると彼は小さくため息をついた。
「友達、に、なって、下さい」
唇を尖らせ途切れ途切れ吐き出された言葉に、俺は目を丸くする。
……駄目だ。若い奴の考えてる事は、おじさんには理解出来ねぇ。
■□▪▫■□▫▪■□▪▫■
かちゃん、とカップとソーサが鳴る。
回想に耽っている間にすっかり冷めてしまった珈琲を入れ直してくれたらしい。
「すまん」
「良いわよ。……3杯分会計付けとくから」
「1杯多いじゃねぇか」
「ふふっ」
……分かり難いが、慰めてくれているらしい。
昔から言葉より行動で示してくれる、本当に良い奴なんだ。
俺には勿体ない女だった、なんて常々思う。
「すっかり懐かれちゃったワケね?」
「ん。変な絡み方されてるだけだな」
確かにあれから、一日に何度かメッセージのやり取りをしている。
大体は向こうから他愛のない内容が来てそれについて当たり障りなく返す、といった感じだ。
根負けして連絡先を教えた後、最初は無視していた。しかし着信をずっとシカト出来るほど、俺のメンタルは実を言うと強くねぇんだ。
あと認めたくはないが、心の奥底には下心があるのではないかと自身を疑っている。
「可愛い子なんでしょ? アンタ好みの」
「おいおい。人を変態みたいに言うんじゃねぇぜ」
口に含んだ珈琲は香り高く、とても美味いはずなのに今日は何故か苦味が舌に残る。
「別にそういう意図は無いわよぉ。でも好きでしょ? 可愛い子」
「……」
やれやれ。すっかり思考を読まれているみたいできまり悪い。
しかしそれだけ彼女が俺の事を友人として、幼馴染として知ろうと努力してくれた結果なのだろう。
梨花は面白そうに笑うと。
「アンタって変わらないわねぇ。その優しい所とか」
「優しかねぇよ」
むしろその真逆だ。
向こうが誘って来た、という大義名分で八つ当たり的に弄り倒して泣かせちまうんだから。
あいつが言うように、俺は変態なのかもしれないな。
「でも、ちゃんとLINE返してあげてるんでしょ? やっぱり懐いてるんじゃないの……そうだ、今度ここに連れてきなさいよ」
「嫌だ」
プライベートな事を教えたくねぇし、向こうだってそのつもりはないだろう。
なんせ、俺もあいつも互いの名前しか知らないんだぜ。
それを言うと。
「まぁゆっくり仲良くなれば良いじゃないの。……で。どんな子なのかしら」
カウンター越しに、最初とは打って変わって明らかに面白がっている。
女ってのは感情の移り変わりが激しいのか。それとも彼女に限っての事なのか。
俺は、早速振動でメッセージ着信を伝え始めたスマホを取り出して案の定だと、息をつく。
……黒田 蓮。最寄り駅から三つほど離れた町の高校に通う一年生、らしい。
見た目はまぁ女みてぇな。色は白いし、少し長めのサラサラとした髪は色素が薄いのか真っ黒では無い。
確か昨日のメッセージでは『髪染めてないのに、しょっちゅう生徒指導の教師にウザ絡みされてイヤだ』なんて言ってたな。
まぁ御苦労なことだ、と返したが。そのあと『鈍感、0点』と返ってきて、わけが分からなかった。
やはり高校生とおじさんでは難しいのかも知れねぇ。
「ウェーイ」
―――カランコロン、というドアベルの音と共に元気よく若い男が入ってきた。
「あら蓮司君じゃないの」
「どーも、梨花さん! あ、遼太郎さんやっぱり居たっスね。こんちわ」
男は傳治 蓮司、19歳。フリーターで現在は表通りにある老舗の海産物屋で働いているらしい。
ヒョロりと長い身体に、何故かアフロヘアー。
おかげでシルエットは完全なる、剪定された植物だ。
互いにここの常連で、全く顔を合わせない週はない。
「梨花さんはいつ見ても綺麗ッスねー……遼太郎はいつ見てもゴツいッス」
「それは褒めてんのかディスってるのかどっちだ?」
「やだなー、褒めてるんスよ。オレも遼太郎さんみたいになりてぇもん」
屈託なく笑う様から、こいつの人の良さと単純さが分かる。
早く言えば、少々アホだが良い奴。惚れっぽくて何度も失恋を繰り返すが、その度に梨花が慰めてやるらしい。
別にそれに対しては何も思わないが、やはり優しいのは俺なんかより彼女だと思う。
「今日はバイト休みか」
「そうっス。だって水曜だし」
「あぁ、なるほど」
水曜日は魚市場が休みとかで、彼のバイト先も休業日だったか。
「遼太郎さんも休みっスか?」
「まぁな」
とは言っても、いつ呼び出されるか分かったもんじゃあないが。
俺は普通の会社勤めとは少し違った性質の職種だ。
……興信所、探偵事務所。呼び名はそんな所だな。つまり捜査員。依頼が多ければ休みなど無いし、その逆も然り。
だが最近は前者の月が多く、前回ちゃんとした休みが取れたのは1ヶ月ほど前。
蓮、と言うガキと最初に出会った日だ。
「忙しいんスねぇ……あ、まさかそれで癒しを求めにここへ来たって」
「癒し? なんの事だ」
確かに梨花の入れる珈琲と彼女の存在は、唯一安心できるものだが。
「梨花さんとめっちゃ仲良いじゃないですか! くっそ~、羨ましいなぁ」
最後の方は声をひそめて嘆いていた。
蓮司が何を言いたいのかよく分からんが。とりあえず曖昧に笑ってから、視線を外しスマホの方に注ぐ。
「……」
「あら。LINE来たのね」
冷やかすような彼女の声に、小さく手を振っていなす。
「……なんの事っスか?」
仲間外れとでも思ったのか、少々鼻白んだ様子で割って入る。
すると梨花は悪戯げにウィンクをひとつ。
「内緒よ」
「え~!? ズルいじゃないですか~! オレだけ除け者!?」
「違うのよぉ。ね? 遼太郎」
「またまた遼太郎さんばっかりぃ~!」
ギャーギャー騒ぎ出した二人に背を向けるように、俺は素早くメッセージをチェックする。
……やはり彼からだ。
他愛のない雑談の返事。さらに返そうと指を滑らせた瞬間。
「ん?」
追加された文章。そこには。
『会って』
のやけに簡素な一語が余白たっぷりに鎮座していた―――。
路地裏にある喫茶店の店内で、女が甲高く叫んだ。
カウンター席とテーブル席合わせても少なめな、こじんまりとした店だ。
そのカウンター席に俺は座り、珈琲を飲む。
女はカウンター越しに俺を軽く睨んだ。
「食ってねぇ……あと声がデカい」
対する俺の声は唸るように低かった。
―――ここは繁華街の表通りから一つ奥に入った、隠れ家のような場所にある喫茶店だ。
しかも外観が古い。レトロ、と言えば聞こえがいいが。一昔前の場末のスナックを中だけ改装して使っているからだろう。
しかもその中身ってやつも、昔で言う純喫茶でやはりカフェより喫茶店と呼ぶ方がしっくり来る。
こんな場所で、こんな古い建物の商売だ。なかなか暇だろうと思っていたが……これがなかなか人が来る。
しかし大抵、得体の知れない身元の知れない怪しげで事情のありそうな奴らばかりなのが心配だ。
「とは言ってもね。未成年、しかも高校生はヤバいわよ」
そう言って思い切り顔を顰めるのは、俺の元嫁でここの経営者だったりする。
一木 梨花、俺のひとつ上だから今年で37歳だと思うが、とてもそうは見えない。
童顔なのは昔からだった。俺と彼女はいわゆる幼馴染ってやつで、その流れで十年も前に結婚したんだが一年もしないうちに離婚。
これは全面的に俺が悪い。
実はゲイで女を抱くのは不可能では無かったが、苦痛の方が大きいのを隠していたからだ。
当時は今以上に差別や偏見が多く、それに屈し彼女を利用した事になる。
どうしようもなくなった俺は、ある日梨花に頭を下げて別れを乞うた。実はゲイで妻である自分を騙していたと打ち明ける夫を、彼女はどう思ったか。
しかし泣き笑いの笑顔で応えたのだ。
『知ってたよ』と。
……それから、俺と彼女は友人としての関係を築くようになった。
彼女がどういう経緯か、この店を前のオーナーから譲り受けて経営するようになったのか知らないが、できる限りの相談は乗ってきたつもりだ。
しかし自立心というか、しっかりした女なもので、元旦那である俺に援助を求めることをしなかった。こちらからの申し出にも感謝の意を示しつつ、柔らかな微笑みと共に未だに受けようとしない。
「あっちが誘って来たんだぜ」
「だからってアンタ! ホテルに連れ込むなんて……淫行ってやつ知らないの!?」
目尻をキッと上げて綺麗な指をまっすぐ指して怒る。
俺はそれを受けて軽く肩を竦めてみせた。
……確かに軽率な行動だったと思う。
向こうが誘ってきたのを差し引けば買春、しかも高校生と関係を持ったことになる。
「本当に何もしてないでしょうね!?」
「何もっていうか……」
俺は湯気を立てる珈琲を一瞥すると、あの後のことを思い出した。
―――ラブホテルの広いベッドの上。
初めて他人の手でイかされた事で、あのガキ大泣きしやがった。
わんわん泣きわめく子供は苦手で、どうも困り果てたわけだが。
「ぐすっ、ぅ……ひっ、く」
「やれやれ、いい加減泣き止め。ガキじゃあるまいし」
「こ……高校生、だしっ……ひぐっ……」
あぁ、確かに。ガキだな、うん。
それにしても泣きすぎだろ。理不尽に処女散らされた女みてぇに泣きやがやって。
別に俺は悪くねぇ。むしろ金も払ったし、被害者だと思って欲しいくらいだ。
それが今必死でざめざめと涙を流す男子高校生を慰めている。
……とは言っても、俺は元来こういうのは不得意だ。顔だってどちらかと言えば怖いと言われるし、体格だってゴツい。
今まで何度乳幼児に泣かれたことか。
特に顔は持って生まれたものだから仕方ないとは言え、極めて理不尽だぜ。
それでも俺は辛抱強く、彼が泣き止むのを待っていた。
すると相変わらずしゃくりあげながら、先程まで両手で隠していた真っ赤になった目と鼻の頭をようやく覗かせる。
「ひくっ、っ、ら、LINE……」
「は?」
聞き返すと、膨れっ面しながら彼は俺の耳元に唇を寄せて一言。
「……LINE、教えて」
「何言ってんだ、お前」
いや、俺じゃなくてもこの反応だろ。
突然なんだよってなるよな。よりによって、先程泣かされた相手(俺にとっては非常に不本意だが)の連絡先聞くって。
まさかコイツ。
「おい。お前俺を脅すつもりか」
有り得る。このクソガキ、大人をナメやがって。
思わず腹の底がカッと熱くなって怒りが込上げる。
「……そうじゃない。おじさんの連絡先聞きたいだけ」
「はァ!?」
訳わかんねぇヤツだな。
俺は呆れるやら困惑するやらで言葉が出ない。
その間に彼はサッサと服を着て、俺の鼻先に見覚えのあるスマホを突きつけた。
「それ俺のじゃねぇか!」
「うん」
「うん、じゃねぇよ。スりやがったな」
「だって、おじさんが教えてくれないから」
慌てて取り返そうと手を伸ばすが、彼はサッと引っ込めてそれを胸に抱く仕草をする。
「ヤダ。返して欲しかったら、僕の言うこと聞きなよね!」
「なんで俺がお前の言うことを聞かなきゃならねぇんだ。……大人を甘く見るなよ?」
思い切り人相悪く睨みつける。
すると先程の事が頭をよぎったのか、単純に俺の顔が怖かったせいか。ビクッと肩を震わせてベッドの上を数センチ後ずさりした。
「こ、怖がらせたって無駄だからな! 教えてくれなきゃこのスマホ水につけちゃうし、あと『おじさんに乱暴にエッチなことされた』って言い触らしてやるぅぅっ!!」
「……」
呆れた。駄々っ子じゃねぇか。
今どきの高校生ってこんなにガキなのかよ。しかもこいつ男だろ。
確かに女みてぇな可愛いツラしてるが、言動までもが伴い過ぎてるだろうが。
「お前、言ってること無茶苦茶だぜ。何がしたいんだよ」
目的が分からねぇ。ただの情緒不安定って気もするが。
すると彼は小さくため息をついた。
「友達、に、なって、下さい」
唇を尖らせ途切れ途切れ吐き出された言葉に、俺は目を丸くする。
……駄目だ。若い奴の考えてる事は、おじさんには理解出来ねぇ。
■□▪▫■□▫▪■□▪▫■
かちゃん、とカップとソーサが鳴る。
回想に耽っている間にすっかり冷めてしまった珈琲を入れ直してくれたらしい。
「すまん」
「良いわよ。……3杯分会計付けとくから」
「1杯多いじゃねぇか」
「ふふっ」
……分かり難いが、慰めてくれているらしい。
昔から言葉より行動で示してくれる、本当に良い奴なんだ。
俺には勿体ない女だった、なんて常々思う。
「すっかり懐かれちゃったワケね?」
「ん。変な絡み方されてるだけだな」
確かにあれから、一日に何度かメッセージのやり取りをしている。
大体は向こうから他愛のない内容が来てそれについて当たり障りなく返す、といった感じだ。
根負けして連絡先を教えた後、最初は無視していた。しかし着信をずっとシカト出来るほど、俺のメンタルは実を言うと強くねぇんだ。
あと認めたくはないが、心の奥底には下心があるのではないかと自身を疑っている。
「可愛い子なんでしょ? アンタ好みの」
「おいおい。人を変態みたいに言うんじゃねぇぜ」
口に含んだ珈琲は香り高く、とても美味いはずなのに今日は何故か苦味が舌に残る。
「別にそういう意図は無いわよぉ。でも好きでしょ? 可愛い子」
「……」
やれやれ。すっかり思考を読まれているみたいできまり悪い。
しかしそれだけ彼女が俺の事を友人として、幼馴染として知ろうと努力してくれた結果なのだろう。
梨花は面白そうに笑うと。
「アンタって変わらないわねぇ。その優しい所とか」
「優しかねぇよ」
むしろその真逆だ。
向こうが誘って来た、という大義名分で八つ当たり的に弄り倒して泣かせちまうんだから。
あいつが言うように、俺は変態なのかもしれないな。
「でも、ちゃんとLINE返してあげてるんでしょ? やっぱり懐いてるんじゃないの……そうだ、今度ここに連れてきなさいよ」
「嫌だ」
プライベートな事を教えたくねぇし、向こうだってそのつもりはないだろう。
なんせ、俺もあいつも互いの名前しか知らないんだぜ。
それを言うと。
「まぁゆっくり仲良くなれば良いじゃないの。……で。どんな子なのかしら」
カウンター越しに、最初とは打って変わって明らかに面白がっている。
女ってのは感情の移り変わりが激しいのか。それとも彼女に限っての事なのか。
俺は、早速振動でメッセージ着信を伝え始めたスマホを取り出して案の定だと、息をつく。
……黒田 蓮。最寄り駅から三つほど離れた町の高校に通う一年生、らしい。
見た目はまぁ女みてぇな。色は白いし、少し長めのサラサラとした髪は色素が薄いのか真っ黒では無い。
確か昨日のメッセージでは『髪染めてないのに、しょっちゅう生徒指導の教師にウザ絡みされてイヤだ』なんて言ってたな。
まぁ御苦労なことだ、と返したが。そのあと『鈍感、0点』と返ってきて、わけが分からなかった。
やはり高校生とおじさんでは難しいのかも知れねぇ。
「ウェーイ」
―――カランコロン、というドアベルの音と共に元気よく若い男が入ってきた。
「あら蓮司君じゃないの」
「どーも、梨花さん! あ、遼太郎さんやっぱり居たっスね。こんちわ」
男は傳治 蓮司、19歳。フリーターで現在は表通りにある老舗の海産物屋で働いているらしい。
ヒョロりと長い身体に、何故かアフロヘアー。
おかげでシルエットは完全なる、剪定された植物だ。
互いにここの常連で、全く顔を合わせない週はない。
「梨花さんはいつ見ても綺麗ッスねー……遼太郎はいつ見てもゴツいッス」
「それは褒めてんのかディスってるのかどっちだ?」
「やだなー、褒めてるんスよ。オレも遼太郎さんみたいになりてぇもん」
屈託なく笑う様から、こいつの人の良さと単純さが分かる。
早く言えば、少々アホだが良い奴。惚れっぽくて何度も失恋を繰り返すが、その度に梨花が慰めてやるらしい。
別にそれに対しては何も思わないが、やはり優しいのは俺なんかより彼女だと思う。
「今日はバイト休みか」
「そうっス。だって水曜だし」
「あぁ、なるほど」
水曜日は魚市場が休みとかで、彼のバイト先も休業日だったか。
「遼太郎さんも休みっスか?」
「まぁな」
とは言っても、いつ呼び出されるか分かったもんじゃあないが。
俺は普通の会社勤めとは少し違った性質の職種だ。
……興信所、探偵事務所。呼び名はそんな所だな。つまり捜査員。依頼が多ければ休みなど無いし、その逆も然り。
だが最近は前者の月が多く、前回ちゃんとした休みが取れたのは1ヶ月ほど前。
蓮、と言うガキと最初に出会った日だ。
「忙しいんスねぇ……あ、まさかそれで癒しを求めにここへ来たって」
「癒し? なんの事だ」
確かに梨花の入れる珈琲と彼女の存在は、唯一安心できるものだが。
「梨花さんとめっちゃ仲良いじゃないですか! くっそ~、羨ましいなぁ」
最後の方は声をひそめて嘆いていた。
蓮司が何を言いたいのかよく分からんが。とりあえず曖昧に笑ってから、視線を外しスマホの方に注ぐ。
「……」
「あら。LINE来たのね」
冷やかすような彼女の声に、小さく手を振っていなす。
「……なんの事っスか?」
仲間外れとでも思ったのか、少々鼻白んだ様子で割って入る。
すると梨花は悪戯げにウィンクをひとつ。
「内緒よ」
「え~!? ズルいじゃないですか~! オレだけ除け者!?」
「違うのよぉ。ね? 遼太郎」
「またまた遼太郎さんばっかりぃ~!」
ギャーギャー騒ぎ出した二人に背を向けるように、俺は素早くメッセージをチェックする。
……やはり彼からだ。
他愛のない雑談の返事。さらに返そうと指を滑らせた瞬間。
「ん?」
追加された文章。そこには。
『会って』
のやけに簡素な一語が余白たっぷりに鎮座していた―――。
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