出来損ないのα‬と不機嫌なΩ(仮)

田中 乃那加

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無欠と欠点の間のあたり

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 無言で歩く道は、居心地の悪い空気が流れる。

「あの――」
「なにか」

 食い気味に応える声は感情が読めなかった。表情だって、少し前を歩いているせいか、強く引き結ばれた口元しか見えず。

(お、怒ってる)

 怒りのオーラをヒシヒシと感じながらも、怖気ついてばかりはいられない。
 陸斗は意を決して、その背中に声をかけた。

「ありがとう……ございます」
「別に」

 礼を言ったのに、その返事はきわめて素っ気ない。
 しかし、わずかに歩調が遅くなった。陸斗は逆に少し足を早めて、隣に肩を並べる。
 いくらうとまれても、言わなければいけないこともあるから。

「さっきの。和音さんですよね?」
「……さっきの、とは」

 相変わらず硬い声が返ってくる。本当は話したくもない、という頑なな態度にため息をつきたくなるがグッとこらえた。
 彼については、気になることが多すぎるのだ。

「先輩から助けてくれたんですよね。あれは一体、何をしたんですか」

 突然うめき声をあげて倒れた時、後ろに立っていた。なにか殴打した音も聞こえなかったから、スタンガンかなんかで気絶させたのか。
 どちらにせよ、助けてもらった礼を言わないと気がすまなかった。
 和音は視線だけでチラリとこちらに一瞥くれると、まばたきを数回して一言。

護身術ごしんじゅつくらい、あなたも身につけてみてはいかがです」
「護身術?」

 最小限の力と動作で、βといえど自分より大きな体格の男を昏倒させたというのか。
 陸斗が呆気にとられていると、彼は大きくため息をつき鼻の頭にシワをよせた。

「それでよく、今まで処女でしたね」
「しょっ……!?」

 いきなり、とんでもない事を言い出す和音に思わず絶句する。
 しかし当の本人は、むしろ口元だけに薄く微笑を浮かべた。
 
「ご自分の身くらい、守れるようになってはいかがです? ……ま、甘ちゃんの貴方じゃあ無理でしょうけど」

 嘲るような口調。
 その意味を理解した時には、再び足を速めた彼に置いていかれる格好になっていた。

「和音さん!」

(くそっ、ナメやがって)

 同じΩだからこその言葉だろう。それが胸に刺さるのも、図星だと腹が立つのも。
 襲われるのが当たり前で仕方ないと思っていた陸斗にとって、まさに頭を殴られたような衝撃だった。
 
(自分を、守る)

 考えたことすらなかった。
 せいぜい、抑制剤を持ち歩くことくらい。それすらも、すぐに効くワケではないというのに。
 悔しいのは歯がゆいから。加害を恐れるだけじゃダメだった。
 この華奢で美しい少年はそれを知っている。だから、あの場で自分を救うことができた。
 体術か武器か。分からないけれど、少なくても自分より体格の良い男を、一撃で地に伏せさせた。

(僕にも)

 出来るだろうか。いや、出来ないと困る――そう思った。

(いつまでも嘆いてたって)

 己の性から、‪α‬やβたちから。逃げ続けるワケにはいかない。

「和音さん!」

 スタスタと先を歩く少年の名を叫ぶ。

「僕も、自分を守りたい」
「そうですか」

 立ち止まり振り返った彼の表情は、やはり無表情。
 先ほどまで口元に浮かべていた笑みも、消えている。ただ陽の光を浴びた、色素の薄い瞳はジッとこちらに視線を注いでいる。

「温室育ちの貴方にどこまで出来るか、まぁ期待はしてませんけど」
「和音さん……ありがとうございます」

 それで充分だった。
 とても分かりにくいが、陸斗は理解した。彼なりの『こたえ』であろう。
 それだけで胸が熱くなる。
 
「はやく行きましょう」

 彼は顔をそむけて歩き出す。

「ちょっ、まって下さいよ!」
「……お忘れですか?」
 
 またツンケンとした声に、心がしぼむ。同じΩだというのに、どうも上手くいかないのは何故だろう。
 見かけより、かなり足の早い彼を追いかければ息があがってくる。
 しかし目の前の少年は容赦がない。

「ご主人様とのお約束を」
「あ、あぁ」

(わかってるさ)

 大嶌 恭太郎との約束。‪‪α‬である、あの男のする研究に協力することは陸斗にとっても必要不可欠なことだった。
 



※※※

 重い木製のドアをくぐる時、時が止まったかのような気分になる。
 
「リラックスして……といっても難しいかもしれないが」
「い、いえ」

 目の前の男の表情は、変わらず穏やかである。
 応接の椅子に腰掛け、陸斗は注がれる視線を避けるように辺を軽く見渡す。
  
 ――屋敷に入ってすぐ、この書斎に通された。
 昨日ここへ来た時よりかなり雑然としているのは、なにか調べ物をしたかのように本や紙が書斎机だけでなく応接机にも積まれているからだろう。

「ふふ、散らかっていて驚いたかい?」
「えっ……あ、すいません」

 悪戯っぽく笑った恭太郎に、慌てて視線を戻す。
 別に非難するつもりはなかったのだが、そう取られると恐縮してしまう。

「いや、いいんだ」

 彼は肩をすくめ、ちらりと入口の方を見る。

「いつも娘に叱られていてね。どうも私は、整理整頓が苦手らしい」
「あー……」

 この状態では確かにそうだろう。
 片付けましょうか、と何の気なしに口にしかけてハッと我に返る。

(重要書類とかあるだろうに、僕なんかが手を出していいわけない)

 だいたいこの気さくな態度の男は、日本でトップクラスの‪立場の人間だ。
 失礼な、と怒鳴りつけられても仕方なのない軽率な発言だったと後悔した。

「あ、あの――」

 慌てて謝ろうと口を開く。

「本当かい!?」
「え」
「手伝ってくれるのか、だとすればありがたい!」

 いきなり声のトーンが変わっておどろく。
 恭太郎は嬉しそうに身を乗り出していた。

「いやぁ。このままだと娘だけでなく、執事にも叱られるからね。正直なところ、困ってたんだ」
「そうなんですか……?」

 この男、どうも相当片付けが苦手らしい。どこから手をつけていいか分からないが、放っておくとまた窘められる――と心底困った顔をする。

「私の悪い癖らしいんだけどね。のめり込むと、他が目に入らなくて。あと整理整頓というやつが、死ぬほど難しい」

 まるで怒られるのが嫌な子供のような口調に、思わず吹き出しそうになる。
 さっきまでの緊張なんてどこへやら。恭太郎の意外とも言える一面だろう。

「そうときたら、さっさと片付けてしまおう。娘が部屋に入ったら、だからな」

 両人差し指を、頭の上に鬼の角みたく立ててみせた。
 激怒する、というジェスチャーらしい。今度は我慢できず吹き出した。

「笑いごとじゃあないぞ。あぁ見えて、あいつは怖いんだ。君も気をつけるといい」
「そうなんですか?」

 確かに弟である太郎には手厳しかったが、とても優しく明るい女性だ。使用人達にもその態度は変わらない。
 
「そうなんだよ。私なんて、いつも叱られてばかりさ。よし、まずはその机の上から始めよう。手伝ってくれたまえ」
「あ、はい」

 何故か突然、書斎の片付けと掃除が始まってしまった。
 まずは書籍を大きな本棚に片付けて、書類や用紙を分類し分ける。
 ……それだけでも陸斗は、彼の片付け下手を実感するのだった。

「恭太郎さん」
「……」
「恭太郎さん!」
「あ、すまない。また夢中になってしまった」

(まったくこの人は)

 呆れてしまうほどに、この男はこの作業に向いていない。
 そもそも、すぐに中断してしまうのだ。
 途中で気になるモノが出てきたら、そちらに気がいってしまう。
 なので陸斗がふと手を止めてみれば彼は手にした本を読みふけっている、なんて姿をさっきから何度も見咎めていた。

「この書類の束、いるものと要らないもの分けてくれませんか」

 そういって紙の束をわたせば。

「とりあえず、全部しまっておいたら――」
「ダメです。なんかメモ用紙もあるみたいですし」
「うぅ……」

 すぐに一緒くたにしまい込もうとする。
 何度も繰り返すが、とことん整理整頓が出来ない人間らしい。
 しぶしぶながら受け取る表情も、拗ねた子供ようなそれである。

「もうそろそろ、片付いたんじゃないかね」
「まだですよ。これじゃあ、仁子さんに怒られちゃいますって」

 これに関しては、中途半端にすることも苦にならないのか。すぐに作業を投げ出してしまおうとする。
 それを、なだめすかして時にたしなめて。

「恭太郎さん、こっち終わりましたよ」
「……」
「恭太郎さん?」
「……」
「恭太郎さんってば!」
「……」
「あーっ、もう!!」

(この人。ほんとに‪‪‪α‬大嶌 恭太郎なのかなぁ)

 この数分で、また別ごとに集中力を奪われている彼を見ながら。陸斗は深いため息とともに、首をかしげた。

 


 



 

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