出来損ないのα‬と不機嫌なΩ(仮)

田中 乃那加

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‪‪α‬の父娘と困惑の部屋

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「っ!」
「気がついたかしら」

 差し込んできた言葉に、ビクッと反射的に身体を震わせる。
 とんでもない悪夢を見た時のように、陸斗は汗が自分の額を伝うのを感じていた。

「ここは……」
「ごめんなさい。とても怖い思いをさせてしまって」

 何度も何度もまばたきしながら、ようやく目が景色に慣れてきた。
 広いベッドは、この前担ぎ込まれた病院のは正反対。天蓋付きの、男子高校生が横たわるには少し気恥しいデザインだ。
 上質なのは布団もシーツもで、真っ白なそれに色を失いがちの腕をさ迷わせる。

「大丈夫? 陸斗君」
「た、仁子、さん」

 覗き込んだ美女。赤いはずの唇は、心無しか色が薄い。ノーメイクか、極めて薄い化粧なのか。
 それでも。いや、いっそう引き立つ端正な顔立ちに陸斗は少し見とれてしまう。

「……目を覚ましたのか」
「お父様」

 少し離れた所から声が響く。
 あのバリトンボイスだ。身体が一瞬ですくむのがわかった。

「調子はどうかね」

 横たわったまま、視線だけを移せば。

「!」

 穏やかで理知的な笑みを浮かべた、中年でありながら美形の男。
 文字通り、自分の父親とそう変わらない年齢のはずなのに妙に若々しさを感じるのはこの瞳と表情だ。
 翠色の双眸そうぼうは、キラキラと室内照明の灯りを映している。

「ふむ。少しまだ、顔色が良くないな」
「っ、や、やだっ……!!」
「陸斗君!」

 自らの頬にむかって伸ばされた手を、反射的に叩いた。
 ぱちんっ。と乾いた音がして、驚いたような彼女の声があがる。

「良いんだ、仁子」

 慌てた様子の娘を、そっと制止して彼は微笑んだ。

「少しばかり、情報と感情の行き違いがあっただけだ。そうだろう?」
「……」

 何が行き違いだ、と陸斗は内心毒づく。
 発情を誘発する薬を紅茶にいれたのは、おそらくこの男。
 Ωが受ける仕打ちとしては、そんなに珍しくなかった。それから乱暴されるだけ。
 発情さえしていれば、男同士であっても易々と押さえつけられる。
 それどころか、身悶えるほどの快楽で屈服させることすら可能なのだ。
 いわばその薬は彼らにとっては、劇薬。卑劣で残酷な、性暴行に他ならない。

「ぼ、僕は――」

(やっぱり‪α‬なんて信用すべきじゃなかった)

 仁子への恨みはないが、それでもきっと父親であるこの男をかばうだろう。
 下手すれば。
『父を誘惑した、恩知らずなΩ』と罵倒されるかもしれない。
 テレビやネット、そして伝聞などで吐き気がするほど見聞きした話だ。
 そのたびに、心が引き裂かれるような苦しみと葛藤にさいなまれる。
 これがこの身にふりかかるとなれば。

「まず
「えっ……?」

 恭太郎は実験、と言った。
 その途端。仁子が申し訳なさそうに言いよどみつつ、形の良い眉を下げる。

「ごめんなさいね、陸斗君。もっとちゃんと伝えるべきだったわ。父が貴方に、とある研究のための協力を望んでいると」
「け、研究?」

 初耳、というわけではないらしい。確かに言われてみれば、そんなことを彼女から聞かされた気がする。
 この国のトップクラスのα‬に対面するという緊張で、彼の頭の中からすっかり飛んでしまっていたようだ。あと言い訳するならば、なんだかここへやって来てから少し頭がぼんやりして集中しきれない事が多い。
 そう思わず口走れば。

「なるほど。興味深い」

 そう小さくつぶやいた声は、恭太郎だ。深くうなずいて、彼女を押しのけるように陸斗の前に立った。

「少しせてくれないか」
「え、ちょっ、なにを……!」

 突然、ベッドに腰掛ける少年の顔やら身体をぺたぺたと触り始める。驚いて身動ぎするが、その手つきは性的なそれを感じさせない。それどころかまるで、医師が患者を診察するだけのようで。

(でも恥ずかしいっ……)

 自分の姿、まるで作務衣のような合せのえりはまさしく病衣だった。しかも薄手のそれの下には、本来なら付けるべきモノを身につけていない。
 
(の、ノーパンなんて!)

 下半身がスースーして仕方なかった。さらに困ることに、目の前の‪α‬はお構い無しに身体中をまさぐってくる。
 抵抗して布団に潜り込もうにも、別に身体を押さえつけられていないのに動かない。
 人によっては泥酔していると感じるような、緩慢になった四肢。もちろん酒なんて飲んだこともない陸斗は、この状況にパニックになる。

「ひっ……や、やだっ……こわ、ぃ……」
「陸斗君、落ち着いて。大丈夫よ」

 唯一できる拒否として、必死て首を振って言葉をつむぐ。
 それをやんわりと止めるのが、彼女の言葉。

「これはだから」
「し、診察……」

 本当に医者のようなことをいう。そして真剣な眼差しで、脈をとったり肌の発汗具合を観察する男。
 しかしそれは医学というより――。

「ふむ、やはり興味深いな」

 満足そうに大きくうなずいた恭太郎は、手にした手帳になにか書き記してブツブツとつぶやいている。
 そんな父に、彼女は呆れ顔でため息をつく。

「お父様ったら、ちゃんと事情を説明されたのかしら」
「ン……?」

 咎めるような言葉に、彼はキョトンとしと顔をしている。
 
「それはお前達の仕事だろう?」
「もうっ、お父様ったら」

 彼女が天を仰いだ。
 
「いつも言っているでしょう! ほんと、研究に夢中になりすぎるのも考えものだわ……」
「被験者に対して、必要以上に情報を開示するわけにはいかないだろう。実験結果がブレるというものだ」
「そういうことを言ってるのではないの。だいたい、お父様はご自分の立場が分かってるの?」
「Ω研究は、私のライフワークだが」
「それは分かってるわよ。でも。いたずらに手を出してはいけない領域もあると、お祖父様もおっしゃったでしょ」
「あの老いぼれは、もう死んだのだよ。我が娘よ」
「お父様!!!」

 聞き分けのない悪童を叱りつけるように、仁子は声を荒らげた。

「本当に、いい歳をしてご自分の立場を弁えて欲しいわ」
「それはさっきも聞いた、娘よ」

 そう肩をすくめるのは、まるで少年のようにも見える中年男性である。しかもこれが‪α‬で。名門ともいわれる大嶌家の当主とは。
 陸斗は自分の目が信じられなかった。だが、それと同時に。

(少しだけど……アイツに似てる、かも)

 どれだけ拒絶の言葉を吐かれても、ニコニコと後をついてくる大型犬のような柔和な顔。
 やれ宿題や教科書を忘れたと、情けない声と表情でしょんぼりしてみせる同い年の少年の事だ。
 
(でもアイツだって‪α‬だ)

 あの威圧のフェロモンをみただろう。βだってひざまずかせる気迫を。さっき意識を失う前だって。

『彼は俺のもんだ』

 乱暴な言葉を吐いて、実の父親に牙を剥いた。自分より格上の相手に逆らうことが、どれだけの勇気を伴うことか――それは性別という、本能に囚われる人類すべてが知っていることだろう。

「とにかく、ちゃんと説明してね。お父様の口で!」
「うむ」

 めんどくさい。とその整った顔に書いてある。
 完璧であるはずの。いや完璧に見えていた彼が、娘に叱られ不貞腐れるなんて。先程までの不信感や怒りはナリをひそめ、感情がやわらいでいくのを感じた。

(なんていうか。憎めない、ような)
 
「という訳だ」
「お父様。まだ何にも言ってないでしょう」
「ン……」

 よほど事情説明が面倒なのか、それとも大っぴらにするのが躊躇われる事情があるのか。
 それでも仁子に急かされ、やれやれといった様子でベッドに腰掛けた恭太郎は口を開いた。

「私には、いくつかの顔がある――まずはそこから話そうか」

 彼の口から語られる事情。
 陸斗は、いつしか夢中になって聞き入っていた。
 
 
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