出来損ないのα‬と不機嫌なΩ(仮)

田中 乃那加

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赤き女王と若き獅子

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「ボクは反対だな」

 そう言ったのは幸介だった。やはり心配そうな。そしてほんの少しだけ、苛立ちを目元ににじませて。
 陸斗はそんな物言いをする親友を、珍しく思った。
 すると本人も思うところがあったのだろう。
 こほん、と小さな咳払いをした。

「ま。それも、ボクの感想だけどね」

 冗談めかした笑みをうかべるが、すぐに真顔になって言う。

「だってその女性は、彼の――大嶌 太郎のお姉さんなんだろう?」
「うん」
「しかも、αで」
「そうだな」

 腕を組み首をかしげ、幸介は深いため息をつく。

「危険すぎるよ。みすみす、彼の手の中におちていくようなもんじゃないか!」
「お、おちていくってなぁ……」
「あ、ごめん。それは言いすぎかも。でも本気で心配してるんだよ?」

 眉を下げる彼の気持ちも、痛いほどわかる。
 あくまで善意なのだ。
 親友がΩで、さらにα嫌いなのを知っているからこその。
 痛いほどに理解している。
 しかし陸斗自身も、一晩中悩んだ結果なのだ。

(でも)

 陸斗は、昨日の事を思い出していた。



※※※


「うちに来ればいいじゃない」

 なんてこともない、という口調で彼女が言う。
 
「え……」
「帰りたくないのでしょう?」

 家出してきたなんて言葉にしなくても、なぜかすべて知っているらしい。いや、察していると言うべきか。
 それでいて、相手に罪悪感や居心地の悪さを感じさせない物言い。αらしからぬ (と少なくとも彼が思う) 配慮だった。
 しかし甘えるわけにはいかない。

「それは出来ません」
「あら。どうして?」
「だって僕は……」

 この場合のとはここの事だろうか。
 だとすればよりいっそう、無理な話だ。
 寄りにもよって、嫌いな男のところに泊まれだなんて。なにやら期待に満ちた顔をしている太郎を、睨んだ。

「ふふっ、大丈夫よ。ここに置くつもりはないのよ」
「えぇっ!? 」

 大声をあげたのは太郎。
 情けない顔。まるで大切なものを取り上げられた子どものようだ。

(変なやつ)

 Ωなんて、αからすれば取るに足らない存在。確かに数としては希少ではあるが、もっと従順で性的魅力にあふれたΩがいくらでも寄ってくるだろうに。
 どうして彼は、ここまで自分に執着するのか。
 Ωに拒絶されたことによる、プライドを傷つけられた反動だろうか。それとも――。

(そんなわけ、ない)

 Ωが純粋に、心から求められるなんて。
 産む性だから。単なる野蛮な性本能だ。そう思わなければ、より傷ついてしまいそうだった。
 血の繋がりだって、本能には抗えないのだから。

「まさか姉さん、に彼を連れていくつもりじゃないよね」

 太郎の強ばった言葉が響く。
 すでに、ピリピリと肌を刺す空気をまとっていた。

「っ……く」

(まずい、またあのフェロモンか)

 陸斗は自らの足が力を失い、立ち上がったはずのソファに座り込む。為す術もなく。

「あらまあ」

 一転、冷たい声。
 それは静かな怒りと威圧。まさに、強いαのそれであった。

(!)

「あたしにケンカを売るのはやめなさい。太郎」
「……」
「あらあら。若いあなたに、いいことを教えてあげる」

 自らの赤髪を、さらりと指で梳く。
 同じく鮮やかな唇を上品に歪め、のぞいた零れるような白い――牙。

「αというのはね、もはや蛮族の民に近いものがあるわ」

 そう。それは獰猛な肉食獣の歯牙に似ていた。
 この世には三つの性が存在するが、αもΩも太古からの先祖返りであるという説が提唱されている。
 つまり。ある時代から人類が一度は失った本能が、ここ数百年のうちに蘇ったのだと。 
 それは進化の壁を越えられず、衰退していく人類を憂いた神の慈悲である……と繰り返し主張する新興宗教もあるくらいだ。
 
「知っているでしょう? ひとにぎりのαには、このがあることを」
「姉さんが優秀なのは、俺だって知ってるよ」
「ふふふ、そうかしら」

 彼女は殺意にもに視線をぶつけてくる弟を、微笑みをもって見る。

「だったら分かるわよね」
「姉さんといえど、彼をわたすワケにはいかない」
「ふふっ、なにも奪おうってつもりはないわよぉ」

(な、なんなんだこの姉弟……)

 平然とした顔をしながらも、鋭く強いフェロモンを蔓延させる仁子。
 βやΩであれば失神やむなしのこの状況下、ひたいに脂汗を滲ませつつも気丈に振る舞う太郎。
 すでにぐったりと脱力していた陸斗は、まばたきすら出来ず座り込んでいた。
 
(逃げ出さないと……っ)

 α同士の争いは、食うか食われるか。そんな気迫がある。そこに巻き込まれたΩは、災難以外のなにものでもない。
 このまま両方に食いつかれる可能性だって、あるのだから。

「太郎」

 耳にぶら下がる、赤く煌めいた石が特徴のピアスを手で弄びながら。彼女は口を開いた。

「今のあなたに、この子を愛する資格はない」

 また空気が重くなる。
 全身に、ナイフを突きつけられたかのような緊張感。
 何もされていないはずなのに痛みすら感じて、陸斗は歯を食いしばる。
 太郎もやや青ざめているのは、自分の姉である彼女には本能的に勝てないとわかっているからか。
 にぎりこぶしを作った掌には、くい込んだ爪が刺さって血を滲ませていた。

「姉さんといえど、聞き捨てならないな」
「あえて言っているのよ、太郎」
「……」

 彼女は目を細める。
 まさに、今しも狩りを行おうとする百獣の王に近いのではないか。

(これが、αなのか)

 人類の頂点に君臨する性。
 たとえ女性であっても、その威厳と威光は絶対的なものである。
 
「とにかく。彼を
「っ!」

 仁子がそう言って立ち上がり、陸斗の方に歩み寄ってきた。
 ビクリと全身を震わせる。押さえつけられるような圧力に、声も出てこない。

「あ、あ、あ……」
「ごめんなさいねぇ、怖がらせてしまったかしら」

 怖いなんてもんじゃない。
 全身の力が抜けて、視線だけを落とすのが精一杯だ。
 それもきっと彼女が一言『こっちを見ろ』と命じれば、その通りになる。
 αというのはそういう生き物なのだ。
 
「――もう大丈夫よ」

 その言葉とともに、ふっと身体が軽くなる。
 
「あっ」
「ごめんなさいね。久しぶりに姉弟ケンカをしてしまったわ」

 そう言って申し訳なさそうに眉をさげる。
 いつの間にかあの、口を開くことも出来ないほどの重々しい空気は霧散していた。

「立てる?」
「は、はい」

 真っ赤なネイルで彩られた手が、目の前をひらひらとしている。
 どうするべきか、考えるひまもなく。立ち上がって歩み寄り、その指を握っていた。

「では行きましょう」
「は……い……」
「大丈夫よ。怖くないわ」

 優しい声。さっきまでの恐怖が、溶かされていく。
 ただ威嚇して従わせるだけがαではない、ということを示していた。
 飴と鞭――そんな言葉が、陸斗の脳裏に踊った時だ。

「陸斗ッ!!」

 大声とともに。
 とつぜん後ろから、強く羽交い締めにされた。
 
「た、太郎!?」

 大きな身体で、胸に閉じ込めるような力で抱きすくめてくる。
 単純に苦しい。さらにある奇妙な感情が、彼の脳裏に差し込んだ。

(な、なんだ、今の……)

 同時にゾワリ、と鳥肌が立つ。
 不快なのかそうでないのかすら、分からな。ただただ、不思議な。味わったことの無い、感覚。
 産まれながらにして自らの内に飼っていた『なにか』が、食い破ってくるような――恐怖と困惑。しかしそれだけでない、慕情にも似たそれにひどく動揺する。

「……陸斗、いかないで」

 甘えるような声に、心が乱される。

(こんな男、αなんて、大嫌いなのに)

 どうも拒絶できない。ただ、小さく震えながら固まっていた。

「陸斗」

 すり、と太郎の鼻先が髪をかき分けてに触れる。
 心臓が大きく跳ねた。

「あ……ぁ……や、やだぁっ、やめっ」

(噛まれるっ)

 手足をばたつかせ必死で抵抗するも、時すでに遅し。
 ちろりちろり。と濡れた舌先が皮膚を蹂躙し、今にも歯を立てんとした時――。

「!」

 太郎の身体が、宙を舞う。
 気配を消した彼女がいつの間にか背後に回り込み、投げ飛ばしたのだ。
 大の男が、まるで紙細工のように飛んでいく。

「幻滅したわ」

 聞き分けのない子どもに、言い聞かせるかのような口調。

α、と言われても仕方ないわねぇ」

 赤きαは深紅の瞳を細めて、笑った。
 
 
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