出来損ないのα‬と不機嫌なΩ(仮)

田中 乃那加

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分からぬ‪α‬と知らぬΩ

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 さらってきた猫でもまだ大人しいだろう。
 剣呑な目付きで、陸斗は辺りを見渡す。

「そんなに見ても、珍しいモノはないよ? エロ本とか」
「……無駄口叩くな」
「あはは。はいはい」

 ジロリと睨めつけられても、知らぬ顔だ。それどころか、むしろ楽しそうにも見える。
 
 ――連れてこられたのがマンションの部屋。
 そこそこ広くて生活感のあるんだかないんだか分からない、小綺麗な場所だった。
 騙された、と後悔したがもう遅い。めちゃくちゃに暴れて、それもものともされず疲れ切った時にはベッド……ではなく。
 明るいリビングのソファに、腰掛けさせられる。
 
(モデルルームみたい)

 人の気配というか、住んでる感じが薄い。ただ寝に帰る社会人の、一人暮らしの部屋を彷彿ほうふつとさせた。
 まさか高校生で一人暮らしだろうか。
 太郎の家庭事情は知らないし、知りたくもなかったが。陸斗は、消毒薬や絆創膏と格闘する彼を眺める。

「お前、大袈裟おおげさなんだよ」
「あのねぇ。パニックになって、轢かれそうになった人間がいえることじゃないよ」
「うるさい」

 救急箱に手を置いて鼻を鳴らす男に、舌を出してみせてから気がついた。
 ちょっとしたケガを手当する太郎の大きな手は、少し震えていたのだ。
 
(バッカみてぇ)

 相変わらず顔はヘラヘラとしている。しかし目の前で陸斗が轢かれかけたことが、それほど怖かったのだろうか。
 それをいじわるく笑ってやる気もなくなり、黙り込む。

「これでいいかな」

 ようやく身体を離した時、何枚もの貼り損ねた絆創膏の残骸がテーブルに残された。

(不器用かよ)

 やはり‪α‬が完璧なんていうのは、ある種の神話めいた話なのかもしれない。少なくても目の前の少年は程遠く。それでもキッチリと消毒された手は少しも痛まなかった。
 ふと数秒。沈黙が、二人を包む。

「――あっ! そういえば、お腹減ってない?」
「は?」

 藪から棒だった。
 その意味を分かりかねて、首を傾げる。

「あはははっ、もう俺ったら。お茶も出さずにごめんね! ええっと、コーヒーでも飲む? インスタントしかないけどさ……あー。ごめん、ミルク切らしてるや。紅茶でもいいかな。とすると……ええっとなんかお菓子あったかなぁ――」
「お、おい!」

 突然、マシンガントーク始める太郎にタジタジとなって止めに入る。
 明るい照明に反射して、色素の薄い瞳が煌めいて見えた。
 頬を薄く染めて、照れくさそうに。それでいて嬉しそうに、言葉があふれ出す口を反射的に指で押さえた。

「僕はすぐ――」
「ぅええぇぇっ! 帰っちゃうの!?」

 『帰るから』と、言いかけるだけで大音量の太郎に度肝を抜かれた。
 大きな身体のくせに見つめてくる目は、少し潤んでいる。

「もう夜も遅いよ? 危ないから……」

 引き止めるためか、おずおずと伸ばしてくる手は宙をさまよう。
 それに見て見ぬふりをした。

「ふん。女じゃあるまいし」
「でもまた車に轢かれたらっ!」

 自分が、立ち上がる素振りだけで動揺したように声が大きくなる。
 
(なんだよ。まるで本気で心配してるみたいじゃないか)

「それにっ……変質者に付きまとわれたら――」
「おい、ちょっと待て」

 今度こそ、とはどういう意味か。
 ジッと疑いの目で睨めつけてやれば、何やらもごもご言ったあとに。

「だってだってだって…………心配だったから」

 蚊の鳴くような声で、太郎がつぶやいた。

「心配、だと?」

 たかが夜に男が一人歩いてるだけで。Ωだが発情期じゃない、フェロモンを撒き散らしているわけでもないのに。
 わざわざ尾行するほど、なにが心配だというのか。

(しかも偶然にしてはおかしすぎる)

 普段なら、夜にこの道を歩くのはまれだ。家と学校、どちらにも方向が違う。繁華街からも遠ざかっている。

「まさかお前……」
「ち、ちがうよ! べつにっ、普段から陸斗の家の周りを見回りしてるとかっ。お母様とも連絡とらせてもらってて、何となく行き先を探ってたとかっ、そういうのじゃなくって――」
「!!!」

 つまりそういうことだ。
 常々、片桐家の周りを徘徊していた。そこで不審に思い通報されかけたことから、彼の母親と懇意となる。
 陸斗は愕然として、瞬きひとつ出来なかった。
 こともあろうに嫌いな‪α‬が。そんなことより、すでに外堀が埋められつつあることがもうショックで。
 
「り、陸斗ぉぉ!?」

 気がついたら涙が溢れていた。
 そしてアタフタと、なぜか土下座スタイルをとる太郎。

「ごごごっ、ごめん!! ほんっとうにゴメンね! 隠してたワケじゃなくて――」
「そんなにして、Ωを番にしたいのかよ。‪α‬ってやつは」
「え?」

 是非と乞われて番になる。それを愛の証とし、美談とする声も多いだろう。
 しかし彼はちがった。
 むしろそれはΩという性に囚われた、哀れで屈辱的な鎖とも思えるのだ。
 本能だから。抗えないから、彼らは自分たちに執着して犯す。
 発情期、Ωのに出現するしるしに噛み付く。
 そうすれば、番の契約は結ばれる。‪
 誰が教えたわけでもないのに継がれる、まさしく生殖動物としての本能――。

「いい加減にしろ。ほかのΩどもは知らないけどな。僕は、‪α‬に好かれたって全然嬉しくないんだ」
「陸斗……」
「僕じゃなくたって、いいだろう」

 Ωなら、他にもいる。確かに希少ではあるが、‪α‬にΩを宛てがう斡旋業者は民間にもあるのだ。
 ただでさえ、‪α‬男性を嫌悪する自分に付きまとうのだと涙を拭いながら口にした。

「……」

 太郎は何も言わない。ただジッと話を聞いていた。
 黒く、少しくせっ毛の髪を時折自分で触りながら。
 大きな身体をほんの少し丸めて。
 
(情けない顔しやがって)

 よくよく見れば素材は悪くない男なのだ。むしろ‪さすが‪α‬というだけはあって、整った顔をしている。
 太い眉は雄々しく、しかし長い睫毛は目力を際立たせて。通った高い鼻梁に、ふっくらとした唇。
 どこか異国の血がまじっているのかもしれない。
 少し浅黒い肌も、その容姿を引き立てていた。

(恵まれた血だ)

 ‪人類のカースト上位種。才能と知力と体力に優れた、もっとも神に近い性とも言われている。
 
(きっと他の連中なら喜ぶのかもしれないな)

 Ωである自分に対するクラスメイト達の視線が、好奇や同情などに加えて別のものがまざり始めた。
 それが【羨望】と【嫉妬】だ。
 国に選ばれて、陸斗に‪α‬のパートナーができたと知ったからだろう。
 
『良かったね』

 なんて悪意のない言葉さえ、彼を傷つける。

(もう。‪性別に振り回されたくない)

 自分に伸びてくる手がどんな感情を伴ったものか、なんて怯えなくても良くなりたい。
 
「陸斗。ごめん」

 どう言い含めればいいか分からず口をつぐんだ彼に、今度は太郎が顔をあげた。

「俺ね。たぶん、陸斗じゃなきゃダメなんだと思う」
「それは――」
「‪α‬とかΩとかじゃなくってさ。その、ええっと、あー……もうっ、恥ずかしいなぁ!」

 頭をガシガシとかいて、大きくため息。

「俺は、陸斗が好きなんだよ! Ωとかそんなの関係なくてね」

 床にひざをつきながら見上げてる瞳。注がれた視線の熱さに、なぜか逃げることも出来ない。真剣きわまりない、真摯な感情が流れてくるようで。

「みんなが言うように、‪α‬なのにこんな出来損ないの俺だけどさ。それでも、好きな人はわかるんだよ。それに、一目惚れだってするし」
「ひ……?」

(一目惚れ、だって!?)

 純粋に性別関係なく、愛していると言いたいらしい。
 思いもかけない言葉に陸斗は、口をぱくぱくさせる。

(‪α‬が一目惚れ? しかもΩに? 性別関係なく、なんて)

 ありえない。
 すくなくても、彼の常識外であった。
 ‪α‬がΩに執着するのは、ただそれが本能だから。自分の子孫を残すために。

「そ、そんなこと。僕が、信じられると思うか」
「だろうね」

 唇を震わせた陸斗に、彼は静かに答えた。
 その時である。

「!」

 チャイムが鳴った。
 
「…………チッ」

 忌々しげに舌打ちしたのは、太郎だ。
 
 


 
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