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友の恋人と傷心
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「どうしてアタシが、αのフェロモンに対して平気なのかってェ?」
得意満面で鼻の穴を少し膨らませた露美に、怪訝そうな顔の陸斗と幸介。
すったもんだの末。彼女に引っぱたかれた太郎は、まるで憑き物が落ちたかのようだった。
すごすごと教室を出ていった後に残されたクラスメイトのポカンとした顔と、思い出したかのように鳴るチャイム。
まだ残るフェロモンに顔を顰めた教師が、何かを察したかのように廊下に視線をなげる。
――そんな感じの、まるで狐につままれたような状態のあと。
あんがいアッサリと放課後を迎えた。
「アタシ、特殊体質でね」
というか鈍いんだけど、とおどけながらペロリ舌を出す。
彼女が言うには。
昔から鼻のきく女性βにしては珍しく、αやΩのフェロモンにはまったく反応しない体質らしい。
だから太郎の威圧的なフェロモンも何も感じなかったと。
「みんなバタバタ倒れてるし、このまま見ててもよかったんだけど――」
「だとしても、あのαにビンタするなんて!」
声をあげたのは幸介だ。非難というより、賞賛に近かった。
「へ? なんで」
「えっ」
「ここは止めてあげないとダメでしょ。普通に」
「それにしたって、あのαにだよ!?」
「えー? わかんないなァ」
露美は首を傾げる。
「クラスは違えど、大嶌君だって同じ学年の生徒だよ」
「で、でも……」
「αとかβとか。そういうのって、個人を判断する材料にはならないってこと。アタシにとってはね」
フェロモンを嗅ぎ分けられない者ならではの言葉に、彼は納得せざるを得なかった。
「でもすごいなあ。露美さんって」
深々と感嘆のため息をつきがら、幸介がつぶやく。
「ま。アタシに言わせると、アンタたちの方がすごいんだけどさ」
肩をすくめたあと、彼女は少し微笑んだ。
分かる者と分からない者。持つ者と、持たざる者。それらはその瞳で見る世界すら、まったく違うものにしているのかもしれない。
特に高校生という、子供なのか大人なのかあやふやな年頃の少年少女達はとても不安定だ。
「あ、そろそろ帰らないと」
傾いた陽の光が、窓から差した。
まるで初夏のような暖かい日。太陽が落ちれば、まだ少し肌寒いのだろう。
「遅くまで引き止めて、ごめん。露美」
「え? あー、いいのいいの」
どうせ帰宅部だし、と付け加えてカバンを手にする。
運動神経バツグンの彼女は、入学当初は確かバレー部に入っていた。しかし半年もしないうちに突然、退部してしまったのだ。その理由を、陸斗は特に訊ねたことはない。
話題に出すことすら、なぜか躊躇われたから。
「今夜、カレシが家に来るのよ」
「へえ!」
親指をたてて、にんまり笑う彼女に驚きの声をあげたのは幸介。
「お前、恋人なんていつ作ったんだよ」
陸斗が思わず口を開けば。
「あれェ? 言ってなかったっけ」
とわざとらしくおどろいてみせる露美の横顔に、夕陽が当たる。
美少女、とは言わないまでも愛らしい容姿だ。
性格も明るく、頭も悪くない。これなら恋人のひとつやふたつ出来るだろう、と妙に納得した。
「カレシさんはβなの?」
「やっぱり幸介はそこんとこ、気になっちゃうか~。ふふ、違うの」
「え!」
チッチッチッ。と人差し指をたててみせ、ウィンクしてみせる。
他人がすれば滑稽ともいえるこの仕草も、彼女なら妙に様になっているから不思議だ。
「αなんだよね。アタシの彼氏」
「ええっ!?」
これには二人とも驚いた。αとβのカップルは、非常に珍しい。特に、α男性とβ女性はフェロモンの相性が合わないことが多々あるからだ。
「へへ、すごいでしょ」
「すごいっていうか……だから大嶌君を平手打ちした時、容赦なかったんだね」
「ま。こっちは不感症だからね」
「露美さんったら、そんな言い方!」
彼女と幸介のやり取りを、陸斗はぼうっと眺める。
なんだかとてもショックだった。クラスメイトに恋人がいたからではない。
それが自分が嫌悪するαだったから。
(彼女はαの傲慢さを受け入れているってことなのか)
陸斗の中では全てのαが、偉そうで愚かで他者の上に立つ為なら弱い存在を踏みつけることも厭わない非道な奴らだ。
そんな性を恋人に選んだβ。
他にも言いようのないモヤモヤが、心を占め始めている。
黙り込んでいる彼を気にする風もなく、露美は軽く手を振って帰って行った。
「陸斗、大丈夫?」
「……ああ」
きっと察していたのだろう。親友がそっと肩に触れる。
「ボクは、陸斗の味方だからね」
「幸介」
夕陽色の壁に、少年達の影が映る。
※※※
「陸斗、どうするつもりなの」
母の言葉に苛立ちが含まれていることは分かった。
その手には赤い封書。宛名は彼の名前ではあるものの、すでに開封されている。
(国からの書面か)
『超☆TSUGAI』プロジェクトは、国の政策のひとつだ。
効力はめったなことでは拒否不可能であり、辞退や免除にはそれなりの理由がいる。
例えば心神耗弱や病気であること。さらには性的に不能である(αの場合は勃起不全など。Ωは不妊などがあげられるが、その例は稀である)
「なにが気に入らないのよ!」
書類をテーブルに叩きつける母の手を、チラリと見た。
その指先は綺麗にネイルが施されている。
最近、身綺麗になったのは何故だろう。
(また派手になったな)
Ωとはいわば社会的弱者であると団体が声を上げ始め、数年前からいくつかの助成制度が作られた。
そのひとつが助成金である。もちろん彼らの社会的な不自由さに対して、微々たるものではあるが。
それを目当てにした不正受給が存在するのも、仕方なのない事なのかもしれない。悪い人間というのは、どこの世界にもいるものだ。
Ωを、さらに悪い立場に追い込む事など何とも思わない愚か者達が。
(大人は汚い)
別に自分の母親がそうだとは思いたくないが、嫌悪感はつのっていく。
傷つきやすい十代の少年の心は、いとも簡単に不信に染まってしまった。
「黙ってないで答えなさい、あなたのために言ってるのよ!」
「……」
「陸斗!!」
つり上がった目。
いつからだろう、母のことを醜いと思うようになったのは。
偉そうにアレコレ言いつけるその口先は、乾くことなく汚らしい唾と暴言が飛び出してる。
「Ωには、それしか生きていく術がないのよ」
生きていくためには、α男性に媚びて身体をひらけというのか。
(そんなの、まるで売女じゃないか)
性を売り物にした男や女は、この世界にもいる。
やはり主にΩである。抑制剤を使用しながらの、リスクのある性的サービス。
うっかり発情してしまい。レイプの末、番の関係を結ばされたり孕まされたり。劣悪なところであれば、発情プレイという正気とは思えぬものをウリにしていたりと。
人の欲の闇は、とどまることを知らない。
「大嶌さんならきっと、あなたを幸せにしてくれるわ。だから――」
「冗談じゃない」
(あの男のものになれと? 威圧のフェロモンを垂れ流すような、くそムカつく男の)
思わず遮って声をあげた。
想像すらしたくない。自分がみっともなく男にしなだれかかり、番としてこの身を差し出すなんて。
しかし母はさらに激昂したようだ。
「発情期のある、子どもを産むことしか出来ないΩに何が出来るっていうの!」
「っ!?」
改めてこの耳で、しかも肉親の言葉で聞くと目の前が暗くなる。
やはり皆、同じことを思っているのだ。
気がつけば涙が頬を、ゆっくりと伝う。
「……陸斗」
「少し、出かけてくる」
「陸斗!」
母の、気まずそうな表情すら見たくなかった。
ただここを逃げ出してしまいたい、それだけ。
ともすれば思考停止して泣き伏してしまいそうな心で、彼はゆっくりと頭を振る。
「わかったよ――もう、ワガママは言わない」
財布ひとつ。
そして一応のためと持ち歩いている、抑制剤をかかげてみせた。
「コンビニ、行くだけだから」
「でも……」
「大丈夫」
母が自分の未来を心配してくれているのは、真実なのだろう。それが分からないほど、彼も子どもではないのだ。
だからこそ辛かった。決定的な違いを、見せつけられたこの瞬間が。
「大丈夫だから」
陸斗は笑った。
ぎこちない笑みだっただろうか。それは完全なる嘘吐きの笑顔だった。
「ちょっと、頭冷やしてくるだけ」
「……」
今度は彼女が黙り込んだ。何か考えあぐねているのだろうか。
陸斗はそのまま、部屋を出た。短いはずの玄関への道のりが遠い。
「行ってきます」
誰もいない空間に向かってのつぶやきが、虚しく響く。
(もうダメだ)
逃げるしかない、そう思った――。
得意満面で鼻の穴を少し膨らませた露美に、怪訝そうな顔の陸斗と幸介。
すったもんだの末。彼女に引っぱたかれた太郎は、まるで憑き物が落ちたかのようだった。
すごすごと教室を出ていった後に残されたクラスメイトのポカンとした顔と、思い出したかのように鳴るチャイム。
まだ残るフェロモンに顔を顰めた教師が、何かを察したかのように廊下に視線をなげる。
――そんな感じの、まるで狐につままれたような状態のあと。
あんがいアッサリと放課後を迎えた。
「アタシ、特殊体質でね」
というか鈍いんだけど、とおどけながらペロリ舌を出す。
彼女が言うには。
昔から鼻のきく女性βにしては珍しく、αやΩのフェロモンにはまったく反応しない体質らしい。
だから太郎の威圧的なフェロモンも何も感じなかったと。
「みんなバタバタ倒れてるし、このまま見ててもよかったんだけど――」
「だとしても、あのαにビンタするなんて!」
声をあげたのは幸介だ。非難というより、賞賛に近かった。
「へ? なんで」
「えっ」
「ここは止めてあげないとダメでしょ。普通に」
「それにしたって、あのαにだよ!?」
「えー? わかんないなァ」
露美は首を傾げる。
「クラスは違えど、大嶌君だって同じ学年の生徒だよ」
「で、でも……」
「αとかβとか。そういうのって、個人を判断する材料にはならないってこと。アタシにとってはね」
フェロモンを嗅ぎ分けられない者ならではの言葉に、彼は納得せざるを得なかった。
「でもすごいなあ。露美さんって」
深々と感嘆のため息をつきがら、幸介がつぶやく。
「ま。アタシに言わせると、アンタたちの方がすごいんだけどさ」
肩をすくめたあと、彼女は少し微笑んだ。
分かる者と分からない者。持つ者と、持たざる者。それらはその瞳で見る世界すら、まったく違うものにしているのかもしれない。
特に高校生という、子供なのか大人なのかあやふやな年頃の少年少女達はとても不安定だ。
「あ、そろそろ帰らないと」
傾いた陽の光が、窓から差した。
まるで初夏のような暖かい日。太陽が落ちれば、まだ少し肌寒いのだろう。
「遅くまで引き止めて、ごめん。露美」
「え? あー、いいのいいの」
どうせ帰宅部だし、と付け加えてカバンを手にする。
運動神経バツグンの彼女は、入学当初は確かバレー部に入っていた。しかし半年もしないうちに突然、退部してしまったのだ。その理由を、陸斗は特に訊ねたことはない。
話題に出すことすら、なぜか躊躇われたから。
「今夜、カレシが家に来るのよ」
「へえ!」
親指をたてて、にんまり笑う彼女に驚きの声をあげたのは幸介。
「お前、恋人なんていつ作ったんだよ」
陸斗が思わず口を開けば。
「あれェ? 言ってなかったっけ」
とわざとらしくおどろいてみせる露美の横顔に、夕陽が当たる。
美少女、とは言わないまでも愛らしい容姿だ。
性格も明るく、頭も悪くない。これなら恋人のひとつやふたつ出来るだろう、と妙に納得した。
「カレシさんはβなの?」
「やっぱり幸介はそこんとこ、気になっちゃうか~。ふふ、違うの」
「え!」
チッチッチッ。と人差し指をたててみせ、ウィンクしてみせる。
他人がすれば滑稽ともいえるこの仕草も、彼女なら妙に様になっているから不思議だ。
「αなんだよね。アタシの彼氏」
「ええっ!?」
これには二人とも驚いた。αとβのカップルは、非常に珍しい。特に、α男性とβ女性はフェロモンの相性が合わないことが多々あるからだ。
「へへ、すごいでしょ」
「すごいっていうか……だから大嶌君を平手打ちした時、容赦なかったんだね」
「ま。こっちは不感症だからね」
「露美さんったら、そんな言い方!」
彼女と幸介のやり取りを、陸斗はぼうっと眺める。
なんだかとてもショックだった。クラスメイトに恋人がいたからではない。
それが自分が嫌悪するαだったから。
(彼女はαの傲慢さを受け入れているってことなのか)
陸斗の中では全てのαが、偉そうで愚かで他者の上に立つ為なら弱い存在を踏みつけることも厭わない非道な奴らだ。
そんな性を恋人に選んだβ。
他にも言いようのないモヤモヤが、心を占め始めている。
黙り込んでいる彼を気にする風もなく、露美は軽く手を振って帰って行った。
「陸斗、大丈夫?」
「……ああ」
きっと察していたのだろう。親友がそっと肩に触れる。
「ボクは、陸斗の味方だからね」
「幸介」
夕陽色の壁に、少年達の影が映る。
※※※
「陸斗、どうするつもりなの」
母の言葉に苛立ちが含まれていることは分かった。
その手には赤い封書。宛名は彼の名前ではあるものの、すでに開封されている。
(国からの書面か)
『超☆TSUGAI』プロジェクトは、国の政策のひとつだ。
効力はめったなことでは拒否不可能であり、辞退や免除にはそれなりの理由がいる。
例えば心神耗弱や病気であること。さらには性的に不能である(αの場合は勃起不全など。Ωは不妊などがあげられるが、その例は稀である)
「なにが気に入らないのよ!」
書類をテーブルに叩きつける母の手を、チラリと見た。
その指先は綺麗にネイルが施されている。
最近、身綺麗になったのは何故だろう。
(また派手になったな)
Ωとはいわば社会的弱者であると団体が声を上げ始め、数年前からいくつかの助成制度が作られた。
そのひとつが助成金である。もちろん彼らの社会的な不自由さに対して、微々たるものではあるが。
それを目当てにした不正受給が存在するのも、仕方なのない事なのかもしれない。悪い人間というのは、どこの世界にもいるものだ。
Ωを、さらに悪い立場に追い込む事など何とも思わない愚か者達が。
(大人は汚い)
別に自分の母親がそうだとは思いたくないが、嫌悪感はつのっていく。
傷つきやすい十代の少年の心は、いとも簡単に不信に染まってしまった。
「黙ってないで答えなさい、あなたのために言ってるのよ!」
「……」
「陸斗!!」
つり上がった目。
いつからだろう、母のことを醜いと思うようになったのは。
偉そうにアレコレ言いつけるその口先は、乾くことなく汚らしい唾と暴言が飛び出してる。
「Ωには、それしか生きていく術がないのよ」
生きていくためには、α男性に媚びて身体をひらけというのか。
(そんなの、まるで売女じゃないか)
性を売り物にした男や女は、この世界にもいる。
やはり主にΩである。抑制剤を使用しながらの、リスクのある性的サービス。
うっかり発情してしまい。レイプの末、番の関係を結ばされたり孕まされたり。劣悪なところであれば、発情プレイという正気とは思えぬものをウリにしていたりと。
人の欲の闇は、とどまることを知らない。
「大嶌さんならきっと、あなたを幸せにしてくれるわ。だから――」
「冗談じゃない」
(あの男のものになれと? 威圧のフェロモンを垂れ流すような、くそムカつく男の)
思わず遮って声をあげた。
想像すらしたくない。自分がみっともなく男にしなだれかかり、番としてこの身を差し出すなんて。
しかし母はさらに激昂したようだ。
「発情期のある、子どもを産むことしか出来ないΩに何が出来るっていうの!」
「っ!?」
改めてこの耳で、しかも肉親の言葉で聞くと目の前が暗くなる。
やはり皆、同じことを思っているのだ。
気がつけば涙が頬を、ゆっくりと伝う。
「……陸斗」
「少し、出かけてくる」
「陸斗!」
母の、気まずそうな表情すら見たくなかった。
ただここを逃げ出してしまいたい、それだけ。
ともすれば思考停止して泣き伏してしまいそうな心で、彼はゆっくりと頭を振る。
「わかったよ――もう、ワガママは言わない」
財布ひとつ。
そして一応のためと持ち歩いている、抑制剤をかかげてみせた。
「コンビニ、行くだけだから」
「でも……」
「大丈夫」
母が自分の未来を心配してくれているのは、真実なのだろう。それが分からないほど、彼も子どもではないのだ。
だからこそ辛かった。決定的な違いを、見せつけられたこの瞬間が。
「大丈夫だから」
陸斗は笑った。
ぎこちない笑みだっただろうか。それは完全なる嘘吐きの笑顔だった。
「ちょっと、頭冷やしてくるだけ」
「……」
今度は彼女が黙り込んだ。何か考えあぐねているのだろうか。
陸斗はそのまま、部屋を出た。短いはずの玄関への道のりが遠い。
「行ってきます」
誰もいない空間に向かってのつぶやきが、虚しく響く。
(もうダメだ)
逃げるしかない、そう思った――。
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