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筋肉男子と地雷男子
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夜に帰ってきた叶芽を出迎えた男の姿。それは完全なる不審者であった。
「やあおかえり!」
「…………なにしてんの」
「見張りだが」
頭がクラクラした。なにせ玄関の前で寝袋に入った光雄が巨大芋虫よろしく転がっていたからだ。
「だからいらないって言っただろ。そしてここで寝るな」
「昨晩もここで寝たぞ」
「はぁぁっ!?」
叶芽の顔がサッと青ざめる。
昨晩といえば一人部屋で自慰行為をしていたのを思い出した。いくら距離があるとしても、声が聞こえていないとも限らない。
「お、お前……その……ほんとにここで……?」
「ああ。寝袋あったからな」
まさか隣人が自分の部屋の前で一夜を過ごしていたなんて想像もしなかった。
かと言って。
『昨日一人でシてた声を聞いたか』
なんて問いただすことも出来ず。
「あー、ええっと」
ゴニョニョと口ごもるしかできないのだが。
「しかし寝袋だとよく寝れる」
「あ?」
「自分の部屋より寝心地が良くてなぁ」
外より居心地の悪いってどんな部屋だ、と首を傾げるとともに安堵した。どうやら聞かれずに済んだらしい。
「今夜もここで番をしてやる。物騒だからな」
「だからしなくていいって!」
ここはスラム街じゃないと何度行ったら理解するのだろう。
それとも日本の首都である東京の治安の良さ (あくまで海外比)から解説しなければならないのか。
「ったく……」
叶芽は大きくため息をついた。そして次の一言で光雄が目を見開く。
「入れよ」
「えっ!?」
叶芽としてはただただ、ずっとドアの外に待機しておられると気まずいという気持ちからだった。
本当なら自分の部屋に帰れと言いたいし言っているのだが、聞く耳などまったく無さそうだ。
それならいっそ招き入れた方が良いという妥協案だったのだが。
「いいいっ、いいのか!?」
「はぁ? なんだその反応」
思いのほか動揺している彼を置いて、さっさとドアを開ける。
「そんなとこにいる方が物騒なんだけど」
最悪、通報されかねない。それこそいい迷惑だと言い捨てて中に入った。
慌てたように寝袋から這い出してくる光雄をチラリ横目で見ながらこっそり笑う。
――馬鹿だな、こいつ。
しかし実害はないのだから平気だった。
「ほんと叶芽の部屋はキレイだな」
「そうか?」
キレイというより物が無さすぎるだけなのではなかろうか。
元恋人から別れを告げられたあと、泣きながら思い出になりうるものはすべて捨てた。
それこそ彼に合わせて選んだ食器類もすべて。
一応別々に暮らしていたのにも関わらずほとんどここに入り浸る状態だった為、それだけ捨てたあとは生活感が失われたのだ。
つまりそれだけ、元恋人の存在が叶芽の生活の大半を占めていた。
「俺の部屋、まだダンボールだらけで」
「ふうん」
聞けば光雄は近くの大学に通う学生。入学とともに最初に引っ越したアパートは諸事情で引き払い、ここに越して来たという。
「分量もすごいんだ。足の踏み場がなくて」
肩をすくめて困ったように笑う彼に。
「そう。あ、適当に座れば」
と返す。そして冷蔵庫を開けて少し後悔した。
――なんもないな。
あるのは日中に買い込んでおいたチューハイ缶のみ。
最悪な気分で帰路についたものだから、他の店に寄ることすらなかった。
「お前、酒飲める?」
一本だけ取り出すと彼の方に向ける。
「えっ、お、おう」
面食らったかのように一瞬ぽかんとしたのち何度もうなずく。だから叶芽はチューハイ缶をそのままわたしてやった。
「僕はシャワー浴びてくるから」
そう言ってさっさと風呂場へ。
一刻も早く、身体にこびりついているであろう痕跡を消したかった。
ひんやりとした浴室の床に少し身震いする。
「っ、クソが」
避妊具はつけさせていたから中に出されて腹をこわすことはない。しかしそれでも不快であることには変わりなくて。
「はぁ」
叩きつけるような水圧が心地よかった。もう売春を強要する元恋人はいない。それなのにまたこんなことをした自分が汚らわしく思えて仕方がない。
言ってしまえば我に返ったのだ。
金がないからと犯してしまう罪の気軽さに愕然とした。
「ちくしょう……」
悔しさと情けなさに歯を食いしばる。自分が憎くて仕方ない。
堕ちた、と今更ながら自覚したのだから。
「死ぬからいいよな」
などと無理矢理納得する。そうしなければ泣いてしまいそうだった。
そうしてすべて洗い流したフリをしてシャワーを止めた。
「――なんだ飲んでないの」
風呂を上がって髪をふきながら見ると、光雄が興味津々といった様子で部屋を見渡してる。
「叶芽と一緒にって思ってさ。ほんと整理されてていいなぁ、この部屋」
「なにもないだけだよ」
特に見るものなどないだろうに、目をキラキラさせてる彼を呆れ半分で見下ろす。
「一緒に飲もうや」
光雄がどうやら最初から持ってたであろうコンビニ袋を開ける。
「ツマミ、になるかはわからんが」
「おにぎり……?」
またコンビニおにぎりがいくつも出てくる。
「ツナマヨもあるぞ」
ニッと笑顔をみせながら二種類のおにぎりを見せる。
「これ和風ツナマヨってやつ。俺、これが好きなんだよな。丸いヤツ」
確かにコンビニには海苔がパリッとしている三角のやつだけじゃなく、しっとりとした丸いものもある。
「え、おにぎりは海苔がパリッとしてなきゃだろ」
片方を手に取り、叶芽が言うと。
「あのしっとり感がいいんだぞ」
と光雄。
「いや、あんなの邪道だ」
「いやいや、むしろ今では王道になってるから」
「いやいやいや、海苔は乾いてないと」
「いやいやいやいや、しっとりだろ」
二人はそんなことを言い合いながらも、並んで包装フィルムをあけて食べ始めた。
「うん。美味い」
「いやこっちの方が美味いってば」
「じゃあこっちの食わせろよ、叶芽」
「えっ」
聞き返した時には距離が詰められていて。
「ちょっ……!?」
「んー、まあそれぞれかぁ」
その視線はおにぎり。叶芽は一口かじられた箇所と、光雄の顔を交互にながめて呆然とする。
――ノンケの距離感って怖い、ってかこいつ絶対陽キャだろ!
そこに下心も何もない。あるとしても陽キャのコミュ力の高さだろう。
一方叶芽は学生時代、家庭環境や自分のセクシャリティもあってなかなか人付き合いも上手くいかなかった。
「俺のも食う?」
「……いい」
「そっか」
やはり何も感じてないらしい。
「それにしても、おにぎりとレモン酎ハイの組み合わせは微妙だな」
「そんなこと分かりきってるだろ」
「あはは、違いない」
あっけらかんと声を上げて笑うこの青年の隣にいると、なぜだか少し気が楽になることに気づいた。
「……俺、前にいたアパートで隣人トラブル起こしてさ」
一本の缶がほぼ空になったくらいだろうか。光雄がぽつり言った。
「色んな人に迷惑とか心配かけてしまって。だから今度こそお隣さんとは仲良くしたいって思ったんだよな」
「ふうん」
隣人トラブルといっても様々だろう。騒音や臭いなどのものから、挨拶や嫌がらせなどの人間関係のものまで。
しかしこの青年であれば余程のことがない限り上手く対処出来そうなものだが、と叶芽は思った。
「叶芽みたいなやつがお隣さんでよかった」
「……」
すぐ隣で首吊り自殺企てる売春常習犯のゲイでいいのか。
いや知らないからそんな事が言えるのだ。
本当のことを知れば、その童顔の綺麗な顔を嫌悪で歪めるだろう。
「僕はこんなお隣さんで驚いてるけど」
「そうなのか?」
「だって初日でドア破壊されるとは思わなかったし」
「耳が痛いなぁ」
「帰ってきたら寝袋で玄関前に転がってるし」
「それはむしろ普通じゃないか?」
「普通なわけあるか」
普通では無い。非常識だが、それでもこの青年相手だと許せてしまうのがすごい。
こんなのとトラブル起こす前の隣人はどんだけめんどくさいタイプだったんだ、と叶芽は思った。
「これからもよろしくな、叶芽」
「あ、うん」
もうすぐ死ぬけど、なんて絶対に口に出せないまま缶に残った酒を一気に飲み干す。
今日は一向に酔えない。
「やあおかえり!」
「…………なにしてんの」
「見張りだが」
頭がクラクラした。なにせ玄関の前で寝袋に入った光雄が巨大芋虫よろしく転がっていたからだ。
「だからいらないって言っただろ。そしてここで寝るな」
「昨晩もここで寝たぞ」
「はぁぁっ!?」
叶芽の顔がサッと青ざめる。
昨晩といえば一人部屋で自慰行為をしていたのを思い出した。いくら距離があるとしても、声が聞こえていないとも限らない。
「お、お前……その……ほんとにここで……?」
「ああ。寝袋あったからな」
まさか隣人が自分の部屋の前で一夜を過ごしていたなんて想像もしなかった。
かと言って。
『昨日一人でシてた声を聞いたか』
なんて問いただすことも出来ず。
「あー、ええっと」
ゴニョニョと口ごもるしかできないのだが。
「しかし寝袋だとよく寝れる」
「あ?」
「自分の部屋より寝心地が良くてなぁ」
外より居心地の悪いってどんな部屋だ、と首を傾げるとともに安堵した。どうやら聞かれずに済んだらしい。
「今夜もここで番をしてやる。物騒だからな」
「だからしなくていいって!」
ここはスラム街じゃないと何度行ったら理解するのだろう。
それとも日本の首都である東京の治安の良さ (あくまで海外比)から解説しなければならないのか。
「ったく……」
叶芽は大きくため息をついた。そして次の一言で光雄が目を見開く。
「入れよ」
「えっ!?」
叶芽としてはただただ、ずっとドアの外に待機しておられると気まずいという気持ちからだった。
本当なら自分の部屋に帰れと言いたいし言っているのだが、聞く耳などまったく無さそうだ。
それならいっそ招き入れた方が良いという妥協案だったのだが。
「いいいっ、いいのか!?」
「はぁ? なんだその反応」
思いのほか動揺している彼を置いて、さっさとドアを開ける。
「そんなとこにいる方が物騒なんだけど」
最悪、通報されかねない。それこそいい迷惑だと言い捨てて中に入った。
慌てたように寝袋から這い出してくる光雄をチラリ横目で見ながらこっそり笑う。
――馬鹿だな、こいつ。
しかし実害はないのだから平気だった。
「ほんと叶芽の部屋はキレイだな」
「そうか?」
キレイというより物が無さすぎるだけなのではなかろうか。
元恋人から別れを告げられたあと、泣きながら思い出になりうるものはすべて捨てた。
それこそ彼に合わせて選んだ食器類もすべて。
一応別々に暮らしていたのにも関わらずほとんどここに入り浸る状態だった為、それだけ捨てたあとは生活感が失われたのだ。
つまりそれだけ、元恋人の存在が叶芽の生活の大半を占めていた。
「俺の部屋、まだダンボールだらけで」
「ふうん」
聞けば光雄は近くの大学に通う学生。入学とともに最初に引っ越したアパートは諸事情で引き払い、ここに越して来たという。
「分量もすごいんだ。足の踏み場がなくて」
肩をすくめて困ったように笑う彼に。
「そう。あ、適当に座れば」
と返す。そして冷蔵庫を開けて少し後悔した。
――なんもないな。
あるのは日中に買い込んでおいたチューハイ缶のみ。
最悪な気分で帰路についたものだから、他の店に寄ることすらなかった。
「お前、酒飲める?」
一本だけ取り出すと彼の方に向ける。
「えっ、お、おう」
面食らったかのように一瞬ぽかんとしたのち何度もうなずく。だから叶芽はチューハイ缶をそのままわたしてやった。
「僕はシャワー浴びてくるから」
そう言ってさっさと風呂場へ。
一刻も早く、身体にこびりついているであろう痕跡を消したかった。
ひんやりとした浴室の床に少し身震いする。
「っ、クソが」
避妊具はつけさせていたから中に出されて腹をこわすことはない。しかしそれでも不快であることには変わりなくて。
「はぁ」
叩きつけるような水圧が心地よかった。もう売春を強要する元恋人はいない。それなのにまたこんなことをした自分が汚らわしく思えて仕方がない。
言ってしまえば我に返ったのだ。
金がないからと犯してしまう罪の気軽さに愕然とした。
「ちくしょう……」
悔しさと情けなさに歯を食いしばる。自分が憎くて仕方ない。
堕ちた、と今更ながら自覚したのだから。
「死ぬからいいよな」
などと無理矢理納得する。そうしなければ泣いてしまいそうだった。
そうしてすべて洗い流したフリをしてシャワーを止めた。
「――なんだ飲んでないの」
風呂を上がって髪をふきながら見ると、光雄が興味津々といった様子で部屋を見渡してる。
「叶芽と一緒にって思ってさ。ほんと整理されてていいなぁ、この部屋」
「なにもないだけだよ」
特に見るものなどないだろうに、目をキラキラさせてる彼を呆れ半分で見下ろす。
「一緒に飲もうや」
光雄がどうやら最初から持ってたであろうコンビニ袋を開ける。
「ツマミ、になるかはわからんが」
「おにぎり……?」
またコンビニおにぎりがいくつも出てくる。
「ツナマヨもあるぞ」
ニッと笑顔をみせながら二種類のおにぎりを見せる。
「これ和風ツナマヨってやつ。俺、これが好きなんだよな。丸いヤツ」
確かにコンビニには海苔がパリッとしている三角のやつだけじゃなく、しっとりとした丸いものもある。
「え、おにぎりは海苔がパリッとしてなきゃだろ」
片方を手に取り、叶芽が言うと。
「あのしっとり感がいいんだぞ」
と光雄。
「いや、あんなの邪道だ」
「いやいや、むしろ今では王道になってるから」
「いやいやいや、海苔は乾いてないと」
「いやいやいやいや、しっとりだろ」
二人はそんなことを言い合いながらも、並んで包装フィルムをあけて食べ始めた。
「うん。美味い」
「いやこっちの方が美味いってば」
「じゃあこっちの食わせろよ、叶芽」
「えっ」
聞き返した時には距離が詰められていて。
「ちょっ……!?」
「んー、まあそれぞれかぁ」
その視線はおにぎり。叶芽は一口かじられた箇所と、光雄の顔を交互にながめて呆然とする。
――ノンケの距離感って怖い、ってかこいつ絶対陽キャだろ!
そこに下心も何もない。あるとしても陽キャのコミュ力の高さだろう。
一方叶芽は学生時代、家庭環境や自分のセクシャリティもあってなかなか人付き合いも上手くいかなかった。
「俺のも食う?」
「……いい」
「そっか」
やはり何も感じてないらしい。
「それにしても、おにぎりとレモン酎ハイの組み合わせは微妙だな」
「そんなこと分かりきってるだろ」
「あはは、違いない」
あっけらかんと声を上げて笑うこの青年の隣にいると、なぜだか少し気が楽になることに気づいた。
「……俺、前にいたアパートで隣人トラブル起こしてさ」
一本の缶がほぼ空になったくらいだろうか。光雄がぽつり言った。
「色んな人に迷惑とか心配かけてしまって。だから今度こそお隣さんとは仲良くしたいって思ったんだよな」
「ふうん」
隣人トラブルといっても様々だろう。騒音や臭いなどのものから、挨拶や嫌がらせなどの人間関係のものまで。
しかしこの青年であれば余程のことがない限り上手く対処出来そうなものだが、と叶芽は思った。
「叶芽みたいなやつがお隣さんでよかった」
「……」
すぐ隣で首吊り自殺企てる売春常習犯のゲイでいいのか。
いや知らないからそんな事が言えるのだ。
本当のことを知れば、その童顔の綺麗な顔を嫌悪で歪めるだろう。
「僕はこんなお隣さんで驚いてるけど」
「そうなのか?」
「だって初日でドア破壊されるとは思わなかったし」
「耳が痛いなぁ」
「帰ってきたら寝袋で玄関前に転がってるし」
「それはむしろ普通じゃないか?」
「普通なわけあるか」
普通では無い。非常識だが、それでもこの青年相手だと許せてしまうのがすごい。
こんなのとトラブル起こす前の隣人はどんだけめんどくさいタイプだったんだ、と叶芽は思った。
「これからもよろしくな、叶芽」
「あ、うん」
もうすぐ死ぬけど、なんて絶対に口に出せないまま缶に残った酒を一気に飲み干す。
今日は一向に酔えない。
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