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終幕
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すべてが順調、とは言い過ぎだろうか。
「本当に出て行っちゃうのかい?」
「ええ」
悲しそうに目を伏せる健二のことを別に恨んではいない。
むしろ自分のために何度も芝居を打って、弟や両親たちが強硬手段に出るのを食い止めてくれていたのだから。
「キミをも騙していたのは本当に悪かったよ」
「だからもういいですってば」
むしろ感謝しているのだ。
あれからまずは歩夕が独り立ちして起こした法律事務所の手伝いをしたり、祖母の会社経営について学んだり。
目まぐるしい日々が過ぎたが、ようやくそれらの生活も慣れてきたところで改めて自分が居候していた大西家から正式に引っ越して自分でアパートを借りて自活しようと思ったのだ。
「いつかは来る日でしたから」
「そっか……」
寂しくなるね、とつぶやく彼には自分もだと心の中で付け加えた。
「朱音のためにもたまには遊びに来てやってくれないか」
「もちろん」
引っ越すことを言った時は夜通し泣かれた。しかし徹夜して大人三人で慰めて説得したおかげか。
『あたしがしっかり大人になって迎えに行くから』
とまたプロポーズをされてしまった。
当然、今はまだ応えられないと断ったのだがどこまで納得したのやら。
「あの子は思い込んだら一直線だからね、父親に似て」
「父親……確かお亡くなりになったんでしたっけ」
「ううん。あれ普通に嘘だよ」
「へ?」
皇大郎は素っ頓狂な声を上げた。
たしか結婚する前に死別したと聞いていたが。
「未婚で別れてるけど生きてるし、元気にはしてるんじゃないかな。たまに新刊とか出してるみたいだし」
「し、新刊?」
聞けば有名なホラー作家らしい。いくつも映画化やドラマ化、マンガ化された作品の原作を手がけていると。
「でもその方って性別おろか年齢も不詳だって」
「そうみたいだね。あいつ昔からシャイだったから」
「シャイとは……?」
見た目からして覆面姿でメディアに出ている人だ。
シャイというよりそれ以上のなにかに思えるが。
「って言っても僕たちはもうずっと前に終わってるから」
もちろん養育費はかなりふんだくったけどね、と笑う彼を見て少し胸が痛くなった。
「ま、向こうも直接娘には会いたがらないんだ。たまに電信柱の影から覗いてるくらいだしむしろ清々するよ」
「健二さん、それって……」
ストーカーなんじゃ、と指摘しそうになるが彼の表情はなぜか心の底から面白がってる感じで口をつぐんだ。
なにか事情でもあるのかもしれない。
「そういえばもう引越し先は決まってるの?」
「ええ」
健二の問いかけに頷く。
最初こそ自力で探したのだが。いかんせん定職というものについていなかったのと、やはりオメガということでなかなか条件の合ったところを紹介してもらえなかったのだ。
「オメガだと大家が嫌がるって不動産屋が言うんだよね」
「本当にそう」
治安の関係上、男といえどベータやアルファより気をつけなければならない上にトラブル回避のためにオメガには貸したがらない大家も多いのだ。
「結局、お祖母様に紹介してもらったんだけどさ」
出来れば一人で頑張りたかった。しかし就活の時もそうだったが、もう先が見えない感覚にかなり参ったのだ。
恥を忍んで頭を下げた彼に、彼女は少し寂しげな顔をして。
『可愛い孫にはいくつになっても頼って欲しいものよ』
とウィンクをした。
「僕でも働きながらちゃんと家賃払えるようなところだから、少しここから遠くなっちゃうんだけど」
でもよかったら遊びに来てと朱音にも言ったのだ。
「今度こそ自立しないとね」
「あんまり気負いしない方がいい」
健二が心配そうに眉を下げて肩を優しく叩く。
「君の助けになりたいっていうヤツらはボクを含めて結構いるんだから」
「健二さん……」
自分はとても幸運だった、と皇大郎は思う。
一人では就活おろか住む所も確保出来ない温室育ちのお坊ちゃんがこうやって、身も売らず生活できていたのだから。
「ありがとうございました、本当に」
「ううん、いいんだよ。ボクたちはキミを騙してしまったから」
彼がまた悲しげにうつむく。
最初に接触してきたのは祖母の純代であった。
「キミの御家族だってすぐに分かったし、話は聞いていたから最初はかなり警戒したけど」
しかし彼女は何度も何度も会いに来た。
「そしたらすぐ後に恭二君が来てね」
一目見て分かったと笑う。
「水商売歴長いからね、人を見る目は多少自信があるよ」
そこから彼を信用させて時間稼ぎをすることにしたのだという。
「でもいくらやめろって言ってもすぐにキミに対してストーカー行為しようとするからさ。本当にどっかの誰かさんみたいにね」
「えぇ……」
するとあの恐ろしく汚い字の手紙も。
躊躇いがちに質問すると苦笑いを返された。
「そう。キミの元婚約者もたいがい女々しいね」
同じアルファでも、自分より遥かにフェロモン値も腕っ節も気合も強い田荘にボコボコにされたのが相当堪えたらしい。
すっかり少年時代の面影を残した高貴に戻ってしまったのだとか。
「まだしつこく付きまとってくるの?」
「んー」
彼の言葉に皇大郎は少し考えた。
「確かに手紙は届いてるみたいですね」
直接連絡先を知らないからか、歩夕のいる法律事務所宛に送り付けられているらしい。
読むかと聞かれたので内容を訊ねると。
『字が下手くそ過ぎて解読不能』
と返ってきた。
「まずは習字教室でも通えって言ってやろうかなって」
少し前の自分ならそんな親切心すらなかったのだが。
「正直、あの汚らしい泣き顔に少し溜飲が下がったというか」
また別種類の感情が芽吹き始めたことは彼自身も知らない。
「あははっ! 汚らしいって」
「だって汚らしいんですもん。昔のままですよ、あいつ」
卑屈で陰険で気が小さくて。それでいて甘えたがりのクソガキのまま大人になったような。
「すぐ泣くし、鼻血も出すし」
「鼻血?」
「そ、鼻血」
出会った時も確か鼻血出してた気がする。あの時わたしたハンカチを今でも後生大事に持っていると打ち明けられた時はさすがにドン引きしたが、なんとなく邪険にしきれないでいた。
「……でも許してやらない」
まだ、と付け加えなかったのは意地だ。
「嫌いだし確かに憎んでるけど」
当たり前だ。
いまだ覚えていないがオメガにされたのもあの男のせいだし、なにより身勝手な理由で乱暴もされた。
もしこれから先、記憶が戻ることがあった時こそ精神的に壊れてしまうのではないかと純代や歩夕は心配しているようだった。
だから彼女たちに言われたのだ。
『もう高島 高貴と関わることは望ましくない』
と。
「僕も頭ではそうだって、それが正しいって理解してるんだけど」
しかし目の前で絶望に身を震わせて泣きわめく大の男を目にして、切り捨て切れないと思うのだ。
「自分のことなのによくわかんないや……」
己の靴先をジッと眺めながらつぶやく。
「今さら焦る必要ないよ」
優しい声が疲弊した心に沁みる。
「ボクたち、お互い男の趣味は悪そうだし」
「なんですかそれ」
おどけたような言い草に思わず吹き出した。
「今度また聞かせてください、そのストーカーみたいな元カレの話」
「え、なにも面白いことはないよ? 友達と心霊スポットに行ったら、住んでたアパートが爆破予告受けて追い出された元カレが全裸で寝ていて。それを発見したボクらが死体だと勘違いして生き埋めにしようとしたのが出会い……とか」
「いやいやいや」
さわりだけ聞いても普通に興味をひかれるのだが。
しかし彼は。
「ね? つまらない馴れ初めでしょ」
なんて肩をすくめて笑うものだから皇大郎は頭を抱えたくなった。
※※※
夜更けにコンビニに行く事だってままある。
今がまさにそれだ。
いつもならそんなことはないが、たまたまあの乳酸菌飲料が飲みたくなって。でも引っ越して間もない小さなアパートの冷蔵庫を眺めてもなくて。
当然だ。なぜなら皇大郎は昔からあまりそれを飲む習慣がないから。
幼い頃は虫歯になるからとほとんど飲ませて貰えずなんとなくここまで来た。
大人になって誰からも文句を言われない環境なのだが、今になって無性に飲みたくなったのだ。
――なんか遅い反抗期みたいだな。
情けないような気分になりつつ、夜道に向かうコンビニに少し心が踊るのはなぜか。
ふと、大西家に居候中も夜中の外出は禁止されていた事を思い出す。
あれは皇大郎を恭二たちから守るための約束だったのを今さら知ったのだ。
「……」
やっぱり情けない。
少し萎んだ気分に蓋をしながら、夜でも照らされた道を歩く。
「いらっしゃいませ」
あの入店音とともに店員の声が響く。夜中だというのに妙に熱量のあるそれに思わずレジに視線を向けた、瞬間。
「えっ!?!?!?」
見覚えの――というどころか、完全に見知った顔がそこにいた。
「高貴、なにしてんのここで!?」
「イラッシャマセー」
「こら! カタコトで誤魔化すな」
「……」
「顎をしゃくれさせてもダメだからな!?」
変装のつもりなのか不自然に顎をしゃくれさせる男に詰め寄る。
仮にも良家の御曹司がコンビニバイトしてるなんてまったく理解出来ない 。
しかし当の本人はなぜか顔を赤らめてモジモジしている。
「う、運命だから?」
「サラッと嘘つくな、ストーカー」
おおよそ付きまとい行為のためにはじめた副業に違いない。というかそんな時間があるのだろうか、この男に。しかしそう問い詰めると彼はこともあろうに。
「いや、ここら一帯を土地ごと買収して新しいショッピングモールでも建設しようと思って」
「えぇ……」
そのためになぜコンビニでバイトしてるのか意味不明だが。彼の話を要約すると、バイトは実地調査を兼ねた見守り (ストーカーともいう)行為 で、ショッピングモール建設は別の目的があるというが。
「ここはあまり店も少なくて不便だから、便利になればお前が喜ぶかと――」
「こらっ!」
うっかり子供をしかるように頭を叩いてしまった。
あまりにも歪んでいるしスケールが大きすぎる。
「お前が喜んでくれるかと思っていたんだが」
しょぼんと目を伏せる彼を眺める皇大郎は深いため息をついた。
「……バイト終わったらウチに来れば?」
「えっ」
思わず口出た言葉にキョトンとした目。一気に恥ずかしくなりそっぽを向く。
「嫌ならいいけど」
「いく!!!」
食い気味に即答される言葉を聞きながら踵を返す。
「ヤ○ルト買って持ってきて」
と言い残して。
「わかった、命に変えても持っていくからな!!!」
そんな涙声の大声に見送られながら、結局何も買わずに彼はコンビニを出ることになる
「あーあ」
結局なにも買えなかった。
ふと空を見ると月がまだぽっかり浮かんでいる。
しかしまたすぐに幽霊のようにぼんやりと残像が映ることになるだろう。
朝がくるのだ。
「本当に出て行っちゃうのかい?」
「ええ」
悲しそうに目を伏せる健二のことを別に恨んではいない。
むしろ自分のために何度も芝居を打って、弟や両親たちが強硬手段に出るのを食い止めてくれていたのだから。
「キミをも騙していたのは本当に悪かったよ」
「だからもういいですってば」
むしろ感謝しているのだ。
あれからまずは歩夕が独り立ちして起こした法律事務所の手伝いをしたり、祖母の会社経営について学んだり。
目まぐるしい日々が過ぎたが、ようやくそれらの生活も慣れてきたところで改めて自分が居候していた大西家から正式に引っ越して自分でアパートを借りて自活しようと思ったのだ。
「いつかは来る日でしたから」
「そっか……」
寂しくなるね、とつぶやく彼には自分もだと心の中で付け加えた。
「朱音のためにもたまには遊びに来てやってくれないか」
「もちろん」
引っ越すことを言った時は夜通し泣かれた。しかし徹夜して大人三人で慰めて説得したおかげか。
『あたしがしっかり大人になって迎えに行くから』
とまたプロポーズをされてしまった。
当然、今はまだ応えられないと断ったのだがどこまで納得したのやら。
「あの子は思い込んだら一直線だからね、父親に似て」
「父親……確かお亡くなりになったんでしたっけ」
「ううん。あれ普通に嘘だよ」
「へ?」
皇大郎は素っ頓狂な声を上げた。
たしか結婚する前に死別したと聞いていたが。
「未婚で別れてるけど生きてるし、元気にはしてるんじゃないかな。たまに新刊とか出してるみたいだし」
「し、新刊?」
聞けば有名なホラー作家らしい。いくつも映画化やドラマ化、マンガ化された作品の原作を手がけていると。
「でもその方って性別おろか年齢も不詳だって」
「そうみたいだね。あいつ昔からシャイだったから」
「シャイとは……?」
見た目からして覆面姿でメディアに出ている人だ。
シャイというよりそれ以上のなにかに思えるが。
「って言っても僕たちはもうずっと前に終わってるから」
もちろん養育費はかなりふんだくったけどね、と笑う彼を見て少し胸が痛くなった。
「ま、向こうも直接娘には会いたがらないんだ。たまに電信柱の影から覗いてるくらいだしむしろ清々するよ」
「健二さん、それって……」
ストーカーなんじゃ、と指摘しそうになるが彼の表情はなぜか心の底から面白がってる感じで口をつぐんだ。
なにか事情でもあるのかもしれない。
「そういえばもう引越し先は決まってるの?」
「ええ」
健二の問いかけに頷く。
最初こそ自力で探したのだが。いかんせん定職というものについていなかったのと、やはりオメガということでなかなか条件の合ったところを紹介してもらえなかったのだ。
「オメガだと大家が嫌がるって不動産屋が言うんだよね」
「本当にそう」
治安の関係上、男といえどベータやアルファより気をつけなければならない上にトラブル回避のためにオメガには貸したがらない大家も多いのだ。
「結局、お祖母様に紹介してもらったんだけどさ」
出来れば一人で頑張りたかった。しかし就活の時もそうだったが、もう先が見えない感覚にかなり参ったのだ。
恥を忍んで頭を下げた彼に、彼女は少し寂しげな顔をして。
『可愛い孫にはいくつになっても頼って欲しいものよ』
とウィンクをした。
「僕でも働きながらちゃんと家賃払えるようなところだから、少しここから遠くなっちゃうんだけど」
でもよかったら遊びに来てと朱音にも言ったのだ。
「今度こそ自立しないとね」
「あんまり気負いしない方がいい」
健二が心配そうに眉を下げて肩を優しく叩く。
「君の助けになりたいっていうヤツらはボクを含めて結構いるんだから」
「健二さん……」
自分はとても幸運だった、と皇大郎は思う。
一人では就活おろか住む所も確保出来ない温室育ちのお坊ちゃんがこうやって、身も売らず生活できていたのだから。
「ありがとうございました、本当に」
「ううん、いいんだよ。ボクたちはキミを騙してしまったから」
彼がまた悲しげにうつむく。
最初に接触してきたのは祖母の純代であった。
「キミの御家族だってすぐに分かったし、話は聞いていたから最初はかなり警戒したけど」
しかし彼女は何度も何度も会いに来た。
「そしたらすぐ後に恭二君が来てね」
一目見て分かったと笑う。
「水商売歴長いからね、人を見る目は多少自信があるよ」
そこから彼を信用させて時間稼ぎをすることにしたのだという。
「でもいくらやめろって言ってもすぐにキミに対してストーカー行為しようとするからさ。本当にどっかの誰かさんみたいにね」
「えぇ……」
するとあの恐ろしく汚い字の手紙も。
躊躇いがちに質問すると苦笑いを返された。
「そう。キミの元婚約者もたいがい女々しいね」
同じアルファでも、自分より遥かにフェロモン値も腕っ節も気合も強い田荘にボコボコにされたのが相当堪えたらしい。
すっかり少年時代の面影を残した高貴に戻ってしまったのだとか。
「まだしつこく付きまとってくるの?」
「んー」
彼の言葉に皇大郎は少し考えた。
「確かに手紙は届いてるみたいですね」
直接連絡先を知らないからか、歩夕のいる法律事務所宛に送り付けられているらしい。
読むかと聞かれたので内容を訊ねると。
『字が下手くそ過ぎて解読不能』
と返ってきた。
「まずは習字教室でも通えって言ってやろうかなって」
少し前の自分ならそんな親切心すらなかったのだが。
「正直、あの汚らしい泣き顔に少し溜飲が下がったというか」
また別種類の感情が芽吹き始めたことは彼自身も知らない。
「あははっ! 汚らしいって」
「だって汚らしいんですもん。昔のままですよ、あいつ」
卑屈で陰険で気が小さくて。それでいて甘えたがりのクソガキのまま大人になったような。
「すぐ泣くし、鼻血も出すし」
「鼻血?」
「そ、鼻血」
出会った時も確か鼻血出してた気がする。あの時わたしたハンカチを今でも後生大事に持っていると打ち明けられた時はさすがにドン引きしたが、なんとなく邪険にしきれないでいた。
「……でも許してやらない」
まだ、と付け加えなかったのは意地だ。
「嫌いだし確かに憎んでるけど」
当たり前だ。
いまだ覚えていないがオメガにされたのもあの男のせいだし、なにより身勝手な理由で乱暴もされた。
もしこれから先、記憶が戻ることがあった時こそ精神的に壊れてしまうのではないかと純代や歩夕は心配しているようだった。
だから彼女たちに言われたのだ。
『もう高島 高貴と関わることは望ましくない』
と。
「僕も頭ではそうだって、それが正しいって理解してるんだけど」
しかし目の前で絶望に身を震わせて泣きわめく大の男を目にして、切り捨て切れないと思うのだ。
「自分のことなのによくわかんないや……」
己の靴先をジッと眺めながらつぶやく。
「今さら焦る必要ないよ」
優しい声が疲弊した心に沁みる。
「ボクたち、お互い男の趣味は悪そうだし」
「なんですかそれ」
おどけたような言い草に思わず吹き出した。
「今度また聞かせてください、そのストーカーみたいな元カレの話」
「え、なにも面白いことはないよ? 友達と心霊スポットに行ったら、住んでたアパートが爆破予告受けて追い出された元カレが全裸で寝ていて。それを発見したボクらが死体だと勘違いして生き埋めにしようとしたのが出会い……とか」
「いやいやいや」
さわりだけ聞いても普通に興味をひかれるのだが。
しかし彼は。
「ね? つまらない馴れ初めでしょ」
なんて肩をすくめて笑うものだから皇大郎は頭を抱えたくなった。
※※※
夜更けにコンビニに行く事だってままある。
今がまさにそれだ。
いつもならそんなことはないが、たまたまあの乳酸菌飲料が飲みたくなって。でも引っ越して間もない小さなアパートの冷蔵庫を眺めてもなくて。
当然だ。なぜなら皇大郎は昔からあまりそれを飲む習慣がないから。
幼い頃は虫歯になるからとほとんど飲ませて貰えずなんとなくここまで来た。
大人になって誰からも文句を言われない環境なのだが、今になって無性に飲みたくなったのだ。
――なんか遅い反抗期みたいだな。
情けないような気分になりつつ、夜道に向かうコンビニに少し心が踊るのはなぜか。
ふと、大西家に居候中も夜中の外出は禁止されていた事を思い出す。
あれは皇大郎を恭二たちから守るための約束だったのを今さら知ったのだ。
「……」
やっぱり情けない。
少し萎んだ気分に蓋をしながら、夜でも照らされた道を歩く。
「いらっしゃいませ」
あの入店音とともに店員の声が響く。夜中だというのに妙に熱量のあるそれに思わずレジに視線を向けた、瞬間。
「えっ!?!?!?」
見覚えの――というどころか、完全に見知った顔がそこにいた。
「高貴、なにしてんのここで!?」
「イラッシャマセー」
「こら! カタコトで誤魔化すな」
「……」
「顎をしゃくれさせてもダメだからな!?」
変装のつもりなのか不自然に顎をしゃくれさせる男に詰め寄る。
仮にも良家の御曹司がコンビニバイトしてるなんてまったく理解出来ない 。
しかし当の本人はなぜか顔を赤らめてモジモジしている。
「う、運命だから?」
「サラッと嘘つくな、ストーカー」
おおよそ付きまとい行為のためにはじめた副業に違いない。というかそんな時間があるのだろうか、この男に。しかしそう問い詰めると彼はこともあろうに。
「いや、ここら一帯を土地ごと買収して新しいショッピングモールでも建設しようと思って」
「えぇ……」
そのためになぜコンビニでバイトしてるのか意味不明だが。彼の話を要約すると、バイトは実地調査を兼ねた見守り (ストーカーともいう)行為 で、ショッピングモール建設は別の目的があるというが。
「ここはあまり店も少なくて不便だから、便利になればお前が喜ぶかと――」
「こらっ!」
うっかり子供をしかるように頭を叩いてしまった。
あまりにも歪んでいるしスケールが大きすぎる。
「お前が喜んでくれるかと思っていたんだが」
しょぼんと目を伏せる彼を眺める皇大郎は深いため息をついた。
「……バイト終わったらウチに来れば?」
「えっ」
思わず口出た言葉にキョトンとした目。一気に恥ずかしくなりそっぽを向く。
「嫌ならいいけど」
「いく!!!」
食い気味に即答される言葉を聞きながら踵を返す。
「ヤ○ルト買って持ってきて」
と言い残して。
「わかった、命に変えても持っていくからな!!!」
そんな涙声の大声に見送られながら、結局何も買わずに彼はコンビニを出ることになる
「あーあ」
結局なにも買えなかった。
ふと空を見ると月がまだぽっかり浮かんでいる。
しかしまたすぐに幽霊のようにぼんやりと残像が映ることになるだろう。
朝がくるのだ。
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